女子力ゼロでバイト漬けのわたしに彼氏なんか出来る筈ない

神木 ひとき

女子力ゼロでバイト漬けのわたしに彼氏なんか出来る筈ない

11月も終わりに近づいた少し寒い朝、わたしは目が覚めても、毛布にくるまったまま踏ん切りがつかないで起きられないでいた。


あと5分だけ‥

このままこうしていよう。


6時半にセットした目覚まし時計は、スヌーズ機能で既に2回目のアラームが鳴っていた。


眠い、ただ眠い‥


何とか時計に手を伸ばして、5回目のアラームでようやく毛布から抜け出すことに成功した。


「寒いな~」


窓から外を眺めると、天気は良さそうだ‥

スウェットのまま部屋を出ると、階段を下りてリビングに向かった。


「おそよう、葉月はづき


リビングの扉を開くと、母から呆れた口調で嫌味を言われた。


「おはよう、お母さん‥」


「朝ご飯、食べる時間あるの?」


「あるような‥ないような‥」


「どっちなの?」


どっちつかずの返事に、母が苛立った顔をして言った。


「う~ん」


遅刻覚悟で朝ご飯を食べるか?

それとも食べずに昼まで空腹と戦うか?

どちらを選択するのか真剣に悩んでいた。


「スープだけ飲んで行けば?そうすればお腹も満たせるし、遅刻もしなくて済むよ」


妹の美月みづきが冷静な口調で言った。


「そうね、さすが美月!いいこと言うわね、葉月、すぐに用意するから」


この憎々し程、大人びて冷めた口調で話す妹の美月はまだ中学二年生だ。


何でも後回しにしてしまうわたしと違って石橋を叩いて渡るような性格で、いつも冷静で客観的に物事を見ている。


学校の成績も優秀で母からの信頼も厚い‥

姉のわたしは、この小生意気な中学生の妹が苦手だ。


「ごちそうさま、お姉ちゃん、今わたしのこと生意気とか思ったんでしょう?」


相変わらず鋭い‥

わかってるなら直せって‥


「そんなことないよ、いいこと言うなって思ったよ‥」


昔からわたしは嘘が下手だ‥


「心にもないこと言っちゃって、お母さんごちそう様でした。支度して学校行ってきます」


美月はわたしを気にかける素振りも無く、席を立ってリビングから出て行った。


「葉月、少しは美月を見習いなさい、あなたお姉ちゃんでしょ!」


母がスープの入ったカップをテーブルに置きながら声を上げた。


この状況で母の小言を聴いている余裕はない。


「うん、時間ないからスープ飲んだらすぐにわたしも支度する」


母が出してくれたコーンスープをスプーンでかき混ぜるとカップに口をつけた。


スープを飲み終えると急いで二階の自分の部屋に戻って制服に着替えて、一階に再び下りて洗面所で歯磨きを済ませると、マフラーをして玄関に向かった。


「慌てないでね、車に気をつけるのよ!はいお弁当」


出掛ける際の母の言葉は小学生の頃から変わらない。


車に気をつけるのよって‥

いつまで言うつもりなんだ?


「ハイ、ハイ、気をつけるよ、お弁当ありがとうね」


そう返事をして玄関を出た。


こんな感じで朝はいつも慌ただしい。

妹の美月はとっくに家を出てしまっている。


遅刻しないように駅までの道を全力で走るので、駅に着く頃には寒さは吹き飛んで、汗ばむぐらいに感じてしまう。


改札を入ってエスカレーターの右側を駆け上がると、ちょうどホームに入って来た学校にギリギリ間に合う電車に駆け込んで息を切らせながら電車の揺れに身を任せた。


和泉多摩川駅で小田急線を下りると、再び学校に向かって走り出した。


おかげで授業が始まるチャイムの5分前に何とか教室に滑り込むことが出来た。


「今日もギリギリセーフだね?」


わたしの前の席に座る山口玲奈やまぐちれなが後ろを振り返って言った。


「ハァ、ハァ、玲奈おはよう、間に合えばいいんだよ」


息を整えながら答えた。


毎朝こんな調子だから、1時間目の授業は全く身が入らない。



「葉月、バイトのやり過ぎなんじゃないの?毎日遅刻寸前じゃん」


昼休み、いつものよう教室でお弁当を食べていると玲奈が呆れた様子で言った。


「仕方ないでしょ、毎日忙しいんだからさ、とにかく人手が足りないんだよ、誰かやる人いないかな?」


「そんな奇特な人なんかいないよ、葉月のバイトは大変だからね、ファミレスとかよくやるよね?」


「高校生だから9時には帰らせてもらってるよ」


「9時は寝る時間だよ」


玲奈が笑いながら言うので、


「よく言うよ、小学生じゃあるまいし!」


食って掛かって言い返した。


寺坂てらさか、バイトも良いけど身体は大丈夫なのか?」


わたし達の会話を聞いていた多田野慶太ただのけいたが割り込んで来た。


こいつは中学が同じで比較的仲のいい男子のクラスメイトだ。


ちっ!多田野の奴‥

余計なところでしゃしゃり出てくるな!


「多田野、心配しなくても大丈夫だよ」


「本当かよ?大体何でバイトなんかしてんだよ?」


「何でって、社会経験だよ」


「社会経験?」


「お父さんがいい経験になるからやれって」


「もうすぐ期末テストだぜ、まだ二年だからいいけど、来年は大学受験だろ?焦らないのかよ?」


「そんなの三年になったら考えるよ」


そんな先のこと、考えてられるか!


「葉月のお父さんって面白いな、どうせいつか働くのに何で働けなんて言うんだよ?」


「自分で稼いだお金は大事に使うから、お金の有り難みがわかるだろうって」


「すごいね、葉月のお父さん」


玲奈が感心して声を上げた。


「別に、普通の人だよ」


「山口、今度さ、寺坂のバイトしてるファミレス行ってみないか?」


多田野が玲奈に促した。


多田野の奴、また余計なことを‥


「来なくていいよ、相手なんか出来ないし」


そう答えると、


「多田野君、それいいね!行ってみようよ」


玲奈は多田野の誘いを快く受け入れてしまった。


「よし、決まりだね!約束だよ」


多田野は嬉しそうに自分の席に戻って行った。


あいつ、上手くやりやがって‥


「いいな~、葉月は」


玲奈が含み笑いをしながらわたしを肘で突っついた。


「何が?」


「多田野君、葉月のこと心配してるんだよ、いつも仲いいし、いっそのこと付き合っちゃえば?」


「ハ〜ッ、何言ってんの?玲奈」


わたしは深い溜息をついた。


玲奈は何にもわかってない。

多田野はわたしの心配なんかこれっぽっちもしていない、ただダシに使っているだけだ。


あいつは玲奈のことが好きで、玲奈と話したくてわたしの所に来るだけなんだから。


バイト先に来ると言ったのも、玲奈と二人っきりになる口実に決まってる。


あいつの行動を見てりゃわかるだろうに‥

何で玲奈はそれに気づかないんだ?


「どうしたの?溜息なんかついてさ」


「別に‥バイト先には来なくていいからね」


玲奈にそう言って、お弁当を口に頬張った。




午後の授業が終わると、カバンに教科書を詰め込んですぐに席を立った。


「玲奈、バイト行くから先帰るよ、じゃあね!」


「葉月、頑張ってね、今度お店行くから!」


来なくていいって‥


心で呟いて、教室を後にした。



豪徳寺の駅前にあるファミレスがアルバイト先だ、駅から近いので学校帰りに直接寄れるのと、自宅から近いので帰りが便利だという理由で選んだ。


確かにアルバイトを始めたのは父から社会勉強でした方がいいと勧められたからだったけど、バイトを通じて色々なことを経験できたので、今では父の言うことを素直に聞いて良かったと思っている。


「おはようございます!」


大きな声で挨拶して通用口から店の中に入った。


バイトを始めた頃は違和感があったこの挨拶も、今ではすっかり慣れて自然と口から出てくるようになった。


最初は夕方なのに、何でおはようございますって挨拶するんだろうって驚いた。


こんなことも社会常識だって初めて知ったんだ。


「おはよう、寺坂さん」


「おはようございます、二階堂にかいどうさん」


二階堂さんは大学三年生で、アルバイトを始めた時に仕事を丁寧に教えてくれた美人でお姉さんタイプの頼れる先輩だ。


「ちょうどよかったわ、待望の新人が入って来たの、寺坂さんに教育係をお願いしたいんだけど、いいわよね?」


「そうなんですか?でも、わたしで大丈夫でしょうか?」


教育係なんて全く自信がなかったので二階堂さんに質問を返した。


「寺坂さんなら大丈夫、ここ来て3ヶ月になるんだから、もう立派に一人前よ、それに新人君は寺坂さんと同じ高校生だから、上手くやれると思うわ」


二階堂さんはそう言ったけど、わたしが教えたりしてすぐに辞めたりしないかな?


