第1話 思い出す、君のことを
食堂はこの日も多くの生徒たちで賑わっていた。レンガ積みの床と壁。そこにステンドグラスを通した、色鮮やかな光が美しい絵を映していた。黄色に赤、緑に青。ばらばらの色が混ざり合い、互いを引き立てる。宝石のような輝きを見せるステンドグラス。その真下のテーブルに、僕たちは腰かけていた。
今は昼時。校内にいる生徒の多くが利用するこの食堂は、毎度のことながらすごい混みようである。しかしここまで人でごった返しても、食堂の荘厳な雰囲気に変わりはない。
「エルメス型魔法術式についてのレポート、もうやったか?」
ダルヴィスは僕の正面で、昼食をかっ込みながら言った。正直言って彼の行儀の悪さは目に余るものがある。だが これも、いつものことだ。僕はもう慣れてきていた。
「うん。その調子だと君はまだなのかい?」
「……そんなはずあるか」
その微妙な間が、真実味を薄れさせる。
僕はカバンからレポートを取り出した。彼に見せつけるように、ひらひらと揺らしてみせた。
「へー。ならこのレポートは、見せなくても問題ないよね」
「ぐぬぬ」
ダルヴィスの表情が曇った。眉間には大きなしわができている。
「ん? どうしたんだい?」
「一生のお願いだ! それをちょこっとだけ見せてくれ」
「一生のお願いかぁ」
「ああ、一生のお願いだ」
僕はカバンを再び漁る。今度は一冊の手帳を取り出し、ページをめくって確認した。
「確か、先週も『一生のお願い』とか言ったよね」
「ぐっ……。い、いや、お前の気のせいじゃないか?」
「そんなはずないよ。ここに書いてあるし」
ことあるごとに『一生のお願い』というワードを使ってくるのだ。いつのまにかそれが面白くなり、言われるたびに僕はそれをメモっていた。
「僕の記述が間違ってなければ、今月だけで五回はその言葉を使ってるけど。なにかい? 君はこのひと月で五回も人生を繰り返しているのかい?」
「ぐぬぬぬ」
ダルヴィスのスプーンを動かす手は止まっていた。さすがにこんな時まで食欲を優先するわけではないらしい。
「ほら、見せてあげるから。そんな顔してると女の子から引かれるよ」
「さすが天下のキル様は違うぜ!」と彼は大声で言った。食堂に声が響く。食堂の狂騒は一瞬にして静まり、何百という視線が僕たちに突き刺さった。「しーっ!」と僕は黙るように、人差し指を立てる。恥ずかしくて死にそうだ。
僕は顔を俯かせる。
ダルヴィスをからかった罰なのかもしれない。いや、それはないか。
誰かと視線が合ったら、爆発してしまう気がした。
食堂を出た後、ダルヴィスは僕のレポートを必死に読み込んだ。しかし彼は僕が書いた内容を丸写しはしない。今までもそうだったし、きっとこれからもそうなのだろう。
毎度毎度、僕は彼をおちょくるが、彼自身の『理解する努力』を感じるからこそ、彼にレポートを見せてやっている。そこには彼なりの頑張りがあるのだ。
努力する人は嫌いではない。
彼には『魔法研究者』になるという夢があり、それは僕も同じだ。そもそも、僕たちが在籍している『魔法研究科』は本来、研究者の道に進むためのものである。クラスメートは皆、同じ志を持つ友ともいえるだろう。だが実際、皆が皆友達というわけではない。研究者を志す者というのは、多かれ少なかれ、どこか人としての何かが欠落しているものだと、僕は思う。誰かの為になる研究だって、自己顕示欲に基づくものかもしれないし、
次の座学までまだ少し時間がある。そのため百席はある第一座学室には、僕とダルヴィス、その他にちらほらと学生がいる程度だった。
「なあダルヴィス」
隣に座りながらレポートを仕上げる彼の名を、僕は正面を向いたまま呼んだ。
「ん?」
レポートに集中しているのか、返事は質素なものだった。
「君は研究者になって、何をやりたいんだい?」
「やりたいこと?」
僕はうん、と頷いた。
彼と友達と呼べる関係になってから二か月ほどが経つ。しかし、意外なことにその話をしたことは、まだなかったように思う。
「そうだな。とりあえず、対魔物の捕獲魔法を開発したいな。一般人でも手軽に使えて、魔物を十分に拘束できるような強度を併せ持つ、そんな術式をさ」
