約束。

池崎心渉って書いていけざきあいる☆

 遊園地に行く約束をした。

 どこの、とか何時に、といった細かいところは覚えていない。

 ただ、相手は間違いなく彼だった。

 指きりしたとかではなく、「行こう」と口頭で、軽い調子で約束した。子ども同士みたいに。

 待ち合わせの場所も決まっていて、私はとても緊張していた。

 ペディキュアの色、どれにしよう?

 毎日磨いている爪だけれど、見られるのは恥ずかしい。いっそ隠してしまおうかと思うくらいに。

 だけど、彼が私のことを好きならきっと、いちばんに見たがるに違いないのは分かっていた。

 響也さんは、足フェチなのだ。というより、足の爪フェチ。ブログにしょっちゅう書いている。レンタルして見たアダルトDVDの女優の足の爪がひび割れていた、とか。いっしょにベッドに入った相手のペディキュアがはげかけていたら幻滅する、とか。

 ヒトの足の爪ばかり気にかけているだけあって、彼自身の爪はもちろん、とてもきれい。浜辺に落ちている、貝殻みたいだ。滑らかで優しい色をしている。毎日ケアして、ペディキュアを塗っているのだという。汚れなんて一ミリぶんも見当たらないし、割れもささくれも当然ない。

 足の爪だけでなく、身体全体がきれいな人なのだ。写真などで公開してくれているところ以外は、想像するしかないけれど。美意識が高い人だから、非の打ちどころもないくらい、どこもかしこも完璧なんだと思う。

 遊園地へ向かうバスの中、窓に頭をあずけて目を閉じていたら、待ち合わせ場所に着く前に、現実の意識が戻ってきてしまった。

 約束したこともこれから会うことも、彼が私を「荒瀬有紀」だと認識した上で見つめてくれたことも、ぜんぶ夢だったのである。

 夢でよかったとほっとする一方で、私は悔しくてたまらなかった。



 遊園地へ行く夢を見たのは、高校二年生のころだ。響也さんが「遊園地でのイベントにゲストで呼ばれて演奏した」とブログに書いているのを、寝る前に読んだせいかもしれない。

 高校生の私は、同級生の男子の誰も好きにならず、五つ上の響也さんのことばかり考えている女だった。とはいえ、「響也さんと結婚したい、つきあいたい」と恋愛的な目線で見ていたわけではなく、響也さんがメジャーデビューできるかとか、夢である日本武道館でのライブができるようになるかとか、そういうことばかり気にかけていたのだ。

 響也さんは関東のアマチュアバンドのボーカルで、私は関西圏の小さな町の女子高生だった。東京の従姉妹の家に泊まりに行ったときに、たまたまライブハウスに寄って、彼の歌を聴いたのが、『リップサーヴィス』のファンになるきっかけだった。

 私はそれまであまり音楽に興味を持っていなかったし、今も彼ら以外のインディーズバンドにはほとんど関心がない。

 彼の歌を初めて聴いたとき、私はそのみごとな巻き舌の心地よさに絡め取られた。これ以上聴くまいと思っても、無理だった。頭の中にその声とフレーズが刻み込まれて、ライブが終わった後もずっと響き続けていた。

 枚数限定で自主制作したというCDを帰りに購入し、ぼうっとして駅の名も分からないまま、私は電車に乗り込んだ。迎えに来てくれた従姉妹が心配して、「有紀ちゃん、調子が悪いんじゃないの」と交代で覗き込んできた。

 私には、今あったことを説明するエネルギーもすでになく、『リップサーヴィス』との出会いに関しては、未だに誰にも話していないままだ。

 隠れファンとしてひっそり、ネット上などで応援し続けて、もうすぐ八年になる。高校一年生のときからだから、私ももう二十四歳。バンドのメンバーも入れ替わり、この間ギターの人が抜けたので、今は四人で活動している。

 ライブがあると分かればどんなに忙しくても休みを取れるよう調整するのだが、その熱意のわけに関しては同僚にも話していない。

「もしかしてジャニーズですか? それか、韓流の?」

 詮索されたら、曖昧に笑ってごまかすことにしている。

 彼らの音楽はすばらしいと思うからたくさんの人に聴いてほしいけど、あまりに大っぴらに「布教活動」するのは恥ずかしい。何かにハマッているというと、ちょっとイタいヒトと思われて、引かれてしまうこともあるし。

