第10話 無駄な労力を使うのは誰だって好きじゃない

「……天津君」

「何ですか?」

 いっときも予断を許さないという声音で、栗栖が応じてくる。邪魔をしている事に罪悪感を覚えながら、暦は問うた。

「あの、邪悪なるモノってさ……実際、近付いたりしたらどうなの? 危険だったりするの? やっぱり……」

 さっきから破裂音はしているが、何かが壊れた様子は無い。本能で逃げているが、そもそもこれらは霊だ。そう言えば最初に邪悪なるモノが出た時に、ポルターガイストを起こしたり炎を出したりはできないと言っていた。今回は規模が違うので、多少差異はあるかもしれないが。

「物理的な害はありません。以前も言いましたが、基本的には体調が悪くなる程度です。ただ、今回の奴は規模が桁違いですから……うっかり殴られたら肉体は損なわれなくても魂が削れて、最悪死ぬかもしれません」

 ぐるぐるごー。

 腹の虫が再び鳴って、またも雰囲気が台無しになった。栗栖は、顔を赤らめながら呪符を投げる。栗栖と暦に殴りかかろうとしていた腕が破壊された。しかし、数秒もすればまた再生してしまう。

「……あの、さ。とりあえず俺……西園さんのところに行って、何かしてみたいんだけど……良いかな? 天津君の調伏作業の邪魔になるなら、無理にとは言わないけど……」

「待ってました!」

 勢いよく言ってから、栗栖はハッと気付き、ゴホンと咳払いをした。そして、神妙な顔付きで暦に問う。

「そんな……正気ですか、本木さん! 陰陽師の見習いですらない本木さんが、アレの核たる西園さんに近寄るなんて……無茶です!」

「うん、さっきの「待ってました」が無ければ、その言葉で躊躇したんだけどね。寧ろ、「待ってました」で躊躇しそうになったけどね」

 そう言って暦が苦笑すると、栗栖も始末が悪そうに苦笑する。少し気合を入れた様子で呪文を唱えると、邪悪なるモノにくるりと背を向けて、暦の方へと近付いてきた。どうやら、結界を張った様子である。

「一時しのぎ的な結界ですから、あまり長くはもちません。せっかく本木さんがやる気になってくれたので、手短に指示を出しますよ」

「何、その俺のやる気次第で結末が変わりますとでも言いたげな言い方……」

「言いたげといいますか、本当に本木さんのやる気次第で結末が変わりますから」

 そう言うと、栗栖はそれ以上の質問を許さずに西園を指差した。

「承知の通り、この邪悪なるモノは西園さんの不安などから生まれた負の感情を核にして発生しています。この核がある限り、邪悪なるモノはどれだけ破壊しても再生を繰り返してしまい、完全な調伏には至りません。寧ろ、体力が削れてくる分、僕達が不利になっていきます」

 暦が頷き、栗栖もまた頷いた。

「つまり、核を何とかしなければ、いつまで経っても終わらない。下手したら最悪死ぬ、って事だよね?」

「そうです。そして、何度も言いますが、核とは西園さんの負の感情。それを何とか消し去らなければ、核の破壊には至りません。本木さんにお願いしたいのは、西園さんの負の感情を払拭する事……つまり……」

「……つまり?」

 結界まで張って話した割に、比較的誰でも考えそうな事しか言っていない。そして、今までの流れと、この店での己の扱いを鑑みて、暦はこの後の展開を読み取った。声が、早くも疲れている。

「西園さんの説得、ちゃちゃっと手早く華麗にお願いしますっ!」

 叫ぶや否や、栗栖は暦を西園の方へと突き飛ばした。二人を包んでいた結界を越え、邪悪なるモノに攻撃する暇も与えないうちに西園の横へと転がり込む。

 普段は狭くて作業がし難いバックヤードだが、今日に限ってはこの狭さに感謝せざるを得ない。核が壊れてはまずいからか、邪悪なるモノ達は西園には攻撃を仕掛ける素振りを見せない。西園の横に来た以上、とりあえず暦の生命は今後安心だ。