恥ずかしがるそぶりも見せず、堂々と、当たり前のようにダルヴィスは言った。ペンを握った手は変わらず動き続けている。
「キルは、どうなんだ?」
「僕?」
「ああ。キルのやりたいことだよ」
「僕は……」
言葉に詰まる。
やりたいこと。それは自分の中に確かにあった。しかしそれを口にすることが、僕にはなかなかできなかった。
僕は……。
僕のやりたいことは……。
苦痛な沈黙を打ち砕くかように、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。時計塔の鐘が、何度も鈍り色の音を奏でた。
「よし、完成っと。ありがとな、キル」
ダルヴィスはさわやかな笑顔で、僕にレポートを差し出した。
「うん、この貸しはでかいよ。食堂のスペシャルランチ一週間分ってとこかな」
「ちょっ! そりゃないぜキル。俺の財布がどうなってもいいのか?」
「一向にかまわん」
「ちくしょう! この鬼畜メガネめ!」
運よく話題は切り替わった。
そのまま次の講義のノートを、復習がてらに確認する。いや、復習というのは嘘だ。冷静を装い、心のざわめきを隠したかった。幸い、ダルヴィスには気づかれていないようだ。
「やりたいこと、か」
隣のダルヴィスにも聞こえない、小さな、小さな声量で、僕は呟いた。
医療魔術を発展させたい。
その願いを、僕は口にすることができない。その言葉は、呪われているのだ。
それを言えばきっとダルヴィスは、「すごいじゃないか」なんて言うんだろう。彼のその言葉には嘘偽りなどない。彼が「すごい」と言ったのなら、本当に「すごい」と思っている。彼はそういう人間だ。そうなったら僕も嫌な気はしないだろう。褒められて気分を害するほどひねくれてはいない。
でも、果たして僕にそれを志す資格があるのだろうか?
人を救いたいと願っても、いいのだろうか?
こんな僕なんかが…………。
結局のところ、僕に誰かを救えるわけがないのだ。
妹を殺した僕の手は、とうに消せない赤で染まっているのだから。
食堂はこの日も多くの生徒たちで賑わっていた。レンガ積みの床と壁。そこにステンドグラスを通した、色鮮やかな光が美しい絵を映していた。黄色に赤、緑に青。ばらばらの色が混ざり合い、互いを引き立てる。宝石のような輝きを見せるステンドグラス。その真下のテーブルに、僕たちは腰かけていた。
今は昼時。校内にいる生徒の多くが利用するこの食堂は、毎度のことながらすごい混みようである。しかしここまで人でごった返しても、食堂の荘厳な雰囲気に変わりはない。
「エルメス型魔法術式についてのレポート、もうやったか?」
ダルヴィスは僕の正面で、昼食をかっ込みながら言った。正直言って彼の行儀の悪さは目に余るものがある。だが これも、いつものことだ。僕はもう慣れてきていた。
「うん。その調子だと君はまだなのかい?」
「……そんなはずあるか」
その微妙な間が、真実味を薄れさせる。
僕はカバンからレポートを取り出した。彼に見せつけるように、ひらひらと揺らしてみせた。
「へー。ならこのレポートは、見せなくても問題ないよね」
「ぐぬぬ」
ダルヴィスの表情が曇った。眉間には大きなしわができている。
「ん? どうしたんだい?」
「一生のお願いだ! それをちょこっとだけ見せてくれ」
「一生のお願いかぁ」
「ああ、一生のお願いだ」
僕はカバンを再び漁る。今度は一冊の手帳を取り出し、ページをめくって確認した。
「確か、先週も『一生のお願い』とか言ったよね」
「ぐっ……。い、いや、お前の気のせいじゃないか?」
「そんなはずないよ。ここに書いてあるし」
ことあるごとに『一生のお願い』というワードを使ってくるのだ。いつのまにかそれが面白くなり、言われるたびに僕はそれをメモっていた。
「僕の記述が間違ってなければ、今月だけで五回はその言葉を使ってるけど。なにかい? 君はこのひと月で五回も人生を繰り返しているのかい?」
「ぐぬぬぬ」
ダルヴィスのスプーンを動かす手は止まっていた。さすがにこんな時まで食欲を優先するわけではないらしい。
「ほら、見せてあげるから。そんな顔してると女の子から引かれるよ」
