8.少女、決意する。
「気安く呼ぶな、オズワルド様と呼べ」
「むぅ」
にべもない返しに少しむくれる。その顔をチラリと見たオズワルドはフッと笑った。ご機嫌なウルフィが口を挟んでくる。
「ニチカもご主人様って呼べばいーよー」
「や、私がそう呼ぶと別の意味に聞こえちゃうから」
「何も間違っちゃいないだろう」
「あなたの奴隷になった覚えはありませんから!」
いーっと顔をしかめて見せる。心まで許してなるものか。
サクサクと下草を踏み分けながら、新しく貰ったブーツのサイズがぴったりな事に感謝する。まるで何年も前から履きなれていたかのようなフィット感だ。とりあえず足元の心配だけはしなくて済むだろう。
「オズ、オズ……オズの『魔法使い』じゃなくて魔女なの?」
「はぁ? 俺のどこが魔法使いに見えるっていうんだ」
「だって……」
見るからに、とは言えずに口ごもる。ここでもまた自分の知らない常識があるのだろうか。そもそも男なのに魔『女』というのもかなり違和感があるのだが。
「何か勘違いをしているようだが、魔女っていうのは職業のことだ。魔の力を付与した道具を作る者を総称してそう呼ぶ。性別は関係ない」
「なるほど」
「それに魔導師なんて……俺はあんな力を誇示するだけの脳筋共の仲間になるつもりはない。第一、魔女の方がよっぽど稼げる」
「あ、やっぱそこなんだ」
「おいニチカ、今はつけにしといてやるがお前が俺にかけた諸々の迷惑料、きっちり支払ってもらうからな」
「い、いつかね……」
だんだんこの男の性格が読めてきた。ひねくれて厄介で清々しいほどの守銭奴だ。
この話題から離れようとニチカは質問を重ねる。辺りはいつの間にかゆるやかな傾斜に変わり、木々の生える間隔もまばらになっていた。気を付けて下りながら飛び出ている木の根を飛び越える。
「あなたは空を飛ばないの?」
「男の魔女は空を飛べないものと相場が決まっている」
「そうなんだ? それじゃあこの世界の魔女さんは男と女でできることが別れているの? 普通の人は魔法がまったく使えないの? 魔女協会ってなに?」
「お、おい」
矢継ぎ早な質問に男がタジタジになる。彼にとっては不幸な事に、ニチカは好奇心のかたまりのような娘だった。だが次の質問で急に真顔になる。
「私も魔女になれる?」
「……」
思わず立ち止まって少女を見つめ、男は考えた。しばらくして無言で手招きをする。
「?」
呼ばれて素直にトコトコと近くに来るニチカ。その両手をとったオズワルドは微量の魔力を流し込んでみた。
「ひっ!?」
とたんに少女の全身にビリッと電流が流れるような衝撃が襲う。見開いた瞳が一瞬だけ鮮やかな紅色に染まった。
「いたい! 何するの!」
「……ふーん」
「え? なに?」
警戒する猫のように跳び下がったニチカは、また黒に戻った瞳を丸くした。少しだけ驚いたような顔をしていた男は試すだけ試してさっさと先へ行ってしまう。
「ちょ、ちょっと待ってよ、どういうこと!?」
「さぁな」
「ニチカーあのね、あのね、村についたら一緒に買い物に行こうね。それからねー」
まるで会話の噛み合わない三人が木立の向こうに消えて行く。それからしばらくして、静かな森の中にバサリ、と大きな翼が羽ばたくような音が一度だけ響く。
「……」
気配はすぐに立ち去った。しばらくして上空から一枚の金色が落ちてくる。美しい芸術品のようなその羽根はくすんだ落ち葉の上に接地し、いつまでも輝いていた。
きら、きら。きら、と。
***
「うわぁー!」
森を抜けた途端、目の前に広がる景色に少女は思わず感嘆の声をあげた。見渡す限り一面に広がる草原。テレビでしか見たことのないような風景にはしゃいでピョンピョンと飛び跳ねる。
「すっごいすっごい! これどこまで続いてるの?」
空は青く澄んでいて、白い絵の具をサッと刷いたような雲が広がっている。ゆるやかな風がザザザと足元の草を揺らしていった。グーッと伸びをしていたウルフィが嬉しそうに教えてくれる。
「この草原はねぇ、この大陸で一番広い草原なんだよ」
「近くに村はないの?」
風になびく髪を抑えながらニチカが問うと、オオカミはほくそ笑むような表情を浮かべてよだれを垂らした。
「リゼット村があるよ。コロコロ鳥の丸焼きが名物……じゅる」
食い意地の張った従僕の横で、オズワルドはだだっ広い草原にぽつぽつと生えているまばらな木々たちを見ながら現在地を割り出していた。予想から外れていたのか少しだけ顔をしかめつぶやく。
「多少方角がずれたか。まぁこの距離なら一時間もしない内につくだろう」
「んーっ、これだけ見晴らしがいいと歩くのも気持ち良さそう。あっという間に着くかも」
「……」
「な、なに?」
前向きな発言をしたと言うのに、じっと見つめられ少女はたじろぐ。男はなんと言うか意外そうな顔をしていた。
「今日はやけに元気だな、昨日メソメソ泣きながら『帰りたい』とか言ってたくせに」
「あっ、あれは――」
そういえばそんなことを言った気がする。が
「泣いてたって状況が良くなるわけじゃないもの。物事を良い方向に導くには立ち上がって行動しなきゃ」
そこまで胸を張って言ったニチカだったが、照れくさそうに頬を掻くと笑いながら続けた。
「なんて、全部お母さんの受け売りなんだけどね」
「……母親がいるのか?」
「居るわよ!」
すっとぼけた男の返しに、ニチカは誇らしげに答えた。大好きな面影を思い出しながら鼻息荒く語り出す。
「すっごく素敵なお母さんなの! 強くて優しくて、私とミィ子――あ、妹ね――二人を女手一つで育ててくれてるのよ」
ここで少しトーンを下げた少女は、自分の身体を抱えるように片手で肘を掴んだ。視線を落とし足元の流れる草を見つめる。
「……早く元の世界に帰らなくちゃ。きっと心配してると思う」
男とオオカミが何か言い出す前に、ニチカはパッと両手を広げると顔を上げて笑って見せた。一晩泣き続けて出した結論を宣言する。
「だから私、泣かないことにしたの。泣くより一歩足を進めた方が絶対いいもの」
それを見ていた男はフッと笑ってこう答えた。
「殊勝なことだ。ま、俺には関係ない教えだけどな」
「ふんだ」
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