10

「……もしかしたら、ですけど」

「何だ?」

 緑髪が消えた事で、俺の背中に隠れていた桃色髪が服を掴んだまま囁いてくる。と言うか、もう背中から離れてもいいだろうに。本当、服が伸びそうなんだよな。VR世界なんだが、そこもリアルに忠実とかって可能性も本当に捨て切れないので。

 そんな俺の心の声なぞ聞こえる筈もなく桃色髪は服を掴んだまま続ける。

「リトシーは、オウカさんの為に働いたんだと思います」

「俺の為?」

「はい」

 桃色髪の言葉に俺は両手で持っているリトシーに尋ねてみる。

「そうなのか?」

「しーっ」

 大きく頷くリトシー。どうやら、桃色髪の予想通りらしい。

「にしても、何でまた」

「それは」

 桃色髪が何かを言う前に目の前にウィンドウが表示される。

「何だ?」

 俺はリトシーを一度地面に降ろしてウィンドウに表示された文字に目を通す。


『メッセージを受信しました』


「メッセージ?」

 STOではボイスチャットの他にメッセージ――現実世界で言う所のメールのようなもの――を他プレイヤーに送る事が出来る。ボイスチャットとの違いはリアルタイムでの会話が出来ない事。その代わりにメールと同様のやりとりが出来るので時と場所を選ばずに好きなタイミングで変身が出来る事だ。

 で、そんなメッセージだが、どうして俺に来るんだ?

 俺はメニューを開き、メッセージ欄をタップする。受信箱に未読が一つ入っていたので、それを選択して表示させる。


『送信者:リース

  件名:やぁ、オウカ君!』


それを見ただけで眉間に皺が寄ったのを自覚する。

「…………あいつか」

 まぁ、言葉ではなく、文字なので暑苦しさは半減以下に抑えられているからいいとしよう。俺は緑髪の書いた文章を読み進めていく。

『急にログアウトしてすまない! 制限時間を迎えてしまってね! 君に伝える前に消えてしまったのでメッセージを飛ばして答える事にしたよ!』

「と言うか、一時間はSTOの世界に入れないのに、どうしてメッセージ飛ばせるんだ?」

 STO内にいなければSTO内のプレイヤーに干渉出来ない筈だ。なのに、緑髪は普通に現実世界からメッセージを飛ばしてきている。どういう事だ一体?

『強制ログアウトを喰らって何故メッセージを飛ばせるのかと言う疑問はSTOのホームページに書いてある通り、先日少しばかりアップデートが行われてね! その際にDGの画面で入力した文章をSTO内のフレンドにメッセージとして送る事が出来るようになったんだ!』

「……こんな疑問まで文面で先回りして答えるのか」

 こいつ、未来でも読めるのだろうか? いや、ただ予測して書いただけだろう。きっとそうだ。

『さて、どうしてリトシーがオウカ君にお金を渡したかと言うとね、信頼度が一定の値を越えたからなのだ!』

「信頼度が?」

 信頼度と言えば、緑髪が言っていた、上がればパートナーモンスターが戦闘の際に色々と補助をしてくれるようになると言う値だな。それが関係してるのか?

『信頼度が50を超えると、戦闘以外でもパートナーの行動に変化が出るのだ! そのうちの一つに、プレイヤーと一緒に店の手伝いをすると言うのがある! もっとも、これは店側がモンスターに手伝わせるのをよしとする所でしか行われないがな!』

 メッセージを見ながらメニューを呼び出し、ステータス画面を見るとリトシーの信頼度がどうしてだか53にまで上がっていた。二時間程前までは23だったのだが、何がどうして30も上がったのだろうか? 上げる要素としてはケーキを食べさせたり撫でたりしただけなのだが。それだけで30も上がるのか?

『信頼度が急に上がったと疑問に思うのならば、恐らく知らぬ間に好物を与えたのだろうな! 初めてパートナーに好物を与えると信頼度が25上がるのだ!』

 だから、どうして緑髪は俺の知りたい事を予め文面に起こしているのだ?

 あと、俺は知らぬ間にリトシーに好物を与えていたらしい。与えたと言っても苺のショートケーキしか食べさせていないので、それしかない。そうか、こいつは苺のショートケーキが好きなのか。

『話を戻すとしよう! 店の手伝いを一緒にするのはだね、パートナーが気を遣ってくれるプレイヤーの役に立ちたいと思う心情から来ているとでも思ってくれればいいさ! ゲームのシステムとしてそう定められていると言ってしまえばそれだけだが、パートナーのモンスターだって笑い、泣き、怒る等感情豊かだ! これをシステムで定められているとだけで片付けてしまっては彼等が可哀想だ! そうだろう⁉』