 響也さんのことは、誰にもナイショにしておいたほうがいい。親に隠れて、倉庫でこっそり仔犬を飼う子どもみたいに。この感情が化石になって、私自身もおばあさんになってしまうまで、秘密にしておこうと思う。

 私は淡いピンク色に塗った爪の中に、自分だけの秘密もそっといっしょに塗り込めた。

 

 

 結婚しろ、とはさすがにまだ言われないけれど、一度も彼氏ができたことがない私を、両親も姉も不思議がっている。お姉ちゃんも決してモテたほうじゃないし、お父さんとお母さんは見合い結婚なのに、なぜ、私が彼氏なんか連れてくると思い込んでいるんだろう。

 私は、実家住まいの窮屈さから目をそらすように、自分の部屋で響也さんのことばかり考えていた。休みの日はCDを聴いて、パソコンを起動してブログをチェックする。現在の『リップサーヴィス』のメンバーは、全員ブログをやっているのだ。毎日、音楽活動についてとか、服を買いに行った話とか、載せている。

 響也さんはその中で、いちばん素直で赤裸々な日記をつけていた。もっとも、何が真実かなんて私には分からないのだから、要するに「そんな気がする」というだけだ。大手事務所に所属する芸能人やアーティストはもちろんのこと、地方の有名人レベルの人でも、反感を買わないで万人受けするよう、ブログには害のないことしか書かない。何がおいしかったとか、次の仕事の宣伝とか、あたりさわりがなくて、誰が読んでも苦情などきそうもないことばかりだ。行った場所や関わった人にしても、おかしなファンなどに特定されないように、地名や人名をさりげなくぼかしている。

 それが、響也さんは違う。

 食事した店は、看板の写真つきでアップするし、いっしょにいた相手のことはかなり細かく書いている。何をしたか、どこにいたか、どう思ったか。楽しいことだけじゃなく、腹が立ったことや悲しかったことまで、けっこうリアルに記録している。

 見られている、という意識がないわけではないだろう。ときどき、私たちに向かって呼びかけてくるのだから。それに、誰からのコメントも受け入れる設定にしてあるので、その気になればファンのほうからも声をかけられる。

 ただ、『リップサーヴィス』の知名度はそれほど高くはないので、コメントが多い日でも、せいぜい十数件だ。私はといえば、彼に直接話しかける勇気がなくて、一度も書き込んだことはない。案外、そういうシャイなファンのほうが多いのかもしれない。

 私は、どんな本を読むよりも、どんなテレビ番組を見るよりも、響也さんのブログをチェックするのが楽しみになっていた。昔は読書もテレビも好きだったけれど、最近は与えられる情報に疲れている。どれもこれも、「仕掛け人」と呼ばれる誰かが仕組んだものばかりのように思えてしまって。このごろ、生活に必要なもの以外はほとんど何も買っていない。

「売れ線」に乗っけて新しい「流行」を作ろうともくろむ誰かが放った情報よりも、響也さんの日常のほうがずっとおもしろかった。

 たとえば、十月二十一日の。

『今日、猫を拾った。汚い雑種。りょーの家のカーペットみたいな。

 さっそく爪の手入れしてやろうと思って腕掴んだら、ひっかかれた(泣)

 なによー、このバカ力。いやんなっちゃうにゃん。

 とにかく、寝てる間にね、一本ずつ、ネイルアートしてあげようと思うの。ネズミと魚とどっちがいいかなぁー』

 すごくたわいない。

 添えられている写真がその猫らしくて、ぶすっとしてるけどけっこう可愛かった。

 ドラムのりょーさんがさっそく、「俺んちのカーペットは汚くないよ、年代物なだけだよ☆」とコメントを寄せている。

「猫にネイルアートなんて、おまえ(笑)」と、べつの音楽仲間も書き込んでいるが、さすがにそれは冗談だろう。

 微笑ましいな、と思ったら、その三日後の日記にどんっと突き落される。

『なんつーか、もう最悪です。イベントに出たんですけど、楽屋いっしょに使ってた奴らがマジサイテーで、酔っ払って騒いでるし。

 俺らの楽譜踏むなよー(怒)

 司会役の女も、爪汚すぎ。なんでそんなに不健康そーな爪してんだよ。野菜食べてる?

