〈魔弾〉の射手 東京迷宮_2011〜2013
肉球工房(=`ω´=)
2011年、ナツ
トウキョウ
「ジ様も、いつまでもブラブラしているだけだとあれだろう。
昼間はどうせ暇をしているんだから、迷宮にもで入ってみたらどうだ」
孫の静乃といっしょに順也の家で夕飯をともにしているとき、唐突にそんなことをいわれた。
順也は嫁さんとともに休日には迷宮に入るいわゆる週末探索者をしており、この家のローンもすっかり払い終えている。
また、迷宮内で獲って来たエネミーの肉をこうして軍司たちにおすそ分けをしてくれることも多かった。
ちなみにこの晩のメニューはハクゲキスイギュウのすき焼きである。
「探索者といっても、山に入るのと比べればそんなにたいしたことでもない」
順也はそう続ける。
軍司が震災による被害を受けた郷里を離れ、孫の静乃とともにトウキョウに移ってきてから一月ほども経った、六月も末のある日のことだった。
こちらに来てから今までの軍司の時間は、軍司の時間はもっぱら戸籍をこちらに移し、住居や駐車場の手配をしたり、まだ中学生である静乃の転校手続きをしたり、といった細々とした用事に費やされている。
お役所を相手になれない手続きを連続して行う日々は、七十を過ぎた軍司の神経を予想外に削っていた。
もう少し若ければ軍司自身の仕事も探さなければならないところであったが、軍司はもはや隠居であるといっても誰にも文句をいわれぬ年齢であり、これまでの蓄えもそれなりにある。
さらにいえば、震災によって得た、あまり有難くはない保険金も丸ごと残っていた。
静乃がこの先学校を出て社会に出るまでくらい間、十分に余裕を持って暮らしていけるはずであった。
探索者、か。
と、軍司は思う。
正直なところ、そういわれても、まるでピンとこない。
そいえば軍司がまだ若かった頃、集団就職でいっしょにこっちに出てきたときの同級生の中に、仕事先から出奔してそのまま探索者になったとかいうやつがいたような気もするが。
その後の消息をまるで聞いたことがないことから、おそらくはそのまま迷宮の中に消えてしまったのだろう。
今とは違い、迷宮を取り締まっているとかいう公社も、まだ探索者の安全にはさほど気を配っていなかった時代のことだ。
昔は、社会全体が今ほどには人命とか安全とを大事しにてはいなかったな、と、軍司は思い出す。
公害が社会問題として取り沙汰される、だいぶ前のことである。
工事現場や工場などで事故が起こるのは日常茶飯事であり、あの頃は人柱という言葉が今よりよほど真実味を持っていた。
つまり、大きな工事が完成する頃には、その影に数名の事故死をするものがいて当然と、そのように思うような風潮があった。
まだあの頃は、人の命というものが全般に安っぽかったな、と、軍司は思い返す。
不景気だなんだと騒がれるようになってからひさしいが、軍司にいわせれば、昔よりも今の方が、だんぜん、人には優しい世の中になっている。
それはともかく。
「探索者いうたら」
軍司は、順也にわかりきったことを訊き返す。
「あれ、迷宮にはいるやつか?」
「そう。
その、探索者」
小鉢の中の玉子を箸でかき混ぜながら、順也はいった。
「実際にしてみれば、特に難しいこともない。
ジ様はあれ、鉄砲ができるじゃろ?」
「鉄砲、なあ」
軍司は、ぼんやりとした口調で応じた。
「あれをまたこっちで使うとなると、いろいろ手続きやらが面倒なんよ」
軍司は猟銃は、震災で潰れた家の下敷きになっていた。
その猟銃に関わる手続きで、警察をはじめとする関係各所を回って歩いたときの苦労を軍司はさまざまと思い出していた。
瓦礫の山の下敷きになった保管ロッカーの中の猟銃は、仮に掘り出したとしても、危なくてとても使う気にはならない。
日本という国は、猟銃の所持や管理に関して厳しすぎる傾向があり、廃棄扱いにするにしてもそれなりの手続きが必要なのた。
