47.少女、酩酊する。
際限なく周囲に貼られていた光の文字がピタリと止まった。しばらくして目の前に一文が現れる。
“さっさと座れば?”
フンッと気合いを入れた少女は通路を下り一番前の席に陣取った。このくらいの虐めなど大したことはない。負けてたまるか。だが光の言葉がポンポン飛んで来ては後頭部にぶつかる。鬱陶しい事この上ない。爆発しそうな気持ちを抑えるためにも、自分に言い聞かせる。
(無視無視、初日から騒ぎを起こして放り出されたくないもの)
“聞いても意味ないよ”
“パパにでも言いつけてみる? こっちがどこから言ってるか分かんないだろうけど!”
“悔しい? ねぇ悔しい?”
イライライライラ……いい加減キレそうだったニチカだが、ふと思いついて机の下でパチンと指を鳴らす。
ボッ
途端に周りの『貼り言葉』が燃え落ちてにんまりする。やはり魔法は魔法で対抗するのが一番のようだ。周囲の驚く雰囲気を感じて、内心ほくそ笑みながらもすました顔で正面を向く。
密かな攻防をしている間に教諭が降りてきたようだ。天井の一部がそのまま下がってきて、とんがり帽子をかぶった年配の魔女が乗っている。ズズンと重たい音を立てて着陸した彼女は辺りを見回し少しだけ顔をしかめた。
「あらまぁ、魔法の残り香がひどいわ。ここでの魔法使用は禁止されてたはずよ。さぁ授業を始めます」
***
「あなた、結構やるのね」
授業が終わり、生徒が出て行くのに続こうとしたニチカは背後からの声に引き留められた。振り向けばさきほど校内案内をしてくれた女の子が腕を組んで不敵な笑みを浮かべている。
「さっきの……」
「囁き魔法(ツイート)燃やしちゃうなんて予想外だったわ。かなり荒っぽい方法ではあったけど確かに効果的よね」
その言葉にニチカはキュッと目を吊り上げる。また何か言われる前にと先手を打つことにした。
「何か用? あなたもやってたんでしょう?」
「あたしが? まさか! あんな幼稚な連中と一緒にしないでよね」
心外だとばかりに目を軽く見開いた女の子は、緑の猫目を細めて感心したように言った。
「お高くとまった貴族のお嬢さまかと思ったけど、授業にも真剣に取り組んでたみたいね」
「お遊びで来たんじゃないもん」
すねて口を尖らせると、申し訳なさそうに破顔した彼女は手を差し出してきた。
「ごめんごめん、そういえば自己紹介もまだだっけ、メリッサよ。さっきは冷たいコト言って悪かったわね」
「……アンジェリカ、です」
意外な謝罪に面食らいながらも手を握り返す。メリッサと言うらしい少女はグイッと手を引っ張るとニチカを教室から連れ出した。
「さっきのお詫び! 町で魔導酒おごってあげる!」
「わっ、わっ」
背は同じくらいのはずなのにやたらと力が強い。メリッサはニチカを引きずるように廊下をずんずん突き進んでいく。他の生徒たちは物珍しそうにそれを見ていた。そんな奇異の目に対して、前を歩く少女は短く声を飛ばしていく。
「ちょっと何みてんのよ! そんな暇あったら明日に向けて予習しなさいよね。ルッパ! 明日の薬草学の小テスト忘れてないでしょうね、あんた次に赤点とったら進級あぶないんだから! チェリ、さっき居眠りしてたでしょう、先生も気づいてたわよ」
言われた生徒は苦い顔をしてメリッサを見送る。だがそんな空気にはお構いなしにメリッサは涼しい顔で城を抜けた。ニチカは小走りになりながら焦る。
(な、なんだろうこのコ、優等生っぽいけど若干空気が読めないっていうか……)
