一
気温は氷点下近くか。外套の上からでも空気の冷たさが身にしみる。服の上でそれなら、肌の露出している顔の部分は寒さが刃の如く切り裂いてきているかのようだった。鼻の中で鼻水も冷たくなり、より寒さを強めている。
大陸の空港から連絡大型バスで三十分ほどで辿り着いた場所は、西京市の西端にある唯一の軍事的基地。市を守護するという天剣組の敷地だ。ヤマト領内にある軍事基地と違い入口に門番が立っていない。もしかすると今日はいないのかもしれない。
『歓迎!第三期新入隊員!!入隊式は講堂へ!』・・・という黒字に白い立て看板がぽつんと入り口に立っている。デジタル時代が到来したヤマト本土に比べると、この看板は書き文字で、えらく古風なことである。
エクスこそ冗談めいたように受け取ったが、周囲の同期生たちは特に反応した様子はなく、旅行鞄や手引き鞄を思い思いに運んで講堂とやらに向かっていく。彼らと違い、少し荷物が少なめなエクスも、寒さに我慢しながら敷地内へと足を踏み入れ、講堂へと人の流れについていく。
すると入れたのは学校の体育館のような屋内。おそらく講堂であろう。粘土質の玄関と、木製床の広間が広がる空間が奥に見える。広間には簡易椅子が並べられており、外とは一転して暖かさが広がっていた。暖房器具による暖気に加え床暖房のおかげで、コートを着ていると汗ばんでしまう。手早く防寒コートを脱ぎながら、広間のさらに奥を見る。檀の上に更に席が設けられており、そこには四人の男女がいた。彼らが天剣組の隊長格なのだろう。初老で体格のある男、長身で容貌の良い男、地味だが一人だけ服装がきっちりしている男、金髪の女性の四人だ。エクスの目には誰が団長なのかは判別はできなかった。団長の名前は知っているが、顔は知らない。
団長の名は、
エクスの目には獅堂来人が、四人の中で一番体格が大きく歳のいっていそうな人物だと思いこんだが、それは簡単に裏切られる。式典が始まり、退屈な時間が半ばまで過ぎてからのことだ。
副長の
「何をする!やめろ!」
騒々しい男の声に出席者全員の視線が後方の入口に向けられる。視線の先には、小柄な黒髪の男が入ってきていた。彼に続いて、男を抱えた長身の金髪の男が入ってきた。騒々しい声の主は抱えられた男から発せられているようだ。
「全て喋ったはずだ!」
などと把握のしにくいことを言っている。それ相応に暴れてもいるのだが、彼を抱きかかえる金髪の男は抑え方が上手いのか、まるで抵抗を感じていない。
「師匠、そいつは?」
壇上にまで上がった彼らを迎えた一樹が小声で言ったつもりが、音響機器にしっかり音声を拾われて講堂内に響き渡る。
「生贄だ。アーク、しっかり抑えてろよ」
師匠と呼ばれた小柄な男が答える。その受け答えははっきりとした大人の声で、彼が場違いな少年でないことが分かる。
アークと呼ばれた付いてきていた金髪の男が抱えている男を壇上に放り捨てる。暴れていた男は解放されたと思ってすぐに地を這って逃げようとするが、何かに抑えつけられたように動けなくなる。それが何かはよく判別できないが、それでも何らかの第三者が男を抑えつけているように見える。
「こいつはつい先程大陸鉄道の線路に細工をしようとして捕縛された間抜けだ。こんな間抜けであろうと我々天剣組にとっては倒すべき敵の一人だ。我々は力を持たない開拓市民に代わり、開拓領の平和と安寧を守らなければならない。」
小柄な黒髪の男は、その小柄さから想像もつかない演説を語り出した。一度言葉を切って、何もない虚空から赤黒い刃をした抜き身の刀が一振り、男の右手に現れた。
「そんな、殺さないって」
抑えつけられていた男は自分の未来を察してしまったが、言い終わらない内に動かなくなってしまった。小柄な男の躊躇い一つ無い一振りによって、抑えつけられた男の首と体は離れ離れになっていた。
エクスと壇上の距離は遠かったものの、何が起きたかは明瞭だった。同期隊員の中には、いきなりの処刑劇に小さく悲鳴を上げる者がいたし、口を抑えて嘔吐する者もいた。
エクスはといえば、小柄な男に注目していた。一切の躊躇や情け容赦ない動きに見惚れていた。