震災前後のゴタゴタも影響して、軍司が当時所持していた猟銃の扱いに関しても、事務手続きが後回しにされていた節がある。
「なに、改めて使える鉄砲をあつらえる必要はない」
軍司はあっけらかんとした口調でそういった。
「そこが迷宮いう場所の便利なところでな。
最初からは無理だが、しばらく中に入って慣れると、指鉄砲で獣を狩れる」
「指鉄砲でか?」
「おう。
慣れればな、火やら氷やら電気の火花やら、好きなもんをばっと出せるようになる」
半信半疑で訊き返す軍司に、順也が説明した。
「迷宮いうたら、そんくらい、便利で不思議な場所なんじゃ。
その年ですいすい山歩きしておるジ様ならば、すぐにでも慣れる」
「そんなもんか」
「そんなもんだ」
親子はそういって頷き合った。
「せっかくシロもいるこったし、静乃が学校へ行っている間、いつまでも暇を持て余していているのも無駄だべ」
「迷宮、のう」
軍司は考え込む。
その中にはエネミー、昔は敵性生命体と呼ばれていた生き物がおり、それを狩るのが探索者の仕事であると聞いている。
別に軍二が事情に通じているということではなく、現代日本に暮らす人々の間では一般的な常識だった。
軍司も戦後の食糧難のおりには、妙な風味がする、迷宮産の得体のしれない肉を加工した食品のお世話になってきた口である。
社会全体が豊かになり、食料事情が改善されてきてから、そうした迷宮産の加工食品は次第に減ってきったわけだが。
「なに、別に難しく考えんでも、少し試してみて性に合わなければそこでやめればいい」
順也は、そういう。
「ボケ防止も兼ねた暇つぶし程度に、考えてみてはどうか」
結局軍司は、順也の提案に乗ってみることにした。
順也が指摘をした通り、静乃が学校に行っている間、軍司が暇を持て余しているのは確かなのである。
食事の支度や洗濯物も、老人と孫娘の二人分だとたかがしれているし、入ったばかりの2DKのマンションも、掃除をするのにさして時間を取られるわけでもない。
それ以外に軍司がすべき仕事といえば、順也の家に預けてあるシロの散歩くらいなものか。
軍司は順也に案内されるままに〈印旛沼迷宮〉にまで赴き、手続きをしてそのまま探索者登録に必要な講習を受けることになった。
そうした講習は軍司にしてみればおおよそ退屈な内容で、一日のうちに何度もあくびを噛み殺すことになったが、それでもどうにかやり遂げて、迷宮内に入る実習もつつがなく終了する。
晴れて軍司は、探索者として迷宮内に入れる身分となった。
軍司にしてみると探索者用の衣服や装備は、どうにも大げさに思えた。
自分自分が身につけるのには気恥ずかしさをおぼえるデザインなのだが、順也によると「すぐに慣れる」、とのことであった。
「どれも決して安い買い物ではないが、命を守るための値段だと思ってくれ」
とも、順也はいった。
「この程度の金額ならば、何回か迷宮に入ればすぐに元を取ることができるし」
「学校、どうだ」
新居で、二人きりの夕餉のときに、軍司は訊ねてみた。
「もう慣れたか?」
「ん。
大丈夫」
中学二年生の静乃は、言葉少なく応じる。
「友だちも、できたし」
元々は快活な性格であった静乃は、あの震災を経験して以来、めっきりと口数と笑顔を見せることが減っていた。
家族の大半が行方不明者の列に並んでいる今、そのような変化が起こったとしても、決して不自然ではないのだが。
「むこうに残っていた方が、よかったか」
「いや。
避難所の雰囲気も、好きじゃなかったし」
訊き返すと、静乃は、静かな口調で答えた。
「避難所の、というより、あっちの雰囲気は、今でも好きじゃないし。
こちらに出てきて、正解だったと思う」
地域差もあったのだろうが、軍司や静乃が短い間暮らしていた避難所の雰囲気は、確かにいいものではなかった。
配給された物資を密かに独占しようとする者たち、そうした不公正を見て見ぬ振りをする者たち。
