わたしという余剰がもたらしたもの

@saiko-CCGQs

家庭が暖かいものだとは限らない

リビングは暖かいようだ。

父、母、姉と兄二人、なにやら祝い事らしく、わいわいと騒いでいる。

そう言えば、部屋に入れられる前に見た限り、テーブルの上にはそこそこのごちそうが用意されていた。


羨ましい、という感情すら、物心ついたときから無かった。

それが当たり前だと思っていたから。

お誕生日パーティー、クリスマス、お正月?

わたしには、全く無縁の話だ。

なんらかの祝い事であるはずなのに、曲がりなりにも、わたしもこの家の子であるはずなのに、まるでわたしのことなど居ないもののように、和気藹々と騒いでいる。


わたしに与えられているものは、母が偽善で拾ってきた猫と、一日1食だけの質素な食事と、カビの臭いの鼻につく、離れという名の小汚い物置小屋だけだった。

洋服は、11も歳の離れた姉のお下がりや、兄のお下がり。新しい服なんて与えてもらったことはなかったし、ランドセルさえお下がりなのだから、わたしもそれが当たり前のことだと思っていた。


もちろん、子供なりにはじめは悲しかった。

泣き叫び、何も悪くなどないのに謝り倒し、それでもうるさいと頬を叩かれたとき、何もかもを諦めた。


両親や兄弟は、そんなわたしの大人びた、というより醒めた思考回路をも、気持ちが悪いと敬遠した。

今のわたしならば、誰がそうさせたのかと食ってかかるところだが、諦めた子供には、そんなくだらないことに一々つっかかることは無意味だった。

毎日、たとえ1食でも食事は貰わなければ生きてはいけないから、母の機嫌を損ねてはいけない。

兄弟の挑発にのれば、怒られるのはなんの罪もないわたしだ。

子供ながらに必死で、とにもかくにも挑発にのらず、母の機嫌を損ねないことに心を砕き、2番目の兄の気持ちの悪い儀式を終えて、やっと安心して眠れる。そんな幼少期だった。

朝起きて、わたしの顔を舐めてくれる猫だけが、幼いわたしの心を支えていた。

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