 横に倒れ込んできた暦を、西園は不安そうな顔で見詰めている。手にはスマートフォン。両手でギュッと握りしめている。

 手に半分隠されているが、先ほど気付いたプリクラの詳細が見えた。割と大きなサイズのプリクラだ。恐らく、全身を写すタイプの物なのだろう。手で半分隠れているにも関わらず、腰から上が確認できる。

 写っているのは、二人。片方は西園。もう片方は知らない顔だが、とりあえずイケメンだ。髪を茶色く染めていて、気障なデザインのピアスをしている。制服も腹立たしいほどカッコ良く着崩していて、遊び慣れている印象だ。

「……この、横に写ってるのが……例の〝彼氏〟?」

 プリクラを指差して問うと、西園は恐る恐る頷いた。それに対して、暦は「そっか」と緩く笑って見せる。

「たしかに、すごいイケメンだね。男の俺から見てもイケメンだと思えるんだから、女の子からしたら、ものすごくカッコよく見えるんだろうな」

 今度は、先ほどよりも強めに頷かれた。「なるほど」と暦は苦笑する。

「本当に、すごく人気があるんだね。そりゃあ、〝彼女〟の立場からすれば気が気じゃなくなるわけだ」

 力無く、頷いてきた。先ほどから、西園は一言も声を発していない。今の状況についていけていないのか、暦に不安を言い当てられたショックから何事も考えられなくなっているのか。はたまた、その両方か。

 ならば、と暦は考えた。思考停止状態になっている人間をどれだけ説得しようが、どれだけ優しい言葉をかけ続けようが、その言葉は心の奥まで届かない。

 ましてや、暦は西園と初対面であり、しかも万引き犯と店員という関係だ。ここで暦が何を言ったところで、「お前に何がわかる」で終わってしまうだろう。

「西園さんはさ、どんな経緯で、この人の〝彼女〟になったのかな?」

 西園が、不意に視線を上げて考える表情をした。いける、と、暦は密かに思う。

「それは……〝彼氏〟が一緒に遊びに行こう、って誘ってくれて……私、前から〝彼氏〟の事が好きだったから、嬉しくて……」

 ぽつりぽつりと、小さいながらもはっきりと聞こえる声で西園が呟き出した。暦はそれに、「うん……うん……」と小さく相槌だけをして見せる。

「それで、遊びに行った先で、〝彼氏〟に私の事を「彼女か?」って訊く人がいて……〝彼氏〟が「そうだよ」って、言ってくれて……」

「うん……」

「私なんかが彼女なんて、冗談でも言って良いのかって訊いたら、〝彼氏〟……「うん」って……。「お前が彼女で、何の問題があるわけ?」って……」

「……うん……」

 暦が頷くと、西園は不安そうに俯いた。

「だから……〝彼氏〟と〝彼女〟の関係なんだって、思うんだけど……」

 その様子から、自信が無い事が窺える。〝彼氏〟が他の女子にも似たような事を言っているか、西園以外の女子とも気軽に遊びに行っているか。それとも西園が彼女になってからも告白する女子が後を絶たなかったり、それに〝彼氏〟もまんざらではなさそうだったり、か。理由はいくらでも思い付きそうだ。

 西園の言葉が途切れた。「どんな経緯で」というお題で語れる事が尽きたのかもしれない。ならば、新しいお題を提供するまでだ。

「前から、その〝彼氏〟が好きだったって言ったよね? どんなとこが好きなのかな?」

 正直、さっきの問いと言い、初対面の人間に話すような事ではないと思う。しかし、不安と混乱で思考が上手く働いていないからか。それともとにかく誰でも良いから話して、不安や不満をぶつけたいという心理でも働いているのか。西園は比較的素直に問いに答えてくれる。

「……顔が、カッコ良かったから」

「うん。……他には?」

「他……ほか……」

 うーん……と唸る西園の顔から、不安の陰がほんの少しだけ消えた。暦は、心の中で僅かにガッツポーズをする。

 不安で思考停止状態になっているのであれば、下手に慰めるよりも、何か具体的に質問をして無理やりにでも思考を働かせるようにした方が良いという暦の読みは当たったようだ。誰にでも当てはまる事ではないが、西園の場合はこれで良かったらしい。