 そうだろうって、俺に同意を求めて来るのかよ。

 まぁ、それには同意するけどな。リトシーも他のNPCも見ていて本当に心があるかのように動いている。それも、画面越しではなくて等身大で、実際に触れる事が出来る。これはあくまでゲームのAIだと割り切ってしまう奴も当然いるのだろうが、俺は割り切れない。

『なので、君が受け取ったのはリトシーがオウカ君の為に稼いだお金だ! 受け取らないのは君の為に働いたパートナーに失礼だぞ! 伝える事は以上!』

 と、ここでメッセージは終了していた。

 今更ながら思うが、緑髪がログアウトしてまだ一分も経っていない。なのにだ。よくこの短期間でこんな長文を打てるものだ。俺なら絶対に無理だ。

 ……本当に未来を読めるんじゃないか? これはあらかじめ打っておいた文章だとしたら、この速さでも納得する。するのだが……本当なら恐ろしいな。

 まぁ、本当な訳がないので考えるのをやめるとしよう。

 兎にも角にも、だ。

 リトシーは俺の為に喫茶店で手伝いをして、そこで得た金を俺に渡したらしい。俺としては戦闘でこいつがいなければやられていたので、俺の方こそ何かをしなければいけない立場にあるのだが。

 でも、緑髪の言う通り。俺がリトシーの稼いだ金を受け取らなければ、折角稼いでくれたこいつの気持ちを無碍にする事になってしまう。人からの厚意はきちんと受け取っておかねばな。

「……分かった。受け取っておく」

「しーっ♪」

 リトシーは一鳴きすると俺を中心に飛び跳ねながら回り出す。

 取り敢えず、この件はこれで落着だな。

「で、これからどうする?」

「え?」

 未だに俺の背中に隠れている桃色髪は俺の意図が汲み取れなかったようでぽかんと口を開ける。

「だから、この後も街を見て回るのか? それともどっか寄りたい所でもあるか?」

「そうですね……………………………………………………あ」

 桃色髪は思案顔を作るが、その顔が急に強張った。

「あ」

「あ?」

「ああああああああああああっ!」

 至近距離で喚くな、うるさい。

「しー⁉」

「ふぁー⁉」

 突然大声を上げたのでリトシーと魚がびっくりして俺の後ろに……ではなく俺の足元に寄り添ってくる。おい、魚。お前の主人は桃色髪だろう。びっくりしたとは言え主人以外の足に寄り添うのはどうかと思うが。

「あ、あぁぁ、ああ……」

 と、桃色髪はかくかくとロボットのような動きをしながら掴んでいた俺の服を離し、一歩、また一歩と後ずさっていく。漸く離してくれたか。

「す、すみま、せん……ずっと、掴ん、で、いて」

 桃色髪は視線を合わせず、微妙に身体を動かし、どもりながら俺に謝罪をしてくる。と言うか、またどもりだしたぞ? こいつの基準は何なんだ? あと、また顔を赤くしている。大きな声を出して頭に血でも上ったか?

「あ、あと、ですね」

 わたわたと挙動不審のまま、桃色髪は震える唇を必死に動かしながら言葉にする。

「僕、そろそろ、強制、ログアウトの時間、なので、今日は、ここまで、です」

「そうか」

 もしかして、大きな声を上げたのはリミットが近付いていたのに気が付いたからか? だとしても驚き過ぎだが。その所為でお前のパートナーは俺の足下でびくびく震えているぞ。

 桃色髪はわたわたと動きながら、視線を彷徨わせる。傍から見れば怪しい奴だな。

 と、ここで俺の足下で震えていた魚が主人の下へとゆっくり戻っていく。そして桃色髪の頬に頭を擦り付けている。その表情は何処か心配そうに見える。普通じゃない桃色髪をどうにかして元に戻そうとしての行動だろうか?

 その甲斐あってか桃色髪は魚を一旦離して視線を向け、表情を見ると「あ、御免ね」と謝りながら頭を撫でる。元に戻ったのを確認すると魚の方も安心してほっと息を吐いた。

 桃色髪はここまでか。だとしたら丁度いいか。

「なら、俺も今日はここまでにしてもうログアウトするか」

 最初は三時間だけだったが、タダ働きがあったので五時間まで伸ばした。初めてのVRは色々と刺激があって飽きないものであったが、それでもやはりまだ慣れていなく、疲労が溜まっている。暫くの間は何か不測の事態が起きない限りは慣れるまで二、三時間にとどめておくのがいいだろう。下手をするとリアルにも支障をきたしかねないしな。なので、俺も今日は終える事にする。