「へ~っ、高校生ですか、本当にわたしで大丈夫でしょうか?」


不安になって更に聞き返した。


「大丈夫よ、それに結構イケメンだよ」


二階堂さんが耳元で小声で囁いた、


「えっ、新人って男子ですか?」


「あれ、嫌だった?」


「いえ、そんなことないですけど‥」


「今、着替えしてるから、後で紹介するわね」


二階堂さんはわたしにも着替えをしに行くように促した。


タイムカードを挿した後、女子更衣室に入って制服に着替えると、すぐにフロアに出ていった。


「宮森君!こっち来て、先輩を紹介するから」


二階堂さんの呼ぶ声に、


「はい!」


元気の良い返事を返していた。


「寺坂さん、今日から入った宮森君よ」


二階堂さんがわたしに彼を紹介した。


目の前に背の高い男の子が立っていた。

顔を見ると二階堂さんが言うように確かにイケメンだ、優しそうな顔立ちで少し幼く見える感じの男の子だった。


「初めまして、寺坂葉月てらさかはづきです」


宮森勇気みやもりゆうきです。よろしくお願いします」


彼が頭を下げた。


「じゃあ寺坂さん頼むわね、宮森君に色々教えてあげてね!」


二階堂さんはわたしの肩をポンと叩いて、その場を離れていった。


「それじゃあ宮森君、まずはお客様が食べ終わった食器を下げるのと、テーブル拭きをお願いね」


彼に最初の指示を出すと、


「はい、わかりました、寺坂さん」


彼は素直に返事をして、直ぐにお客様が帰った席のテーブルに向かって行った。


「慣れるまでは丁寧に、ゆっくりでいいからね」


「はい、ありがとうございます」


彼の言葉使いが素直だったので、少しホッとした。


平日とはいえ、夕食時のお店は忙しい。


最近は居酒屋代わりにアルコールを飲むお客さんが増えたのでサラリーマンも多い。


「どう?寺坂さん新人君は?」


少し手が空いたのを見計らって二階堂さんがわたしを呼び止めて小声で聞いた。


「はい、しっかりやってますよ」


「そう、すぐに辞めないといいけどね」


「そうですね‥」


わたしがバイトを始めた後に何人も新人が来たけれど、みんなすぐに辞めてしまって困っていたから、テーブルを拭いている彼を見ながら少し不安になった。


実際に働くのと客として来るのとでは余りにもイメージが違うからか、長続きしないんだよな‥


彼は黙々と真面目に仕事に取り組んでいた。


忙しくてあっという間に時間は過ぎていく、気がつくとバイトを上がる9時になっていた。


「はい、寺坂さんも宮森君もありがとう、時間だからもう上がってもいいからね」


店長の言葉に、


「はい店長、お疲れ様でした。じゃあ宮森君、上がりましょう」


「はい、寺坂さん」


わたし達は更衣室に下がって、着替えをして帰る支度をした。


女子更衣室から出ると、彼は先に着替えを済ませて待っていた。


「寺坂さん、ありがとうございました、お疲れ様でした」


「お疲れ様でした」


彼は桜上水にある附属の私立高校の制服を着ていた。


「宮森君、少しだけ時間あるかな?」


お店を出て駅に向かって歩き始めた彼に声を掛けた。


「はい、大丈夫ですけど‥どうしたんですか?」


彼が理由を尋ねた。


「遅いから30分だけね、歓迎会、コーヒーでね」


「歓迎会ですか?ありがとう‥ございます」


近くのチェーン店のカフェに彼を誘うと、席にカバンを置いてからコーヒーを二つ注文した。


「すいません、ご馳走になってしまって」


彼は一礼するとカバンを置いた隣の隣にトレーを置いて座った。


「わたしも入った時、ここで歓迎会してもらったんだ」


「そうなんですか、気を使ってもらってすいません」


彼が恐縮してまた頭を下げた。


「気にしないで、他の店とか見ると勉強になるよ、ところで宮森君って何年生なの?」


「二年生です」


同学年タメなんだ?

全然そんな風に見えないな‥


「えっ、本当に二年?てっきり下かと思った」


「僕も寺坂さんって先輩だと思いました」


彼も驚いた様子で答えた。


「それってどういう意味?わたしってそんなに老けて見える?」


内心ムッとして彼に問いただすと、


「い、いえ、そう言う意味ではなくて、落ち着いているので先輩かなって‥」


彼は少し慌てた様子で答えた。


「落ち着いてる、わたしが?」


「はい、そう思いました」


「よく言うよ、いつも行動に余裕がなくてさ、まったく落ち着きがないって言われてるんだよ、中2の妹なんか完全にわたしをバカにしてるし」


「それわかります。僕にも弟がいるんですけど、出来た弟でみんなからダメ兄貴って言われます。出来の良い下の兄弟を持つのって苦労しますよね」


彼が頷きながら言った。


「宮森君さ、さっきからその言葉使いやめない?同級生だよ」


「でも、バイトの先輩ですから‥」


「ここはバイト先じゃないよ、せめてバイト先だけにしてよ」


「はい、やってみます」


彼は素直に頷いた。


「宮森君は何でバイト始めたの?学校私立だよね、校則とか厳しくないないの?」


「そうなんですけど‥いえ、そうなんだけど、ちょっと理由わけがあって‥」


「理由って何、もしかして借金してるとか?」


「借金?まさか‥話しが飛躍しすぎ‥」


彼がクスクスと笑った。


「わかった!じゃあ、彼女へのクリスマスのプレゼント代でしょ?」


「そんなんじゃありません!いや、そんなんじゃないよ」


彼が慌てた様子で否定した。


「ふ~ん」


彼を訝しげに見た。

イケメンで優しそうな顔してるからモテるんだろうな‥


彼女へのプレゼントで間違いないな、勝手にそう納得した。


「寺坂さんこそ、何でバイトを始めたの?」


「社会勉強しろって、父親から言われてさ」


「お父さん偉いね、えっと‥こんな感じで話して大丈夫ですか?」


彼がわたしの顔色を伺って聞くので、


「いちいち聞かない!それでいいよ」


そう答えた。

わたしってそんなに怖く見えるのか?

今日初めて会ったのに‥


「そろそろ帰ろっか?明日もあるしね」


わざと少し優しい口調で彼に促した。


「はい、そうしましょう‥そうしよう」


カフェを出ると、冷たい北風が吹いていた。


「ご馳走様、奢ってもらって悪かったね」


彼が恐縮そうに言った。


「いいよコーヒー代くらい、バイトしてるし、宮森君って家どこ?」


「小田急線の狛江なんだ」


「そうなんだ、わたしの学校の傍だね、わたしの家はここから近いから」


「今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」


「宮森君、言葉使い戻ってるよ」


「ああ、今のはバイトの先輩への挨拶です。寺坂さんそれじゃ、おやすみ!これは同級生の挨拶」


彼は優しく微笑んで手を振ると、小田急線の改札に消えていった。


宮森君って面白いな、カッコいいし‥


「あっ、いけない!」


バイト先は職場恋愛禁止だって!