「ここはヤマト本土ではない。ヤマトの法律を守るような優しい犯罪者はいない。天剣組はお前たちを殺すか殺されるかの人間にする組織だ。命の奪い合いが嫌なら、即刻事務局に言え。早期に本土へ送り返そう。しかし、命を守るために命を奪うことをよしとするなら、これからお前たちはまず自分の命を守ることから始めろ。お前たちの先輩たちや、隊長たちはお前たちを守れる時もあるだろう。しかしそれは全てではない。命は容易く奪えることを心せよ。この大陸こそ、ヤマトの最前線だ。」
小柄な男の大演説が終わる。終わると、アークの方に目配せして、壇上から降りる。アークは死体となった男の体を持ち上げ、肩で背負う。背負いながら、転がっている生首を鷲掴みにして拾い上げた。
二人はゆったりとした足取りで講堂から退室する。エクスは退室する彼らから目が離せなかった。強い印象で惹かれていた。そんなエクスに気付いてか、あるいは新入隊員の反応を見るためか、一瞬ちらりとエクスたちを見た。小柄な男の容貌は、近くで見ると綺麗で、副長と違い皺一つなく、美少年にも見えた。副長から師匠と呼ばれていたこともあるし、不思議な魅力を持っていた。
「我が団長が失礼した。さてこれより、君達の配属場所を発表する。団長の話にもあった通り、帰国を希望する者は式終了後に申し出るように。」
二人が退室する頃に、副長が壇上に立ち直して、改めて式を進行させる。その時にエクスはようやく、団長の獅堂来人が誰か分かった。あの小柄な少年のような男が団長だったんだと。
十数分後。講堂の式典出席新入隊員はエクスのみが取り残されていた。他の同期生たちは組分けされて、それぞれ講堂を出てしまった。何か問題があるとすれば、エクス自身、思い当たることはいくつかある。
第一に、戦闘に関する経験は何一つない。ヤマト本土の戦闘に関するものは、例えば剣道や弓道だ。エクスはそれらを一切したことがない。
第二に、銃の訓練をしたことがない。昔のヤマトは兵役制度があったが、今はもうない。兵士の数自体が足りていて、職業軍人の数が飽和状態であることが大きな理由だそうだ。ど素人から職業訓練を行うほどの予算も惜しい、というところなのだろう。
第三に、それら二つを不問とする条件に飛び付いたからということだろうか。
「あー、待たせたね」
考えるエクスに成実一樹副長が自ら歩み寄ってくる。
「あの、自分は?」
顔に小皺のある男に、エクスは立ち上がって思いきって問う。それに対し、彼は苦笑しながら講堂の入口に目を向けた。
「君の配属は、とりあえず団長の直属だ」
エクスが釣られて入口に目を向けた。一樹の言葉を少々胡乱に聞きながら、再び入ってきた小柄な人影に注目する。
「お前がエクス・アルバータか」
エクスの初めての上司はあの美少年に見える年上の男性であった。
黒髪に黒い外套を着た黒づくめの美少年のような男と言うしかない。年齢は答えなかった。成実副長よりは年上であることは確実であるらしい。その成実副長はちょうど四十歳。小皺は納得だが、獅堂来人の若さは解せない。
顔立ちは幼く、間近で見るとやはり少年にしか見えない。とはいえ、切れ長の目つきには圧倒される。暗い黒い瞳をしていて、見つめられると、先程の処刑劇で使った赤黒い刃を胸に突きつけられるような感覚に陥る。
団長と副長に連れられ、講堂を出て、事務棟に移る。敷地入り口から正面に見えた建物だ。一階のみで建てられており、かなり横や奥行きと広い。
今は何より静かだった。事務棟の受付室は電灯が消え、真っ暗になっている。今日は入隊式典で仕事することもないということだろうか。そんな事務棟の受付の横、奥を行く通路に二人は歩いていく。エクスはそれに付いて行く。
「あれ、本当に破壊工作員で?」
「ああ。アークが張っていたのをな。」
歩いている中、副長があの処刑劇の犠牲になった男の話を切り出す。
「ちょうど良かった。ああして見せれば坊やどもも考え直すこともあるだろう。」
来人は事務的に答えている。面白がっているとか、嫌がらせをしてやろうとかいう感情は伝わってこない。
「ただ、お前はビビってはいなかったな」
突然後ろを少し向き、目配せして話を振られる。びっくりして、エクスは震えるが、躊躇いながら答える。