 リハでは普通に三曲分の時間あったのに、なんで最後の曲が収まらないんだ???

 生中継終わりですって合図してくる、ローカル局のAD? ウゼー。やっぱあれかな、アイツらが演奏とちりまくって何回もやり直したからかなー。

 リップサーヴィス、今日は災難でした。

 みんな、打ち上げで憂さ晴らししよーぜー』

 私もこのイベントは観に行ったけれど、運営側の手際の悪さが透けてみえて、いまいち楽しめなかった。アイツら、というのは同じステージで先に演奏した『ナビゲーション』というバンドだろう。楽屋でも態度が悪かったなんて。他のメンバーは、出演したという事実しか書いていなかったから、彼の日記を読まなければ裏であったことは分からなかっただろう。

 何より、私がショックだったのは、彼が、ごく短い時間しか関わらなかった女性司会者の爪の様子をよく見ていることだ。爪フェチの響也さんだからしかたないのかもしれないが、思わず自分も、爪が汚くないか確認してしまう。

 プロフィールの「キライな女性のタイプ」のところにも「爪が汚い女☆」と書いているくらいだから、爪にはよっぽどこだわりがあるのだろう。

 そういえば、日記にはほぼ登場しない響也さんの彼女は、とても爪がきれいな女性だった気がする。彼は、何かあってはいけないからと彼女の存在は伏せておきたかったらしいのだが、音楽仲間の一人が、ホームパーティーを開いた際に撮った写真を、自身のブログに上げてしまったのだ。

『じゃーん。響也のカノジョの真由奈さん☆ネイル美人、声も美人、でも響也が触らせてくれません(涙)』

 私はその記事で初めて響也さんの彼女のことを知り、写真を見た。とてもきれい、というよりは、どこにでもいそうな、感じのよい女性だった。もちろん、私とはかけ離れたタイプだったけれど、そのことはべつにショックでも何でもない。真っ先に爪を見て、やっぱり爪がきれいな人が好きなんだなと思っただけだ。

 しかし、記事は数時間もしないうちに削除されてしまった。どうやら、響也さん自身が削除してくれるように頼んだらしい。自分のことはよくても、一般人である彼女の写真は見られたくなかったのだろう。迅速な対応のおかげで、おかしなファンの目にも止まらなかったようだ。

 以降も、響也さんは、ライブでもブログでも、フリーのような姿勢を取り続けている。私を含め、うっかり知ってしまった人も、もちろん知らないふりをし続けている。



 ブログを読んで、CDを聴いて、ライブやイベントに足を運んで。ファンが好きなアーティストに関してできるのは、そのくらいのことだ。中には、プレゼントや手紙を熱心に贈っている人もいるようだけど、はっきり言ってムダ。やっぱり捨ててしまう人も多いし、受け取ってくれたからといって、距離が縮まるわけではない。

 私も、自分がファンでいることを響也さんに知らせる行為はいっさいしなかった。響也さんに向ける想いがどういうものなのか、実は自分でもよく分からなかった。十代のころから、「恋」ではなかったし、その疑似行為でもなかった。遊園地にいっしょに行く夢は見たけれど、それ以降は何もない。響也さんに彼女がいると、知ってしまったせいもあるかもしれないけれど、それだけではない。

 私はただ、飼っている金魚が餌を食べる様子を見守るように、一方的に響也さんを見ることができればそれでよかった。歌やイベントで声を聴き、存在を確認し、響也さんに関する知識を集めていければ、満足だった。

 二十代半ばも目前だというのに、私には他の支柱が一つもない。仕事もデキるほうではないし、私でなければ、というような作業はおそらくないだろう。何だって、交代がきく。私が明日「やめる」と言いだしたって、惹きとめる人はたぶんいない。

 彼氏もいないし、実はできたことがない。できそうになったことは何度かあったが、そんな気持ちになれなかった。受験とか就活とか、愛みたいなふわふわしたものとは対極にあるものが厳しすぎて、時間も感情も取られすぎて、それどころじゃなかったのだ。

