羅浮山はるかに

ははそ しげき

第一章 羅浮山


「福地先生は、仙人にあったことがありますか」

 だしぬけに聞かれて戸惑った。

「仙人って、あの仙人?」

 われながら間抜けな返事で、答えになっていない。

「ええ、久米くめ仙人とか蝦蟇がま仙人とかいう、あの仙人。亀仙人というのもありますね」

 王くんの問いかけも、半分冗談めいている。

「ああ、それなら毎日あっているよ。うちの鏡のなかに住んでいるんだ」

 さきに王くんが吹きだした。

「鏡に映ったご自身が、飲兵衛のんべえ仙人の『酒仙』だっていいたいんでしょ」

 わたしはすまし顔で、手にしたグラスのビールを飲み干した。

「杜甫の飲中八仙歌に、『李白一斗詩百篇』というのがある。酒豪李白は酒を一斗飲むうちに詩が百篇もできると、杜甫が李白を持ち上げたものだ。一斗といっても当時の一斗はいまの約二リットルだから、一升ちょっとくらいなものか。けっして白髪三千丈式のオーバーな表現ではない。わたしだって若いころは、けっこう一升酒をやったものだ。酒豪の李白ならわけなく飲める量だし、一升飲むあいだに百篇の詩をつくるのはいとも造作のないことだったろう。もっとも日本酒ならいざ知らず、六十何度の白酒バイチュウの一升酒など聞いただけで身震いするがね」

 ビールで潤したせいか口がよくまわる。ひとくさりうんちくを披露したあと、ビールを日本酒にかえる。おきまりのコースだ。

「李白はみずからも仙人に憧れ、神仙世界に思い入れがあったようです。酒仙のほかに詩仙というあだなもありますし、また謫仙たくせんとよばれると、ことのほか喜んだといいます。謫仙というのは、罪を得て仙界から人間界に追われた仙人のことで、非凡な才人や偉大な詩人のたとえになっています」

 案の定、王くんが乗ってきた。わたしの奇妙キテレツな答弁にもくっせず、丁々発止と受け止めて、すかさず正攻法で切替してくる。

 流暢な日本語にくわえ、かなりの博識だ。古今東西を問わず、歴史でも文学でもよく知っている。わたしがひとこと訊ねると、当意即妙な解説が十倍はかえってくる。

 年齢差はふたまわり以上もあるだろうか。親子ほどの違いはあるが、ほとんど気にならない。わたしがいつまでも若い気分で奔放な生活をかえりみないせいもあるが、王くんは歳のわりには律儀で折り目正しく、「いまどきの若いやつらは」という定番のフレーズが使えないほど老成しているためでもある。

 ときにはぎゃくに、「いまどきのお年寄りは、こんなこともできないんだから困ったものです」などと、たしなめられる始末だ。

 パソコンの操作とごみの分別。われわれの若いころにはどちらもなかった。それがいまや、社会的な常識に定着してしまっている。

「知るかそんなもの」と、一蹴できない弱みはわれわれ年寄りの側にあるから、「はいはい」、しぶしぶ生返事すると、「返事は一回だけ」。手厳しい、しっぺ返しを食らう。

 むかし教えた、「ことば遣いの礼儀」だ。忘れもせずによく覚えている。さすが優秀な学生は教えがいがある。

 わたしはむかし広州の大学で日本語を教えていたことがあり、王くんは第一期目の卒業生だ。わたしを呼ぶのに日本語で「先生せんせい」というのは、敬称というわけではなく、教師にたいするそのころからの習慣でしかない。中国語で先生シェンションといえば、ミスターに近い。教師の先生なら、老師ラオシーだ。年齢に関係なく、若くても老師と呼ばれる。

 卒業後、王くんはいくつか日系の会社をわたりあるいたあと、通訳兼ビジネスコンサルタントで自立していた。一般論だが、中国の若者は転職にこだわらない。むしろ向上心のあるものほど転職率が高い。

 縁があったのだろうか、いまはお互いコンサルタント同士だ。なにかの折りにぐうぜん再会し、そのあと仕事の発生ベースで手伝ってもらっている。

 コンサルタントの相棒として気に入っているのは、頼んだ用件でポカされたことがないことと、約束した時間に遅れたためしがないことだ。むすめがいれば婿にほしいくらいのものだが、こういうことは「いわぬが花」で胸にしまってある。

 つきあいはじめのころは舐めるていどしか飲まず、飲めないのかと思っていたら、じつはうわばみクラスの大酒飲みだった。ただし家訓とか信条とかで、年上の人のまえでは勧められないかぎり、じぶんからさきに飲むことはない。これはけっして謙虚でも遠慮でもなく、礼儀だという。いまでも基本的にその流儀は崩さない。ただし盃を交わせば、いつでも応じる。断られたことがない。ということはかれもまた一升酒は軽い口に違いないが、まだ試したことがないから分からない。大酒を飲んでさきにつぶれるのは、きまってわたしの方だったからだ。