言うの忘れてた‥



疲れきって家に戻ると、遅い夕飯を食べて、お風呂に入って、すぐにベットに潜り込んで眠りについた。




次の日の朝も、やっぱり遅刻ギリギリで教室にすべり込んだ。


「ハ〜ァ、ハ〜ァ、おはよう玲奈!」


全力で走ったので、息を切らせながら言葉を掛けると、


「おはよう葉月、今朝もギリギリセーフだね‥って、髪‥すごい寝ぐせついてるよ」


「そんなの気にしてられないよ、もう今朝はパニックだったよ‥」


「葉月って完全に女子捨ててるよね、バイトが彼氏みたいなもんだね」


「そんなことないよ!これでもバイト先じゃ、しっかりしてるって言われるんだから」


玲奈の言葉を否定した。


「信じられないな、そんなんじゃ多田野君に嫌われちゃうよ」


玲奈が多田野を横目で見て、含み笑いをして言った。


「別に嫌われてもいいよ、玲奈は何にもわかってない!」


思わず声を荒げた。


「わかってない?」


「鈍感!」


「わたしが鈍感?」


「そうだよ!」


先生が教室に入って来たので玲奈と話すのをやめた。




昼休みにお弁当を食べていると玲奈が言った。


「葉月、いつ映画観に行けるのよ、ボヤボヤしてると終わっちゃうよ」


「ああ、例のアニメ映画でしょ?」


「葉月と一緒に行こうと待ってるのに、バイト始めちゃったから行けてないんだよ」


「そうだね、日曜日はバイトで疲れて昼頃まで寝ちゃうから、悪いとは思ってるよ」


「何のために生きてんのよ、あのアニメ映画見ない高校生なんていないよ」


玲奈が話しているアニメ映画は夏休みの終わり頃から公開されていて、田舎の高校生の女の子と都会の男の子の高校生の身体が入れ替わり、不思議な絆で結ばれている内容の映画のことだ。今年一番の大ヒット映画で、そのタイトルは流行語大賞にもノミネートされていた。


「今週の日曜日も多分無理だから、期末試験終わったら、試験休みに行こうよ」


「約束だよ!」


「わかったよ、試験最終日ならバイト無いから行けるから」


渋々、玲奈との約束を承諾した。




その日も授業が終わるとすぐに学校を後にした。


小田急線から車窓の景色を眺めると街はすっかり晩秋の装いになっていた。

時間が経つのって早いな‥

そう思わずにいられなかった。


いつものようにファミレスに通用口から入って、


「おはようございます!」


店長に大きな声で挨拶をすると、


「おはよう、寺坂さん」


店長も挨拶を返した。


「おはようございます!」


その時、爽やかな笑顔と共に宮森君が通用口から入ってきた。


「おはようございます、寺坂さん、今日もよろしくお願いします」


「こっちこそ、よろしくね!」


更衣室で着替をしていつものように店内に出ると、宮森君は既に店内でテキパキと仕事をこなしていた。


「宮森君、料理、2番にお願いね」


「はい、わかりました!」


「宮森君、それ終わったらオーダーお願いね!」


「はい!」


食事時の時間が過ぎ、少し手が空いてきたので彼に声を掛けた。


「頑張ってるね、宮森君って仕事覚えるの早いよ」


「そうですか?それは先輩の教え方がいいからですよ」


彼が微笑みながらウィンクをして答えた。


ドキッ!

彼の笑顔に胸がときめいた。


「高森君‥」


しばらく彼の後ろ姿をジッと見ていると、


「おはようございます!」


二階堂さんがスタッフルームからフロアに入ってきて、


「寺坂さん遅くなってごめんね、今日はゼミが長引いちゃって、どうしても定時に来れなくて‥どうしたのボーっとして、何かあったの?」


二階堂さんが訝しげに言った。


「いえ‥何でもないです。宮森君が頑張ってくれましたから大丈夫ですよ」


「そう、彼は使えそう?」


「はい、仕事覚えるの早いですよ」


「そう、良かった。年末は忙しいから、戦力になるのは助かるわ」


「本当、そうですね‥」


わたしは何を考えているんだ?

仕事、仕事、そう自分に言い聞かせてオーダーを取りに向かった。



その日のバイトを終え、宮森君と一緒に通用口から店の外に出ると、


「お疲れ様でした寺坂さん」


「宮森君もお疲れ様、それじゃあね、明日もよろしく」


「寺坂さん、少し時間ありますか?あの‥もうバイト終わったんですよね?」


「えっ?‥うん、敬語は要らないよ」


「昨日みたいにコーヒーどうかな?」


「いいけど‥」


「じゃあ、是非」


彼は昨日行ったカフェにわたしを誘って、

店に入ると彼はコーヒーを二つ頼んだ。


「今日は僕が奢るから」


そう言って彼が二人分のコーヒー代を支払おうとしたので、


「いいよ割勘で」


財布を出して自分のコーヒー代を彼に渡そうとした。


「いや、今日は僕が誘ったんだから奢らせてよ」


彼が頑なにお金を受け取ろうとしなかったので、


「奢ってもらうと今度、誘い辛くなるから」


「寺坂さん‥」


「あっ、勘違いしないでよね、別に深い意味はないからね‥」


「そっか、じゃあ割勘で」


彼は納得した様子でお金を受け取って支払いを済ませると、窓際のカウンターの席に座ってコーヒーを飲み始めた。


彼はコーヒーを口にして一息つくと、わたしに視線を向けてマジマジと見つめるので、


「な、何!わたしの顔に何かついてる?」


焦って恥ずかしさをごまかす為に声を上げた。


「寺坂さんって、しっかりしてるんだなっと思ってね」


「昨日も言ったけど、そんなことないよ、わざわざそんなこと言うためにコーヒー飲みに来たの?」


「いや、寺坂さんってバイト、毎日やってるんだ?」


「そうだよ、だって暇だもん」


「暇って、受験とか心配にならないの?」


「選ばなければ大学なんて何とかなるでしょ?」


楽天的に答えると、


「やりたいこととかは?」


「別にないかな‥宮森君は?」


「付属だから大学は心配してないけど、やりたいことはまだ見つかってない」


「そんなの今すぐに決めなくてもいいと思うけどな?」


「そうだよね‥ハ〜」


彼はそう言うと思い詰めた顔をして溜息をついた。


「何か悩みでもあるの?」


「悩みと言うか‥僕には存在価値があるのかなって?」


「それ、どういう意味?」


「違う自分になれたらって、思ったことない?」


「わたしは違う自分なんてなりたくないけど」


「そっか‥妹さんと比較されて嫌だったりしないの?」


「妹を羨ましいと思ったことなんて今まで一度もないし、何でそんなこと聞くの?」


「いや‥」


彼は俯いて黙ってしまった。


「さっき、自分には存在価値があるのかって言ったよね?」


「うん‥」


「存在価値は自分で作ればいいんだよ」


「えっ?」


「宮森君、もうバイト先では立派な戦力だよ、仕事覚えるの早いし、一生懸命やってるし、誰かに頼られるってことは存在価値があるってことじゃない、存在価値なんてそうやって自分でいくらでも作れるんじゃないかな」


「寺坂さん‥あの」


彼が驚いた顔をして顔を上げた。


「何?」


「ううん、そっか‥そうだよね」


彼は感動した様子で頷いていた。


そんなに感動することかな?


「ところで宮森君ってあの映画観た?」


わたしは話題を変えた。


「あの映画?」


「夏からやってるアニメのやつ」


「ああ、あの話題のアニメ映画ね、見てないけど、何で?」


「友達がね、高校生で見てないのおかしいって」


「そっか、じゃあ僕はおかしいいんだな」


「わたしも見てないんだよね、その映画が公開された頃からバイト始めたから行けてなくて‥」


「そうなんだ、観たいの?」


「みんな泣くって、音楽もすごくいいって言うんだよね」


「そうらしいね、僕の友達も同じこと言ってた」


「わたし今度‥友」


「寺坂さん、良かったら一緒に行かない?」


「え~っ!宮森君と二人で?本気まじ?」


彼が社交辞令で言ったんだと思ってそう答えた。


クリスマスプレゼント買ってあげる彼女と行けばいいじゃん‥


「そうだよね、僕となんか‥嫌だよね?」


彼が残念そうな顔をしたので戸惑った。


もしかして‥本気なの?