 けれど、響也さんを想う余裕だけは何とか確保されていた。最低限。

 だって、響也さんは待ってくれる。ゲームの「セーブ」機能みたいに。私がへたっているときだって、慰めてくれない代わりに、責めたりいらないことを言ったりしない。私はただ、気力が回復するのを待って、響也さんにアクセスするだけでよかった。その巻き舌で、再び自分らしい「生」を取り戻せた。

 誰かのファンでいることなんて、とバカにされることもあるし、世間では白い目で見られるのだろうが、その代わりを務められるような娯楽は他にはない。身近な人に恋したりして、現実の生活であれこれ動かすのは、疲れるし損することも多いのでもういやだ。男でも、そういう人は多いと思う。私たちは、明らかに、上の世代の人たちとは違うのだ。もう何も、増やせる予感がしていない。これからはきっと、減っていくばかりだ。だからこそ、あまりエネルギーを消費せずに蓄えておきたいのだ。恋愛だってしなくていいし、結婚もリスクなら、無縁でいたい。

 それでも、わずかで些細なときめきだけは、大切にしたい。私にとってはそれが、響也さんなのだ。

 私は響也さんに対して、何も望んでいなかった。音楽にくわしいわけでもないから、音楽性がどうのとか今後のこととか、要望を出せる立場になかったし。見つめ返してくれとも願っていなかったし、自分の夢を託したりもしなかった。私はただ、響也さんを見ていられれば、それ以上の夢や希望はなかった。

 遊園地の夢が今も強烈に記憶に残っているのは、自分の気持ちとは違う方向の光景に、びっくりしてしまったからかもしれない。



『リップサーヴィス』は、コアなファンは得ているものの、なかなかメジャーにはならなかった。リーダーの凛さんは焦っているようだったが、響也さんは相変わらずマイペースにブログを更新している。

『今日はネイルサロンへWENT☆ 行きつけの店が畳んじゃったので、新規開拓だぜ。ブルー地に五線譜を頼んだ。見てみ、左の小指がト音記号、そこからドレミファソラシドで、右手の小指が四分休符でー、カンペキね☆足もやってるんで、そーぞーして萌えてください(笑)。写真は俺の手(上)、担当のミシアさん(下)』

 上機嫌の記事とアップされた写真を、いつものようにすみずみまで見ていたら、見つけてしまった。お店の名前。ギブスハート、というらしい。

 行った先の看板まで写して、詳細を見せてくれるのはいつものことだけど、大好きな「爪」に関する店は特別なはずだ。行きつけになれば、何度もそこへ足を運ぶだろうし、ファンとしてはやはり、同じ店で同じ施術を受けてみたいと思ってしまう。

 響也さんは、見る側のそんな心理などまるで予測できないのか、無邪気なくらい正直に、自分の行動を書き連ねていた。

 私はもちろん、どんな情報を得ても、実際に彼と顔を合わせてしまうのが怖いので、同じ場所には足を運ばない。関東と関西で距離があるからというのももちろんだけど、ライブなどで東京へ行った際にも、響也さんの気に入っている店には行かないようにしている。進学や就職のときに上京しなかったのも、「偶然出会うかもしれない」という緊張感が日々続くことに、耐えられそうになかったからだ。

 ファンの中では、実際に、好きなアーティストなどの行きつけの店で待ち伏せして、彼が来るのをずっと待っている人もけっこういる。インディーズのあまり売れていない人だと、快くいっしょに写真を撮ってくれたりすることも多いそうだ。

 響也さんもそうらしく、「ファンの○○ちゃんと☆」というコメントを添えて、ふざけたポーズで撮った写真をときどきアップしている。そんな写真を見ると、彼に近づく勇気もない私は、なぜか胸が苦しくなった。べつに、響也さんと写真を撮りたいと思っているわけでも、写真の女のコに嫉妬しているわけでもないのに。

 自分がもっと美人で、自信が持てたらきっと、あれこれ悩まずに近づくことができただろう。そんな想いが常に、胸の奥底に潜んでいるからだろうか。

 二十歳を過ぎた辺りから、響也さんに向ける想いが時折揺れるのを、私は見て見ぬふりでやり過ごしていた。十代のころは「恋ではない」と胸を張って言えたのに、今ではときどき、「恋かもしれない」という不安に襲われている。手の届かない人を本気で好きになるなんてイタすぎるし、不毛だ。二十代も半ばなのに、なぜ身近な人の誰にも目が行かずに、こうして追っかけばかりしているのだろう。