 やがて、西園が「あれ?」と首を傾げた。

「顔がカッコ良い以外に……どこを好きになったんだっけ?」

 暦は思わず「えっ」と呟いた。あそこまで〝彼氏〟から捨てられないか不安がっていたのだ。いくらなんでも好きになった理由が顔だけとは思わない。

「ほっ……他にもあるんじゃない? ほら、その……声とか」

「声……うん、〝彼氏〟の声、カッコ良いよ。聴いてると、シビれるもん」

「スポーツマンでカッコ良いとか」

「うーん……〝彼氏〟、スポーツマンって感じじゃないんだよね。体育の授業、よくサボってるし」

「歩く姿がビシッとしててカッコ良いとか」

「えー……? 歩く姿はカッコ良くないかも。何か、いつも気だるげだし」

「優しいとか……」

「そんなに優しくないかも。記念日覚えてないし、気も利かないし……」

「えーっと、それじゃあ……えーと……」

 何故自分は、会った事も無い――しかもチャラそうであり、確実に己とは相容れなさそうな男子高校生のカッコ良いところを必死になって探そうとしているのだろうか。話の流れとは言え、納得がいかない。そして、それは西園も疑問に思ったらしい。

「……ねぇ、オニーサンさぁ。何でそんな必死になって、私の〝彼氏〟のカッコ良いトコ探そうとしてるワケ? オニーサン、ガチな人? あそこの何か色々と若気のイタリをこじらせてるっぽい変なオニーサンが言うところの、衆道?」

「違うよ! 何でそうなるの! 万引きされた本の内容がまさかこの会話への伏線!?」

「オニーサン、本の読み過ぎで現実と二次元がごっちゃになってるんじゃない? 現実で伏線なんて張られるわけ無いし」

「……あ、うん。そうですね、はい……」

 申し訳なさそうに縮こまる暦に、西園が吹き出した。ぽかんとしている暦を余所に、クックッと笑いを堪え、次第に堪えきれなくなり、終いにはゲラゲラと笑い出す。

「押し弱過ぎ! カッコ悪っ!」

 しばし唖然としていた暦は、その言葉でハッと我に返った。そして、少しだけムッとして見せる。

「カッコ悪くて、悪かったね。そりゃ、俺は西園さんの〝彼氏〟と比べたらカッコ悪いよ。バレンタインに母親以外からチョコレート貰った事無いし、卒業式で第二ボタンを欲しがられる事も桜の木の下に呼び出される事も無かったよ」

