54.少女、引っ張り出す。
その時の男の顔は実に見物だった。目を見開いて何かを言おうとし、言葉が出てこなかったのかそのまま固まる。だが屈託無く笑うニチカにハッと我に返ったようだ。慌てて手を引っこめると珍しく焦ったような声を出した。
「で……きるわけないだろうっ、お前も聞いたはずだ、俺は巫女サマのお供ができるような身分じゃ――」
「そんなの関係ない、他の人がどう言おうと『魔女のオズワルド』は私にとって大切な仲間なんだから」
再び手を掴んだ少女は、男を日蔭から明るい朝日の中へ引きずり出した。まぶしい光に少しだけ目がくらむ。細めた視界の中でもニチカが力強い表情をしているのが見て取れた。彼女は確信を持った響きでこう告げる。
「あなたに世界を滅ぼすだけの力があるというのなら、言い換えれば救うだけの力もあるはず。私はそれを証明したい、ううん、絶対にしてみせる。だからお願い、私と来て!」
続けられた言葉が、男の中で幾度も反響する。荒唐無稽な絵空事だ。忌み嫌われてきた自分が世界を救う? ありえない。頭を振り払った男は、このムチャを言う少女を説得してくれと背後を振り返った。
「……」
そしてその場にいる全員の表情を見て言葉を失った。諦めたようにため息をつくグリンディエダに、その横で顔を紅潮させている孫娘。ウルフィ――は、睡魔に負けたのか眠りこけているが、イニまでもが人を喰ったような顔でニヤついている。
「……どういうことだ」
恨みがましい声を出すオズワルドの前に、やれやれと肩をすくめた金色の男が進み出てきた。
「私も我が愛しの后にあそこまで泣きつかれては折れるしかなくてね」
イニはその輝く金の翼から一本羽根を抜き取ると、オズワルドの黒いコートの胸ポケットに差し込み言った。
「君をこのプロジェクトの一員に任命する。立派に任務を遂行してくれたまえ」
「……は?」
もはや疑問符を発するだけの機械となってしまったオズワルドを放置し、イニはテンション高く自らの考えを次々と口に出していった。
「そうとなれば広報活動を広げねばならんな。金に輝く美しい羽根をつけた一行。精霊の巫女である聖少女とその下僕が各地を回っているとウワサを流せばいくらかイメージも良くなるだろう。うむ、決めたぞ! 君たちのことは『アルカンシエルDE精霊さがし隊☆』と名づけようではないか!」
「広報活動うんぬんはともかく、その名前はやめたほうが賢明かと」
冷静なツッコミがグリンディエダから入る。彼女は弟子に向き直ると厳格な表情を崩さずに言った。
「そういうわけです」
「どういうわけだ!」
「わたくしは最後まで反対しましたが、彼女の意思は固いものでした。あなたとでなければ旅を止めるとまで言ったのですから」
勢いに任せて言ってしまったことをバラされ、顔を真っ赤にしたニチカは恥ずかしそうに俯く。
「そこまではっ……言ったかもしれないけど」
「夜中に突然飛んで押しかけてきた時は何事かと思いましたよ」
「だからぁ~」
めずらしく口の端を吊り上げた校長は、理知的なローズブラウンの瞳を弟子に向け穏やかに告げた。
「この旅を通して精霊の巫女を助ければ、あなたの悪名も少しは回復するでしょう。わたくしはそこに賭けることに致しました」
裏のない言葉にオズワルドは心を揺さぶられるような気がした。もう一度信じてくれると言うのか。かつてあれだけ目を掛けてもらいながら、恩を仇で返すような真似をしてしまった自分を。
だが男にとって、それは同時に心に重くのしかかる枷でもあった。反対するものはもう居ない。だがそれでも踏ん切りが着かない。
率直に言ってしまえば怖かった。自分はこれまで影に潜んで明るい所をできるだけ避ける生き方をしてきた。それは職業上仕方のないことだと思うし、性分にも合ってると思っていた。だが正式に精霊の巫女の仲間となってしまえば、表舞台に引きずり出されることになる。
望まなかったわけではない。だが安易に飛び出すには重ねてきた過ちが多すぎる。挽回も何も、もう遅すぎるのでは。