「刀のほうを、見てまして」
本当は刀を振る来人の姿に見惚れていたのだが、そうは言わずにぼかして答えた。
「師匠の剣は格好いいからね」
「剣術の心得もない奴がよく言う」
副長は嬉しそうに笑い、来人は静かに言う。とはいえ、怒ったわけではなかった。
「だが悪くない答えだ」
「師匠は、いや、団長は自分の剣術でいい格好ができると嬉しい方でね。もっと言ってやってくれ。」
「新人にいらんことを教えるな」
見てくれは奇妙な師弟関係だが、彼らが信頼関係に結ばれていることが分かる会話だった。副長の柔和な微笑みに、エクスは生返事をしながらぎこちなく笑う。
そんな会話をしていると通路の突き当たりに辿り着く。団長室というネームプレートが扉に横文字で張り付けてある。表札の上には磨りガラスの窓があり、中はほとんど伺い知れ無い。
来人はカギのかかっていない扉を開ける。
「見ての通り、団長室だ。しばらくの間、お前にはここで寝泊まりしてもらおう。」
来人は扉を開けた状態でエクスに向き直り、エクスが驚愕する知らせをしてきた。
「は・・・? え!?」
とんでもなく阿呆くさかったが、来人の言葉も大概唐突だった。
団長室に入ってすぐの物置部屋がエクス用の私室だった。備え付けの電灯がある狭い机に、簡易ベッド。本当に最低限寝泊まりできるだけのスペースだ。とはいえほとんど外気が入ってこないことが幸いだった。春先でこの寒さだと、冬本番はとんでもないことになろう。
今から冬場のことなんて考えてどうするのか。ここはヤマト本土ではない。完全に自分の知らない土地なのだ。そして何より、来人の言ったように戦場と隣り合わせの場所。経験不問で事務職を希望したのに、何と甘い展望だろうか。エクスは急に不安になってしまっていた。
少ない手荷物はほとんどが私服だ。お洒落に気を使っていたわけではない。そんな余裕のある生活はしていなかった。学生でもできる短期雇用の仕事を何度も変えていく毎日で、貯金もそれほどできなかった。
長期の仕事はなぜか長続きしなかった。不真面目だったわけではない。どうにも巡り合わせが悪く、もっと働ける人間に押しのけられて辞める羽目になっていた。
就職活動でもそうしてあまり前向きになれず、ついにこの大陸に来てしまった。考えてみれば、なんと自業自得なことだろうか。
という風に今までのことを思い返しながら室内着に着替える。気付かぬ内に何度かため息を吐いていた。室内着といっても高校生の時に着ていたジャージだ。かなりみっともないが、他に着るものもない。
そんな服装のまま団長室に戻ると、副長がお茶を入れているのが見えた。
「ああ、何だそりゃ。だせぇな。」
黒い革の長椅子でくつろぐ来人はエクスを見て、はっきり言った。
「うん、まぁ、それは酷い」
副長もまた、答えにあぐねて、結局簡潔に言い放った。
「仕方ない。服装はなんとかしよう。とりあえずそこに座れ。」
来人は、対面の応接ソファーを指差し、座るよう促してくる。高級そうなテーブルに、エクスのお茶が副長によって差し出される。
それらに会釈しながらエクスはソファーに腰を落とす。感じたことのない尻の感覚にびっくりする。弾力感があり、とても座り心地がいい。
「さて本来であれば新人は半年間ほど見習いとして第二部隊や第三部隊に配属される。いわば実働部隊の雑用係兼支援役だ。いきなり実戦をさせることはない。慣らすために実地見学はさせるが。」
来人は説明を始める。脚を組んで、茶を飲みながら。小柄な背格好のせいで、まるで偉そうに見えない。
「しかし、お前は他の奴らと違いまさかの経験無しで応募してきた。ウチは経験なんぞなくても動ければいいんで、特に問題は無い。ただ、であれば、ウチの懸念事項にちょうどいいと思ったところでな。」
静かに茶碗を置き、来人はエクスを見つめる。エクスとしては、来人が何を言いたいのか話題が見えずに固まるしかない。
「こう言っては何だが、俺も含めてウチは隊長格で世界最強戦力を揃えている。英雄『双撃』に最強の竜狩り戦士とかな。のほほんとしてるが、カズキの奴もいい腕をしている。」
「いやぁ、嬉しいなぁ」