 かといって、王くんはかたい一方のしゃちほこばった男ではない。接待の席での取り持ちもなかなか堂にいっているし、外国人には荷が重い夜の外交折衝にも、いやな顔ひとつみせず買って出てくれる。わたしにとってはじつに得がたいパートナーだ。

 王くんのほうも、無手勝流でざっくばらんなわたしにたいし、はじめのころこそ面食らったらしいが、いまではすっかり慣れてしまっている。

「老師のころからでしたが、先生はふつうの日本人と違う。すこしかわっていました」

 と、かえっておもしろがってくれ、耳寄り情報を仕込んできては、吹き込んでくれる。

 わたしは人にたいしてあけっぴろげで、偏見をもたないことを身上としており、ことばに多少のかざりはあるが、主張に裏表はない。だれにたいしても思ったことを率直にいい、感じたままを口に出す。道理にあわない話だと思えば納得できるまで食い下がるから、人によってはよく誤解される。王くんにたいしても、歳を忘れて本気で議論する。

 とまあ、理屈はさておき、うまい酒はテーマしだいだ。さあきょうはどんな話になるか、酒の肴に期待をこめて、わたしは上機嫌でさらに杯を重ねる。

 きょうのペースは速い。わたしにつられて、王くんもそこそこ酔いが回ってきている。

若い日本人のグループが歌い終わるや、王くんは立ち上がり、マイクを手にする。カラオケの伴奏はいらない。大方の意表をついて、中国詩の吟詠におよんだのだ。

 中国流は、日本の詩吟の朗々たる悲壮感はなく、京劇でよく耳にする甲高くにぎやかで、やや軽妙なテンポになる。「待ってました」とばかりに、まわりの客がはやしたてる。なじみの店だからいやな顔をするものはいない。一句ごとに中国語と日本語で交互に謡いわけ、分かりやすくする配慮も忘れない。


  李白一斗詩百篇  李白一斗 詩百篇

  長安市上酒家眠  長安市上 酒家に眠る

  天子呼来不船上  天子呼び来たれども 船に上らず

  自称臣是酒中仙  自ら称す 臣はこれ酒中の仙と


「こんど仙人の棲む山へ行ってみませんか。ここからなら車で二時間、広州の東側にあたる増城ぞうじょうのとなりです。恵州けいしゅう博羅はくら県にある羅浮山らふさんという山です」

 うなり終ると王くんはさらに興に乗って、一気に語りだした。ふだん寡黙で冷静な王くんにしては珍しい。

「へえ、羅浮山というのかい」

「羅山と浮山というふたつの山が合体してできた神仙山です。そのいわれには、日本の富士山も一枚からんでいるらしいですよ」


 かつて司馬遷しばせんはその羅浮山を中国の十大名山のひとつに挙げ、五岳に次ぐ名山粤岳えつがくと讃えた。粤は越とも書くが、広東カントン省の別称だ。五岳とは、東岳泰山・西岳崋山・北岳恒山・中岳嵩山・南岳衡山のことだ。

「泰山は坐すが如く、崋山は立つが如く、恒山は行くが如く、嵩山は臥すが如く、衡山は飛ぶが如し」と、それぞれのもつ特異な姿形は、「坐・立・行・臥・飛」の一文字で端的に示される。これにたいし、粤岳羅浮山には「春」の一字があてられる。「羅浮は春の如し」と、姿形ではなく情景で示されるのだ。冬暖かで夏は涼しく、風光穏やかで清々しい。

 大小四百三十二ヶ所の山峰と深く切り刻まれた渓谷が複雑に入り組み、九百八十ヶ所の飛瀑名泉、十八ヶ所の洞天奇景、七十二ヶ所の石室岩窟を生み、さながら幽玄の世界を彷彿とさせる。そのため古来、神仙境と目され、方術・道教の修行の聖地となっている。

 羅浮山を上空から俯瞰すれば、あたかも頭をもたげ、いままさにつぼみを開こうとする千弁の蓮の花びらを連想するに違いない。

 主峰は飛雲頂、海抜千二百九十六メートル、峰の頂は丸皿のように平坦で、さまざまな草花が一年中枯れることなく、季節ごとに色柄を取りかえ咲き競っている。雲と霧がゆるやかにたなびき、花の香りが全山を包む。日の出は泰山とならび称される美しさなのだ。