 少なくとも、単純な現実逃避なんかではなかった。響也さんの歌を聴いていても、現実は常に私のまわりにあった。ブログを見ているときだって、同僚から電話が来るし、友人とメールしながらのときもある。

 私と響也さんの間には何のつながりもなくて、要するに私は、飼っている金魚を水槽越しに覗く少女と同じことをしているだけだ。

 それなのにどうして、まるでリアルな交際をしているように、気持ちが揺れたりするのだろう。だいぶ長いことやっているのに、私には未だに、ファン心理のメカニズムが分からない。



『リップサーヴィス』がヤバイらしいというのは、ちょうど三十回目の逢瀬の後に、他のファンのサイトを訪問して知った。逢瀬といっても要はライブで、私と響也さん二人きりではないのだが、自分の中では、ナマで彼を見ることを指して「逢瀬」と言っている。

『リップサーヴィス』解散間近、という嘘であってほしい情報を載せていたファンは、『リップサーヴィス』結成直後からの古株で、誰より情報が早いことで有名だった。リーダーの凛さんと同級生だそうで、彼らの行きつけの居酒屋で働いているらしい。

 彼女のブログによれば、ベースのユキヤさんが、交際相手を妊娠させてしまい、相手の親に責任を取るよう迫られているそうだ。他のメンバーもそれぞれに事情があり、一時的に音楽から離れなければならない状況なのだという。

『まだはっきり分かんないけど、続けてほしいよねー』

 詳しくは分からないが、ブログを見るかぎり、この女性も、情報公開についてあまり慎重ではないらしい。自分の写真はもちろん、友人のプライベートな話まで、かなり赤裸々に綴っている。ミクシィやフェイスブックといったSNSが普及しきった現代だから、気軽に投稿できることに慣れてしまって、抵抗感が薄くなってしまっているのかもしれない。

 私みたいなファンには、貴重な情報源としてありがたい存在だったが、本人たちにしてみればどうだろう、迷惑だったかもしれない。凛さんたちメンバーのブログを順番に見てみたが、みんな今までと変わりなく、楽しそうに過ごしているようだった。

 何でも素直に書く響也さんでさえ、解散に関することは何も書いていなかった。ただ、以前より更新の間隔が開くようになり、写真も少なくなった。見ようによっては、何かを考えているようにとれないこともなかった。

 私は、あまりに長い期間彼らを見て過ごしてきたせいもあって、『リップサーヴィス』のいない世界というのが想像できなくなっていた。解散、という文字をちらつかされても、それを現実として認識できないでいる。

 どうしてこれまで、そういう日が来ることを考えずに来てしまったんだろう。恋愛だって、別れの日が来たり相手に飽きてしまったりしていつか終わるのに、インディーズバンドなんて不安定なものならなおさらだ。『リップサーヴィス』が解散したら、響也さんは、私の視界から消えてしまう。いつまでも見守っていたい、できればもっと大きく育ってほしいという願いは、あまりにあっけなく吹き消されてしまうのだ。

 そのことをはっきり認識してから、私は、詳細不明の情報に気をとられて、仕事が上の空になった。ミスが増え、後輩にまで迷惑をかけてしまった上に、何でもないときに突然涙が噴き出てくるのを止められなくて、困った。

 いい年をした大人が泣くのなんてみっともないし、周囲を動揺させるよくない癖だと分かっているのに、めったに泣かないはずの私が、ランチタイムや会議中に、何の理由もなく泣いてしまった。もちろん、声をあげて泣くわけではなく、瞳を潤ませるだけだけど。

 不審がる周囲には、アレルギーだ、というしかなかった。今は花粉症の季節じゃないけど、みんな深く追及しなかった。

 私は、自分がなぜ泣くのか、正直なところ分からなかった。もちろん、彼を見られなくなることがつらいのは確かなんだけど、それにしたって。失恋でもないし、死を悼んでいるのでもない。私の中で『リップサーヴィス』は、それほどまでに大きな位置を占めるようになっていたのだろうか。