不可解な自慢話。照れている副長はニコニコしている。
「兵隊を増やす必要があるのは、この最高戦力を振り分けても人手が足りないくらい、防衛目標が増えてしまったからだ。今年中には大陸鉄道が開業するし、そこへの爆弾工作も今回を含めて、何度もあった。鉄道警備にも人員を振り分けるとなると指揮する人間も必要になる。だがウチは指揮官の育成が間に合っていない。仕事の割り振りは小隊規模で遣り繰りしていたから尚更だ。」
ここ大陸はヤマト領であってヤマト国内ではない。あくまで開拓殖民地だ。正式に領内という国境線が決められているわけではない。だからこそヤマトの軍隊は派兵できず、開拓地の警備は天剣組が一手に引き受けていることになっているそうだ。
エクスは、そういう前提を思い出し、ようやく話が見えてきたような気がした。
「エクス・アルバータ。お前はこれから、俺や市内警邏班に付いて仕事を覚えて、ゆくゆくは指揮官候補だ。最近連携が取れないんで横の繋がりがしっちゃかめっちゃかなんだわ。」
「馬鹿なんですか?」
縦割り社会の基本的なことを失念していることについてと、そんな重要なことを新人に任せようとする思い切っているのか、やっぱり考え無しなのかのと、二つの意味でエクスは身も蓋もなく発言した。
「皆戦闘屋でね。最近まで本当に気付かなかったね。それぞれ連絡手段とか整えているとばかり思い込んでましたね。」
「第三部隊は馬鹿隊長だから仕方ないし、第一部隊の方は外回りで問題ないから良いが、第二部隊の先生が思い込んでしまってたのは重大な問題だったんだなぁって。」
副長が補足してあるが、よりアホっぷりを露呈させただけだった。来人は符丁を交えて話している。今の来人の態度に、あの気圧される顔つきと目つきはない。おそらくはこれが本来の獅堂来人なのだろう。とても脅しかけてきていた男には見えず、少年にしか見えなくなる。
「あの、簡単に言いますけどね?」
来人の砕けた態度に、エクスは和らいでいた。もはや物怖じせずツッコミを入れている。
「一昼夜でできるようになれとは言わない。戦場には出るが、戦闘をさせるわけじゃない。これが天剣組流の事務職だ!」
なんとも屁理屈じみた言葉を力強く言う。だが到底納得できるものではない。
「師匠、無理矢理すぎます」
本来はエクスを言いくるめる立場であるはずの副長が右手を振って、それは無い、と否定してくる。一体どっちの味方なのだ。
「あー・・・まぁ、指揮官とか管理職とかそういうことじゃあない。つまり必要なのは兵員の横の繋がりに立つパイプ役だ。広い戦場を俯瞰する立場であったり、どの小隊がどこにいるのかを把握していたり、という情報整理できる役割にしたいんだ。旧いダチがそういうの上手くてな。」
言いようはエクスにも分かるが、しかし尚更解せない。それは本来ならば副長や他の隊長などの、今いる管理職の仕事だ。
「現在の僕は市からの要請や備品の管理を任せられている。本来備品担当は団長秘書が行っているが、今長期出張中。非常に心苦しいが、早急に出来る者を教育したい、というのが実際の所だ。」
と、一樹は説明する。つまり、天剣組の事務をできる人間に一極化しているため、現在動き辛くなっているということらしい。それを想定しておくのが上の人間であろうが、口振りを見るに、今まで特に問題なかったことが悪かったのだろう。
「それにだ」
来人は短く言葉を切る。そして一拍を置いて、続ける。
「お前、ウチで何したいか言ってみろ」
「戦闘経験がないので、事務職を希望します!」
来人の問いに、エクスは履歴書で書いたことをはっきりと答えた。
「人殺し集団のウチでそんなこと言ったの、お前が初めてだよ」
来人は小馬鹿にしたような、呆れたような身振りで苦笑する。
「だが嫌いじゃない。戦闘云々はどうでもいい。まずはお前が使えるよう仕事を教えるだけだ。あの脅しかけて逃げないなら、少しはやれるってところを見せてくれればいい。」
少し後で知ることだが、来人の言葉は本気だった。今は冗談めかしていて、エクスにとっては鼻持ちならなかった。
とはいえ、エクスにとってはこれが獅堂来人団長との出会いであった。彼はエクスが思うよりも、勘が鋭かった。そして、エクスが思った以上に、人を超えた強さを持っていた。
