ブラッド・ライン #14

 いのりの自宅のリビングで、叶と瑠璃香はいのりと向かい合ってソファに腰を下ろしていた。テーブルに置かれた湯呑みからは、湯気が消え失せている。

 瑠璃香から事の経緯いきさつを聞かされたいのりの顔は、やや青ざめている様に見えた。叶はかける言葉を見つけられぬまま、すっかり冷めた茶を一気に飲み干した。

 重苦しい沈黙を、瑠璃香が破った。

「突然、色んな事を聞かされて理解が追いついてないでしょう、ごめんなさいね。本当は、あなたが成人してからお話しようと思っていたの」

「何でですか?」

 瑠璃香の言葉尻を捕らえて、いのりがするどい口調で問いかけた。

「えっ?」

 瑠璃香が戸惑っていると、いのりは瑠璃香をにらみつけんばかりの勢いで見つめながら言った。

「何で急に、私に全て渡そうとするんですか?」

「それは、あなたが段田氏の実の――」

「そんなの勝手じゃないですか!?」

 今度は皆まで言わせずに遮り、いのりがまくし立てた。

「結局私は、表立っては認められない子供だったんでしょ? 今まで母や私に送っていたお金は要するに慰謝料いしゃりょう養育費よういくひだったって事ですよね? 私が二十歳になるまで存在を知らせないのは、私に子供だってアピールされるのが迷惑だったからでしょ? そんな私を今になって、ただひとりの子供だから相続人に指名するなんて、それも自分の弟に遺産を渡したくないからって、そんなの勝手よ! その所為で私は何度も危ない目に遭って、それこそ迷惑よ!」

 まぶたに涙を溜めて身体を震わせるいのりに、叶も瑠璃香も気圧けおされた。すると、いのりが立ち上がってリビングを出て行った。

「いのりちゃん!」

 叶も立ち上がって呼び止めるが、いのりは無視して自室に飛び込み、すぐに戻って来た。その手に、何かを握っている。

「これ見てください」

 いのりが瑠璃香の前に突き出したのは、愛用のフルートだった。反射的に受け取った瑠璃香が見ると、一部に傷が付いている。先日駅でトートバッグを切られた時に付いたのだろうと、叶は推測した。いのりはフルートを瑠璃香の手から取り上げて言った。

「このフルートは、母の形見です」

 いのりの言葉に、叶も瑠璃香も瞠目した。

「母も昔、フルートを吹いていたそうです。でも母が高校生の時に母の父、私の祖父が亡くなった所為で母は音大への進学をあきらめて就職したって言ってました」

「そうだったのか」

 叶が言うと、いのりは頷いて続けた。

「母は時々、このフルートを吹いてくれました。私は、母の吹くフルートが大好きでした。でも、母がひとりで苦労してるのも判ってたから、音大に行ってフルートを吹きたいなんて言い出せなかった。そんな時に母が私に言ったんです。足ながおじさんの事を」

「なるほど。お母さんは、君の願いを叶える為に隠していた父親の存在を、足ながおじさんとして伝えた訳か」

「はい。その時は、私がいくら尋ねても足ながおじさんが誰なのか教えてくれませんでした。それから、私が音大に合格して暫くしたら、母が倒れて、そのまま」

 言い終えたいのりは、ゆっくりソファに腰を下ろして目尻を拭った。

「皆口さん、あの」

 瑠璃香が話しかけると、いのりは再び強い視線を浴びせた。

「今まで援助して頂いた事には感謝します。でも母が倒れた時にも何もしてくれなくって、自分が都合悪くなったら急に相続させるなんて、そんな勝手な人は私のお父さんなんかじゃない! 相続権なんか要らない、それにもう援助してもらわなくてもいい、音大辞めて就職しますから、もう段田さんのお世話にはなりません! 帰ってください、帰って!」

「いのりちゃん、落ち着いて――」

「探偵さんも出て行って! 今日は、ひとりにして」

 仲裁ちゅうさいしようとした叶にも容赦ようしゃ無く告げて、いのりは両手で顔をおおって泣き崩れた。

 叶は小さく息を吐くと、呆然ぼうぜんといのりを見つめる瑠璃香の肩を叩いた。瑠璃香は無言で頷き、リビングを出た。叶も立ち去りかけて、いのりに言った。

「とにかく、今日は外に出ないで、キチンと戸締まりしてな。また明日連絡するね」


 いのりの家を出てバンデン・プラに戻った叶は、後部座席に座って落ち込んだ様な表情で俯く瑠璃香に訊いた。

「そう言えば、マサ・ダンダの腹違いの弟の素性すじょうは知ってるのか?」

「え? ええ」

 瑠璃香の反応を見た叶は、エンジンをかけて言った。

「ソイツの事、詳しく教えてくれないか?」


《続く》


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