嫌な汗が頬を伝う。万が一、この事が『あの男』の耳に入ったのなら、この場にいる何人が生き残れるだろうか。何とか答えを先延ばしにしようと、口を開きかけた時だった。
「後悔なんかしないよ」
確信に満ちた瞳で少女が力強く頷く。その華奢な両手があれこれ余計なことを考えていた男の手をしっかりと捕まえ、渦巻く思考の中から否応なしに引っ張り上げた。
「一緒に行こう。オズワルド!」
***
こちらに手を振りつつ坂を下っていく一行を見送った者たちは、その姿が見えなくなったころ気が抜けたように雑談を始めた。グリンディエダ校長が呆れたように前で腕を組み口を開く。
「まったく、我が弟子の臆病さにはほとほと呆れますね」
「うぉぉぉんニチカくん! またしばしの別れだっ、私はいつでもそなたを想っていーるーぞー!!!」
イニは迷惑極まりない音量で叫び、膝から崩れ落ちる。その姿を見ていたメリッサが、好奇心まるだしでその背中に問いかけた。
「イニ様イニ様、ホントに良かったんですか? あの二人きっとこれからますます進展しちゃいますよ?」
言葉こそ心配しているが、むしろそんな展開を望んでいるような口ぶりだ。だが金の男は考える間もなくサラリとそれを否定した。
「あぁ、それは無いな」
「えぇっ? なんでぇ?」
ぶーっと頬を膨らませたメリッサをギロリと祖母がにらみつける。だが密かに弟子の不埒な行いを心配していたグリンディエダは孫と同じ質問を重ねた。
「なぜです? イニ」
「その原因は彼女の深い闇の部分にある。もっとも本人も気づいてはいないだろうけどね」
フフフと笑ったイニは立ち上がると優美に髪を払った。
「それに巫女は清らかなものでなければならないからな。彼女とあの男とでは吊り合わんよ」
まだ納得のいかない顔をしていたメリッサだったが、ハッとすると駆け出そうとした。
「そうだっ、こうしちゃ居られない。あたしもみんなに言って回らなきゃ! 救世の巫女が金の羽根をつけた魔女と旅をしてるって!」
「おぉ、そうだな。動けない我々はせめて最良のサポートをすべきだからな」
「魔女協会も世界を救う巫女の同行者となれば、オズワルドにおいそれと手出しはできないでしょうからね」
校舎に駆け戻ろうとしたメリッサだったが、祖母の何気ない一言で雷に打たれたように全てを思い出した。急ブレーキをかけ叫びながら振り返る。
「あ、ああーっ!!!」
「何ですか、騒々しい」
祖母にピシャリと言われるも、興奮しきった彼女は口から泡を飛ばしながら喋りだした。
「あたし思い出したのっ、さっきの人オズワルドって呼ばれてたでしょ? そうよ、そうだわ!」
最初に見たときからずっと引っかかっていた彼への既視感がようやく解ける。メリッサは晴れ晴れとした表情で記憶の中から答えを導き出した。
「トロフィー室に飾られてる歴代の学年首席の中にあの顔があったわ! すっごい美形だったから覚えてたのよ!」
穏やかに微笑む執事と、冷ややかな眼差しをカメラに向ける少年のイメージが違いすぎてすぐには気づかなかったが、他人の空似ではあり得ないほどに似ている。ところがそこでメリッサは首をひねった。
「でも彼が卒業する年だけは主席は別の人だったのよねぇ。おばあさま、その年に何かあったの?」
校長の中で、否が応でも当時の記憶がよみがえる。表情を強張らせた彼女は、静かに言った。
「……確かに、オズワルドは入学以降、魔女科でとび抜けて優秀な成績を修めてきました。神童と言っても差し支えはないほどに」
「だったらなんで?」
「彼が卒業試験で、ある過ちを犯したからです」
その事件が元で彼は卒業を間近に退学となった。それから一人『惑わしの森』に身を潜め、異端とも言える『はぐれ魔女』となっていったのだ。
いくら彼が天才と言えど、いや天才だからこそ驕ってしまったのだろうか。もう何年も前の事なのに、彼の研究室の扉を開けた瞬間の強烈な腐敗臭は忘れようにも忘れられない。釜の中でうごめく不気味な肉片の産声も。
「あの子は、決して触れてはいけない禁忌の術に手を出しました」
「まさか……」
