9.少女、提案する。

「ご主人、ニチカ、リゼット村だよ!」


 先を歩いていたウルフィが尻尾をふりふり振り返る。その嬉しそうな笑顔の先には素朴な村が待ち構えていた。


 木を組んだだけの簡素な柵、周囲に広がるささやかな畑、近くを流れるせせらぎの小川、実にのどかな村である。


 だが食い意地の張ったオオカミには村が別の形に見えているらしい、ステップでも踏みそうな勢いで小走りになっていく。


「あぁなんて美味しそうな村! まっててねコロコロ鳥ちゃん!」

「言っとくがそんなものを喰う前に発つからな」


 男のセリフにオオカミはカクンッとこけた。追い抜く男の足にすがりつき、聞いているこちらが哀れになるほど情けない声で泣きつく。


「なんでぇ!? なんでぇぇぇ!?」

「当たり前だ、この村に寄ったのはコイツを送るため。俺たちは長居する気はないんだ」


 その言葉に少女がビクリと反応する。やはり自分はここに置いていかれるのだと悟った瞬間、気分がへこむ。


「ちょっとは気にかけてくれても――わぷっ!」


 ブツブツと言っていたせいか、立ち止まった男に気づかずにその背中にドンとぶつかってしまった。赤くなった鼻をこすりながら文句を言う。


「いきなり立ち止まらないでよ。どうしたの?」


 ところが二人からの反応はなく固められてしまったかのように静止している。何事かとその横から覗き込むと、とんでもない光景が広がった。


「いっ!? 魔女がいっぱい……」


 今まさに向かおうとしていた村から、まるでコウモリのように黒服の集団がウワぁっ!と飛び立つ。それだけではない、地上にもたくさんの黒いローブを着た集団が見えてくる。村の人たちに話を聞いて、明らかに誰かを探しているようだった。


「アレってもしかして、魔女協会とか言う?」


 振り返ってたずねると、はるか遠くに逃げていく男とオオカミの姿があった。見事なまでに美しいフォームを描きながら、その姿が見る間に小さくなっていく。


「何て分かりやすい反応ーっ!?」

「さらばだニチカ! 達者でやれよ!」

「送るならちゃんと村まで送ってよ!」


 思わず叫んだのがまずかった。村にいた一人が気づいたのか、ざわめきが広がっていく。ひくりを頬を引きつらせるがもう遅い。


「……おい、あれひょっとして」

「間違いない! 異端魔女のオズワルドだ!」

「捕まえろ!」


「ひぃっ!?」


 追いかけてくる黒服の集団に恐れをなして、ニチカも二人の後を追いかけ始める。すぐに追いかけっこが始まった。


 「やっちまった感」を少しでも拭いたくて、少女はそもそもの元凶に向かって叩きつけるように叫ぶ。


「異端って、何したのよ!?」

「たいしたことじゃない! ……ただ、ちょっと実験にどうしても禁止されている材料があったから、色んなところから拝借したり」

「ただのドロボーじゃない!」


 ツッコミを入れながら猛ダッシュを続けると、男がギョッとしたような顔で振り返った。


「なんで付いてきてるんだ!」

「あなたと一緒のところを見られて、あの村に入れるわけないでしょ!」


 声はすぐ近くまで迫って来ていた。追えとか、殺せとか火あぶりにしろだの、なにやら物騒な声が聞こえてくる気がする。気のせいであってくれとニチカは心底祈った。


 背の高い草の間を縫うようにして逃げること数分、しばらくは頑張っていた少女だったが、じきに体力の限界がきてへたりと座り込んでしまう。急ブレーキをかけたウルフィが振り返るが、もはや立ち上がる気力すら無くなっていた。


「ニチカ! 捕まっちゃうよ!」

「はぁ、はぁ、ちょっとだけ、休憩……」


 元々運動神経がいいとは言えないのに、それをこんな長時間の全力疾走など無理があった。引き返してきたオズワルドが舌打ちをして片膝を着き、腰のポーチから何かを取り出す。


「商売道具だが仕方ない。後で返せよ」

「どうやって!?」


 テープをぺたぺたと張り合わせたような小さなボールが三つほど。それを軽くつついた男は何かの呪文を唱えた。


『我、一時の休息を求める者なり、汝に命ず、色づく風となり我らの姿を覆い隠せ』


 途端にボールから煙がブワッと噴き出し三人を覆い隠す。不思議な煙だった、何色にも見えるのにやけに透明感がある。


「これって――」


 質問しかけた途端に口元をむぐっと掴まれる。ウルフィも同じように口を押さえられ目を白黒させていた。喋るなという事なのだろうか。


「居たか!?」

「確かにこっちに――」


 草をかき分け、杖を持った黒服の男が飛び出してくる。彼はこちらが居る辺りにじっと目をこらし、油断なく視線を左右に振る。


 飛び出しそうな心臓を押さえじっとしていると、しばらくして仲間に呼ばれたのか彼は行ってくれた。頭上を飛んでいく魔女たちが見えなくなった頃、ようやくオズワルドがつめていた息を吐く。


「とりあえずはまいたか」

「ねぇ、この煙って」


 彼は手にしたままだったボールを振る。すると小さくカラコロと中から音がした。


「俺が作った魔女道具の一つ『隠れ玉』。これを発動させると特殊なガスが噴き出して極端に存在感を覆い隠してくれる」


 なんて高機能なステルス道具なのだろう。感心していたニチカの横で、オズワルドが重いため息をついた。


「こんな早く魔女協会のヤツらが来てるとは思わなかった……捨て損ねた」

「悪かったですね、お荷物で」


 ボソッと付け足されたセリフを聞き逃すほどニチカはマヌケではない。しばらくジト目で睨みつけていると彼は視線を逸らし、その黒髪をガシガシと豪快に掻きながら後ろを向いた。


「まぁ、なんだ、他にも街くらいある。ちゃんと送ってやるから安心しろ」


 しばらくその背中を見つめていたニチカは、無意識の内に口を開いていた。


「ついてっちゃダメ?」


 たっぷり風が流れるほど間が開いた後、振り返った男は口をひん曲げて眉を顰めるというひどい顔をしていた。


「はぁぁぁ? お前が? 俺に?」

「……私、あんまり頭はよくないけど、よく考えた上での発言だから」


 だからそんな殴りたくなるような顔はやめてくれと言外に匂わす。惑わしの森を抜けた辺りからずっと考えていた事を打ち明けた。


「あなたがどこに向かってるかは知らないけれど、しばらくは旅をするんでしょ? 私もどこか一箇所にとどまるよりはあちこち回って手がかりを見つけた方が元の世界に戻れると思うの」


 そこで顔を赤らめた少女は、俯きながら消え入りそうな声で言った。


「それにほら……フェイクラヴァーの問題もあるし」

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