それから、新人歓迎会だの部署見学会だのと、新人には必要な通過儀礼をこなした二日後。
「俺も興味がある方じゃないが、まあ着てみろ」
と、来人から起き抜けに渡されたのは仕事着代わりの替えの普段着だ。来人が服装に興味がないのは、黒づくめの格好から分かる。とはいえ、似合っているのは確かだ。時折見せるつまらなそうな表情のせいだろうか。
さて、貰った服はといえば、着れば寒さが遮断される不思議な毛皮の上衣だった。下も綿に見えるが、上と同じ様に寒さを遮断し、かつ動きやすい。
「近くに安価で取り引きされるらしい新商品だ。つまり庶民用だよ。」
「これも財団からの?」
「そんなものだ。庶民用にしたのも大陸鉄道での輸送を見越したものだ。」
天剣組に資金提供をするヴェルジェ財団。聞くところによれば、副長の成実一樹は財団の縁者であるそうだ。非常に手広く活動してあるようだが、エクスにとっては最近聞き始めた名前だった。
『子会社に別々にやらせてるからね。あの会社、この会社、裏を見てみれば財団が出資している。大陸鉄道だって、西京市が取り仕切っている体だけど、結局財団の出資で会社が出来てるから、天剣組で何かと口を出せるのさ。』
・・・と、一樹は言っていた。しかし、それはそれで。
「官民癒着だのと言われそうだがな」
来人は自分で淹れた茶を飲みながら言う。エクスはまだ茶淹れに手を出すなと言われている。
「今財団を仕切っている人はそんなことを気にするタマじゃねぇし、財団の会長がそんなみみっちいことするわけねぇ」
「はあ」
口振りからして、財団とは親しいことは伺い知れる。財団の身内を弟子にし、この天剣組の後援組織なのだから当然であろう。それとは別に、無知な勘ぐりに対する辟易のようなものを感じて、エクスは生返事をした。
「会長ですか」
「今は屋敷に引っ込んで隠居してるが、一応有名な学者さんでな。昔知恵を借りに行ったこともある。まあド偉い人だよ。」
「でもその人達に文句を言う人がいると」
口振りからして会長さんが人畜無害そうな人だということは分かる。だが天剣組としても財団としても、何やら困る目の上のたんこぶのせいで愚痴っているとしか見えない。
「ま、それも含めて、だ」
来人はため息をついて、身分証のようなものをエクスに差し出してくる。
「これはお前の今のところの大陸での証だ。こいつを持って、サロンへ向かえ。」
「サロン?」
履歴書に貼り付けたのと同じ写真がある白色の身分証を受け取り、聞き返す。
「この敷地内とは別の場所にある建物のあだ名だ。西京市内における総督府と市役所と天剣組の都合上にできてるウチの部署だ。市内警邏を手伝ってもらうと言っただろう? サロンは警邏班が待機してる場所だ。挨拶してこい。」
「はい」
エクスは頷いて見せてから身分証をじっくり見る。来人は仮と言ったように、その身分証には見習いの文字がある。そして所属部署は空欄だった。
「お前の証と価値はその程度だ。まだな。」
言って、来人は茶碗に茶を注いでいる。
「そんな板きれに自分の価値を押し込めるか、誇りを塗り込めるのかは知らんが、今は仰々しいものじゃない。」
来人なりの励ましだったのだが、今のエクスには気づくことはない。大陸で天剣組の一人になった実感としては十分だっただけだ。
「市の地図は受付にある。市内を見て回るついでに行ってくればいい」
「はい、分かりました」
エクスは何か言おうとしたが、思いつかず返事をしてから退室した。
来人はエクスを見送ってしまうと、ようやくとばかりにソファーに横になった。
一方エクスは事務棟受付の事務員という肩書きを持つ非正規雇用職員に会釈しながら市内地図を手に取る。
サロンというあだ名しか聞いてないが、実際にその名前は地図上に記載されていた。市内における主な区画のド真ん中という立地だった。総督府や市役所がある中央通り沿いにある。
場所は把握できたが、そこで新たな問題が浮上する。以前述べた通り、天剣組の拠点がある場所は西京市の西の端だ。総督府がある場所は東の端。市内の東西距離は百キロメートル。
(やべぇぇぇぇぇぇぇぇ!!)
