4 上野、神田、秋葉原
日も暮れた頃にスカイツリーから帰った私たち――つまりカミサマもまたしれっとこの家に戻ってきたこと――に対し祖父母は何ら咎めることもなく、昨日と同じようにカミサマをもてなしてくれた。私は適当に「両親がしばらく帰ってこないらしくて」とかなんとか弁明したけれど、そんな嘘も見透かされているような気もする。本当に彼女のことを神様だと信じているのかどうかは定かではないけれど、私がついている以上は安心だと思ってくれているのか、祖父母はいつも通りのんびり穏やかに、今日あったことなんかを訊いてきて、カミサマは嬉しそうに旅の土産話をする。東京に在住して長い祖父母にはなんてことない話なんだろうけれど、にこにこ楽しそうに話すカミサマに笑いかけながら、「それはよかったね」「○○も行ってみるといい」なんて返事を返すのだった。カミサマに東京を案内するのだと伝えたからだろうか、空っぽになった財布にはまたお金が充填される。明日もまた、動き回れそうだ。
夕飯を食べて、一緒にお風呂に入って、同じ布団で眠りについて。
――そうして夜が明けて。
カミサマとの東京観光、おおよそ三日目の今日は上野、神田、秋葉原辺りを散策しようと考えている。
あの辺りなら行き帰りの電車代だけあれば、歩き回るだけでも十分楽しめるだろう。きっと東京を知らないカミサマならどこだって、歩くだけでも――東京に来た頃の私のように――新鮮に映ることだろう。
そんな低予算計画に加えて、本日は――
「できた――――っ! おにぎり!」
カミサマが海苔を巻いたおにぎりを頭上に掲げて、その表情は達成感に満ちていて。
――祖母にアドバイスをもらいながらの、朝から二人でお弁当作り。時折写真も撮ったりしながら。これもまた、お金を節約するために私が考えた作戦。カミサマはこれまた初体験のお弁当作りに大変乗り気で、不満ひとつなく楽しんでくれている。
「うっわでっか。そんな大きいの食べられるの?」
「もちー! 今日はいっぱい歩くんでしょー!?」
「うん、そーだよ。……ほい、からあげ揚がったよ」
エプロンなんか着けちゃって、私のこんな姿、クラスメイトには絶対見られたくないな。
「からあげ――! 味見、味見!」
あ、じ、み、あ、じ、み、と、欲望をリズムに乗せながら、カミサマは一歩ずつ私の元へすり寄ってくる。
「熱いよ」
キッチンペーパーを敷いた皿の上に盛られた揚げたてのからあげをひとつ。カミサマは「あち、あち」と言いながら、食欲には勝てないようで思い切って口に頬張る。
「ぁふ、あふぃ~」
「だから言ったじゃん」
「あらあら、カミサマは欲張りさんだねぇ」
祖母はそんなカミサマを見て、笑う。
「よし、いこ!」
カミサマは今日も大事そうにポシェットを首にかけて、私たちは家を発つ。
「……行ってきます」
「はい、いってらっしゃい。熱中症には気をつけてね」
祖母が玄関先で見送ってくれる。……そこまでしてもらわなくても、いいんだけれど。
今日は大きな水筒も持った。出先で毎度ペットボトルの飲み物を買うのは、これが意外と出費になる。――今日はいろいろと、安く済ませられそうだ。
電車に乗ってまずやってきたのは、上野恩賜公園。
博物館、美術館や動物園を包括する大きな公園。たくさんの人で賑わう公園は、真夏の太陽に照らされている。セミがじわじわと鳴き、露店が並び、カップルたちが笑い、老人がくつろぎ、子供たちが駆ける。
「動物園ー!」
公園内を適当に散策しながら、辿り着いたのは恩賜上野動物園の入場ゲート。記念撮影をしてから、券売所に向かう。
上野動物園の料金はなんと大人600円。小学生以下は無料。なんてお財布に優しいのだろう。……でもカミサマの年齢を証明する書類は何もなく、そもそも神様なら身分証なんて持っていないだろうし(神様なら身分証くらいちょちょいと偽装できる気もするんだけど)、1200円払うのかと思っていたのだけれど、身分証はないですけど小学生ですって主張したらタダで入れた。まあ見た目どう考えても小学生だしね。
「……動物園に来たことは?」
「うーん、あったよーな、ないよーな……」
毎度のように、カミサマに尋ねる。動物園にきた明確な思い出がない、というのもやはり……いや、神様だったとしたら、それも当たり前なのだけれど。
「ウォー! パンダだぁぁぁぁ」
カミサマはパンダ観覧の列に突っ込んでいく。(家にあった、私が小さい頃使っていたらしい)帽子を被って、水筒をぶら下げて、その姿はなんだかまるで、幼稚園児みたい。
「おべんと、おべんと」
動物園を出て、私たちは不忍池の近くでお弁当を広げた。木漏れ陽の下、手作りのお弁当を食べながら、パンダやキリンやペンギンや、猿山やモノレールの話を、撮った写真を振り返りながら語り合う。特大おにぎりを頬張りながら、「自分で作るとおいしいね!」とカミサマは笑う。自分たちで作ったお弁当。その手間を知っているからこそ、いつもより味わって食べることができる。
