第12話 紅蓮の牙


気怠げに構えていた剣を後ろに引き、人型の狼が走り出した。


最初に餌食となったのは、先ほどユイを平民と笑った騎士の1人だった。

咄嗟に剣を前に構えたものの、それすらも叩き折られ、胴体と下半身が分離し、吹き飛んでいった。


次はその隣にいた騎士。

咄嗟に反応して剣を振り下ろしたが、魔狼族はそれを受け流しながら距離を詰め、その首筋へと刃を滑り込ませた。

一瞬の制止。

そして瞬く間に、その首がはね飛ぶ。


これでユイを含めて残りは三人。

騎士2人は怯えきっており、剣を抜く素振りすら見せない。

それに対して、ユイは拳と剣を構えて隙を見せない。

だがそれも見た目だけで、本心は気を張って、狩られないように必死の状態だ。


「あなたは何者ですか……なんの理由があって、こんな真似を」

『こんな真似というのは、こいつらを殺したことか?』


ユイが言い終わる前に、魔狼族の戦士は転がっている死体を指差した。

その動作はおざなりだが、どこか相手に敬意を払ったかのような印象を持たせた。


「それもですが、あなたは魔狼族を統率しているように見えます」


これは時間稼ぎだ。

先ほどまでの戦闘で、騎士だけでなくユイも消耗が激しい。剣は恐らくもう使い物にならないだろう。

なら、彼女の武器はその身ひとつしかない。そのために体力を少しでも回復させておくための時間稼ぎだ。


「魔狼族の長を差し置いてなぜ人間のあなたが」

『簡単な話だ』


剣を構えて、魔狼族は言う。


『まずひとつ。彼らは魔狼族の誇りを踏みにじった。それだけで死ぬ理由には十分すぎる』


誇り、という単語にユイは少し動揺した。亜人にも分類されず、魔物の一種として認識されている魔狼族に、そんなものがあるとは考えていなかったからだ。

その態度が、余計に魔狼族の怒りを助長したのだろうか、殺気がより濃密になった。


『ふたつめの質問の答え。それはより単純だ』


何かを言おうとした瞬間、魔狼族の姿が掻き消えた。

直後、背後から感じる殺気がユイの体勢を崩させた。そしてその頭上に一閃。何かを斬る音がした。


「ッ……⁉︎」


目を見開いたユイが見たのは、落ちてくる二つの首。

その顔は、自分が死んだことすら気づいてない様子だ。


何かを振り下ろす音が聞こえる。

反射的に身体を捻り、拳を振り抜いた。


籠手が魔狼族の振り下ろした剣とぶつかり、火花を散らした。

刃が押し込まれ、ギリギリと確実に首元へと近づいていく。


よくよく見れば、使い手の身の丈以上もあるそれは、剣と呼ぶにはお粗末すぎる得物だった。

刃の部分は無理やり削ったかのような乱雑さがあり、そこ所々に関節のような継ぎ目がある。


それはまるで、そう。


言うなれば…………


「骨…………?」


ユイが思わずそう呟いた瞬間、押し込む力が引かれ、勢い余って体勢がよろけた。

そこにわずかな隙が生まれる。

刃が滑り込んでくるのが感じられた。


「クッ………! 」


逆手に持っていた剣をなんとか刃と自身の首の間に割り込ませ、防ぎながら後ろに飛んだ。

衝撃がユイの身体を襲い、ゴロゴロと転がっていく。

痛みに耐えながら剣を杖にして立ち上がる。

それが決め手となったのか、剣は半ばから見事にへし折れてしまった。


『意外と反応いいな。決まったと思ったよ』


骨の刃を左右に振り構えなおした魔狼族は、関心したように言う。

言い方も含め、余裕があるように見えるのが、ユイの癪に触った。

歯を食いしばりながら、拳に力を込める。


『それで……なんの話だったか…………』


コキリと首を鳴らし、ゆったりとした足取りで此方へと歩いてくる。


『ああ、そうだ。なんで魔狼族が俺に従ってるか、だったな』


簡単な話だ、と魔狼族はなんて事のないように言う。