「別にいいけど‥」


内心とは裏腹に仕方なさそうに答えた。


「本当に?じゃあ、期末終わったら試験休みに行こうよ?」


「うん、わかった」


「約束したからね、それじゃあ、遅くなるから帰ろっか」


店を出てると彼は、


「寺坂さん、今日はありがとう、また明日ね!」


笑顔を見せて手を振ると、背を向けて小田急線の改札に向かって走り出した。


「いけっない!」


また言い忘れた‥

職場恋愛禁止って‥




翌日の朝、めずらしく最初の目覚まし時計のアラームで起きることができた。


不思議だ、どうして起きれたんだろう?


自分の部屋を出て一階のリビングに下りていった。


「やばい!お母さん遅刻する!」


妹の美月がわたしを見るなり、驚いて声を上げた。


「えっ?まだ6時半だよ美月」


「でも、お姉ちゃんが‥」


「葉月、めずらしいね、どうしたのこんなに早く?」


「早くなんかないよ、時間どおりだよ、まったく」


朝から言いたい放題言ってくれるじゃない、結局は遅く起きても早く起きても何か言われるんだ。


「お母さん、ご飯‥」


「あっ、ごめんね、今用意するわね」


朝食を食べ終えると部屋に戻って着替えをして家を出た。


「葉月、今日は走らなくても良いんだから、ゆっくり行きなさいよ」


「ハイハイ、わかってるよ」


「お姉ちゃん、たまには一緒に駅まで行こうよ」


美月が横に並んで歩きながら言った。


「たまには?それ余計だよ」


「ハハハ、お姉ちゃんと一緒に家でるのは本当に久しぶりだからね」


経堂の私立中学に通う美月は笑いながら声を上げた。


豪徳寺駅で美月と一緒に改札口に向って歩いていると、


「あれ、寺坂さん!」


突然名前を呼ばれ、振り返って声の方に視線を向けた。


「あっ!宮森君!?」


「おはよう、いつもこの時間?」


「えっ?うん、そうだけど‥」


「へ~っ、気がつかなかったな、意外と今までにもすれ違ってたかもね」


「そうだね‥へへへ」


愛想よく彼に答えると、隣で美月がじっと様子を見ている。


「それじゃあ、また、夕方よろしくね」


彼は世田谷線の山下駅の方へ歩いていった。


「誰?」


「‥バイト一緒の子」


「いつもこの時間って‥嘘じゃん」


「うるさいな!話の流れでそう言っただけだよ」


「ふ~ん、優しそうなイケメンだったね?」


美月が横目で含み笑いをしながら言った。


「何が言いたいんだよ、美月」


「早く起きた理由、これか?」


「ちょっと美月、それは違うからね!」


わたしは焦って大声を上げた。


「ハイハイ、お姉ちゃん気をつけてね、じゃあね!」


美月は素っ気無くそう言うと、改札に走って入っていった。


まったく‥

相変わらず生意気なんだから。


宮森君はいつもこの時間なんだ。

確かにバイトを始める前はすれ違っていたかも知れないな‥


改札に入ると下りホームのエスかレターをいつものように右側ではなく、左側に留まったまま上がっていった。


学校に着いて教室に入ると玲奈が驚いた様子で声を上げた。


「葉月、どうしたの?」


「おはよう、玲奈」


玲奈は挨拶も返さずわたしを見ている。


「何?その顔は‥そこまで驚かなくていいんじゃない!」


「だって、毎日遅刻ギリギリの葉月がいつもより30分以上早いよ」


「わたしだって、やれば出来る子なんだよ」


「そうだけど‥もしかして昨日バイト休んだ?」


「きっちり働いたよ9時まで」


「信じられない、何かあったの?」


「別に何もないよ、明日からもこの時間に来るよ」


そうは言ったものの、少し不安になった。

そんなこと約束して大丈夫かな‥


「何か心配になったから今日様子を見に行くよ、多田野君!夕方時間ある?葉月のバイト先行かない?」


玲奈が多田野に声を掛けた。


あ~っ玲奈、そんなことあいつに言ったら、喜んで行くって言うに決まってるだろ!

相変わらず鈍いな玲奈、いい加減気付けよ‥


わたしは心の中で呟いた。


案の定、多田野は嬉しそうな顔をして頷いていた。


「ったく‥来なくていいのに」




学校が終わるとすぐに教室を出ようとした。


「葉月、後で行くからよろしくね!」


玲奈の能天気な声が背中越しに聞こえた。


「来なくていいって!じゃあね」


そう言い残して教室を出ていった。



和泉多摩川駅から乗った小田急線の各駅停車は空いていて、豪徳寺駅で降りると改札を抜けて真っ直ぐファミレスに向かった。


「おはようございます!」


「おはよう、寺坂さん」


二階堂さんが笑顔で挨拶を返した。


「もう、宮森君来てるよ」


「そうですか、着替えてわたしも頑張ります!」


「おっ、頼もしいね!さすが寺坂さん」


更衣室で着替えをして手洗いと消毒をしてフロアに出て行った。


「おはよう!宮森君」


「おはようございます、寺坂さん、今日もよろしくお願いします」


「今朝はビックリ!宮森君に会うなんて」


今朝のことを口にした。


「そうですよね、隣にいたのは妹さんですか?」


「わかった?生意気なんだよね」


「美人な妹さんでしたね」


「そうだよね‥みんなそう言うんだ」


「でも、寺坂さん負けてないですよ」


「えっ?」


「いや、その‥」


彼が言葉に詰まって下を向いた。


「お世辞上手いな」


「‥お世辞じゃないんですけど」


「もう、余計なおしゃべりしないの、仕事、仕事」


「はい、すいませんでした‥」


彼の言葉が内心はとても嬉しかった。


まずい‥

職場恋愛は禁止なんだぞ!