「そう、ですか」

 桃色髪はどうしてだか少しだけ、肩を落とした。横に浮かんでいる魚を軽く撫でながらメニュー画面を開き始める。どうやら強制ログアウトを待たずに現実世界に戻るようだ。

 俺もメニューを開き、ログアウトの項目をタップしようとして、指を止める。

 そう言えば、訊くのを忘れてたな。

 指を下げ、同様にログアウトを押そうとしている桃色髪に尋ねる。

「で、お前は明日何時頃にログインするんだ?」

「え?」

 桃色髪は指をピタッと止め、ゆっくりと俺の方へと顔を向ける。

「え?」

「いや、何故二回訊き返す?」

 呆けた顔をしたまま、桃色髪は緩慢に口を動かす。

「え、あの。明日も一緒でいいんですか?」

「何言ってるんだお前は。パーティー組んでんだから当たり前だろ」

 少なくとも、こいつが何かしらの攻撃手段を手に入れるまでの間までのパーティーメンバーだ。ならば、それまでは一緒に行動して戦闘をしていかないとな。パーティーを組んでいても一緒に戦闘に参加していなければ経験値は入らない訳だしな。

 …………って、今思えば桃色髪は攻撃手段を獲得しているな。パートナーは炎属性の攻撃をする事が出来るから、こいつ等だけでもモンスターと戦う事が出来る。正確には、魚一人に任せて、だが。あの単眼岩相手では無理だが、ホッピー相手なら生命力も削られる事無く倒せるだろう。そいつだけを倒しても経験値は手に入る訳だから、戦闘に支障はない。

 そうなると、俺と桃色髪がこれ以上パーティーを組む必要があるか?

「…………あの、オウカさん」

 と、考え始めた所で桃色髪が声を掛けてくる。

「何だ?」

「…………明日も、一緒に街の外に出るのお願い出来ますか? 岩のお化けが怖くて、ちょっと一人では無理で」

 顔を俯かせ、視線だけを俺に向けてくる。桃色髪の瞳にはあの時よりはずっと小さいが恐怖の色が浮かんでいた。表情も何処か暗く感じる。

 あぁ、そうだった。桃色髪は単眼岩に怖い思いをしたんだったな。一人、いや魚と一緒にフィールドに出たとしても、単眼岩と鉢合わせてしまったら腰を抜かしてしまい、逃げる事も出来ずに死に戻りをしてしまうだろう。

 こうなってしまったのは俺が原因だ。このままだと、こいつは単眼岩が怖くて外に出られなくなってしまうかもしれない。単眼岩の事を口にする事が出来ていたので、気晴らしは出来ていたとは思う。それでも俺に伝える事であの時の事を桃色髪は思い出してしまった。思い出したくなかった筈なのにな。

「だから、何時なんだよ。時間決めておかないと一緒には無理だろ」

 なので、少なくとも桃色髪が単眼岩を克服するまでは、パーティーを組んでおくべきだろう。それが俺の責任だな。

 俺の言葉に、桃色髪は顔を上げ、徐々に暗い雰囲気を払拭していく。

「明日の、午後一時でお願いしますっ」

 少し張りのある声で明日のログイン時間を俺に伝える。

「明日の一時だな。俺もその時間にログインする」

「はいっ」

「じゃあ、俺はもうログアウトするからな」

 こいつとはパーティーのままでいる事にしたし、訊くべき事も訊いたのでログアウトを開始する。


『ログアウトしますか?

 はい

 いいえ       』


 『はい』を選択すると、メニューが閉じ、俺の体が光に包まれていく。足元にいるリトシーにも同様の現象が起き始めた。緑髪の時と違うのは、動ける事だな、強制ログアウトと任意のタイミングでログアウトするのでは状況が違うからだろうか?

「オウカさん」

 と、俺と同様に光に包まれログアウトを開始した桃色髪が魚を抱き寄せながら目を細めながら笑みを浮かべる。

「明日も、よろしくお願いします」

 それが最後の言葉で、俺の視界は黒一色に染まる。

 その後、立っていた筈の俺は横になっていて、背中に柔らかな感触が伝わってくる。瞼も何時の間にか瞑っており、少し体が硬くなっている気がする。

 目を開ければ、そこは外の明かりに照らされた俺の部屋の天井があった。

 現実世界に戻ってきたな。俺は被っていたDGを外し、それを枕元に置いて一息吐く。そして部屋の暗さと外灯の明かりからもう陽が完全に落ちている事が窺えたので、体を起こして台所へと夕食を作りに向かう。両親は今日も遅くまで仕事なので、俺が作っておかないといけない。ずっと横になっていたので体は重いが、動くのに支障はない。

 さて、今日の夕飯は何にするかと考えながら階段を下りて行く。

「それにしても」

 俺は台所に向かいながら言葉を零す。

「凄かったな」

 また明日もあの世界に行けると思うと、興奮で身震いしてくる。

「……一応、明日に備えて素振りでもしておくか」

 その昂ぶりを紛らわす為に、俺は台所に着いた途端にフライパンと包丁を手に持って振り回し始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る