 まだ、解散するって決まったわけじゃないのに。現に、同じサイトを見たファンから、ブログのコメント欄を使ってそのことを尋ねられたメンバーは、否定していた。

 まもなく、凛さんの同級生のサイトは閉鎖した。少数だが熱心すぎるファンが押しかけて、コメント欄で繰り返し彼女を問い詰めたので、軽い「炎上」状態になり、いやけがさしたらしい。

 おかげで、私たち一般のファンが、彼らに近い場所からの情報を得ることはできなくなった。

 その間も、響也さんは、短い文だけのブログを数日おきに更新し続けていた。たわいないことばかりで、核心みたいなものは何も見えてこない日記だった。

 何ごともなく穏やかに時が流れ、ファンのほとんどが「解散説」のことを忘れかけたころ、ミニライブが行われるという告知があった。私もそのころには平常心を取り戻し、会社でも家でも電車の中でも、ほとんど泣かなくなっていた。

 ……だから。

 まさかそのライブの最後に、あの噂が本当になるとは、思っていなかった。

「実は今日、僕たちの最後の日です」

 リーダーの凛さんが、改まった口調で言った瞬間、狭い会場がしんと静まりかえった。

「どういうこと、解散するってこと?」

 悲痛な声で叫んだファンに、顔を見合わせたメンバーが、困ったように答える。

「そういうことになります」

「俺たちの都合で、みんなをがっかりさせてごめん」

「みんなといっしょに、メジャーへ行くっていう夢、叶えたかったけど、いろいろあって、だめになってしまいました」

「もちろん、またいつか夢の続きが見られる日が来たら、そのときは応援してほしいと思う」

 凛さんも、りょーさんも、響也さんも、○○さんも泣いていた。集まったファンももちろん、彼ら以上に激しく泣いていた。

 私も、こんなところで泣くまいと懸命にブレーキをかけたのに瞳がいうことをきかなくて、思いきり泣いてしまった。

 会場が小さくてとても距離が近いから、泣いている顔が響也さんから見えてしまったかもしれなかった。一生の不覚だとおもったけど、最後なんだからしかたがない。

 遊園地に行く夢がこれで、永遠にかなわなくなってしまう、と考えたら涙がどんどんあふれた。もともとキョウやさんと私は何の関係もないまったくの他人で、これからだって指一本触れあうことも、きょうやさんが私のネイルを褒めてくれることも指を掴んでくれることも、ぜったいにないに決まっているのに、なぜか、いつかあるような気がしていた。ブログのせいで妙に距離が近いような錯覚をしていたから、本当はただのずっと遠くの他人なんだってこと、ずっと忘れてしまっていた。

 きょうやさんが音楽をやめる、一般人に戻るって決めてしまったら、それっきりずっと、会えない人になtってしまう。

 演奏されている曲も歌詞も、私の耳は覚えることさえできなかった。その日があまりに強烈すぎて、なにひとつ覚えることができなかった。空気を共有していることと、最後の瞬間だということだけが、わたしのすべてだった。 

 きょうやさんとリップサーヴィィスは、そのライブを最後に、わたしたちファンの目の届くところから完全に姿を消した。一部のすとーかーみたいな子たちは、引き続き「普通のひと」にもどった彼らを追いかけて何とかせっしょくしようとしていたみたいだけど、私には、そんな勇気も行動力もなかった。

 もうぜったいに、いっしょに遊園地になんていけない。

 あたりまえの事実がどうしようもなく重たくて痛かった。



「ゆき、ゆき」

 海鳴りみたいに遠くで、低い声が私を呼んでいる。

「観覧車のろう、観覧車」

 今横にいて、私の手を掴む相手は、キョウやさんとはほど遠い。彼氏でもなく、友達ともいいがたい距離にいる当真は、今握っている私の爪の先になんて何の興味もないみたいだ。

「うん、行こう」

 わたしははしゃいだ声を出してうなずくけど、もうぜんぶ遅いんだってとっくに知っている。せっかく来た遊園地に、響也さんはいないし、私ももうそれほど、このにぎやかな場所に執着していない。

 ただ、よくある一対の男女になって、景色に溶け込んでいるだけだ。

 ――遊園地に行こう。

 たわいない科白に胸をときめかせた日が嘘みたいに、今、私の前にある観覧車もメリーゴーラウンドも、モノクロになって回り続けている。



                  終


 


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約束。 池崎心渉って書いていけざきあいる☆ @reisaab

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