心の中で自分に言い聞かせた。


6時頃、制服姿の見慣れた顔が店に入ってきた。


「いらっしゃいませ!」


「何?葉月、かしこまって」


玲奈が驚いた顔をして言った。


「何名様ですか?」


「見たらわかるだろ寺坂?二人だよ」


今度は多田野が声を上げた。


「はい、こちらへどうぞ」


「葉月、面白いね」


「玲奈、マニュアル通りに言わないと怒られるんだよ」


小声で答えた。


「そう言うことね」


「それでは、お決まりになりましたらそちらのボタンを押してお呼び下さい」


二人を席に案ると、その場を離れた。


「は~っ、あいつら本当に来ちゃったよ」


「どうしたんですか?寺坂さん、溜息なんかついて」


宮森君がわたしの側に来て言った。


「友達が来てるの」


「へ~っ、どこですか?」


「窓側の席」


「制服の男女の二人ですか?」


「そう」


「寺坂さんのお友達ですか?挨拶した方がいいですか?」


「宮森君、マニュアル外のことはダメだよ、これは仕事だよ」


「わかってます、冗談ですから」


彼は笑いながら、ごめんなさいの仕草をした。


「もう、こんな時に冗談言わないの!は~い、今、伺います」


呼び出しが掛かったのでオーダーを受けるために他のテーブルに向かった。


「どうしたの?宮森君」


「二階堂さん、寺坂さんのお友達がお客さんで来ているようです」


「へ~っ、寺坂さんのお友達、オーダーの呼び出し鳴ったよ、宮森君お願いね」


「はい、今、伺います」


わたしが他のテーブルのオーダーを取っている間に玲奈達のテーブルに宮森君が行ってしまった。


しまった‥二階堂さんにお願いしとけば良かった。


席から戻った宮森君は機械を操作してオーダーを厨房に送っていた。


「二人と何話したの?」


彼の側に行って問いただした。


「別に何も‥」


彼が口ごもって答えた。


「宮森君って嘘つくの下手だね」


「本当です‥」


「今日、カフェで反省会やるから‥いいね」


「はい‥今日の寺坂さんちょっと怖いです」



玲奈と多田野は1時間程食事をして帰っていった。

多田野の奴、ここに来るよりこの後の方が大事なんだろう‥



仕事が終わって、宮森君と一緒に店を出た。


「お疲れ様、さあ、カフェ行くよ宮森君!」


「お疲れ様でした‥」


わたしは強引に宮森君をカフェに引張っていった。


「いい加減、顔覚えられるね」


「そうですか?」


「そうだよ、毎日同じ時間に同じ二人が来てるんだから、わたしだっらすぐに覚えちゃうな」


「なるほどそうですね」


彼が納得した様子で頷いた。


「宮森君、何で敬語なの?」


「今日はプライベートじゃなくて仕事の延長かと‥」


「まあ、そうかもね」


彼と割り勘でコーヒーを二つ頼むと、対面の席に座った。


「で、何話してたの?わたしは聞く権利があると思うけどな?」


彼に尋問するように、腕組みをして問いただした。


「寺坂さんは学校と違って、真面目に仕事してるんだねって言ってました」


「当たり前だよ、お金貰ってるんだから、それで?」


「寺坂さんの学校での様子を聞きました」


「何でそんなこと聞くの?」


「学校での寺坂さん、お店と随分違うと言ってたので‥」


怖い‥

玲奈は何を言ったんだよ、まさか有ること無いこと言ってないよね。


「‥で、何て言ってた?」


内心とは裏腹に表情を崩さず、彼に質問した。


「はい、毎朝、学校は遅刻寸前、寝癖なんか全く気にしない、何でもずけずけ物を言うけど、実は思いやりがあって、みんなの人気者だって言ってました」


あちゃ、玲奈‥

どうしてそんなこと言うんだよ、わたしのイメージが‥

終わった、もう終りだ。


「そっ、それを聞いてどう思ったのよ?」


彼に恐る恐る質問した。


「お店の寺坂さんは何でも完璧ですごい人だと思います。けど、学校での寺坂さんは僕が知らない寺坂さんなんですね」


「知ったら幻滅するよ」


「そんなことありません、寺坂さんは素敵だなって思います。」


「それって社交辞令で言ってるでしょ?」


「本気で言ってますけど‥」


「そんこと聞いて素敵だと思う奴なんかいるか!」


「そんなことないですよ、むしろ逆です、そういう寺坂さんもいいなって思います」


「本気で言ってるの?」


わたし‥


「宮森君‥あの」


「寺坂さん、明日もありますからそろそろ帰りましょうか?」


「そ、そうだね‥」


彼ともう少し話しをしたかったけど‥


「では、仕事モードは終わります」


「はい?」


「明日も早起きした寺坂さんに会えるかな?」


「えっ?」


「今朝、駅で偶然会ったでしょ?いつも遅刻ギリギリの寺坂さんが、頑張って早起きしたのかなって思って‥」


「うん、明日も頑張って早起きするよ!」


彼の言葉に思わず頬がゆるんだ。


カフェを出ると彼は、


「それじゃあ、また明日」


手を振って、小田急線の改札に入っていった。


結局今日も言えなかった‥

職場恋愛禁止って‥

わたし‥彼のこと‥




次の日の朝、6時半の目覚ましのアラームで目覚めた。


一階に降りると美月はいつものようにゆっくり朝食のトーストを食べていた。


「おはよう美月」


「おはようお姉ちゃん」


「あら!今日も早いのね。葉月偉いわ!」


母が感心した様子で声を上げた。


「偉いのはイケメンの彼だよね‥」


美月が小さな声で呟いた。


「美月!ちょっと!」


「何それ?イケメンって」


母が不思議そうな顔をして質問した。


「別に何でもないよ!」


「そう、葉月もトーストでいいかしら?」


「うん、それでいいよ」


そう答えると、母はキッチンへ入っていった。


わたしは美月を睨みつけた。


「お~っ、こわ、そんな顔を彼が見たら千年の恋も冷めちゃうよ」


「美月!だ・ま・れ!」


人差し指を口に当てた。


「は~い、わかりました。でも意外だな、お姉ちゃんって面食いなんだね?」


「バカにしてるの?」


「逆だよ、お姉ちゃん見る目あるなって、彼は絶対に優しくていい人だよ」


「美月‥」


「さて、支度するか」


美月は先にリビングを出ていった。



今日も美月と一緒に家を出ると、


「美月さ、彼はそんなんじゃないからね、お母さんに変なこと言わないでよ」


美月に念押しをした。


「そんなことしないよ、お姉ちゃんじゃあるまいし」


言われなくてもわかってるという口ぶりで答えた。


「あんた、いちいち感に触る言い方だね」


「言いたいことを言えるお姉ちゃんが羨ましいだけだよ、わたしはお姉ちゃんみたいになりたかったな‥」


「美月‥」


「おっ、彼が改札で待ってるよ、わたしはお邪魔だから行くね、お姉ちゃん頑張って!」


「あっ、美月!行ってらっしゃい」


美月は振り返ると少しだけ微笑んで改札の中へと消えていった。


「おはよう、寺坂さん」


「おはよう、宮森君」


「ちゃんと早起き出来たね、学校頑張ってね!また夕方よろしくね、あと昨日のお友達にもよろしく伝えて!」


彼はそう言葉を残して山下駅の方へ走っていった。


彼の背中を見えなくなるまで見送った。

宮森君、わたし‥わたし‥




教室に入ると、玲奈が駆け寄ってきて言った。


「おはよう葉月、今日も早いね!それより昨日は驚いたよ、あんな真面目な葉月初めて見たよ」


「当たり前だよ、遊びじゃないんだからね」


「葉月のお父さんがバイトやれって言った意味がわかるわ」


「今更わかってくれてもね‥」


「それより、宮森君だっけ?彼カッコいいし、人当たりいいし、葉月羨ましいな~」


「そう?」


玲奈の言葉に平静を装って答えた。


「葉月のこと色々聞かれたよ」


「ロクなこと言わなかったくせに!」


「へへへ、でも彼って葉月のことかなりマジかもね」


「何それ?」


「だって彼さ、仕事しながら葉月のことよく見てるんだよね」


「まさか〜?」


「多田野君も言ってたよ、あれは寺坂を見てるって」


「宮森君はそんなんじゃないよ‥」


「じゃあさ、今日ちょっと注意してみなよ、絶対に葉月のこと見てるからさ」


「ハイハイ、それよりあの後、多田野と何もなかったの?」


「‥」


「やっぱりね、玲奈、人のことより自分のこと考えなよ、まったく‥」


「どうしたらいいかな?」


「そんなの自分で考えなよ」


「だって、彼はてっきり葉月のことが‥」


「だから鈍感って言うんだよ、そんなのとっくに気付いてたよ!」


「えっ、そうなんだ‥やっぱり自分のことってわからないんだね」


玲奈よりはわかってるよ‥

でも宮森君がわたしを見てるって本当なのかな?


授業が終わるとすぐにバイトに向かった。


豪徳寺駅の改札を出てファミレスに入る前にコンビニに寄ってエナジードリンクを買った。


「今日も頑張らないと‥」


雑誌コーナーで缶を開けてエナジードリンクを飲んでいた。


何気なく外を見ると、宮森君が制服姿で山下駅から歩いて来るのが見えた。


宮森君!‥


「えっ?」


わたしは言葉を失った。

彼の隣を同じ制服を着た美少女の子が一緒に歩いていた。


誰なの?

