泥人形

@ns_ky_20151225

泥人形

 泥人形が笑っていた。机のすみで座っている。片手でにぎればすっぽりとおさまってしまうほどのちいさな人形だった。


 エイイチは、その人形以外のものであれば机の上や室内のなにもかも知っていたが、それには見覚えがなかった。仕事を中断して記憶を探ってみたがわからなかった。

 いつからあるのかもわからない。今朝仕事をはじめたときにはなかったような気がするのに、花瓶とおなじく数年以上前からあるような気もする。


 泥人形を手にとってよく観察してみた。頭と手が大きく、足は腰のところで直角に曲げられ、置くと足をまっすぐ投げだして座っているような格好になる。両目は穴がならんでいるだけで鼻はなく、口は笑ったかたちにすじをひっかいてあるだけだった。

 文字や記号はどこにもなかった。意図的に稚拙につくったのではなく、ほんとうに幼児がつくったかのように不細工だった。上半身は服のつもりだろうか、むらだらけの赤で、下半身は青だった。画像を撮って情報世界で検索をかけてみたが手がかりになりそうな結果はなにもでてこなかった。


 それでも、エイイチはとまどったが恐れはしていなかった。部屋の管理機器が無反応なのだから、危険なものであったり、かれに無許可の通信をおこなっていたりすることはありえなかった。

 かれは泥人形の高精細の画像を各方向から撮りなおし、なにか知っていることがあったら教えてほしいという依頼をつけて情報世界に流した。自分がわからないことでもほかのだれかならわかるだろう。かれは泥人形をもとの位置にもどして仕事を再開した。


 エイイチは書類を机上や部屋中に散らばらせて働くのが好きだった。必要な書類をとっかえひっかえし、自分からの距離や置く場所で重要度や緊急度を決める。

 かれが所属する班の仕事は、超光速を実現するための条件を考察できる人工意識の一部分を設計することだった。書類を手元にひきよせて修正し、案や意見をつけてほかの班員に送った。その返事によって部屋中の書類の置き場所がおどるように変わっていき、中間的な結論がみちびきだされる。ここ数年はこれが毎日続いていた。

 仕事はいつはじめてもいいし、いつ終えてもいい。引き継ぎさえきちんとすればいつでも辞めて、異なった目的のために行動しているべつの班に加わってもいい。


 しかし、エイイチはいまの仕事が気に入っていた。人類は超光速がかならず必要になる。意識をふくめほとんどすべての情報を効率よく蓄えておけるといっても地球上だけでは限界がある。

 また、安全面でもひとつの惑星やその近傍だけで予備をとっておくのは不安だ。かといって情報を貯蔵する拠点間の距離がはなれすぎては不便だ。原情報と複製情報を比較して同一性や正常性を確認する手間や時間は資源の無駄だし、時間差が大きくなればなるほど情報に差異が生じて致命的な誤りができてしまうこともないとは言えない。瞬時に正確に情報を伝えるために、超光速を手に入れて自在に使いこなせるようにならないといけない。


 ひとくぎりついたので今日の仕事を終えようとした時、自分の迂闊さに気づいた。泥人形がいつからあるか、部屋の管理機器の監視記録をしらべればよかったのだ。監視記録はその性質上、通常の検索対象からは外れるのだった。

 エイイチは手続きをとって記録を呼びだし、泥人形の画像で検索した。それがはじめて部屋にもちこまれた時を検索条件にした。


 しかし、検索結果はでてこなかった。条件を変え、泥人形が部屋にない直近の記録を指示したがやはりなんの結果もでてこなかった。

 ためしにおなじ条件で花瓶を検索すると、持ちこまれた日の記録があり、当然その日以前は花瓶はなく、その日以降現在まで花瓶は存在していた。

 そこでエイイチは自分がこの部屋に入居し、管理機器が監視をはじめた最初の記録をひらいた。


 机の上で泥人形が笑っていた。


 エイイチは不安を感じた。情報世界からはなんの返事もなかった。泥人形のことはだれも知らないようだった。部屋の管理機器と監視記録については正常性を検査するよう指示したが、結果がでるまで数時間かかる。もし異常が発見されなければつぎは自分を検査しなければならない。それまでさまざまな可能性を考えて時間をつかうつもりだった。

