第6話 再生工場

 西暦2218年2月15日

 神奈川県警本部組織犯罪対策部組織犯罪対策治安維持強行課第二係

 警部補 峯岸舞

 

 署名を終え、峯岸舞はペンを置いた。

「有難うございます。手続きを行いますので、少々お待ちください」

 そう言って、受付の女性はキーボードを叩き始める。峯岸舞は手持ち無沙汰に、受付台に置いてある書類――いま署名した――に視線を落とした。その書類には、読むのも面倒になるような細かい字が、びっしりと書かれていた。その一行目。ひときわ目立つように太字で書かれた文字を視線でなぞる。

『誓約書』

「大変お待たせしました。ご案内いたしますので、こちらへどうぞ」

 受付の女性が誘導を開始する。峯岸は黙ってその後をついて歩いた。

 施設内はどこまで歩いても、同じような廊下が続いていた。壁には窓がなく、全ての扉は閉められている。この施設には大勢の職員が働いているはずなのだが、廊下を歩いていても誰ともすれ違うこともなく、受付の女性と峯岸の足音だけが、不気味な静けさの中に響いている。

 だが、峯岸にとってそれは驚くに値しなかった。もう幾度もなくこの施設を訪れ、同じ体験をしている。彼女は、さきほど受付で自身が署名した誓約書の要約を、頭のなかで思い浮かべた。

 施設内で得た情報を外部に漏らさないこと。

 国家機関であるこの施設では、建物内のあらゆる情報が、重要機密とされている。建物の間取り、使用している機器、職員の個人情報、壁紙の色や、いま使ったペンがインク切れ間際であることまで、施設の内部情報を口外すれば厳しく罰せられる。

 この施設の無機質な造りも、来訪者に余計な情報を与えないための処置なのだろう。異常なまでに徹底した秘密主義。だがそれも、施設の役割を思えば、当然のことと言えた。

「こちらの部屋になります。面会時間は一時間です。お時間になりましたらお迎えに上がりますので、それまでは、この部屋から決して出ないよう、よろしくお願いします。お手洗いなど必要な設備は、この部屋に――」

「はいはい。もう何回も聞いたっての」

「……では、失礼します」

 受付の女性が去っていく。峯岸は溜息して、案内された部屋の扉を眺めた。名札のない無地の扉。引手のすぐ上にある機械が青く点灯している。扉の電子ロックが解除されている証だ。峯岸は引手を持って、横に引く。扉は抵抗なく開いた。

 部屋の中は奥にベッドがある以外、家具は何もなかった。そのベッドの上に女性がひとり、上半身を起こして横になっていた。

 その女性はこちらの訪問に気付き、眼を丸くしていた。

「……峯岸さん?」

 女性が呟くように言う。その呆けた声に苦笑しつつ、峯岸はその女性に話しかけた。

「まだ夢うつつって感じかしら?まあ、無理もないけど。自分の名前が思い出せないほど、ボケちゃってるってことはないわよね?」

 冗談めかして言うが、実際その可能性がないわけではない。再生直後の人間には、暫し記憶の混乱が起こりえる。だからこそ、峯岸は意識的にゆっくりと、女性の名前を呼んだ。

「先織杏」

 一般には所在すら秘匿されているこの施設。

 正式名は国立生体記憶記録保管管理施設。

 通称『人間再生工場』。

 

 峯岸舞は女性から見ても、美しい女性であった。腰まで伸ばしたストレートの黒髪。芸術品のような整った顔立ち。女性にしては長身で、まるでモデルのようなスリムな体型に、タイトなスーツを無理なく着こなしている。

 これほどまでに魅力的な女性が、31歳にもなって独身であることを、疑問に思う時もあった。だが、いまはなんとなく理由がわかる。彼女は完璧すぎる。その容姿もさることながら、特筆べきは彼女の持つ能力だ。

 警察というものは、ご多分にもれず男社会の組織である。そのなか、彼女は自分の有能さだけを武器に、周囲を黙らせてきた。彼女の卓越した分析力と判断力は、上層部からも高い信頼を得ている。階級に見合わない重要な会議に、彼女が参加させれることもしばしばあるぐらいだ。ただそれは、峯岸舞という能力の一側面を表しているに過ぎない。

 峯岸舞の本質。それは戦闘技術にある。荒事を担当する強行課においても、彼女の戦闘技術に勝る人間はいない。それどころか、彼女の足元にすら、及ぶ人間がいないと言うのが正確だろう。彼女は生まれついての天才だ。彼女の領域には誰も近づけなかった。

 男は得てして、プライドが高い。美しい女性は好きだが、自分より――遥かに――仕事のできる女性は好まない。嫌悪とまではいかずとも、好意を持つことに尻込みをする。

 だが同じ女性としての立場からすれば、彼女は理想の人物だった。少なくとも、自分にはそうだ。彼女の後輩として4年。そして彼女の部下として2年。その想いは益々強くなっていく。

