創作独話会
@nomisopan
第1話 レッチャリ
田所「このあたりで一番高い山に登ったら、頂上から何が見える?」
菊池「何それ、心理テスト?」
田所「いや、適当に遊んでるだけ」
菊池「何が見えるって、そりゃ雲とか空とかじゃない」
田所「芸がないねぇ」
菊池「イラッ」
僕はギッと彼女を睨んだ。
田所「イラッてリアルに言ってる人初めて見た。キャハ」
菊池「キャハだって、パー子かレッチャリぐらいだろ。言ってるの」
田所「パー子って誰よ」
菊池「林家ペーパーのパー子、知らないなら良い」
彼女は田所という高校の同級生で、昔からよくつるんで遊んでいた。レッチャリというあだ名は、高1の頃、彼女がレッチリ(レッドホットチリペッパーズ)というバンドの大ファンで、体型がぽっちゃりしていたので、レッチリとぽっちゃりをかけ合わせてレッチャリと呼ばれるようになったものだと記憶している。知り合った頃にはもうレッチャリという名で親しまれていた。
仕事帰りにレッチャリから呼び出されて、赤坂のけやき通り沿いの落ち着いた雰囲気のカフェで落ち合ったのが21時過ぎ。小柄ながらスラッとした、仕事帰りのOL風の小綺麗な格好をしたレッチャリと窓際の席に腰を下ろした。オレンジの優しい照明に照らされた店内には先に2組の客がいて、何やら楽しげにお喋りをしているのが聞こえてきた。こんなシャレオツなカフェならBGMにボサノヴァやラウンジジャズが流れていそうなものだけど、レトロな内装の店内に流れているのは往年のフォークソングだった。辛うじて分かったのはチューリップぐらいで、それ以外は初耳だった。カフェならそこら中にあるのに何でこの店にしたのか彼女に尋ねると、福岡のカフェ巡りが趣味のレッチャリのお気に入りの店らしく、イマドキのカフェのオサレ感と純喫茶の温かみを兼ね備えた雰囲気がたまらないらしい。お店のおすすめのボローニャパンを使ったスィーツと珈琲を頂きながら、しばらく昔話や結婚、仕事の話をした後に、いつものアレが始まった。
田所「ねぇ、気持良いを音色にしてみて」
菊池「また始まったよ」
田所「ねぇ、してみて」
菊池「気持ち良い?を音色に?」
僕は困った顔をして見せた。
田所「うん」
レッチャリは僕の困った顔を嬉しそうに見ていた。
菊池「そりぁ、あんっ♥、とか、イエス!とかじゃね」
田所「それあえぎ声じゃん」
菊池「そりゃそうなるよ」
田所「もっとメロディックなものを期待したんだけど」
菊池「そう言われましてもねぇ」
レッチャリは話題がなくなってくると、よく一問一答のような大喜利まがいの難題を出してきた。こちらも嫌いじゃないので、テキトーにテンポ良く返していた。
田所「オリンピックでもパラリンピックでも、1位は金メダル、2位は銀メダル、3位は銅メダルでしょ?」
菊池「うん」
田所「じゃ、1位と3位の色を入れ替えて、1位を銅、3位を金にするならどうする?」
菊池「そんなん、できるわけねぇだろ」
僕は眉間にしわを2、3本寄せてそう言った。
田所「ちょっと考えてみて」
菊池「しょーがないねぇ。ん~、じゃ表彰台の1番低い段に”1”、1番高い段に”3”て書いとけば?そうすれば、1の上に立つ人は銅メダルをもらうし、3の上には金メダルだよ」
田所「おー・・・ん?ん?」
レッチャリは溜飲が下がらないのか少し首を傾げた。
菊池「じゃあね、今度はこっちからいくよ。絶対に落ちない紙飛行機はどう作る?」
田所「紙飛行機を落なくするには・・・ん~難しいなぁ・・・」
菊池「ギブ?」
田所「いや、ちょっと待って」