「さすが天下のキル様は違うぜ!」と彼は大声で言った。食堂に声が響く。食堂の狂騒は一瞬にして静まり、何百という視線が僕たちに突き刺さった。「しーっ!」と僕は黙るように、人差し指を立てる。恥ずかしくて死にそうだ。
僕は顔を俯かせる。
ダルヴィスをからかった罰なのかもしれない。いや、それはないか。
誰かと視線が合ったら、爆発してしまう気がした。
食堂を出た後、ダルヴィスは僕のレポートを必死に読み込んだ。しかし彼は僕が書いた内容を丸写しはしない。今までもそうだったし、きっとこれからもそうなのだろう。
毎度毎度、僕は彼をおちょくるが、彼自身の『理解する努力』を感じるからこそ、彼にレポートを見せてやっている。そこには彼なりの頑張りがあるのだ。
努力する人は嫌いではない。
彼には『魔法研究者』になるという夢があり、それは僕も同じだ。そもそも、僕たちが在籍している『魔法研究科』は本来、研究者の道に進むためのものである。クラスメートは皆、同じ志を持つ友ともいえるだろう。だが実際、皆が皆友達というわけではない。研究者を志す者というのは、多かれ少なかれ、どこか人としての何かが欠落しているものだと、僕は思う。誰かの為になる研究だって、自己顕示欲に基づくものかもしれないし、
次の座学までまだ少し時間がある。そのため百席はある第一座学室には、僕とダルヴィス、その他にちらほらと学生がいる程度だった。
「なあダルヴィス」
隣に座りながらレポートを仕上げる彼の名を、僕は正面を向いたまま呼んだ。
「ん?」
レポートに集中しているのか、返事は質素なものだった。
「君は研究者になって、何をやりたいんだい?」
「やりたいこと?」
僕はうん、と頷いた。
彼と友達と呼べる関係になってから二か月ほどが経つ。しかし、意外なことにその話をしたことは、まだなかったように思う。
「そうだな。とりあえず、対魔物の捕獲魔法を開発したいな。一般人でも手軽に使えて、魔物を十分に拘束できるような強度を併せ持つ、そんな術式をさ」
恥ずかしがるそぶりも見せず、堂々と、当たり前のようにダルヴィスは言った。ペンを握った手は変わらず動き続けている。
「キルは、どうなんだ?」
「僕?」
「ああ。キルのやりたいことだよ」
「僕は……」
言葉に詰まる。
やりたいこと。それは自分の中に確かにあった。しかしそれを口にすることが、僕にはなかなかできなかった。
僕は……。
僕のやりたいことは……。
苦痛な沈黙を打ち砕くかように、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。時計塔の鐘が、何度も鈍り色の音を奏でた。
「よし、完成っと。ありがとな、キル」
ダルヴィスはさわやかな笑顔で、僕にレポートを差し出した。
「うん、この貸しはでかいよ。食堂のスペシャルランチ一週間分ってとこかな」
「ちょっ! そりゃないぜキル。俺の財布がどうなってもいいのか?」
「一向にかまわん」
「ちくしょう! この鬼畜メガネめ!」
運よく話題は切り替わった。
そのまま次の講義のノートを、復習がてらに確認する。いや、復習というのは嘘だ。冷静を装い、心のざわめきを隠したかった。幸い、ダルヴィスには気づかれていないようだ。
「やりたいこと、か」
隣のダルヴィスにも聞こえない、小さな、小さな声量で、僕は呟いた。
医療魔術を発展させたい。
その願いを、僕は口にすることができない。その言葉は、呪われているのだ。
それを言えばきっとダルヴィスは、「すごいじゃないか」なんて言うんだろう。彼のその言葉には嘘偽りなどない。彼が「すごい」と言ったのなら、本当に「すごい」と思っている。彼はそういう人間だ。そうなったら僕も嫌な気はしないだろう。褒められて気分を害するほどひねくれてはいない。
でも、果たして僕にそれを志す資格があるのだろうか?
人を救いたいと願っても、いいのだろうか?
こんな僕なんかが…………。
結局のところ、僕に誰かを救えるわけがないのだ。
妹を殺した僕の手は、とうに消せない赤で染まっているのだから。
アイ・キル・ユー ~トランシア王国物語~ @kobanashi
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