ふらりと挨拶をしに行く距離ではない。完全に郊外に遊びに行くような距離である。それこそ乗用車がなければ話にならない。
もちろん隊員が市内に飲み食いに出ることはある。だがそれは正規隊員の持つ車である。新人たちは事前に申請して遠出や外出ができるようになる。エクスはさっき急に言われたばかりだ。そんな申請できているはずもない。
ともすれば外出する誰かを頼らなければ、一日がかりで歩き通しするほかなくなるのだ。内心泣きそうになりながらエクスは事務棟を出る。そして、職員駐車場に向かい、適当な市内中心部まで行く誰かに乗せてもらえるよう頼み込もうと心に決める。
そうして見つけた発進準備をしている黒塗りの車に早速声を掛ける。
「市内まで乗せて下さいぃぃぃぃぃ!!」
エクスの想像では、丁寧に交渉をつける想いでいたのだが、自分の陥ったひっ迫具合が情けなさとなって口に出てしまっていた。
「構わんよ」
「お金はありませんが、何とかして支払いますの・・・で、え?」
乗り込もうとしていた体格のある黒髪の初老の男はエクスの申し出に即答した。エクスはその答えの速さを想定しておらず、持っていないのに金で解決を試みようとしていた。
「連れを市内案内しようとしていたところだ。問題はない。」
「あ(りがとうご)ざいます!」
自分の幸運に、かつ感謝の気持ちが溢れすぎて、エクスは感謝の言葉が略されて意味不明になった。
この初老の男は、先の式典に出ていた隊長の一人、来人が先生と呼ぶ人物だった。
第二部隊隊長、
高級車の匂いがする乗り込んだ車内には、先客が二人いた。二人ともが女性である。一人は助手席に座る大人っぽい眼鏡をかけたおかっぱ頭。もう一人はまだ幼さが残る顔つきで、髪を左右に一本ずつ結ったおさげ髪をしている。
「失礼します」
軽く会釈しながらエクスが後部座席に乗車すると、ツインテールの子の方がにこやかに会釈してくる。エクスの乗車に合わせて御村が運転席に入り、車のエンジンを掛ける。そのエンジン音は静か。それだけで、高い車だということを教えてくれる。
「どこまでだ?」
「中央通りまでで構いません」
「ふむ、するとサロンか」
ゆったりとした速度で車両を動かしながら御村は行き先を尋ねてくる。エクスは送迎車両扱いするのを心苦しく思いながら、なるべく丁寧にお願いする。その願いに御村は察したようだ。
「今日、一樹は第一部隊との装備確認だ。君、なるべくなら早めに車を動かせるようになればいい」
「軽車両の免許なら。教習所以外では経験がありませんが。」
「ははは。そこらへん荒野だ。練習などどうとでもなる。」
御村の言う通り、道路が敷かれた一本道以外荒野だ。ここらへんで車を乗り回しても、誰にぶつかることもないだろう。
「やっぱり、団長を乗せて運転とかできないと駄目ですか」
「彼はそんなことを気にしない。ただ運転はできた方がいいだろう。何しろ彼は運転というものが滅法苦手でね。」
意外な弱点を聞いた。そしてその情報に隣も食いついた。
「マジっすか、オジサマ!」
「おかげで彼は車両移動に関しては知り合いに任せていた。大陸ではもっぱら一樹の運転だ」
「こき使われてんなー、オヤジ」
隣の子はニヤニヤと笑っている。その言葉は聞き捨てならない。
「オヤジ?」
「あたし、
驚いたことに、あの副長にかなり大きなお子さんがいた。顔をよく見れば、親子故に似ている。
「どうもエクス」
「エクス・アルバーダでしょ? 知らないだろうけど噂よアンタ。聞いたことも見たこともないのにいきなり団長付きとかってさ。」
自己紹介しようとするも、名前を先に言われる。しかし、噂になっているとは。昨日の施設見学では他の新人たちと混じっていたが、聞き耳を立ててもそんな話を聞いた覚えはなかったからだ。
「どー思うよ、エリスー?」