この学校に入学した魔女の卵たちが一番最初の授業で教え込まれる事が三つある。ひとつ、契約はどんな些細な事でも必ず履行すること。ふたつ、精霊への敬意を忘れてはならない。そして最後の一つは――失った人を取り戻そうとしてはいけないと言うこと。
「オズワルドは、死者を甦らせようとしたのです」
***
エルミナージュ魔法学校を後にした一行は、坂を下りながら出口となる城門を目指していた。今までぐーすかと寝ていたウルフィもご機嫌で頭から生やしたイニの羽根を揺らしている。
「みてみてっ、僕も金の羽根もらっちゃった~」
嬉しそうに言った彼は、歯茎まで見せるおなじみの笑いを浮かべて主人と少女を交互に見やる。
「これでぜ~んぶ元通りだねっ」
その言葉にニチカはちらりとオズワルドを見た。確かめるようにどこか期待を込めた響きで問いかける。
「元通りっていうか、私がオズワルドを雇った形になるのよね?」
精霊の巫女プロジェクトを後援しているイニやグリンディエダが、護衛としてオズワルドを付けてくれたという体のはずだ。だがその確認にピクッと頬を引きつらせた男は、ニチカの頭を後ろからグイッと押し込んだ。つんのめりそうになり慌てて少女は足元を踏ん張る。
「う、わっ!」
「馬鹿言え、今まで通り師匠と弟子だ。俺がお前の下に着くなんてありえない」
「何よそれ! 一方的に破門したくせにっ、どうあがいても私とは対等な位置になりたくないってこと?」
憤慨して言い返す。あぁ、なんだかこんなやりとりも久しぶりな気がする……と、懐かしむ暇もなくオズワルドは尊大な態度で言い切った。
「お前が俺より優れている点が有るなら文句はない」
「あーもう、相変わらず上から目線なんだから! こんなことなら執事モードの方がよっぽど良かったわ!」
「ではお嬢様」
つい勢いで言ってしまった一言に、師匠は急にガラリと雰囲気を変えた。ニチカを引きとめるとその手の甲に恭しくキスをする。
「あなた様の望む限り、どこまでもお供いたしましょう。私の命あるかぎり、その手となり足となり、あなた様の為に死ぬことこそがわたくしの喜びでございます」
「~~~っ!!」
情熱的な忠誠の言葉に、少女の顔にカーッと熱が集まってくる。優しげな茶髪の執事も良かったが、本来の姿で言われると破壊力が違った。危うく「お願いします」と言いそうになる自分に活を入れてこれは演技だと言い聞かせる。
「やっ、やめーっ!! やっぱダメ! 執事モードやめーっ!」
「無能な主人の助けになることが、執事の務めでございますから」
「その口調で毒を吐くなぁ!」
「お嬢様はまったくもってバカでいらっしゃる」
「やめろって言ってるでしょ!」
ストレートに丁寧な罵倒にキレると、フンと笑った師匠は握りしめていた手を離してようやく素に戻ってくれた。
「心配しなくても、こっちだってあんな肩の凝る演技二度とゴメンだ」
「うん、そうしてくれると嬉しい……」
爆発しそうな心臓を押さえていると、ニコニコ見守っていたウルフィが思い出したように、あ、と呟いた。
「そういえばねー、精霊様に心当たりのある人が次の街まで案内してくれるんだって! 校長センセが言ってたよ」
「へぇ、どこかで待ってるの?」
「うん、この街の門のところで、僕らと同じ金の羽根をつけてるって――」
ならもう見えてもおかしくない。辺りに視線を走らせた一行は、少し先で待ち構えていた人影を発見し揃って足並みを止めた。
「あ、来た来た。遅かったっスねー」
緑の乱雑な髪。ヘビのような黄色い目を細めた青年の胸で、金色の羽根がキラキラと輝いていた。
***
昨夜未明、市内のアパートの一角から火が出ているのをこの近所の女性が発見、119番通報しました。
火はおよそ二時間後に消し止められましたが、火元と見られるアパートの一室が全焼しました。
この部屋に一人暮らしの女性(38)は出火当時、外出していて無事でした。警察は火元の原因を調べていますが、漏電が原因ではないかと……
……
次のニュースです……
……
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