 また羅浮山には千二百余種類にものぼる薬用植物があり、自然の中薬の宝庫といわれる。晋代、羅浮山に遷居した葛洪かつこうによって効能や処方を研究され、『抱朴子ほうぼくし』『薬仙』『金櫃きんき薬方』などの書物に記されている。宋代以降、多くの薬師によって羅浮山冲虚ちゅうきょ古観こかんの左側に洞天薬市くすりいちがひらかれ、やがて東粤四市のひとつとなる。ちなみにその他の三市は、東莞とうかん寮歩りょうぶ香市こういち・広州七門の花市はないち・廉州城西の珠市たまいちだ。


福地ふくち先生の苗字には、幸せや福を生む豊穣の土地という意味があります。中国語では神仙の棲むところ、極楽や楽園を福地フーディといいますが、日本でもそうですか」

「さあて、そんなありがたい意味があったとは、この歳になるまで考えもしなかった」

「羅浮山は天下有数の洞天福地として、仙人が棲む神仙洞府のあることでも知られているんですよ」

 王くんの弁舌は心地よい響きをともなって、わたしの酒量をさらなる高みへと引き揚げてくれる。飲むほどに酔うほどに神仙境へと近づいてゆく。まこと「羽化うか登仙とうせん」の春のいざないだ。

「蓬莱仙境の異名をもつ羅浮山は、もともとそこにあった羅山と、東海の蓬莱山から分れたひと峰の浮山が流れ着いて、合体してできた夫婦山だという説話があります」

「その蓬莱山が、つまり日本列島のどこかだったというわけだね」

「ええ、蓬莱山とは、ずばり富士山のことだったという伝説もあります」

 王くんは、さながら現代の語り部といっていい。ゆっくりと分かりやすく、昔話や故事来歴をものがたってくれる。話の途中でトンチンカンな質問をしてもいやな顔はせず、ていねいに説明してくれる。


 遥かなむかし、東海の竜王に青竜公主という愛くるしい姫がいた。

 ある日、海に浮かぶ蜃気楼を見ていた公主は、色鮮やかに光り輝く南海の浜辺の光景に目を奪われた。このまばゆさは、いったいなんだろう?

「行ってみたい」

 好奇心にとらわれた公主は、ひそかに海流に乗り、波濤をけって南海をめざした。

 はたしてそこには、南海の竜王の王子小黄竜がいた。

 王子は珠海の浜辺で拾った、夜目にも鮮やかな光沢を放つ大きな真珠を虎門こもんの海にかざし、神秘の虹彩を楽しんでいた。青竜公主はそこに流れついたのだ。

「なんてきれいな真珠でしょう」

「夜光の真珠、明珠というんですよ。あなたが身に飾ると、何十倍も美しくなる」

 公主は大喜びで小黄竜に話しかけ、ふたりはすぐに打ち解けた。

 たがいに竜の姿のまま、海にもぐり、浜辺を駆けて、仲良く遊びに興じたのだ。やがてふたりは恋におちいり、身も心も許しあう仲となる。

 これを知った東海の竜王は、親のいいつけをないがしろにし、結婚という一生の大事をかってに決めて家風を乱したと怒り心頭に発し、公主を蓬莱仙山の左側にある孤島に閉じ込めてしまった。

 南海の竜王もまた、小黄竜が自分勝手に婚姻をむすんだと憤慨し、王子を鉄の鎖で縛りつけ、羅山ふもとの古井戸の奥底深く、放り込んでしまった。

 軟禁された青竜公主は小黄竜を想い、昼となく夜となく涙で頬をしとどに濡らす。涙は細流となり江河となって大海に流れ落ち、ために海水は塩辛く味をかえる。さらに公主のつくためいきは天まで溢れる高波となり、大津波となって岸壁を襲う。

 やがて青竜公主の純粋無垢の愛情は、巨大な神亀の同情を生む。公主の号泣にも似た暴風雨の荒れ狂う夜、巨大な神亀は公主の救出工作に着手する。公主を軟禁した孤島は、つねに蟹将軍が防備している。それが今夜にかぎって緊急防災活動のため出動し、留守になった。蟹将軍の不在に乗じて、巨大な神亀が蓬莱仙山の孤島を担いで動かし、南海の潮流に浮かべたのだ。孤島は浮山と名をかえ、羅山に向かって流れはじめる。

 この消息は、カモメの早飛脚によって、ときを移さず小黄竜にも伝えられる。

 公主が近づいている。小黄竜はあらんかぎりの力を振り絞って、からだを縛った鉄の鎖を引きちぎり、古井戸の底から這い上がる。

 古井戸から首をのぞかせた小黄竜は、羅山に流れ着いた青竜公主の姿をとらえる。ふたりはついにめぐり合い、しっかりと抱き合ったのだ。

 天が崩れ、地が裂ける。電光が閃き、雷鳴が轟く。見る見るうちにふたりは巨大な山に変身する。小黄竜は羅山の主峰飛雲頂に、青竜公主は浮山の最高峰天上界の三峰になる。

 そしてふたつの山は合体し、羅浮山と呼ばれる神仙山になったという。

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