「なんで卒業式に桜の木の下に呼び出すの? 三月上旬じゃまだ咲いてないし、全然ロマンチックじゃないじゃん。意味わかんない」

「……何でだろうね?」

 疲れたように首を傾げる暦に、西園はまたケラケラと笑う。その様子に、暦もつられるように笑い出した。その時だ。

「今だよ、天津君! 奴の懐はがら空きだ!」

「はい! 今こそ、悪しき魂を封じる時! 臨める兵、闘う者、皆陣破れて前に在り!」

 ……どこからツッコミを入れれば良いのかわからないので、まずはツッコミどころを整理しよう。

 その一。何故栗栖と松山の二人は、アニメのコンビネーションバトルのような掛け合いをしているのか。

 その二。狭いバックヤードで、暦は栗栖達の目の前にいる。西園との会話や雰囲気も全て伝わっているはずだ。何故ここで、敢えて空気を完全に粉砕するような事をするのか。

 その三。調伏とは悪しき魂を封じる事ではなくて、倒す事だったように思うのだが、暦の認識違いだっただろうか。

 その四。二川はどうした。こんな時に栗栖と松山の暴走を止めるのは、暦が西園にかかりきりになっていた以上二川の仕事なのではなかろうか。

 視線だけで、二川の姿を探す。いた。いつの間にかロッカールームを兼ねた休憩室に避難して、インスタントの紅茶を淹れて飲んでいる。

「ちょっと、二川さん……」

「お湯、余分ありますけど本木さんも飲みます?」

「あ、うん。ちょうだい……じゃなくって!」

「無駄な労力を使うの、好きじゃないんですよ。アレらを止められるのなんて、この店じゃ本木さんだけです」

「……いや、俺も止める自信は無いよ?」

「訂正します。めげずにアレにツッコミを入れ続ける根気があるのは、この店じゃ本木さんだけです。因みにこれ、褒め言葉ですから」

「お褒めの言葉をありがとう。けど、できれば俺以外の人にもめげずにツッコミを入れる根気を身に付けて欲しい」

「さっきも言いましたけど、無駄な労力を使うの、好きじゃないんですよ」

「俺だって好きじゃないよ?」

 終わりの見えない二人のやり取りに、西園がまたも笑い出した。先ほどまでの不安な様子は、もう微塵も見えない。暦は二川と顔を見合わせ、ホッと笑った。

「流石ですね、本木さん! こんなに手際良く、西園さんの不安を取り除く事ができるなんて……期待以上です! あ、二川さん。僕にも紅茶を頂けますか?」

「うわっ!?」

 いきなり背後から声をかけてきた栗栖に、暦は声を裏返らせながら跳び上がった。西園は西園で、驚いて固まっている。

 二川から紅茶の入った湯呑を受け取る栗栖は、ニコニコと笑っている。そして、ニコニコと笑いながら、その顔を西園へと向けた。

「ところで、西園さん。こうしてとりあえず落ち着いて、貴女の心の整理も多少はできたかもしれないところで……松山店長や本木さん、二川さん。ついでに僕にも、何か言う事は無いですか? 整理がついた頭で、この店に来てから自分がやった事をよく思い返してみてくださいよ」

 言われて、西園はまず「えっ?」という顔をした。それから「あっ……」と顔を強張らせる。休憩室から出て、音妙堂のスタッフ全員を見る事ができる場所に体を移して。そして、深々と頭を下げた。

「あの、えっと……ごめんなさい!」

 勢いよく下げられた頭と、発せられた言葉に、暦は目を丸くして首を傾げた。横を見れば、松山や二川が呆れた顔をしている。

「本木君……まさか、元々何してたか忘れちゃたわけ?」

「何で私達がずっとバックヤードにいると思ってるんですか? どうしてバイトでも無い女子高生がバックヤードにいると思ってるんですか?」

「あ」

 そう言えば、そもそも西園が万引きをしたので、バックヤードに連行して話を聞こうとしていたのだった。何とかして西園の不安を取り除く事を考えていたせいか、本来の目的をすっかり忘れていた暦である。

 しかし、不安を取り除いた事で西園の頭も整理がつき、自分が何をしてしまったのか理解して反省してくれた様子だ。そう考えると、自分は結構良い仕事をしたのだな、と暦は妙に誇らしい気分になってくる。

「じゃ、そういうわけだから警察の人、呼び入れるよ。バックヤードから出る扉を開けたら、この部屋の時間軸を狂わせてくれる素敵な結界も解けるんだったよね?」

「はい」

 そう言うと、松山と返事をした栗栖は容赦無く扉を開け、既に顔見知りを通り越して仲良くなっている警察官を招き入れている。鬼か。

「それはそれ、これはこれ、ですよ」

「反省してくれてるのは大いに結構だけど、ちゃんと社会的制裁は受けないとねぇ」

 唖然としている暦に、西園は始末が悪そうに苦笑した。

「仕方ないか。万引きが悪いって事は、私も知ってたんだし」

「えーっと……西園さん? 今日の事で、後から何か言われたり、思い出して複雑な気持ちになっちゃったりするかもしれないけど、あまり思い悩まないようにね?」

 思わず言った暦の言葉に、西園はきょとんとした。そして、「うん」と言って破顔する。

「〝彼氏〟の事とか、もっとちゃんと考えてみる。ありがとね、本木さん」

 そう言うと、西園は大人しく警察官に引き渡され、バックヤードを出て行った。その後ろ姿を眺める暦を、横から栗栖が眺めている。「ふむ」と唸った。

「やっぱり、素質がある。それにしても……一ヶ月前の大量万引き事件に、今回のような強力な負の力を心にため込んだ万引き犯の発生……これは、偶然なんだろうか? この本屋ばかりが、何か邪悪な存在に目を付けられているような……」

 ぐるりと、暦が栗栖の方へと顔を向けた。

「だから、不吉なモノローグを呟くんじゃない」

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