4マキナ・ロジカル
32.少女、拾われる。
上からみた時は穏やかに見えていた川だったが、実際落ちてみると意外なほどに流れは速かった。
「わっ、ぷぇっ」
カナヅチではないが水泳選手でもない少女は抵抗虚しく流されていく。せめて岸辺に寄ろうとするが水流に揉みくちゃにされて上下感覚がなくなってしまった。
(まずいよ、水面はどっち?)
せめて明かりの方へともがくのだが、ガボッと水を飲んでしまいますます動きが鈍くなる。本格的に危機を感じたその時だった
「わっ」
いきなり首の後ろに何かをひっかけられ水面から引き上げられる。そのまま円を描くようにゆっくりと視点が移動していく。誰が助けてくれたのかと思って振り返れば、そこに居たのは人ではなく木組みで出来たある設備だった。
「……水車?」
ポカンとしていると頂点まで運ばれ、そして今度はゆっくりと下り始める。
「ちょ、ちょっと!」
また水流に戻されてなるものかと手足をバタつかせると、いきなり誰かの手が伸びてきて少女の腰を掴んだ。そのまま引き込まれるように岸辺に落ちる。ドサッと背中に地面を感じた瞬間すさまじい安堵が押し寄せた。
ホッと息をつくと同時に、誰かに覆いかぶさられていることに気づく。顔の水滴を拭ってみると、見えて来たのは丸メガネをかけた優しそうな青年だった。
「よかった、無事みたいだね」
見た目を裏切らない落ち着いた声が暖かな雨のように降ってくる。自分と同じくらいの年齢だろうか、後ろで一つに束ねられている茶色い髪はなぜか煤まみれだったが、それを差し引いてもなかなか整った顔立ちをしていた。モスグリーンのツナギを着ていて、髪と同じ茶色の瞳でこちらを見下ろしている。
「あっ、あの、ありがとうございましたっ」
慌てて身体を起こそうとするが、ずぶぬれになっている為か全身が重い。それにひどく冷えてしまった。ふるりと震えた少女を見た青年は手を貸すとこう申し出てくれた。
「事情はよく分からないけど着替えた方が良さそうだね。村まで行こう」
「村?」
「近いよ、五分もかからない」
「でも私、仲間とはぐれちゃったんです。不注意で川に落っこちちゃって……」
どうしようかと川上を見るが、曲がりくねった渓流のどこにも黒い男とオオカミの姿は見えない。どうやらかなり流されてしまったようだ。
少女の見ていた方面に顔を向けた青年は、確認するように尋ねて来た。
「君は桜花方面から来たの?」
こくりと頷くと彼は少しだけ笑う。それだけで目元に皺がよりひどく優しそうな印象を受ける。
「なら大丈夫、あっちから来る人は必ず僕の村を通るはずだから。待ってたらきっと会えるよ」
「そうなんですか?」
「うん、そのお連れさんだって君が風邪を引くことなんて望んでないだろうからね」
いや、それに関してはどうだろう。怒髪天をつく怒りが幻聴で聞こえてくる気がした。
――ほとほとお前には呆れるな。不注意なバカは風邪でも引けば少しは大人しくなる……あぁいや、バカは風邪を引かなかったか。
「……私だって風邪くらい引くし」
「え?」
「あ、いえ。それじゃあお言葉に甘えて良いですか? 私ニチカって言います」
「僕はマキナ。よろしくね」
屈託無く笑う青年にドキッとする。もともとニチカのタイプは優しくて誠実な人だ。この青年はなんとなくその理想の王子様像に近い気がした。
「そこ、道が悪いから気をつけて」
ごく自然に手を差し伸べられてエスコートされる。丁寧な扱われ方が何となくむず痒くて新鮮だった。あの師匠だったらエスコートどころか自分を橋にして踏んづけて先に行ってしまうだろう。
(こんな人と最初に出会えてたら、もっと平穏だったのかなぁ)