 現実と自分の記憶にくいちがいが発生している事象については情報世界に公表したほうがいいだろうが、ことがことだけにすぐにそうするのはためらわれた。すくなくとも自分にできることはやっておこう。


 エイイチは書類を片づけ、壁紙や窓を消して部屋を初期値の空白にした。仕事でない時はこのほうが考えがまとまりやすい。

 現在検査中ということもあるし、可能性の範囲を狭めるために、管理機器と記録は正常で改竄などもないとすると、泥人形ははじめからあったことになり、自分の記憶がおかしいことになる。事故でもあったのだろうか。長年つかった体を取りかえる際の意識の移行時になんらかの誤りがあったのかもしれない。

 しかし、いままで行ったどの取りかえでも、体に書きこんだ原情報と予備の複製情報との比較で差異はなかったはずだ。意識の読みこみ、保存、書きこみ技術が普及しはじめた初期には記憶障害などの事故があったという記録はあるがいまはない。すでに枯れた技術で信頼性は十分だ。



 エイイチは、もうひとつの可能性を検討してみた。偶発的な事故でなければ意図的な操作だ。

 いまの自分にはわからないなんらかの理由で意識を編集したか、もしくはされたか。

 だが、泥人形についての記憶を削除しておきながら、泥人形そのものをのこしておく理由がわからない。

 もしかすると、自分は実験のために作成された複製のエイイチで、原エイイチと区別するための印として記憶を編集されたのかもしれない。それでも部屋に泥人形を置いておく理由がないが、そういった不可解な点もふくめての実験かも知れない。


 さらに、自分はエイイチではない可能性もある。ほかの意識を編集して自分をエイイチであると認識するようにした。またはいまの仕事で行おうとしていることのように、一から組み上げられた人工意識かもしれない。

 けれど、いずれの場合でもそんなことをする目的も理由もわからないし、泥人形の記憶の欠落についてはなにも説明しない。


 また、泥人形の記憶があったとしても、いま考えた可能性のどれも証明しないし否定もしない。そもそも意識の編集や作成が自在にできるのだから自分がなんであるか証明すること自体不可能だ。


 エイイチは念のため情報世界を検索してみたが、自分がなんであるかという主題で情報交換している場はなかった。また、自分がそういう議論の場をたちあげる気にもならなかった。あきらかに資源の無駄になる行動だ。


 日がかたむき、考えごとをつづけながら食事をとっていると検査の結果がでた。機器も記録も正常。


 エイイチは自分に対する検査を開始し、現状について情報世界に公表した。しかし、予想とちがって行動は制限されなかった。いままでどおりの仕事をつづけられる。班はかれがかかわった部分をそのまま採用して今後も人工意識を開発する。

 情報世界は、記憶障害が発生している可能性を示唆されたにもかかわらずわずかな騒ぎにもならなかった。結局、報告前後でなにも変わらなかった。


 中一日おいて検査結果がかえってきた。正常だった。保存しておいた予備の意識にも泥人形の記憶はなかった。どの複製の記憶も一致しておりくいちがいはなかった。

 それでも、泥人形は机上に座っていた。エイイチの記憶と監視記録の矛盾が存在するのに、それについては追及してもなにも返ってこなかった。情報世界は徹底して無反応で無関心だった。


 世界がそのことを気にせず、なにも考えないのだから、エイイチも考えるのをやめた。泥人形はそこにある。それでいい。


 ふと、散歩をしようと思った。海沿いを歩くか、山に登るか。山にしようと決めた。粘土をとってきてこいつの仲間を作ってやろう。表情はどうしよう。作りながら決めよう。


 エイイチはポケットに泥人形を入れると、いつものように部屋を出た。


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