果たして彼女と関わるのは正しいだろうかと不安がよぎる。自分たちは潜入のために身分を偽って入学している。悪目立ちは避けるべきだ。だがこうも友好的にグイグイ来られると突き放すのもためらわれる。
手を振りほどくか迷っているうちに目的の場所へと着いたようだ。下の街まで降りてきた二人はある店の前で立ち止まった。年代を感じさせながらも暖かみのある店先では、他の生徒達の楽しそうな声が外にまで漏れ出ていた。木製の吊り下げ看板に彫り込まれた『とんがりぼうしの酒場』という店名に思わず叫ぶ。
「酒場って! 私たち未成年じゃない!」
「ん? へーきへーき、だって魔導酒ってアルコール含んでないもの。まぁ一種の精神高揚剤ではあるけど、学校公認よ」
明るく笑ったメリッサはカウンターに行き、エプロンをつけたマスターに注文を入れた。
「マスター! 魔導酒二つ! アンジェリカー、ストレートでいいよね!?」
「あ、うん」
グラスを二つ持ち帰ってきたメリッサは、ニチカの前にトンと置く。炭酸のようにシュワシュワしていて、鮮やかな青からピンクに変わるグラデーションがおしゃれなカクテルのようだ。
「それじゃ、かんぱーい」
カチンとグラスを合わせて口をつける。爽やかなノドごしでスーッと身体に染みこんで行くような何ともいえない爽快感だ。未知のグルメにニチカはようやく表情を明るくする。
「美味しい!」
「でしょ、ここは生徒の間でも一番人気のお店なの」
向かいの席で嬉しそうな笑みを浮かべるメリッサにようやく警戒心が解ける。第一印象は酷かったが、悪い子では無いのだろう。グラスをいったんテーブルに置いた彼女は申し訳なさそうに眉を寄せて謝罪をした。
「改めてゴメンね。近頃あんまりにも不純な動機で入ってくる貴族が多いもんだから貴女もそうかと思っちゃってさ」
「メリッサって、学ぶことに対してすごく真剣なんだね」
先ほど他の生徒に対して飛ばしていた忠告も本人を思ってのことだ。素直な感想を伝えるとパッと顔を明るくさせた彼女は胸を張った。
「そりゃそうよ、なんたってあたしはグリンディエダ校長の孫だもの!」
意外な告白に魔導酒を飲む手を止める。テーブルに置くとグラスの中の氷がカロンと音を立てた。
「校長先生のお孫さん? メリッサが?」
「なによ、信じられないっていうの?」
ジト目になる彼女に慌てて手を振り否定する。
「ううんっ、疑うわけじゃなくて。そっか、だからあんなに周りの生徒たちに注意してたのね」
「まったくどの子も不真面目なんだから」
ダンッとグラスを机に置いたメリッサは、キラキラと輝く瞳で語りだした。
「そうよ、いずれはこのあたしが校長になるの! その時に学校のレベルが底辺じゃ困るのよ。今の内から意識改革を行っていかないとね!」
「あ、あはは……」
彼女が校長になれるかどうかはナゾだが、周りの生徒たちのしらけた視線をものともしないところは大物と言えそうだ。再び魔導酒を流し込みながらニチカは問いかける。
「でも、不純な動機で入ってくる貴族って?」
そう尋ねると彼女は難しい顔をしながら自分のピンク色の巻き毛をクルクルと指で弄び始めた。どうやら考え事をするときのクセらしい。
「それがね、エルミナージュの最高権力はもちろん校長にあるんだけど、そのすぐ下に『五老星』っていう組織があるの。各科から選出される教授たちの集まりなんだけど、そこが最近キナ臭いウワサが多くて……」
ニチカはコクリと魔道酒を飲み下しながら話を聞く。しかし本当に美味しい飲み物だ。