避難所の外に出れば、取り締まる手が足りていないからか、火事場泥棒や被災者の亡骸から金目のものを集める輩、悪質な、詐欺も同然の不動産買占めを目論む者などが平然と横行跋扈している。
なぜか、そうした非常時に便乗して不法を働く者たちについては、こちらで大々的に報道されることはなかったようだったが。
マスコミでは、原子力発電所の事故とその後始末について、電力会社の責任を追求するような報道ばかりが幅を効かせている。
軍司には理解できない放射能がどうとか、確かにそれはそれで、社会的な影響力が大きく、重要な問題ではあるのだあろう。
しかし、報道がそれ一色に染まってしまう現状というのは、やはりどこかおかしいのではないか。
テレビだの新聞などは、被災地の現状を、その切実さを、もっと伝えてもいいのではないかと、実際に被災して家と家族を失った軍司などは思う。
震災後の一時期、人間の醜悪な部分が覆い隠しようもなく噴出していたことは事実であり、軍司が息子の順也を頼ってこちらに移ることを急いだのも、決してゆえのないことではなかった。
そうした現場を静乃が直接目にする機会があったわけではなかったにせよ、静乃も、不穏な空気と噂には触れている。
十四歳といえば、そうした噂がなにを意味するのか、十分に理解ができる年齢だ。
肉親を亡くしてからまだ日が浅い十四歳の静乃にとって、いい環境であるわけがなかった。
「そうか」
静乃自身から大丈夫だと断言されてしまえば、軍司にしてみても頷くしかない。
七十を過ぎた軍司にとって、十四歳の静乃はほとんど理解不能な存在であり、静乃にとっての軍司も、やはり似たようなモノだろう。
どうにかしてやりたいのだが、実際にどうしたらいいのかいいのかわからないというのが、この時点での静乃に対する軍司の、正直な気持ちであった。
軍司にしてみれば、大丈夫だという、静乃の言葉を信じるしかない。
軍司は静乃と二人の住居として、順也の家の近所にある賃貸マンションを選んでいた。
当然、元住んでいた住居よりはよほど狭いわけだが、老人と中学生が二人きりで住むにはそれで十分でもあった。
「ずいぶんとまあ、安いもんじゃのう。
東京じゃというのに」
契約をするとき、賃料を確認して軍司は驚いた。
「いや、ジ様よ。
習志野は、東京さじゃねえから」
保証人として同行していた順也は苦笑いを浮かべながら訂正した。
「習志野さ、千葉県だわ」
「千葉いうても、東京とそのまま地続きでねえか」
軍司は反駁をした。
「地続きでずっと続いているんなら、だいたい東京の続きさみたいなもんだ」
都道府県など行政的な区分ではなく、軍司は首都圏をそのまま大きなひとかたまりとして認識している。
これまで何度か上京したおりにも、軍司はだいたい車で移動をしている。
その経験に照らし合わせても、その認識は決して的外れなものでもないはずだ。
軍司にとってのトウキョウとは、つまりはそういう存在なのである。
「このあたりでしたら、相場の賃料になるかと思います」
不動産屋が、そう口を挟む。
「お孫さんが通う中学からも近いですし、手頃な物件であるかと」
下見の時点で静乃も気に入っていたので、軍二はそのまま敷金礼金を入れて賃貸契約を結んだ。
軍司にしてみても、賃料が想定していたよりも安い分には文句はない。
そのマンションに付属していた駐車場はあいにくとふさがっっていたので、軍司は別の駐車場を、マンションから二百メートルほど離れた場所にある駐車場を別に契約しなければならなかった。
郷里から最低限の家財道具と軍司と静乃、それに猟犬のシロを乗せてきたバンは、普段はその駐車場に停められている。
探索者になって以来、静乃を送り出してから簡単に掃除や洗濯などを済ませ、シロを乗せてその駐車場から〈印旛沼迷宮〉にまで出勤するのが、軍二の日課になっていた。
最初のうち一、二回ほどは順也と嫁のパーティに同行して迷宮に入っていたのだが、その一、二回のうちに迷宮とはどういう場所なのか、要領を掴んだ軍司は、それ以降は自分自身とシロだけを連れて、さっさと迷宮に出入りをするようになっている。