なんだか感情豊かな隣人は助手席に座るもう一人に声を掛ける。もう一人の女性は車のフロントミラーの鏡越しに睨むような視線でエクスを見ていたのにようやく気付いた。眼鏡の奥の目は切れ長で、睨んでいるとかなり怖い。
「どうもしない。いい気な奴ね。」
明らかに敵意のある冷徹な返事をする。
「そういう言葉は感心しない。人事採用を担当したのは一樹、彼の件を預かったのは団長自身だ。意見があれば上申しに行けばいい。」
「で、あれば納得のいく説明してもらえるのですか、父上」
そしてここでも。エリスという女性、御村隊長の娘であるらしい。あまり顔は似ていない。この車の中、身内同士であるらしい。気付くとエクスの肩身が狭苦しく感じた。
「それを承知するのであれば」
御村の言葉にエリスは大袈裟に息を吐いた。
「そんなに好かないことか」
と、言うもののエクスの目の前で話すものだから、彼自身に圧力がかかってしょうがない。口出しもできないので、事を見守るしかない。
「天剣組は戦うための組織です。戦えないものを優遇してどうするのですか」
「優遇されたかね?」
「されてないです。というかされてるんですか?」
エクス自身が聞きたい話である。これっぽっちも優遇などされてはいない。昨日の夜など食堂に行こうとしたら、慣れていない焚き火をさせられ、寒い外で焼き魚を食わされた。この辺に川などなかったはずだが。
「彼の役割は今の所雑用ぐらいしかない。サロンに向かっているのもいい証拠だ。」
「サロンとは?」
エクスの質問よりも早く、エリスが不機嫌そうに聞く。
「市内の治安維持という名の雑用が持ち込まれる場所だ」
それを聞くとふつふつとエクス自身に嫌な予感がしてきた。外はまもなく市街地に入るところである。
西京市内中心部に位置する【サロン】。
結局、御村に建物前まで送ってきて貰ったエクスは、恐る恐るガラス扉を押す。中は広く、喫茶店のようなテーブルがあり、椅子が並べられ、そこに二人の男が座ってお茶している。奥のカウンターの中には少女がいて、カタログを眺めている。
そして、見覚えのある金髪の男が掲示板の張り紙を見定めていたところ、エクスの来場に気付いた。
「来たか。待っていたぞ。」
見覚えのある長身の金髪の男。来人がアークと呼んでいた男だ。
彼は手を軽く上げて歓迎口調だ。会話を交わした覚えはないが、言葉からして来人から話は伝わっているというところか。
「俺はアーク。一応、第二部隊副長ということになっている、が、肩書きだけだ。市内警邏を担当している。」
長身の男は改めて自己紹介する。それにエクスも返しながら質問する。
「エクスです。団長に言われてここに挨拶しに行けと。ええっと、市内警邏の他の人は?」
「市内警邏班は俺一人だ」
エクスはそう言われ、肩を落とした。団長からは騙されるか、無茶なことしか言われてないような気がして、少々絶望したのだ。
「あの、この他の方々は」
「聞いてくれるかね、君!」
アークのみが市内警邏しているなら、カウンター内にいる娘やたむろしている男は何なのかと聞こうとすると、そのたむろしていた男の一人が嬉しそうに近寄ってくる。
「私は
「はぁ、総督。総督ぅ!?」
エクスと歳も近そうであれば背格好も似ている若い男は友好的に握手を求めてきて、エクスは聞きながら握り返す。そして言わんとしていることを頭が理解した時、エクスは男の顔と格好を二度見する。
総督の王魔刀馬。大陸の開拓の総責任者であり、皇族の一人である。ヤマトの皇は国家指導者。王魔刀馬は当代の皇の子息で次男である。
「いや!あの!?」
エクスは驚きふためく。総督府で厳かに指導する皇族の方、という想像があったから余計に驚愕する。総督府とは関係のあるものの、総督府ではないサロンになぜたむろしてるのか理解が及ばない。
「実はね、女の子を待っているのだよ! 今日、外出してくると聞いてね!」
「へ、へぇー」
相手は皇族。失礼なことは言えないと考え、当たり触りのない返事をする。発言をすればするほど、この人は皇子に見えない。