 先織杏にとって峯岸舞とは――

 

「ねえ。あんた、ちょっとおっぱい大きくなったんじゃない?」

「なってません!なってるわけないじゃないですか!」

 理想の女性である峯岸舞のセクハラに、先織杏は顔を真っ赤にして声を荒げた。

 だが峯岸は、――嘘くさいほどに――真剣な表情でなおも続ける。

「本当に?再生後の躰は、厳密には以前とは別物よ。あんたがこれを機に、自分の長所にさらなるボリュームを与えようと画策していたとしても、私は驚かないわ」

「個人の意志で、再生後のスリーサイズを変えられるわけないじゃないですか!だいいち長所じゃないです!短所です!重いし動きにくいし!」

「いやあああ!なんてイヤミーな娘なの!世界中の貧乳に謝りなさい!」

 峯岸のあまりのしつこさに、先織は半眼で告げた。

「……峯岸さん。殴りますよ」

「じゃあ、やーめた」

 あっさりと引き下がる。それがまた、癇に障る。峯岸舞。彼女は確かに、あらゆる面で完璧だ。ただ彼女は、他人をからかい、小馬鹿にすることを生き甲斐とする、変質的な性格の持ち主だ。峯岸と出会ってから6年。ほぼ毎日、先織は彼女の悪戯の獲物ターゲットとされてきた。そのため、こういったセクハラも日常茶飯事といえばそうなのだが、まさか再生直後で体調が万全でない部下への第一声がセクハラ《それ》とは、呆れるばかりだ。

 深々と溜息をつく先織。それを見て、峯岸は満足そうに笑っていた。悪戯が成功した時に彼女がよく見せる、皮肉に満ちた顔。

(まったく。いつまでも子供じみた人だな)

 内心で上司の愚痴を吐き出す。

 先織はいま、窓のない部屋にいる。情報はそれだけだ。再生から目覚めた時は、決まってこの部屋にいる。正確には、部屋は違うのだろうが、いつも同じ部屋に見える。そして眼が覚めた後は、一日だけ簡単なリハビリをこの部屋で行い、躰に異常がなければ、麻酔で眠らされ、自分の家に帰される。死亡してから再生、日常生活に戻るまで最短で二日。つまり、この時代において死というものは、下手な風邪よりも、短期間で治療できる。その程度のものになっていた。

 そのため、多忙な上司が、仕事でヘマをして死亡した部下を、わざわざ見舞いに来るというのは、腑に落ちないものがあった。

 先織はベッドに腰掛けて、そのことを上司に問いかけた。峯岸は部屋に一脚しかない椅子に座りながら、肩をすくめてこう答えた。

「ちょっと明日はたて込みそうなの。だから今日中に、コルヴォ劇場の報告と今後の対策について、あなたと話しておこうと思ってね。ところで、記憶のバックアップは、規定通り任務前に受けているわね」

 先織は首肯する。峯岸は「それじゃあ」と、スーツのポケットからテープカセットとプレイヤーを取り出して、こちらに放り投げた。

「これは二日前、劇場での任務中に録音した音声記録よ。それで、抜け落ちた記憶を補間しなさい。それが終わり次第、あなたの意見を訊かせてもらうわ」

「……こんなもの、この施設にどうやって持ち込んだんですか?撮影とか録音できるような機材は、身体検査で没収されるはずですが」

「それは内緒。あんたもチクらないでよ。私の首が飛んじゃうから」

 そう言って、峯岸はウィンクをした。

 

 音質はお世辞にも良いものとは言えなかったが、なんとか聞き取ることができた。テープの再生が終わると、先織はイヤホンを取り、プレイヤーをベッドの上に置いた。

 それを見計らい、峯岸が訊いてくる。

「感想は?」

 先織は眼を伏せ、神妙に答える。

「私の責任です」

「ん?」

「ストラスを逃がしたのは私の責任です。私の勝手な行動で……」

「はいストーップ!」

 バコッ!と峯岸の靴底が、先織の顔面に叩きつけられた。あまりの出来事に、先織が言葉を失っていると、峯岸は――足をどけようとせずに――窘めるように言ってくる。

「いま私が聞きたいのは、あなたのしゃちほこばった反省文じゃないの。私の二係に泥引っ掛けてくれたストラスを、どうやって捕まえるかってことなの。非生産的な会話はノーサンキュー。これからどうするべきか、それだけを答えなさい」

 峯岸はそう言ったが、この失敗が、彼女の経歴に傷をつけることは、間違いないだろう。部下の失態は、上司である彼女の責任となる。だがそれを恨みがましく言うようなことは、彼女は決してしない。口ではなんと言おうと、部下を信頼してくれている。それが峯岸舞という人物なのだ。ただ――