順也が説明をしていた通り、迷宮とは山よりもよほど優しい環境であるといえた。
なにしろ十分に注意深くふるまえば、困窮するということがほとんどない。
天候の変化もほとんどなく、エネミーという存在にさえ気をつけていれば、危険らしい危険もほとんどない。
軍司にしてみれば、迷宮とは、散歩をするのと同然の気楽さで赴くことができる場所なのであった。
まるで前例がないわけでもないのだが、軍司のように動物を伴って迷宮に入る探索者はほとんどいないらしく、ほぼ毎日日参していることも手伝って軍二の名と存在は〈印旛沼迷宮〉の常連たちの中ですぐに知れ渡ることになった。
ちなみに、シロを伴って迷宮に入ることについても、最初の講習時にも確認しているのだが、特に問題はないということだった。
シロは十歳を越した雑種の老犬であり、そろそろ猟師としての引退を考えていた軍司にしてみても、おそらくは最後の猟犬になるであろうと覚悟をした上で飼いはじめた犬でもある。
そのシロが、迷宮に入りはじめてからめっきり元気を取り戻してきたことも、軍司が〈印旛沼迷宮〉に日参する大きな動機となっている。
なんたらの累積効果、いうたか。
講習のときに耳にした、倒したエネミーの数が多ければ多いほど、迷宮内での探索者の身体機能その他もそれだけ強化されるという効果は、そのままシロのような畜生にも適用されるようだった。
軍司が単身で迷宮に入っても特に困ったことにならないのには、このシロの存在が大きい。
このシロはかなり遠くからエネミーの存在を察知して軍司に伝え、つまりは不意うちを受けることが
ほとんどない。
それにシロ自身も、軍司が制止しない限りは、その牙と爪とで存分に獲物を屠って回る。
現在軍司が出入りしている、迷宮浅層に出没するネズミやコウモリなどは、シロの敵ではなかった。
このうちコウモリなどが出す超音波も、どうやらシロには感知できるらしく、見つけ次第真っ先に排除にかかる。
軍司は、シロが追い散らしたあとの獲物を焦らずに、ひとつひとつ手にかけて行く。
そうした浅層に出るエネミーは、なりが小さいものの一度に数多く出てくる傾向があり、真っ先にシロが飛びついて注意を引きつけ、追い散らしてくれるおかげで、軍司も悠々と、心理的に余裕を持って対処をすることが可能となっていた。
この初期の時点で軍司は、距離があるときにはパチンコを、ある程度距離が詰まったときは柄がカーボンファイバーで出来た軽量の槍を装備として使っている。
一応、その槍にも鋭利な穂先がつけられてはいたが、その穂先を刃物として使用する機会は滅多になく、たいていのエネミーは槍の柄で強く叩けば、ただそれだけで動かなくなる。
地面に伏して動かなくなったエネミーは、あとでまとめて踏みつけるなりなんなりして息の根を止めておけばいい。
そうして大量のエネミーを始末していくと、たまにエネミーの死体が硬貨とか短剣とかに変わることがある。
どういう理屈でそうした現象が起こるのか、軍司には理解不能であったが、迷宮とはそういう場所であるという。
そうした短剣や硬貨も、見つけ次第拾いあげて回収していた。
最初のうちは迷宮ロビーの売店で購入できるバックパックに放り込んでおいたが、何日かそうして迷宮に出勤していたら自然と〈フクロ〉と呼ばれる収納空間が使えるようになったので、今ではその中に放り込んでおいて数日に一回の割で公社の窓口に提出をして現金に変えている。
まだ浅層ということもあり、小遣い銭程度の金額にしかならなかったが、それでも迷宮への往復に使うガソリン代と昼食代程度は余裕で充当し、少し余る程度の収入は得ることができた。
さらにいえば、シロが迷宮内でエネミーの肉を好き勝手に食い散らしているおかげで、餌代もほとんどかからなくなっている。