友達‥いや、彼女だな‥


彼がその子と、とても幸せそうな笑顔で話しているのを見て、見てはいけないものを見てしまった気がした。


「なんだ、やっぱりな‥」


エナジードリンクを飲み干してコンビニを出ると、ファミレスの通用口に入っていった。


「おはようございます‥」


暗い表情で挨拶をした。


「おはよう!寺坂さん‥あれテンション低いね」


二階堂さんが心配そうに言った。


「別に‥何でもありません」


「そう、ならいいけど、寺坂さんも宮森君も明日から期末試験近いから一週間お休みでしよ?しばらく会えないけど頑張ってね」


二階堂さんの言葉に下を向いたまま返事を返さず、着替えをするために更衣室に入った。


フロアに出てしばらくすると、宮森君が入って来るのが分かった。


「おはようございます!」


「おはよう、宮森君!」


 二階堂さんが言葉を掛けた。


「よろしくお願いします、二階堂さん。よろしくお願いします、寺坂さん」


「おはよう‥」


「あれ、寺坂さん元気ないですね、どうかしたんですか?」


「別に‥食器下げるのとテーブル拭きよろしく」


「はい‥」


その日はいつもと違っていた。

オーダーをミスしたり、食器を落としてしまったり、明らかに動揺していた。


職場恋愛禁止の意味がわかった。

仕事にならないなこれじゃ‥


バイトが終わると、更衣室で学校の制服に着替えて一人ファミレスを出た。


「寺坂さん、待って下さい~」


彼の声を無視して聞こえないフリをした。


「寺坂さん、ちょっと待って下さいよ!」


彼がいきなりわたしの手を掴んだので、驚いて黙って下を向いた。


「どうしたんですか?今日の寺坂さん何か変です。オーダーミスしたり、らしくないですよ」


「らしくない‥わたしの本当はこういう人間なんだよ」



自棄やけになって答えた。


「何ですかそれ?学校で何かあったんですか?」


彼が心配そうにわたしの顔を覗き込んで言った。


あんな綺麗な彼女がいるくせに!


「別に何でもないよ!」


彼に八つ当たりをしているのはわかっていたけど、自分ではどうすることも出来なかった。


「何か怒ってます?僕、怒られるようなことしました?」


してない‥いや、したんだ。


「宮森君さ、何でわたしに構うの?」


「何でって‥先輩だし、迷惑ですか?」


「そうじゃないけど‥」


「あの、時間を貰ってもいいですか?ちょっと話があるんですけど」


「話?‥」


いつものカフェに入ったけど、彼は頼んだコーヒーを飲まず、黙って何かを考えている様子だった。


「話って何よ?」


「あの、そのですね‥」


彼が言葉を濁した。


「あのさ、何で敬語なの?」


「それは‥まだお疲れ様って言ってないですから」


「‥まあ何でもいいや、それで話って?」


彼は大きく深呼吸すると、真面目な顔をして言った。


「寺坂さんって、彼氏とかいるんですか?」


‥彼氏?

何寝とぼけたこと言ってんのよ!


「いきなり何?毎日バイトしてるんだよ、いるように見える?」


「いてもおかしくないと思います」


彼が真剣な表情で答えた


「どうして、そう思うの?」


「だって‥」


彼が言い辛そうにまた言葉を濁した。


「大体、何でそんなこと聞くの?」


「今日は元気無かったですし、その‥寺坂さんが気になります」


彼がまっすぐわたしの目を見て言った。


「えっ?」


今なんて?

わたしが気になるって?

彼女いるのに‥


「宮森君、彼女いるんでしょ?」


「僕は彼女なんていません、でも好きな人はいます」


「そう‥」


やっぱりね、一緒にいたあの美少女の子だと思った。


「その人、とっても優しくて、頼り甲斐があって、仕事中なのについ目で追ってしまいます」


‥何それ?


「宮森君‥それって」


「あっ、いや、その人って僕のことどう思ってますかね?」


彼が恥ずかしそうに質問した。


「その人のどこがいいの?」


「どこって‥全部が素敵です、映画観に行く約束、とても楽しみにしてます」


「本当なのそれ?本当に?」


「はい、本当です」


彼の表情から嘘は言って無いと思った。


だめだ‥職場恋愛禁止は無理だ。

目の前にいる宮森君に完全に恋してるんだ。


「うん、その人もすごく楽しみにしてると思うよ‥映画行くの」


「本当ですか?」


「うん。だって多分、想いは同じだと思うから‥」


「寺坂さん、この想いは映画行った時にちゃんと伝えます、今日はもう遅いから帰りましょう」


「うん、帰ろっか」


「僕、明日から期末試験前なのでバイト一週間休みます。来たばかりなのにすいません。

でもすぐに戻ってきますから、寺坂さんはいつからバイトお休みですか?」


「わたしも明日からだよ、やっぱり一週間お休みもらってるんだ」


「じゃあ、映画の行く日は戻ってきた時に決めましょう」


「うん」


彼と一緒にカフェを出ると、


「寺坂さん、気をつけて、お疲れ様でした」


「宮森君、お疲れ様」


おやすみ!また明日の朝、会えるよね?」


「もちろん!絶対だよ」


宮森君は頷くとクルッと向きを変え、小田急線の改札に入っていった。


彼の背中を見えなくなるまでずっと追いかけて見ていた。


寒かったけど星空がとても綺麗な夜だった。

自分の頬っぺたを何度もつねってみた。

まだ胸がドキドキしている‥

嬉しくて家に帰ってもしばらく眠れなかった。




次の日の朝、自然と6時半に前に目が覚めた。

目覚まし時計に頼らずに起きられるなんて夢かと思った。

いや、これは夢じゃない。

自分頬っぺたをつねってみた。


ベッドから起き上がると一階へ降りていった。


「おはよう!」


「ご機嫌だね?葉月、何か良いことあったの?」


母が不思議そうに尋ねた。


「えっ、別に‥何で?」


「だってここ2、3日とっても嬉しそうだから」


「‥お母さん、早くお姉ちゃんにご飯出してあげてよ」


「あっ、そうだったわね、ごめんね」


そう言って母はキッチン向かった。


「美月、ありがとう」


小声で礼を言った。


美月は少しだけ微笑んで頷いた。


朝食が終わると部屋に戻って着替えをして洗面所で鏡を見た。


「よし、寝癖なし、ちゃんとしてる!」


玄関でお母さんがお弁当をくれた。


「あれ、美月は?」


「もう先に出たわよ」


あいつ、気を利かせたんだな、かわいいとこあるじゃん‥


「お母さん、行ってきます」


「はい、行ってらっしゃい」


「それだけ?」


「えっ、他に何かあるの?」


「ううん、何でもない、行ってきます」


駅までの道を歩きながら、頭の中は宮森君のことでいっぱいだった。

何でだろう?