ふいにオズワルドの意地悪な笑みが浮かんで慌てて頭を振る。ヤツの場合、顔は腹立たしいことにほんのちょっぴり好みだが、いかんせん性格に難がありすぎる。
「そうよ、それにトラブル引き起こすし、物騒な考え方しかしないし、何より人を馬鹿にして見下してばっかりなんだから!」
「ニチカちゃん?」
「あっ、すみません」
ハッと我に返った少女は、いつのまにか目の前に広がっていた村に目を瞬いた。数歩先に立ったマキナが先導するように片手を広げる。
「ロロ村へようこそ」
風向きが変わり甘酸っぱい花の香りが運ばれてくる。ロロ村は素朴な村だったが、あちこちに花が咲き乱れそれは見事な物だった。
導かれるままに村の中を歩いていくと、トンテンカンテンと何かを組み立てているような音が聞こえて来る。目を凝らすと村中のあちこちに木でできた枠組みやステージなどが作られ、何かの準備をしているようだ。村人たちの期待に満ちたソワソワ感や笑顔も相まってなんとなく心浮き立つような予感を感じさせる。
「村のお祭りが近いんだ。僕の家はこっちだよ」
穏やかで明るい雰囲気の村は通りを歩くだけで色々な人に話しかけられた。右から左からととにかく忙しい。
「まぁまぁ、マキナ様。そのお方はどうされたんで? ずぶ濡れじゃないかい」
「ぼっちゃまー、頼まれてたやぐらの修理おわったべさ」
「花祭りは年に一度の大イベントだからなぁ、気合い入れっぺよ!」
それらに一つ一つ丁寧に返しながら歩くマキナに、ニチカは驚いたように言った。
「マキナ様? って、偉い人なんですか?」
「偉いのは僕じゃなくて父親。いわゆる親の七光りでさ」
その問いに青年は苦笑いを浮かべて答えた。頭を掻いて屈託なく笑うその様子は、確かに権力とは無縁に見えた。
「だから様付けなんてしないでいいよ。敬語も禁止」
「マキナくん?」
「うん」
年が近いこともあってか、二人の会話は自然に弾んでいった。ニチカがとある目的のためにあちこちの町を移動中なのだと打ち明けると、マキナは軽く目を見開き感嘆の声をあげる。
「それじゃあ君はその年で旅をしてるんだ。すごいね」
「すごいのかな? なんだかなりゆきな気がしなくもないんだけど」
「いいや大したものさ。それに比べたら僕なんか……」
ふ、と表情を固くした青年にニチカは首を傾げた。軽い調子で明るく続ける。
「私からすれば、あなたの方がよっぽどすごいけどな」
「え?」
少女はマキナから視線を外し、今もこちらを向いてニコニコ見送ってくれる村の人たちを見やる。自分たちに向けられる視線はどれも暖かいもので、敵意や警戒は一切感じられなかった。
「よそ者のはずの私がこうして歩いてるのにちっとも警戒されてない。それは隣にあなたが居てくれてるからでしょ? マキナ君はみんなにこれだけ好かれて信頼されている。それって才能とか勇気よりも、一番基本的だけどとても難しいことだと思うの」
「信頼……」
「こうやって私を助けてくれてるし、マキナくんがすっごいいい人だって言うのはわかるよ」
ほころぶように花開く笑顔にマキナの鼓動が高鳴る。今まであったどんな女性ともタイプが違う、まるで子供のような純粋な笑顔が目に焼き付いた。何かしゃべらなければと思い、気づけば礼の言葉が口から出る。
「あ、あの。ありがとう」
「あははっ、助けて貰ってるのは私なのに、変なの」
「それもそうか、ははっ」
和やかな雰囲気のまま話をしている内に、いつの間にか二人は丘の上の大きなお屋敷の前にたどり着いていた。
どこか陰鬱な雰囲気がただよう洋館。その大層な門の前で待ち構えていた一人の女性が丁寧に頭を下げた。
「お帰りなさいませマキナ様」
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