ちなみにギブアップをしても特にペナルティはない。だけど何だか負けた気がするので、お互い出来るだけ相手を納得させる面白い答えをひねり出そうとするのが通例だった。
田所「素材を・・・折り方を・・・ん~、翼に西鉄バスって書いてみようか」
菊池「どういうこと?」
田所「飛行機なのにバスって書いてあるから、腑に落ちない、つって」
菊池「つってじゃないよ。落語みてーになってんぞ」
田所「良いじゃん。表彰台に数字書くのだって反則っちゃ反則だよ」
菊池「まぁな」
レッチャリが小さな顔をパンパンにふくらませていたので、こちらもふくれっ面を真似してみせたら、お互いおかしくなって噴き出した。
田所「じゃね、猫の鳴き声で”ワン”て言ってみて」
菊池「にゃ・・・にゃ・・・ワにゃん。難しいわ!」
田所「ギブ?」
菊池「ギブっつーか、無理」
田所「じゃギブね」
レッチャリは満足した表情でぬるくなった珈琲を口にした。
菊池「んじゃね、今何の匂いがする?」
田所「何って、まぁ、カフェっぽい匂い。珈琲が強いかな」
菊池「じゃ、珈琲の香りをそこのナプキンに描いてみて。10秒以内に。はい、ヨーイ・・・」
田所「ちょ、ちょ、ちょっと待って。まだ書くものも紙的なものも準備できてないよ。せっかちは何かの始まりって言うよ」
菊池「それも適当に言ってるんでしょ」
田所「うふふ、ペン持ってる?」
脇に置いてあったバッグから黒いボールペンを取り出してレッチャリに渡した。
菊池「はい。ナプキンはそこね」
レッチャリは席の後ろの台に手を伸ばして、客用の紙ナプキンを一枚拝借した。
菊池「できた?いくよ」
田所「何描くんだっけ?」
菊池「珈琲の香りね。10秒で。はい、ヨーイ、ドン。いーちー、にー・・・」
レッチャリはペンを持っていない方の手で紙ナプキンを隠しながら、勢いよくペンを走らせた。
菊池「きゅーう、じゅっ、終了~。できた?どれどれ、何この黒いの?」
黒くて丸っこい物体の上に温泉マークのような3本の湯気が描かれていた。
田所「いや、豆よ。煎った豆。ほら上に匂いが出てるでしょ」
菊池「珈琲豆っつーか、黒いそら豆だろ」
田所「アートだもん。タイトル付けちゃえば勝ちよ。ふふふっ。」
菊池「アートの何を知っとるんだね、チミは」
田所「そういえば、アートで思い出したけど、1週間くらい前に箱崎の住宅街を歩いてたら、クルクル回って、歩道の脇の壁にぶつかりながら進んでくる兄ちゃんがいて、久々にぶっ飛んでる人を福岡で見かけて、何か嬉しくなったよ。みんなしれっと避けて歩いてたけど」
菊池「おいおい、大丈夫かい」
僕は冷めた珈琲を啜りながらそう言った。
田所「一瞬しか顔見れてなかったけど、顔に白い絵の具みたいのが付いてたのね。だから、ひょっとしたら絵とか造形とかやってる人なのかもって思って。普通見れない視点で世界を切り取るみたいな。もしそうなら、やっぱりあのぐらいぶっ飛んでないと後世に遺るような作品は産めないんだろうなぁ」
菊池「うーん、まずその”もしそうなら”の仮定に納得いってないけどね」
田所「じゃあさ、楽しいと悲しいの境界を感じてみて」
菊池「またずいぶん曖昧なもんのキワに立たせようとするねぇ、そもそも楽しいと悲しいは接して・・・なくね?」
田所「楽しいと接してるのはつまんないか」
菊池「んー、ほな無理ですわ」