この時点ではまだ初期にかかった装備代などを償却したばかりであったが、軍司にしてみれば先を急がなければならない理由があるわけでもなく、まずは順調な滑り出しであったといえる。
迷宮に入りはじめて数日で、軍司はもはやパチンコを必要としなくなった。
以前に順也が、
「慣れればな指鉄砲でエネミーを倒すことができるようになる」
といったのは決して偽りでも誇張でもなく、そう意識するだけで、遠くにいるエネミーにむかって火でできた矢が飛ぶようになったのだ。
猟をしていたときの習慣を引きずって、軍司はパチンコを使う際にもかなり慎重に狙いを定める癖があった。
軍司は山の中では鳥を狙うことが多かったが、外せば、当然、獲物に逃げられる。
急所から逸れれば、獲物が暴れる。
いずれにせよ、一撃必殺で仕留めなければあとで面倒になるのは変わりなく、迷宮内においても可能な限り、一発で仕留めるように努めていた。
できるだけ速やかな、苦痛の少ない方法で、というのは、命を奪う者として、当然の心得だとも思っている。
だから軍司は、パチンコによる攻撃についても、一発一発に全神経を集中させるような勢いで、丹精を込めて発していた。
そのことが奏功したのかどうか、軍司は本格的に迷宮に入りはじめてから十日もしないうちに、探索者たちから〈ファイヤ・バレット〉と呼ばれるスキルを生やしている。
標的を見つめ、それを攻撃する意志さえ持てば、なにもない空中に火のかたまりが出現して、その標的にむかって飛んで行くようになったのだ。
はじめてそのスキルを使用したとき、軍司はなんだか狐に化かされているような気分になった。
少しして落ち着くと、なるほど、と、軍司は納得をする。
こんな便利なスキルをたらいうもんがぞろぞろ生えてくるんなら、そら、探索者いうのも楽しかろうな、と。
迷宮という空間の非現実性を、改めて認識し直した形である。
そうこうするうちに日々は過ぎ、世間では夏休みの時期に突入した。
以前の軍司ならば、世間が夏休みの時期に入ったといっても特に生活に影響することもなかったのだが、今は同居の静乃がいる。
静乃が一ヶ月以上も学校に通うことなく、マンションに居つづける時期に入ったのだった。
こちらの夏休みは、東北のそれとは違って期間が長い。
気晴らしにどこかにいくか、と、軍司から持ちかける前に、静乃から頼まれたことが、ふたつほどあった。
ひとつは、友人たちと舞浜にあるテーマパークに行きたいので、軍司にその送迎を頼みたいということ。
これについては、軍司は快諾をする。
こちらの学校で静乃に親しい友人ができ、ともに遊ぶようになったのならば、軍二としても歓迎をすべきところだ。
もうひとつの頼みは、静乃も探索者として迷宮内に入りはじめたい、ということだった。
これについては、軍司も考え込んでしまう。
この場で難色を示すべきなのかどうか、それさえも判断できなかったので、即答を避けて倅の順也に相談をしてみることにした。
「さて、どうしたもんか」
「迷うこともない」
近くの居酒屋で待ち合わせた順也は、ことなげにそういってみせた。
「静乃も、山にも入っておったんだろ。
猟の手伝いをするのがよくて、探索者が駄目という理屈もない」
「猟いうても、静乃に手伝いをさせてたのは罠猟までだからの」
軍司は、難しい顔になる。
軍司にいわせれば、靜乃自身が興味を持ったから、たまにいっしょに裏山の中に連れて出ただけのことだ。
山深くに入り込み、鉄砲を使うような本格的な猟には連れ出したことはない。
そうした場ではどのような事態が起こるか事前に予測できるものではなく、静乃の身の安全を考慮するのならば、とてもではないが気軽に同行させる気にはなれなかった。
迷宮内も、なにが起こるのかわからないという点では、その山奥と同じようなものではないのか。
「そりゃあまあ、理屈ではあるが」
順也はいった。
「ならば、比較的危険が少ない浅い層をウロウロさせておけばいいのではないか?