好きな人が出来ると毎日がこんなに幸せにな気分になるんだ。

バイトをして本当によかったと思った。


豪徳寺駅に着くと彼が待っていた。


「おはよう‥宮森君」


「おはよう、寺坂さん」


「わたし、昨日は眠れなかったよ」


「どうして?」


「宮森君のせいだからね‥あんなこと言うから」


「ハハハ、よく起きれたね」


「目覚ましなしで起きれたんだよ」


「すごいな」


「宮森君に会いたかったから‥」


「僕も寺坂さんに会いたかった。バイト休みだから今日は夕方は会えないけど、明日も会えるよね?」


「うん、宮森君、がんばってね!」


「寺坂さんもね、また明日」


彼ははいつものように世田谷線の駅に向って歩きだした。

わたしも小田急線の改札に向って歩きだした。




それから一週間、ようやく期末試験が終ってカレンダーは12月に変わっていた。


試験の最終日も何とか無事に乗り切ることが出来た。


「やった!ようやく終わったね、葉月、期末試験を総括するとどうだった?」


「うん、とにかくこんな長い一週間は今までなかったね」


「何それ?」


「早くバイトに行きたいんだよね」


「バイト、バイトって‥そんなに楽しいの?仕事するのって」


「そうじゃないよ‥」


「じゃあ何よ?」


「何でもいいじゃん!」


「怪しいな、もしかしてあのバイトの彼と何かあったとか?」


ギク‥


「‥」


鋭い玲奈‥

わたしは言葉を返すことが出来なかった。


「何、何、もしかして進展あったの?」


「へへへ、デートの約束してるんだよね‥」


「デート!葉月が?マジ‥どこ行くの?」


「例の映画観に行くんだ、だから今日は玲奈と行きたくないんだよ」


「え~っ、あの映画行くの?」


「そうだよ、だからさ‥」


「ダメ、約束は約束だからね、友情を優先してもらわないと」


「やっぱりダメか‥仕方ないから二度観るよ」


わたしと玲奈は学校を出ると小田急線で新宿に向った。


「葉月が彼氏をね‥なんか信じられないな、しかも彼みたいな人だとは‥」


「どうしてよ?」


「だって、葉月のどこに魅力があるのよ?」


「玲奈‥それどういう意味よ?」


「冗談だけどさ、バイト先の葉月しか知らないんだったら、付き合い始めたらきっとギャップに驚いちゃうよ」


「彼はそんな人じゃないよ、わたしのことすごくわかってくれてるから」


「ほ~っ、たいした自信だね」


「うん、彼のこと信頼してるから」


「葉月、今、完全に乙女になってるよ」


「ちょっと玲奈!17歳の乙女だよわたしは!」


「そうだった‥」



新宿の歌舞伎町にある映画館に入った。

お目当てのアニメ映画は平日というのに比較的混雑していた。


映画を観終わってロビーに出ると、


「いや~面白かったね、なんか感動!」


玲奈がパンフレットを握り締めながら声を上げた。


「そうだね、結びって言葉いいね」


「それを葉月に言われると思わなかったよ。彼氏と見るにはピッタリの映画だね」


「そうだね、もう一回観ても楽しめるね」


「ん、どうした玲奈?」


「いや‥、あのさ葉月あっち行かない」


玲奈がバツが悪そうな顔をして言った。


「何言ってんの、出口反対だよ」


「いやさ、その‥」


玲奈はどうしたんだ?


「お手洗い行きたいの?」


「葉月、そっちはダメ!」


玲奈が何を言ってるのかさっぱりわからず、出口に向かって視線を向けた。


「早く帰ろう‥」


えっ!?


わたしは自分の目を疑った‥


「宮森君‥」


制服姿の宮森君が、以前一緒にいるのを見かけた女の子と仲良さそうに手を繋いで寄り添って出口に向って歩いていた。


「‥嘘でしょ」


思わず口から言葉が出てしまった。


「いや、あのさ葉月、あれだよ、見間違いってことあるんじゃない?」


玲奈がその場を取り繕うとして言った。


「彼だけは絶対に間違えないよ‥同じ制服着てたし」


「じゃあ、あれだ、友達だよ、友達」


玲奈の言葉が心に虚しく響いた。


「友達と手なんかつなぐか?あんな寄り添ってさ、彼女、彼女に決まってるだろ!」


「葉月‥」


頭の中が真っ白になって‥

彼は嘘をついていたんだ。


騙されてたのがわかったけど‥

何でそんなことするんだ?

わたしを揶揄いたかったの?


どうして‥

宮森君どうしてなの‥


映画館を出ると玲奈と別れた。

とにかく一人になりたかった。


あんなに行きたくて仕方なかったバイトなのにもう行きたくないな‥

家に帰っても夕飯を食べる気にならず、そのままベッドで寝てしまった。



次の日から試験休みで昼過ぎまで寝ていた。


バイトに行く時間が近づいてくるけど、何もする気が起こらなかった。


「葉月、アルバイト行かないの、もう時間だよ」


母が心配そうに声を掛けた。


「うん、わかってる」


仕方なく着替えをして家を出た。


あんなに軽やかだった駅までの道なのに、足取りが重くて暗い気持ちになった。


ファミレスの通用口から入ると、


「おはようございます‥」


「寺坂さんおはよう!‥どうしたの顔色悪いわよ?」


「いえ、大丈夫です。着替えてきます」


そう言って女子更衣室に入った。


更衣室の外で宮森君の声が聞こえてきた。


「おはようございます!」


「おはよう、宮森君、休んだ分、今日から頼むわね!」


「はい!二階堂さん、任せて下さい」


「試験どうだった?」


「はい、バッチリと言いたいとこですけど、何とかなりました」


「あれ?寺坂さんは?」


「更衣室だよ」


「そうですか、じゃあ僕も着替えてきます」


更衣室を出ると手洗いと消毒をしてフロアに出て行くと、彼も着替えを済ませて鉢合わせになった。


「寺坂さん、おはようございます!」


「おはよう‥」


宮森君の顔を見たくなかったので視線を合わさずに挨拶を返した。


彼の接客中の笑顔を見る度に冷めた気持ちになっていった。


その笑顔は全部嘘、偽りなんだね‥


結局その日はほとんど彼と会話をすることはなかった。


帰る時間になって着替えを済ませると足早に店を出て、真っ直ぐ家の方向へ歩き出した。


「寺坂さん!」


彼が慌てた様子で走って追い掛けて来た。


「‥」


「無視しないで下さいよ‥」


「無視なんかしてないよ」


「嘘ついてますよね?」


彼の嘘という言葉にカチンときた。

嘘をついてるのはそっちだろう!


「嘘なんかついてないよ!」


「どうしたんですか?久しぶりにバイトで会ったのに何かあったんですか?」


「何かあったんですか?良くそんなこと言えるね?」


「本当どうしたんですか?お店では必要なこと以外、口きいてくれないし‥僕、無視されるようなことしました?」


「思い当たる節は無いって?」


「思い当たる節?何のことですか?」


彼は全く見当がつかない様子で答えた。


「宮森君、はっきり言うけど、お店は職場恋愛禁止なんだよ」


「そうなんですか‥僕らのこと誰かに言われたんですか?」


「誰も何も言ってないよ」


「じゃあ、何でそんなこと言うんですか?」


「規則だから先輩として教えてあげただけだよ」


「そうですか‥」


「それと、昨日あの映画観たんだよね」


「えっ、そうなんですか?‥そうですか、僕は寺坂さんと一緒に行くの楽しみにしてたんですけど‥」


彼の言葉が白々しく聞えて、語気を荒げずにはいられなかった。


「そんなお芝居、もうやめなよ!」


「お芝居?」


彼は訳が分からない様子で言葉を返した。


「何にも知らないと思って、わたしのこと揶揄からかってたんでしょ?」


「揶揄う、僕がですか?‥ハッキリ言って下さい、さっきからお芝居とか、揶揄とか、サッパリわかりません」


彼が困惑した様子で言った。


そこまで白を切るんだ‥

せめて自分の口から本当のことを言って欲しかった。


「昨日、本当は映画を観たくなかったけど玲奈と約束してたから仕方なく観に行った‥」


「そうだったんですか‥」


「わたしも宮森君と一緒に映画を観に行くの本当に楽しみにしてた、映画なんてどうでもよかった。宮森君と一緒に‥一緒に出掛けられることが楽しみだった」


「寺坂さん‥」


「わたしの気持ち知っててもてあそんでただけじゃない!優しい顔して思わせ振りなこと言って‥あんた最低だよ‥最低だよ!」


『バシッー!』


捨て台詞を言って思いっきり彼の頬を平手で叩いていた。


彼は打たれた頬を手のひらで押さえながら悲しそうな顔して言った。


「寺坂さん‥言ってる意味がわかりません」


そこまで‥

本当に最低な男だな。


「昨日、新宿の映画館にいたよね?素敵な彼女と一緒に、楽しそうに仲良く手繋いでさ!」


「‥いえ、僕は‥」


彼は言葉を濁した後、ハッとした顔をした。


「この後に及んでまだしらばっくれるんだ?最低だね、もう二度とわたしの前に現れないでよ!わたしは、わたしは、宮森君が本気で好きだった。彼女いないって言ったから信じてたのに‥わたしはバカだね、もうバイトなんか辞めるから、さよなら‥」