きっといろんなことが、カミサマにとっては初めてで。
どこか切なくなるような、慈しみにも似たような感情を、彼女に抱く。
できる限り、一緒にいてあげたい、もっといろんなものを、彼女に見せてあげたい、だなんて、柄にもなく思う。年下の弟や妹がいなかったからだろうか。なんて。
上野を後にした私たちは、山手線に乗って、神田駅まで。
神田からは徒歩で、ぶらぶらと高架沿いを歩きながら北上する。秋葉原を通り、さらに歩いて上野駅に戻り、そこから帰宅する電車に乗る、という計画である。
宛てもなくふらつくより、こんな風に計画を立てて過ごす方が何倍も楽しい。
――思えば、東京に来て最初の数日間は、毎日きちんと行き先を決めて過ごしていたような気がする。でも結局それは独りぼっちの旅で――そして今、そんな日々と違うのは、隣に旅を共有する誰かがいること。
同じものを見て、同じものを食べて、同じものについて話ができる相手がいる。
カミサマ。
出会った状況が状況だからなのか、素性を知らないからなのか、それとも彼女があんな性格だからなのか、具体的な理由は自分でも分からないけれど、妙に親しみが持てて、一緒にいても苦にならない。どこか不思議な魅力を持った、元気な少女。こういう活発さは私にはないから、実は憧れちゃったりしているのかもしれない。
神田の高架沿いを歩いていく。港区や浅草とも違う、なんとなく猥雑で、泥臭い感じのする空気感。神田川は黄土色に濁って、どことなく薄暗い。東京と言えど、場所によって様々な色がある。それは決して綺麗なだけのものではないし、煌びやかでも美しくもない。
憧れとはかけ離れた生々しさ。きっとどんな場所にだって、それはある。
一流ホテルの窓のない地下で、一日中残飯の乗った皿を洗うだけの外国人労働者。
命をすり減らして夢を売るテーマパークのスタッフ。
そんな、顔も名前も知らないような人たちに、華やかさは支えられている。
世界を終わらせる。
――そんな閉塞を、吹き飛ばすために?
ちらりと隣のカミサマを見る。列車の通過する轟音が、どこか遠く聴こえる。
夜にはネオンが輝くであろう飲み屋街を越えて、気づけば秋葉原。
人で溢れる街。今や誰だって知っている、オタクの街。
ビルの至るところに描かれたアニメ調のイラスト。
「人がいっぱいだねー」
身長の低いカミサマは人波に埋もれながら、頭上に伸びるビルディングを見回している。信号で立ち止まれば、ほとんど身動きが取れないほどの人に囲まれる。
「すごいねー……」
私にはこの場所に集まっている人たちが何を目当てに来ていて、何を楽しんでいるのかいまいちよく分からなかったけれど、笑顔で会話しながら信号を待つ人々を見て、この人たちにとってこの場所は、きっと素晴らしい場所なのだろうとぼんやり思う。
大通りから一本西側にある小路は、大通りとはまた違った様相で騒々しい。
「あれがおたくー?」
「……うん、そうだと思うよ」
おそらく馬鹿にする意図は一切なく純粋な疑問で放たれたカミサマの一言に、すれ違う男性たちが談笑を止めて怪訝な顔をして、通り過ぎていく。
進行方向では、メイド服のコスチュームを身に着けた女の人が、過ぎ行く男性にビラを配っている。愛想よく、無視されても何故か「ありがとうございます」と返しながら、時折ちょっと危ない感じのおじさんに絡まれつつ、それでも笑顔を作ったままで。
それでお金がもらえるのなら、私も同じようにできるだろうか。
……無理だ、多分。そんなことは、到底できそうにもない。
知らない誰かに笑いかけて、中身のない会話をやり過ごして、先に続かない関係性を築いて。
私はそれを、ウンザリするほどやり過ごしてきた。
「おねーさんはじょきゅー?」
気づいたらカミサマは、近くにいたメイドカフェ店員に話しかけていた。20歳くらいの女の人は愛想笑いで首を傾げる。女給。女給なんだろうけど、ううん……。
「ほら、行くよ」私はカミサマの手を引く。
「えーお話させてよー」引きずられながら、不満をこぼすカミサマ。
「あの人はお仕事中だから」
「話すのが仕事なんでしょー?」……そういうことは知っているんだね。
「戻ってきた~」
もうすぐ日も暮れるという時間。上野駅に再び戻ってきた。ぼちぼちお腹が空いたってカミサマが騒ぎ出すから、今日は早めに家に帰ろうと思う。
「今日はもう帰ろっか」
カミサマと手を繋いで、なんだかまるで親子みたい。
「うん! 明日は⁉ 明日はどーするの!」
「うーん……そうだねぇ……」
「あ! 映画! カミサマは映画観賞を所望する!」
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