どのみち、十八になるまでは保護者同伴でしか迷宮とには入れんわけだし」
法的なことをいうのならば、十二歳以上ならば探索者の資格を取って迷宮内に入ることが可能であった。
ただし、順也の言葉通り、十八歳未満の探索者は、十八歳以上の探索者が同行していないと迷宮に入ることはできないとされている。
迷宮への出入りは、IDカードなどで厳重に管理されていた。
「もうしばらくすれば、受験でそれどころではなくなるし、この場では静乃の気がすむようにさせてみればいいんでねえか」
というのが、順也の結論だった。
迷宮に入ることの危険も承知した上で、今は静乃の意思を汲んでいやった方がいいのではないか、ということだ。
「気がすむように、か」
軍司は順也の言葉を繰り返す。
順也は静乃のメンタルケアのことを、いっているのだった。
表面上は平穏な様子ではあったが、だからといって静乃が、肉親や知人を一気に失ったあの震災の影響をまるっきり免れているわけではない。
どうすればいいのか、まではわからなかったが、今、静乃が探索者になりたいというのであれば、ここで無理に止めば、ことによると、今後悪い影響がでるのではないか。
実際にそう言葉にしたわけではなかったが、軍司にしても順也にしても、静乃の身を案じていることにかわりはなかった。
「危険だというのならば、迷宮に入るときはいっしょについていって見守ってやればいい」
静乃の内部のことについては外部から干渉をする術もないが、少なくとも物理的な脅威からは守ってやることができる。
自分の息子である順也にそういわれてしまえば、軍司にしてみても、それ以上に反対すべき根拠を持たなかった。
数日後、軍司は靜乃と靜乃の同級生たちを自分のバンに乗せて、舞浜にあるテーマパークへむかう。
軍司自身はああいう騒がしい場所には苦手意識を持っていたし、この炎天下の中、何時間もあの中を歩き回れる自信もなかったので、中にまでは入らずに送迎だけをする予定になっていた。
帰りはだいたいの時間を打ち合わせておいて近くで待ち、携帯で連絡が来てから迎えにいけば特に問題はない。
中学生がまでもがスマホやら携帯やらを普通に持っている時代だからの、と、運転をしながら軍司は思う。
軍司が静乃くらいの頃には、子どもだけではなく、この日本中の人々が、なにも持たないような時代だった。
隔世の感がある、とは、まさしくこのことだろう。
バックミラーをちらりと確認すると、静乃は同級生たちといっしょに、年齢相応の快活さをみせてはしゃいでいる。
テーマパークの駐車場で静乃たちを降ろす。
静乃の友人たちは、みな、口々に軍司にお礼をいって正門の方に去っていった。
みんな、礼儀正しいいい子ばかりに思えた。
「トウキョウ、か」
ハンドルに手をかけながら、軍二は呟く。
このテーマパークも、千葉県の舞浜にあるのにも関わらず、東京の名を冠している。
やはり、千葉も東京の地続きでいいんじゃないか、と、軍司は思う。
静乃が探索者となる件も、軍司は、
「この夏休みがすぎたら、高校受験の結果が出るまで受験勉強に身をいれる。
それまでの間、探索者としての活動はいったん停止する」
という条件をつけた上で、許すことにした。
甘い判断なのかも知れなかったが。
学校の成績に関していえば、静乃は意外にいいらしい。
このまま最後まで気を抜かなければ、学区内で一、二を争う進学校に入ることも可能だと、学校の教師から伝えられていた。
いわれてみれば、自宅にいるときも、机にむかっている時間がやけに長い気がする。
あるいは、そうすることによって気を紛らわせているのかも知れないな、と、軍司などは思ってしまう。