「やれ裏金をもらって貴族の子を入学させてるだの、魔女協会と黒いつながりがあるだの、ほんともう参っちゃう」
「ふぅぅん」
これは、思わぬ情報かも知れない。どこかぼんやりする頭のままグラスを傾けようとして、すでに空っぽになっていることに気づく。
「ねぇメリッサ、もういっぱい、いい?」
「うん? いいわよ、お詫びだもの、いくらでもどうぞ。それでね五老星の意見が一致すれば、校長ですら逆らえないの。あたしにはそれで最近おばあさまが悩んでいるように見えて」
「ごろーせー、と、まじょきょうかい」
「えぇ、精霊の女神ユーナ様がお隠れになった辺りかな? その頃から魔女協会の動きが過激になってきたでしょう? どうやら方針に五老星が意見してるらしくて――」
「こわいねー」
そこでメリッサはようやく気づいた。すでに呂律の怪しい少女の前に空っぽになったグラスが大量に転がっている。新たに運ばれてきた一杯を両手で抱え込むようにして、ご令嬢は実に幸せそうにとろんとした目つきをしていた。嫌な予感がしつつも話しかける。
「……アンジェリカ?」
「おいしいねぇ、これ。何杯でも飲めちゃいそうだよ」
「えーと、もしかして魔導酒で酔ったの? 精神高揚剤(エーテル)で酔えるなんて、めずらしい人ね」
「あははぁー酔ってないよぉ、メリッサあたまクルクルーかわいいー」
「ちょっ」
ピンクの巻き毛を引っ張り、びよよーんなんて擬音をつけてくる。すっかりご機嫌な令嬢はすっかり出来上がっていた。頬は紅潮し、瞳がキラキラと輝いている。新たな友人の意外な一面を知ったメリッサは、やんわりと止めることにした。
「アンジェリカ、そろそろやめておいた方が」
「やーっ、もっと飲むー!」
ニチカはまるでダダっ子のようにグラスを抱き込む。だが後ろからヒョイと取り上げられ不思議そうに振り仰いだ。そこに居た男にパッと顔を明るくさせる。
「あーっ、オズワ」
「こんなところに居ましたか、探しましたよ」
べしっと顔全体を大きな手で塞がれ、令嬢は小さく笑いながら楽しそうに身をよじった。反対にメリッサは申し訳なさそうな顔で立ち上がる。
「あなた、確かアンジェリカの」
「ご迷惑をおかけしました。アンジェリカ様は人より免疫が弱いものでして、弱いエーテルでもすぐに作用してしまうのです」
「それは悪いことをしたわ。寮に戻って横になった方がいいわね」
「えぇ、責任を持って。お嬢様、アンジェリカ様」
ぐてっとしたニチカの肩を叩くも反応は薄い。諦めたように軽いため息をついた執事は、彼女の腰に手を回し支えながら立ち上がらせた。そのまま小脇に抱え懐から紙幣を取り出そうとする。それに気が付いたメリッサは慌てて手を振った。
「あっ、いいのよ。大した額じゃないし。それに」
少しだけはにかんだ彼女は心底嬉しそうにこう続ける。
「久しぶりに誰かとこうして飲めたもの。その子が起きたら楽しかったって伝えておいてくれるかしら」
その答えに少し笑った執事は会釈をして店を出て行った。メリッサは座り直し残っていた魔導酒に口を付ける。
「しかしレベルの高い執事ね……」
男が居たのは一瞬だけだったが、店内に居た女生徒たちが顔を見合わせながら色めきだっている。こちらに何か尋ねたそうな視線を向けていたが気づかないふりをした。
だが同時にメリッサは彼にどこか既視感を覚えていた。何となくイメージが違うような気がしたが、あの顔を確かにどこかで見たような?