『俺が、魔狼族の長を喰ったからだよ』


その目は、底冷えするほどに冷たい光を帯びていた。

それに恐怖を覚えなかったと言えば嘘になる。怯んで、逃げ出したくなったと言うのが真実だ。

だが退けない。自分は、まだ死ぬわけには行けない。


右拳を握り、もう一方の手で腰元のポーチをあさった。

非常食の乾パンが数枚。

地図。

回復薬が二本。

いやそこらへんはいま関係ない。


他には投げナイフが二本。

剣の鞘。

火薬玉が数個。

使えるのはこの程度だろう。


だが考えてもみろ。

一瞬にして自分以外の騎士達の国を刈り取った相手にそんな小手先が効くだろうか。


答えは否だ。


魔狼族の長を喰った。


ハッタリであれなんであれ、そんなことを言う相手に、出し惜しみをしている場合ではない。


「…………やるしかない、か」


ユイは、腰についていたポーチと用済みとなった鞘、折れた剣を捨てて、意識を集中させる。

森がざわつき始め、魔狼族の戦士達が唸り声を上げる。

怯えているのではない。

警戒心を高めているのだ。

そして、その対象にいるのは、先ほどまでとは密度の違う闘気を纏ったユイだ。


「起きなさい、ネロ」


命令するような口調。

それが引き金となり、彼女の右腕が炎に包まれた。

だがそれは、ユイを害するような類の炎ではなく、彼女の周りを揺蕩い、形を成していった。


『なんだ……それは…………』


炎が弾ける。


その中から現れたのは、彼女の右腕を纏う強靭な鋼の籠手だった。

それは、先ほどまでつけていた簡素なものよりも一回りほど大きくなり、まるで獣のように鋭い爪を持ちながら、相反する芸術的な美しさを感じさせた。


「英雄武装、ネロ・クラウディウス」


ゴウッ、と籠手から炎をうならせ、その目を見開いた。


「出し惜しみは無しでいくわ」


ユイが放つ闘気に気圧され、魔狼族達は一歩ずつ後ずさった。

そこが隙となる。


一瞬でユイが距離を詰め、自らの間合いへと侵入した。

炎を纏った爪が、弓矢のように引き絞られ、魔狼族の心臓を狙っていた。

ここまで大ぶりな攻撃を防げない訳がない。

回避の体勢を取りながら、剣を前に構えた。

避けてから一撃を入れてしまえばそれでいい。


だが、魔狼族の頭の中に何かが語りかけてきた。


ーーー逃げるなよ


それは、ユイの声ではない。

どこかで聞いたことのある、戦士の声だった。

挑発するような、諌めるような、背中を押すような声。


この声から逃げてはいけない。


その思いが彼の頭を駆け巡った。


だから、魔狼族の戦士は、邪竜の使徒は…………


「クソッタレがぁ‼︎」


竜崎剣斗は吠え、前に進んだ。


爪を剣で弾き、流す。


剣斗の斬撃をユイが爪で受け流す。


五合、十合と打ち合いが続く。


互いが互いの命を奪おうとした打ち合いは、ユイの爪が弾かれたことで終わりを迎えた。


明らかに誘い込んでいる。

剣斗はそれを直感で分かっていた。


そんなものは関係ない。


首を落とせば生き物は大体が死ぬ。


ならば、


『これで終わりだ』


ただ刃を振り下ろせばいい。


首元に吸い込まれるように刃が向かった。

必中の一撃がユイへと襲いかかる。


ガキン‼︎


刃が首元で甲高い音を立て止まった。

まるで金属に当たるかのような音だった。

刃を推し進めようとしても、全く微動だにしない。


「残念ね。さっきまでの私だったなら、ここで勝負はついてたわ」


弾かれた右腕を剣斗の脇腹に添えた。

そこから熱が感じられ、カチリと引き金を引いたような音が聞こえた。


「でも今回は、私の勝ちよ」


そして、剣斗のイシキは刈り取られた。

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