静乃が講習を受けている期間は、軍司はシロと静乃をバンに乗せて〈印旛沼迷宮〉へとむかい、静乃を講習に送り出したあとに、軍司とシロだけが迷宮に入る。
そして静乃の講習が終わる頃を見計らって迷宮から出て合流をし、そのまま帰宅をするという流れとなった。
探索者資格を取得するための講習というのは、実習がはじまるまではだいたい昼までには終了する。
〈印旛沼迷宮〉の周辺にも飲食店はそれなりにあるのだが、そのどこもがお世辞にもうまいとはいえない。
おおかた、迷宮に用事がある探索者の人出を目当てした店ばかりなのだろうな、と、軍司などは思っていた。
多少手を抜いても客足が落ちない立地の飲食店にありがちな、まずい店ばかりなのだ。
自分だけならばともかく、孫の静乃にまでそんなまずい食事をつき合わせるつもりはなかった。
また、講習も終わっていない静乃を伴って迷宮に入るつもりも、軍司にはなかった。
習志野のマンションに帰ってから静乃といっしょに遅め食事を摂ると、午後の時間はほとんど丸ごと空いてしまうわけだが、軍司はそれでいいと思っている。
せっかくの夏休みであるし、静乃にはそれを満喫してもらいたいという気持ちが強かった。
来年には、受験でそれどころではなくなるはずなのだ。
当の静乃はといえば、午後はおとなしくマンションで勉強をしていることもあり、どこかに外出することもありで、案外自由にしている。
保護者である軍司自身が、特に問題がない限り、静乃の行動を制限することがないということもあったが、テーマパークへいったときのように友人たちと連れだってどこかに出かけることも多いようだった。
心配をしていたように、東北の、被災地の出身だからといっていじめられている様子もない。
この点については、軍司も深く安堵している。
そうしてしばらく探索者登録に必要な講習を受け続け、静乃も迷宮に入れるようになる。
静乃はまだ十四歳であったので、十八歳以上の探索者が同伴をする必要はあったが、それでも一応は探索者として認められたわけであった。
探索者としての登録が済んだ静乃は、その足で軍司とシロといっしょに迷宮に入りたがった。
軍司などは、
「夏休み中、いつでも入れるのだから、そこもまで急ぐ必要もないだろう」
と思うのだが、静乃はすぐにでも入りたいと、いつになく強く希望をした。
探索者としての登録講習の中には、実際に迷宮に入る実習もあるはずなのだが、それと軍司やシロと入るのとでは、静乃の中ではまるで違うらしい。
強く拒絶する根拠もないので、軍司はそのまま静乃やシロを伴って迷宮に入る。
静乃には、軍司が使わなくなったパチンコを持たせてあった。
迷宮に入ってからしばらくすると、シロが吠えはじめたので軍司は足を止める。
「なに?」
「シロが、獲物を見つけた」
静乃が訊いて来たので、軍司は短く答える。
答えながら、軍司は白白とした迷宮の奥深くに目を凝らして、片手をあげて指鉄砲の形をつくった。
バン。
バン、バン、バン、バン。
口の中で、軍司は、短く唱え続ける。
しばらく経ってから、二人とも一匹が先へと進むと、百匹以上ものコウモリ型のエネミーが、胴体部に毛焦げたあとを作った状態で息絶えていた。
そうした死体に透明なスライムが取りついて、すでに消化をしにかかっていたが。
シロが吠えながらそうしたスライムやコウモリ型エネミーの死体を掻き分けて、剣や硬貨などのドロップ・アイテムを足先で掘り起こしている。
え?
と、静乃は戸惑う。
軍司が立ち止まって指鉄砲を作った場所から、たっぷり四百メートル以上は離れているはずだったのだ。
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