今は誰も歌えない祖父の歌

時遡 セツナ(トキサカ セツナ)

第1話

『今は誰も歌えない祖父の歌』






山口県周南市戸田。母の実家はその中でも辺境の地にあった。

ちょうど海と山に囲まれた四郎谷という場所である。

地元では棚田二十選に選ばれるほどに美しい棚田が一帯に広がっており、幼い私は当時その素晴らしさなど微塵も知らなかった。

子供の頃の思い出としては、夏になると避暑地として毎年お盆の時期には必ず訪れ、夏休みの思い出を沢山作ったものである。

四郎谷までの道は基本、山へと入っていく一本道。

その道はひたすら上り坂でどんどん上がっていくと、山の中腹あたりで向こう側へと出られる。

そこからの眺めは四郎谷の集落全体、棚田だけではなく、正面には瀬戸内海が望め、天気のいい時は海の向こうにある島まで見えてしまう。

更に運が良ければ海の上を走る路線、JR山陽本線を通る列車が行き交う姿を見ることが出来る。

鉄道好きにはたまらないらしいが、それを知ったのも私が大学生になってからである。

母の実家に行くと、祖父母と同居している叔父叔母、従兄弟たちが待っていた。

私にとって祖父母の家に行くことは夏休みの中で最も楽しい一大イベントであり、振り返れば何もないのにもかかわらず、毎日が楽しく自然とよく戯れていたと思う。

コンビニもスーパーもなければ、ビルのような高い建物もない。

ゆったりとした自給自足で成り立っている為、人の多い都会特有の切迫感から解放された長閑な環境。

まるでとあるアニメの舞台になっている田舎にでもやってきたかのような気分になれたのである。

祖父が丹精込めて育てたスイカを軒下で食べたり、祖母が作る卵と素麺が入った味噌汁を味わったり、赤い屋根に白壁で作られた祖父母の農具倉庫を遊び場にしたり。

そんな田舎で、私が今でも印象に残っているのが盆祭りである。

小さな廃校をそのまま公民館にした場所で毎年やっているのだが、特に出店もなければ何もなく、ただ集落の人たちが集まり、輪になって踊るという素朴なものである。

しかし、その盆踊りで歌われる歌を毎年歌っていたのが、私の祖父だった。

マイクを自慢げに握りしめ、古いスピーカーと繋いで悠々と歌っていく。

一部歌い終わると、合いの手で周りの誰かが、あれやー、あれせー、やっこーらーせー、と歌い、祖父の歌の続きが始まる。

最初、私は歌舞伎や能のように歌詞を伸ばして歌っている為、祖父が何を言っているのかが全くわからなかった。

母に聞けば、どうやら母も歌詞をあまり知らないらしく、話によれば源平合戦に登場する那須与一のことを歌っているとのことだった。

何故、盆踊りに那須与一を歌うのかもわからない。いくら同じ山口県でも壇ノ浦と四郎谷では離れ過ぎている。

謎が謎を呼ぶこの四郎谷の盆祭りの歌だが、当時の私は興味がないこともあってそこまで深く気にも留めていなかった。

まぁ、いつか祖父や祖母に聞けばいいか、と思っていたのが、そもそもの間違いだった。

そんな私が大学生の時、突然祖母が倒れた。

春にリンパ癌だと知り、駆け付けた時には既に抗がん剤治療で衰弱し切っており、少しでも元気になってもらおうと母の着物で成人式を迎えたばかりの自分の写真を見せると、

「おばあちゃん、見てや。うちやっと成人したよ?」

「あぁ、懐かしい着物じゃないの」

ありがたや、ありがたや、と合掌して目に涙を浮かべた。

母もまたかつて同じ着物で成人式を迎えており、祖母もそれを気に入っていた為、尚更嬉しかったのではないかと思っている。

その時の祖母の顔はもうこれで悔いはない、と言っているような気がした。

なんとなくだが、満足した顔だったのを覚えている。

それから夏になる手前の五月に祖母は旅立ってしまった。

残された祖父は一人淋しく不慣れな家事と田畑を守りながら過ごし、気持ちを紛らわそうと時には独学で学んだ尺八を吹いていたという。

同じ年の夏休み、家族で一人の祖父が心配だと遊びに行ったが、祖父はあまり元気ではなかった。

きっと祖母がいなくて淋しいんだ、と思った私は

「来年、また来るね。おじいちゃん」

と言った。

「うんうん、またスイカ作って待っちょるけー」

これが祖父との最後の会話となった。

祖父はまるで祖母においで、おいで、と呼ばれるようにころりと旅立ってしまった。

一年巡って祖母の一周忌の五月頃、不慮の事故だったとか。

母は二年立て続けに両親を亡くしたことにより、とても心を痛め、しばらく泣いていた。

私もまた大好きだった祖父母がいなくなることが信じられなくて、こういう時泣いていいのかさえよくわからなかった。

悲しみが喉にまで来ているのに、息を呑んでぐっと堪えてしまったのである。

こうして私は結局、あの盆踊りの歌の謎を聞くことが出来なかったのだが、今でも四郎谷ではあの歌が聞けるらしい。

どうやら祖父の歌をカセットテープに録音していたものを流しているという。

しかし、その歌の歴史について語り、自ら歌える人はもう誰もいない。






終わり

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今は誰も歌えない祖父の歌 時遡 セツナ(トキサカ セツナ) @otukimipanda

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