「???」
どうにも思い出せないモヤモヤを抱えながら、彼女は残った魔導酒を仰いだ。
***
「お姫様だっこー! あはは、ししょーにしてもらえるなんて、空から槍でも降ってくるのかな? あっ、待って、槍より飴の方がいい! 空から飴が降ってくるの!」
腕の中でむじゃきに両手をあげる少女に、男はため息をつきたくなった。夕暮れ道を行きかう人々がクスクスと笑いながらこちらを見送っている。なんとか優しい笑みを保ったまま諭すように腕の中の少女に話しかける。
「お嬢様。お嬢様は洗礼を受けていない分、人より呪いや催眠に掛かりやすいのです。お気を付け下さい」
「あはははは、ねぇなんでそんなしゃべり方なの? どーしちゃったの?」
「どうしちゃったんでしょうねぇ」
自分の笑顔が引き攣る気がして、エセ執事は歩みを速めた。普段あれだけ自立心を保とうとしている少女が、まさか精神高揚剤ひとつでここまで幼児化してしまうとは。
ようやく部屋に戻る頃には、陽は森の彼方に沈みわずかな残滓を残すだけになっていた。灯りがなくとも何とかわかる暗さの中、ここまで抱きかかえて来た少女をベッドにそっと降ろす。それまでご機嫌だったお姫様はどこかぽやんとしたまま焦点をあちこちに彷徨わせていた。しかし、男と目が合うとパッと表情を明るくさせ早朝の小鳥のようにさえずり始める。
「あのねっ、昨日ね、おかあさんがね、ベッドでハンバーグこねてたの」
フェイクラヴァーを抑えるキャンディの包みを剥いた男は、それを少女の口に押し込んだ。しかしおしゃべりは止まらない。
「ぐちゃぐちゃねちょねちょって音がしてね、ソーセージでびたーんって!」
「お嬢様、少し休みましょうか」
とたんにむーっと頬を膨らませた少女は、男の髪を掴んで引き寄せた。痛みに顔をしかめるが、すぐ目の前にある澄んだ瞳に吸い込まれそうになる。何も言えずにいると予想外の要求が飛んできた。
「なまえ」
「……はい?」
「オジョーサマじゃなくて、なまえよんで!」
駄々っ子か。男は今日何度目になるかわからないため息を心の中でついた。仕方なしに今の役割として正しい名前を呼んでやる。
「アンジェリカ様」
「ち~が~う~っ!!」
いやいやと頭を振る少女は、キッと目の前の男をにらみつけた。要求は続く。
「敬語やだ」
「申し訳ございません」
「いつもみたいに話して」
「申し訳ございません」
知らない人のように接する男に、次第に少女の顔が曇っていく。呼びかける声も不安に満ちたものに変化していた。
「オズワルド……?」
「ウィルとおよび下さい」
「ねぇっ、オズワルドぉっ」
「お嬢様、聞きわけを――」
急にグイと引き寄せられ、微笑を浮かべていた男は次の言葉を呑みこまれた。触れるだけの幼いくちづけは、すぐに離れる。すがりつくようにこちらの胸元を掴む少女の目がうるみ、やがて大粒の涙がこぼれ落ちた。
「私のこと、嫌いになったの……?」
ポロポロとこぼれる涙を、指の腹で拭ってやる。困ったように微笑んだ執事は、幼子をあやすように頭を撫で続けた。なだめるため穏やかな声音を意識する。
「嫌いなわけないじゃないですか」
「キスしてくれなきゃ、やだ」
それまでよどみなく動いていた男の手がピクリと止まる。それには気づかず、ニチカは演技の仮面を脱いでくれと懇願した。
「しつじのウィルさんじゃなくて、オズワルドがいい」
それはただ純粋に、他人行儀な態度はやめてくれという願いだったのだろう。だが高揚剤に浮かされ、ほんのり色づいた肢体がその意味を変質させた。あどけなさを残す顔は泣き濡れ、服の裾からすんなりと伸びた脚の上を、月光が横切って白く浮かび上がらせている。
女ではない。だが子供でもない。気づけば胸元にしがみついていたはずのニチカの手がいつの間にか背中に回されている。安息の地を見つけた彷徨い人のように、彼女はほぅっとため息をついた。
「あったかい」
ささやくような声が心をひっかき、かすかに感じていた庇護欲が別の物に変化した。その正体不明の感情には気づかないふりをして無理やり投げ捨てる。
正気に戻してやろうと思った。不用意に男に抱きつけばどうなるか師匠としてきっちり教え込まねばなるまい。ようやく執事の仮面をかなぐりすてたオズワルドは抱きつく彼女の顔を上げさせ、真顔で覗き込んだ。
「……それは、誘っているのか?」
「あ……」
「いいだろう」
ニヤリと口の端を吊り上げた男は少女の耳元に唇を寄せ、とびっきり甘い声をこれでもかと注ぎ込んでやった。
「お前が望むのなら、死ぬほど愛してやる」
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