「……あの……足どけてもらっていいですか?」

「いくら払う?」

 こういうところがなければ、上司として申し分ないのだが。

 峯岸は――渋々――先織の顔から足をどけた。赤くなった鼻をさすって、先織はキリッと表情を引き締めた。

「ストラスの内通者が警察にいます。その人物が誰なのか調査します」

「あなたが?」

 峯岸は怪訝な表情で訊いてきた。先織は唾の飲み込むと、目覚めたばかりで鈍い頭を必死に回転させる。先織にとって、ここは重要な局面だった。慎重に言葉を紡ぐ。

「客観的に判断して、内通者の可能性が低い私が、調査するべきだと考えています」

「その客観性の根拠は?」

 峯岸の質問に、先織は淀みなく答える。

「私がストラスに殺されたことです」

 峯岸は口に指を当てて、考えこんだ。先織の意見を検討しているのだろう。先織の答えがただの屁理屈であることは、峯岸も気がついているはずだ。しかし現段階では、この程度の判断材料しかないのも、また事実である。それを峯岸がどう判断するのか。

 峯岸は先織をちらりと見上げて口を開く。

「念の為に聞くけど、殺されたことによる私怨で言ってるわけじゃないわよね」

「違います」

 峯岸は「ふうん……」と、納得したようなしてないような、曖昧な相槌をした。先織は内心冷や汗を流して、峯岸の決断を待つ。

 暫くして、峯岸が口を開いた。

「いいわ。どちらにしろ、内通者の存在は無視できないし、調査は必要ね。やりかたは、あなたに任せるから、しっかりね」

「分かりました。……ありがとうございます」

 峯岸の言葉に、ホッとした安堵と、チクリとした罪悪感が入り交じる。峯岸には、ストラスの調査を買って出たのは、私怨ではないと言った。それに嘘はない。だが、個人的な思惑はあった。そのために、峯岸の部下への信頼を利用したのだ。その自身のやり口に、強い嫌悪感を抱く。

(だが……止めるわけにもいかない)

 自分には目的がある。自分の存在理由とも言える目的が。それを果たすまでは、立ち止まれない。

 しかし峯岸を欺いたことは、自分で覚悟していた以上に、胸を締め付けられた。先織はそれを誤魔化すために話題を切り替える。

「ところで……コルヴォ劇場の『器』ですが、無事回収はできたんですか?」

「ええ。全部で237体。春日やら瀬戸やらにボコられたせいで、損傷が激しいのもあるけど、まあそれは問題ないわ。問題なのは、ストラスのやつが『器』に組み込んだ、人工知能AIのほうね」

 峯岸は椅子に座りながら、スラリと長い足を組み替えた。そういった自然な様も、彼女はいちいち画になる。先織は一瞬眼が奪われるも、気を取り直して峯岸の話に集中する。

 峯岸が不満気に口を尖らせて言う。

「春日も言ってたけど、人工知能AIのアルゴリズムと、『器』に知能を組み込む技術は、国の最秘匿情報。それが漏れたとなれば、国の根幹を揺るがしかねない大問題よ」

 峯岸の言葉は、誇張でも大袈裟でもない。純然たる事実だ。いまの人類は、人工知能AIと『器』の二つの技術によって、成り立っている。その支柱とも言える技術が、犯罪組織に漏洩したとなれば、その影響は計り知れない。

「ストラスについては、私たちは情報が決定的に不足している。奴がどういった経歴を持ち、どうやって人工知能AIの技術を知りえたのか、何も分かっていない。内通者もそうだけど、その点の調査も……」

 と、ここで部屋に設置されたスピーカーから、機械的な女性の声が聞こえた。峯岸は話を中断して、その声に耳を傾ける。

「面会時間終了五分前です。係りの者がお迎えにあがりますので、退室の御用意いただきますよう、よろしくお願いします」

 そう言って、アナウンスが終了する。峯岸は「やれやれ」と首を振る。ベッドの上に置いたカセットテープとプレイヤーを懐にしまって、椅子から立ち上がる。

「融通が効かないのよね。ここの連中は。なんにしろ、ストラスの詳細な対策は、おいおい話があると思うから、そのつもりでね」

「はい」

 先織はコクリと頷く。すると、峯岸がふと思い出したように、ポンと手を打った。

「ああ、そうそう。明日には出勤するんでしょ。だったらあなた、春日の奴にちゃんと謝っておきなさいよ」

「春日に?何故ですか」

「あいつ、あなたが死んで、すんごい落ち込んでたんだからね。心配かけたお詫びのひとつぐらい、考えておきなさいよ」

「……あいつが心配性すぎるんです。気にする必要なんてありませんよ」

「つべこべ言わない。命令よ。いいわね」

 峯岸はビシリと指をさして、そう言ってきた。先織は頭を掻きながら、「はあ、分かりました」と曖昧に返事をした。

(……お詫びって言われてもな……)

 先織は眉をひそめて思う。

(まったく、春日も仕方がないヤツだな。たかだか死ぬぐらいで、大袈裟に考え過ぎなんだよ。あいつは)

 死ぬことなどいまの人間にとって、どうということもないのに。

 人間は死を克服したのだから。

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