Bパート


 この『円森荘』に帰ってくる度に思う事がある。


――普通の大学生というのは、家に帰ったら何をするものなのだろう。


 いつもそうだ。授業を終え、あるいはバイトを終え、冷蔵庫の中身が心許なくなる時以外には寄り道をせず、真っ直ぐ家に帰る。

 実に面白みのない、クソがつくほど真面目な生活だ。しかし、世の中というのはこれまた変なもので、そうして生きていてもさっぱり『楽しくない』ものなのだ。


 大なり小なり、人生には必ずイベントが起きる。僕で言えば、そう……高校生活最後の一年がそうだ。

 何の前触れもなく、僕の人生は大きく変わった。と言っても、薔薇色の人生などというリア充の極みのような幸せなどではない。逆だ。かつての聖人や偉人が辿ってきたような、茨だらけの苦難の道。


 突然訪れた、怪獣頻出期の到来。同時に地球に迫る、数多くの侵略者の魔の手。

 そんな中、僕は彼に……ブライトに出会った。


 授業中、通っていた高校近くに突如として現れた怪獣、『β・テスター』。『試験官エグザミナー』が送り込んできた怪獣、実験器具テスターの内の一体だ。ブライト曰く、「人類の怪獣に対する恐怖心を計測する為に生み出された」らしく、Tレックスのような肉食恐竜と同様の姿勢をした、まさに怪獣らしい怪獣だった。自然に存在する怪獣と違い、奴の顔は目と鼻のないトカゲのようであり、口の中には赤い結晶体があった。

 そいつとの遭遇が、僕とブライトの初めての出会いファースト・コンタクトの切っ掛け。

 そしてその時の戦いが、僕の『ブライトマン』としての最初の戦いでもあり、同時にそれから約一年に渡る、命懸けの戦いの日々の幕開けでもあった。


 純粋な光の存在である彼との出会いが不幸だと思った事はない。

 確かに見方によっては、「彼が厄を招いた」と取れるかもしれない。でも、そんな風に考えるほど僕の性格は捻くれてない、つもりだ。

 寧ろ僕は、彼と出会えて本当に良かったとすら思う。


 最初は価値観の違いから、衝突する事も少なくなかった。善なる存在に違いはないのだろうが、あまりにも超然とし過ぎていて、人の心が理解できなかったのだ。

 彼がもし人間として存在していたら、きっとSF小説に出てくる人工知能を擬人化したような人間だったに違いない。

 それから、様々な出会いや戦い、そして別れを経験し、ブライトは人の心を知った。


『人間というのは、どれも酷く未熟で、矛盾した存在なのだな』


 僕と合体して間もない頃にブライトが言ったその言葉は、今でも僕の心に突き刺さっている。昔の聖人と呼ばれるような人間はともかく、今の人間は善意だとか悪意だとか、それだけでは生きていけない。だから未熟で、平気で矛盾した事をする。

 ……でも、だからこそ人間は、のだと思う。


 『例え行動では悪い事をしていても、その心が悪であるとは限らない』。僕がブライトと出会った事で学べた事の一つだ。


 閑話休題。


 まぁつまり。高校生活最後の一年は、ブライトのおかげで―良くも悪くも―毎日が特別だったと言っても過言ではない。

 だが今の僕は……誰の目から見ても、満ち足りてない毎日を送っているようにしか見えないだろう。


 そう、世界が平和になったというのに。元怪獣―今もそうなのかもしれない―のテス子が居候として転がり込んでくるというイベントが起きたというのに。

 ……戦いの日々だったあの頃に焦がれるなんて、まるで戦いを求めてるみたいだな、僕。


「……ってこら。服を着たまま風呂に入るんじゃない」

 夕食後の今もこうして、服を脱がずに風呂に入ろうとするテス子の奇行を制止してはいるが、特に何か面白味があるわけでもない。

 ……一度、友人にもしも・・・と前置きをした上でこの事を話してみたら、「何それ羨まし過ぎんだろ」とか言われたのだが、こっちは手の掛かる娘の世話をしているみたいで、毎日が大変だ。その分、何かしら成長したのが分かると嬉しくなるのもまた事実だが。




******




「全く。いい加減自分で髪を洗えるようにならんものかね……」

 そう愚痴りながら、俺はテス子の黒髪をわしゃわしゃと洗う。明らかにテス子に聞こえるように言ったが、当の本人は意にも介さず。寧ろ気持ちよさそうにしている。鼻歌すら歌わないが、何となく分かる。

 元々、髪の毛が存在しない怪獣だったからなのか、テス子は自分で髪を洗う事をしない。というより、彼女には『洗う』という概念そのものがなかったのだろう。

 最初こそ抵抗されたりしたが、今ではご覧の通り、逆に楽しみにしている節すらある。

「ほら、流すぞ」

 幼い頃の僕も、こんな風に父さんや母さんに洗ってもらったのだろうか。

 どうにも思い出せない記憶をいい加減に思い出そうとしながら、シャンプーを洗い流す。

 すべて流れたのがわかると、テス子はそそくさと浴槽に入ろうとするが――

「待て。まだ体を洗っていないだろう」

 体の垢を落としてないテス子の腕を捕まえる。

 出るところは出て、引き締まったところは引き締まっている身体が、タオルの上からでも分かる。だが、そんなものはどうでもいい。いや、男としてはどうでもよくはないが、保護者としてはどうでもいいのだ。うん。

 ああ、説明し忘れていたが、僕らは普段からこうして、一緒に風呂に入っている。

 破廉恥だと罵られても否定はできないが、仕方あるまい。生憎と、現状周りにそういう事で頼れる女性がいないのだ。お隣は男だし、大家さんはそもそも性別が分からないし(冗談でもなんでもない)。

 一度、一人で無理矢理風呂に突っ込ませて……もとい入らせてみたが、一時間経っても出てこないし、おまけにシャワーの音も水音もしない。

 デリカシーとか諸々が無いのは百も承知で覗いてみると、そこにはいつもの無表情で、バスチェアに座って微動だにしないテス子がいた。

 一通りやり方は教えたのだが、彼女の中で体を洗う事の必要性が見いだせなかったのか、それとも本当にやり方が分からなかったのかは定かではないが、とにかく一人で風呂に入れると何もしない為、こうして一緒に入るようになったのだ。

 怪獣時代の、攻撃をことごとく防ぎ、そして耐性を付けるあの学習能力は、一体どこへ行ったのやら。それとも、やる意味が分からないからなのか? 今の今までほとんど口を開かないから、真意は分からない。こちらの言う事は理解できているようだが、はたしてどこまで理解できているのか。


 ……これで風呂が使えなくなったらどうしよう。今でさえ銭湯デビューさせるには程遠過ぎて、正直不安だ……。

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