22時くらいに赤坂でレッチャリと別れた後、暗い夜道にチャリを走らせて、15分ほどで六本松の自宅に帰り着いた。寝る前に棚に並べてあった本から何気なく1冊取り出して、ふかふかのカウチソファに深く腰掛けて読み始めた。2年くらい前に買った誰かの短編集で、前に一度読んだ気がするものの、内容が全く思い出せないので、初見の感じで読めた。その本の2つ目の話に、ことごとくチャンスを逃してしまう初老の男が主人公のコメディがあって、それを読んでいて思い出したことがあった。日頃はちょっとした楽しみや充実感を糧に忙しなく動き回っているから忘れてしまいがちだけど、心が真っ白にスパークして燃え上がる様な、とびっきりの幸福感を探していたんだった。本を閉じて、お腹の上にそれを置いて、天井を見つめながら、誰かに説明するように思っていたことを口にしてみた。
「例えば、「嬉しい」って言葉を2、3歳で知った時、きっとこの感覚が嬉しいってことだろうと理解して、自分の気持ちと言葉を対応させて覚えたとするでしょ。もう少し時が経つと、言葉は自分のものでもあるけど、自分だけのものじゃない事を知る、つまり周りや社会と言葉を共有してると知るよね。リンゴのことをパイナップルと呼ぶのは自分語としては勝手だけど、コミュニケーションに使う言葉なら予め相手に「僕はこの赤い果物をパイナップルと呼びます」と断りを入れでもしない限り、相手はパイナップルと聞いてふさふさの付いた黄色くて酸っぱい方の果物をイメージしちゃうでしょ。
その延長線上のもうちょい先の方では、一般的にどういう状況の時に人は嬉しく思うかってことや、こういう時は嬉しいって言った方が良いみたいな計算も出来るようになってきちゃって、仮に実感がなくても嬉しいって言うことが出来てきちゃうんじゃないかな。
そうなると、本来持ってた嬉しいって気持ちなのか、状況を判断して単に記号として嬉しいと言ってるのかよく分かんなくなって、常に自分の言葉にしっくり来てないような疑心暗鬼が付き纏うんだよね。信用できないわけ、自分の言葉を。幸せにも同じことが言えるような気がしていて、「幸せだなぁ」と思った時も、自分の本当の幸福感はその記号のもっとずっと上のレベルのところにあるんじゃないかと感じちゃうんすよ」
真っ白な天井は何も返してくれなかった。シーンとした部屋の中で目を閉じると、余計に一人を感じられた。その雲の上の幸せを目指して人生の本流を進めたいという思いと、迷いながら紆余曲折してるうちに雲散霧消に時が過ぎていってしまうんじゃないかという焦りのようなものを思い出していた。ちょうど太陽にダーググレイの雨雲ががっつり掛かって、その雲間や雲の縁からこもれている光が見えているんだけど、本丸の太陽はほとんど雲に隠れてしまって見えていない感じ。
「幸せを味わい尽くしたぞと感覚的に納得できる時が来るとしたら、それはいつ訪れるのかなぁ」
と、ぼんやり思って、そのままベッドの毛布にくるまって寝た。
その夜、たまに見ることがあった人を殺してしまう夢を久々に見た。いや、人を殺すシーンははっきりとは出てきていない。どちらかというと、やってしまった後に逃げ隠れてる場面がメインで、「やっちまったぁ、隠れないとまずいな。親父に怒られるだろうな。かーちゃんは泣くかなぁ。兄弟には何て説明すればいいかなぁ」といった心理描写がかなりリアルに描かれていた。
翌朝、意識がリブートする中で、しばらく夢と現実の区別が付かずに、本当に殺してしまったという気分のまま起きて、まず何から始めよう、どこで隠遁生活をしようと結構本気で考えた。次第に夢だと分かって、もの凄いほっとした。ほっとしたけど、出勤準備をしている間も嫌な気分が抜けなくて、ずっしりとした分厚いマントを引きるように家を出た。
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