デキソコナイ

彩 遺

第1話 そんな日

 午後4時。授業を終えた生徒たちが、それぞれの時間を過ごす放課後。

「これで何回目だ!」

 水沢県立山神高校の職員室では、校内一の問題児である独神流ひとりがみりゅうが、生徒指導の佐川から怒号を浴びせられていた。

「2年の男子トイレから、またタバコの吸殻が見つかった。あれだけ吸うなと言っているのに、おまえはどうしてオレの言うことを聞かないんだ」

 佐川が床に叩きつけたタバコの空き箱が、エアコンの風で転がっていくのを眺めながら、

「(また、その件かよ…)」

 と、流はため息を呑み込んだ。

 ここ何週間か、同じ案件で佐川に何度も呼び出されている。

 2年男子トイレのゴミ箱から発見される喫煙の残骸。

「俺じゃねーよ」

 最初の呼び出しから変わらない主張は、目の前で鬼の形相をしている佐川に聞こえているのだろうか。

「(…まあ、こいつが俺の言うことを信じるわけねーか…)」

 佐川は流が「やった」と言うまで、これを続けるつもりだ。

 それに、一体なんの意味があるのか。

 停学、或いは退学にでもしたいのだろうか。

 それなら、他校の生徒との喧嘩に明け暮れていた頃に、容易く出来ただろうに。

「(考えたところで、分かるわけないか)」

 アルバイトの時間が近づいて来ていた。ブツブツとなにかを呟き続ける佐川を無視して踵を返す。

「おい!誰が帰っていいと言った!」

 佐川が自分の机を叩く。いつもと同じ展開だ。

「早く真犯人見つけろよ」

 流の去り際の台詞もいつも通り。

「じゃあ」

 しかし、今日は佐川が悪足掻いた。

「おまえが真犯人を見つけて来い。そしたら、この件での呼び出しは終わりにしてやる」

「…は?俺が?」

 佐川が口角を上げた。

「連れて来られるもんならな」

 正直イラッとした。顔面をぶん殴ってやりたいと思った。しかし、そんなことをしたらどうなるのかは目に見えている。

 無言のまま職員室を出る。佐川や他の教師が追いかけて来る気配はない。

「(真犯人を見つけろ、か…)」

 職員室前には誰もいなかった。いつもなら、不良仲間の沢原か三原が待っているのだが。

 今日は、いつもといろいろ違う。

 そんな日もあるのだろう。

 だから、気まぐれで立ち寄った2年男子トイレで、優等生の喫煙現場に遭遇してしまったのも、「そんな日」のせいだったのだろう。


 流がトイレに入った途端、特別進学クラスの生徒しか着用出来ない青いネクタイをつけた男子生徒の口から、タバコが落下した。あ、と零したのが流の方だったか、それとも男子生徒の方だったか、それは分からない。

「(なんだ。特進クラスの優等生さんの仕業でしたか)」

 別に予想外でも予想通りでもなかった。

 そもそも、犯人になど興味はなかった。

 だから、この喫煙優等生を佐川のところへ連れて行く気も、さらさらなかった。

「…邪魔したな」

 流は右手を上げると、何事もなかったかのように男子トイレを出て行こうとした。

 しかし、後ろから伸びて来た手が扉を閉めて、流の行く手を阻んだ。

「は?なんだよ?」

 そう言いながら振り返った流の鼻先をなにかが掠め、

「…っ!?」

 左頬にちりっと小さな痛みが走った。

 直後、優等生が手の甲で乱暴に流の頬を拭う。

「見える?」

 優等生が初めて口を開いた。

 流の目の高さまで上げられた彼の手の甲には、血であろう赤い液体が付いていた。

「ぼくは今、カッターで君を怪我させた。分かる?」

「…」

「分かんないんだったら、もう一度怪我させてあげるよ」

「…いや、いらない…」

「あ、そう」

 流の返答を聞いた優等生が、流の腕を掴む。

「ぼくは不慮の事故で、君に怪我を負わせました。だから、これから怪我の手当てをします」

「は?」

「ってことで、誰にも見つからないように帰るよ」

 そう言うと、彼は流の腕を掴んだまま、男子トイレを飛び出した。

「おい!どこに行く気だよ!」

 流は優等生に引っ張られるがまま、階段を駆け下りる。

 昇降口を抜け、駐輪場に着くと、流の腕が放された。

「君は自転車通学?」

「…一応」

 流は、駐輪場の隅に放り投げられた自転車に目をやる。学校既定のステッカーを貼っていないせいで、数日前からチェーンをかけられている流の自転車だ。

「…もしかして、それが君の自転車?」

 駐輪場の奥から、優等生が自分の自転車を押して出て来た。

「そう」

「…ふぅん、そうなんだ」

 流の返答に素っ気ない相槌を打つと、優等生は再び流の手を掴んだ。

「じゃあ、行くよ」

 他人に触れられるのは苦手だった。しかし、流はなぜかその手を振り払うことが出来なかった。

 自転車を片手で押して歩く優等生に手を引かれたまま、校門を出る。

 しばらくそうやって歩き、一軒家の立ち並ぶ住宅街に入ると、優等生は急に手を放して立ち止まり、辺りをきょろきょろと見回した。

「…よし。もう大丈夫だろ」

 そう呟いた彼は、首から青いネクタイを外すと、

「おまえは後ろに乗れよ」

 自転車の荷台を掌で叩いて見せた。

「は?」

「だから後ろ」

「…2ケツすんの?」

「自転車あるんだから、乗らないわけないだろ。おれの家、歩いて帰るには遠いし」

「…はあ…?」

 先程までと口調がまるで違う。「ぼく」が「おれ」、「君」が「おまえ」に変わっている。

「(…どうなってんだ?)」

 流が変化に戸惑っていると、優等生が再び荷台を叩いた。

「いいから、早く乗れって」

「あ、ああ」

 急かされるがまま、自転車の荷台にまたがる。

「ちゃんとおれにつかまれよ」

 再び手を掴まれ、優等生の腰に抱き付く形にされる。

「(…あれ?)」

 ふと、流は目の前の背中に懐かしさを感じた。

 以前にも、自分はここに座っていたような気がするー…

「落ちんなよ。落ちて骨折でもしたら大変だから」

 自転車が走り出す。



 天気は雨。

 橋の欄干に止まっていたアゲハ蝶は、片翼のまま空を目指し、そのまま落下した。

 天気は雨。土砂降り。

 真っ青な傘が、風に煽られ、飛ばされていく。

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