「寺坂さん!」


走ってその場を離れた、いや、逃げ出した。


涙が止まらなかった‥

よくよく考えたら彼がわたしなんか好きになってくれる筈がない‥


こんな女子力ないわたしに彼氏なんか出来る筈がないんだ。




次の日、豪徳寺駅前で二階堂さんと待ち合わせをした。


「昨日の夜はびっくりしたわよ、泣きながら電話してくるんだもん、バイト辞めます以外、何を訊いても答えてくれないし」


「すいません、一晩泣いたら少し落ち着きました」


「そう‥で何があったの?」


駅前のベンチに座って二階堂さんに今までの宮森君とのことを話した。


「ふ~ん、宮森君がね、彼そんなことする子には見えないけどな」


「わたしもそう思ってました‥」


「まあ、人は見かけによらないってこともあるけど」


「彼は最低だと思います」


「本当だったらそうだね」


「本当のことです」


「そっか、そうなると寺坂さんから見たら、わたしも最低の人間なのかな」


「二階堂さんがですか?」


「ええ、そうよ」


「わたし、二階堂さんのことそんなふうに思ってないですよ」


「わたし、大学入ってすぐにサークルの先輩と付き合ったんだよね、付き合って一年くらいしたらあまり上手くいかなくなった、会えば喧嘩ばかりして‥そんな時に今の彼氏に出会ったの、優しくて、思いやりがあって、すぐに彼に惹かれた」


「そうなんですか‥」


「でも、前の彼とハッキリ別れた訳じゃなかったから、今の彼には彼氏はいないって嘘ついて一時期二人と付き合ってたんだ。寺坂さんも高校生だからわかるよね?付き合うって意味」


「‥はい」


「最低だよね、二人と同時に関係してたなんてさ」


「二階堂さん‥」


「もちろん、前の彼とはハッキリ別れて今の彼一筋だよ、でも前の彼と二股掛けてたことは言ってない、言える筈ないよね?」


「そうですね‥」


「でもね寺坂さん、あなたもそのうちわかるわ、現実を受け入れる度、夢や理想を同じ数だけ諦めないといけないって、それが大人になるってこと」


「そういうもんでしょうか?」


「まあ、今はわからなくていいよ、店長には上手く言っといてあげるから、バイトのことは心配しないでいいから」


「すいません二階堂さん、ありがとうございます」


「それじゃあね、彼のことはさっさと忘れちゃいなさいね!」


そう言い残して、二階堂さんはファミレスの通用口に向かった。




「で、バイトも辞めて、少し落ち着いてきたと」


「うん、今は超暇してるから、どこでも付き合うからね!」


「ごめんね~葉月がこんな時に言いづらいんだけどさ」


「何よ?」


「多田野君とちゃんと付き合うことになってさ、本当に悪いんだけど、色々忙しいんだよね‥悪いね葉月」


玲奈がすまなそうに手を合わせた。


「何よそれ!」


「ごめんね、彼が待ってるから帰るわ、じゃあね葉月!」


「玲奈、じゃあねって‥」


まあいいか‥


頑張ってね玲奈。


一人学校を出て小田急線に乗ると、いつの間にか豪徳寺駅に着いていた。


改札を出て、ファミレスを見ないように家に向かって歩き出すと、突然背後から腕を掴まれ、驚いて振り返った。


「宮森君‥」


「寺坂さん、お願いだから何も言わないで少しだけ付き合って」


彼はわたしの手を引っ張ったまま歩き出した。


「ちょっと、どこ行くのよ!」


彼は質問に答えなかった。


そして世田谷線の山下駅のホームが見える場所で足を止めた。


「宮森君‥痛いよ」


「ご、ごめん‥大丈夫?」


彼が慌てて握っていたわたしの手を離した。


「何の用?わたしの前に二度と現れないでって言ったよね?」


「次の電車が来るまででいいから‥お願い」


彼が思いつめた表情で懇願するので、仕方なく従うことにした。


「一体、何が始まるの?」


「ただ黙って見ててくればいいから」


三軒茶屋行きの電車がホームに入って扉が開くと、沢山の人が降りて来るのが見えた。


彼は一体何を見せようっていうんだ?

仕方なくその光景を黙って見ていた。


「えっ!!」


思わず声を上げて自分の目を疑った。

宮森君が‥彼がもう一人いる!

しかもあの美少女の彼女と一緒に‥


まさか‥

宮森君って双子なの!?

そんなことって‥


「寺坂さん、行こっか‥」


彼は豪徳寺駅に向って歩き始めた。


「宮森君、わたし‥わたし、勘違してたんだ」


「あれは僕の弟の元気げんき、僕とは違うもう一人の自分、頭が良くて、運動が出来て、可愛い彼女がいて、何ひとつ勝てた試しがない」


「‥」


「みんなが言うんだ、同じ顔してるのに何でこんなに違うんだって、だから弟がいれば僕は必要ない、存在価値なんて無いとずっと思ってた」


「宮森君‥」


「学校はバイト禁止なんだけど、弟と違う何かを見つけたかったから内緒で始めた」


彼は前を向いたまま話しをしている。


「そうだったんだ‥」


「バイトは楽しかった、弟を知らない人達、みんなが僕を頼ってくれて、僕を僕としてちゃんと扱ってくれた」


「‥」


「寺坂さんには本当に感謝だよ、優しく丁寧に仕事を教えてくれて、カフェの歓迎会、嬉しかった、存在意義は自分で作ればいいって教えてくれたことも、僕にとって寺坂さんは女神だった」


「宮森君、ごめんね、わたし‥」


「仕方ないよ、誰だって弟を見たら僕と間違えるよ‥でも、弟の彼女は間違えないんだよね、違うってわかるんだってさ」


「‥」


「映画、行きたかったな、寺坂さんへの想いちゃんと伝えたかった‥」


彼が寂しそうに呟いた。


「もう、遅いのかな?」


「えっ?」


彼がやっとわたしの方に振り返った。


「わたし、映画は観てしまったけど、宮森君さえ良かったら一緒に行って欲しいな」


「‥いいの?」


「もちろん、とってもいい話なんだよ」


「僕は寺坂さんが一緒にいてくれるだけで十分だよ」


「わたしなんか彼女にするのやめた方がいいよ、嫉妬深くて、怒ったり、引っ叩いたり、苦労するから、でもね、わたしは自信あるんだ‥宮森君となら上手くいくって」


「僕も自信ある、寺坂さんとなら何があっても大丈夫だって、たとえ平手で叩かれたって平気だよ」


彼が頬をさすりながら笑って言った。


「ごめんね‥痛かったでしょ?」


申し訳ない気持ちで一杯で、頭を下げて謝った。


「ううん、全然痛くなかったよ、だって僕のことそんなに想ってくれてたってことでしょう?叩かれたあと嬉しくなっちゃった、僕は変なのかな?」


「変だよ、バイト先では敬語で話すし、わたしみたいな子がいいなんて、本当に変な人だよ」


「そっか‥」


「でもね、変でよかった。わたしなんか好きになってくれて」


「寺坂さん、バイト戻って来て下さい」


「それは無理だよ、みんなに迷惑掛けたのに今さら戻れないよ、社会はそんなに甘くないよ」


「大丈夫ですよ、二階堂さんから話を聞いて、僕は二階堂さんに全部話しちゃいましたから、店長は体調が悪くて休んでると思ってますよ、だから、今日からでも戻れます」


「‥やっぱりダメだよ、あの店は職場恋愛禁止なんだから、戻ったらわたし、宮森君と付き合えなくなるから、嫌だ!」


「あれ、寺坂さん知ってました?職場恋愛禁止ってマニュアルのどこにも載ってないんですよ、二階堂さんに聞いたら、店長がいつも冗談で言ってることみたいですよ」


「そうなの!あれって店長の冗談なの?」


「はい、だから戻って来て下さい、みんな待ってますよ」


「仕方ないな、かわいい後輩のために戻ってあげるかな」


「はい、よろしくお願いします」


「てっ、何で急に敬語になるのよ?」


「バイトの話をしてますから、敬語で話さないと、優しい先輩にはね!」


 ー終わりー


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