「天剣組の女性は珍しいから聞いたことがあるかもしれないね。名前は成実夕那というのだが。」
「ついさっき同じ車に乗ってきて、そこで別れました」
「ぎゃほぉぉぉぉぉぉぉ!!」
聞き覚えのある名前を聞いてしまい、エクスは正直に言うと、皇子様は顔を両手で覆って悶絶した。いちいち反応が大袈裟すぎる。
「才賀殿」
アークは事の次第を見守っていたが、彼と一緒にいた黒髪の男に向いて名を呼んだ。才賀殿と呼ばれた男は、皇子の首根っこを掴んで引きずり、元の席に戻っていった。
「騒々しくてすまんな」
「何で総督がこんなところに」
「暇だからとたまに仕事を手伝ってくれる。総督なのにな。」
開拓総督とは何か。基本的な役割について考えてしまいそうだ。
「さて、サロンの仕事・・・つまり市内警邏の仕事を軽く説明しよう」
アークの方は至って真面目に見える。ただ、先の総督や、来人の雑な態度もある。人間の本性について、エクスは疑うつもりで説明に臨む。
「総督府は西京市の運営のため市役所を設立した。市役所は本土からの出張公務員や元軍人が多かった。それ故に、市内に住む市民の毎日の相談には向かなかった。そこで天剣組の出番だ。治安維持の人手を割けないかという打診に応じて設立されたのが、ここサロンだ。ここには役所を通しての相談や、役所を頼るまでもない依頼が持ち込まれる。市内警邏ともっともらしく言うが、結局は何でも屋だな。」
それだけ説明されれば読めてきた。来人の言っていた雑用という意味が。
「いつも一人でやっていたんですか?」
「基本的には一人で片付けている。ただ、他の団員が片付けても構わないし、その日暮らしの市民が礼金目当てにやっていくことも珍しくはない。サロンは仕事探しも兼ねているわけだ」
そう言われるとまともな場所だ。とはいえ、その大小の仕事を手伝わされるとなると頭痛がしてくる。
「本来なら、ここから遠くのとある開拓村で出没する吸血鬼退治に連れて行きたかったところだ。だが団長から、市内全域で仕事をやらせろというお達しだ。付き合ってもらおうか」
「一日で終わりそうにないですよね」
「もちろん。二階が空いているから夜はそこで休んでもらおう。」
エクスのやけくそとも言えるささやかな抵抗はまるで通じず、アークは笑顔で泊まり掛けを勧めてきた。吸血鬼退治という任務が一体どのようなもので、何をさせられることになっていたのかは、ひとまず考えないでおく。
身分証の所属の空欄が恨めしく思う。むしろ、所属の言い訳をさせないために空欄にしていたのかもしれない。
「アークさぁぁぁぁぁぁぁん!!」
エクスが持ってきた西京市内地図を広げようとすると、刀馬が復活し、再び走り寄ってくる。その表情の明るさは戻っている。
「市内案内や紹介は私に任せるべきじゃないかね!?」
「閣下。そんな恐れ多いこと、普通、頼めませんが。」
アークの言う事は至極当然である。
「頼めないというなら、王魔の男児として私に任せてもらおう!」
「・・・と言っていますが?」
豪語する刀馬を無視して、アークは再び才賀という男に向き直り同意を求める。恐らく護衛役だろう。
「終わったら連絡を」
「あれー!?」
当然ダメだろうと思っていたので、必然的にエクスは声が出る。大らかというか危機感が薄いというか。やんごとなきお方のはずなのだが。
「勇太は市内ぐらいなら呼べば来る。心配するな!」
「へ、へぇー」
刀馬が笑顔で言ってくる。そう言われても、心配しない方がおかしい。
護衛役は
「ならば、旧市街あたりからお願いします。俺は細々とした依頼を片付けておきますので」
アークもアークで食い下がらずにこともあろうに総督に任せてしまった。エクスの理解は追いつかない。エクスはここらへんで王魔刀馬という人物や立場を理解するべきだったが、未だ常識の中にいる。
「では行くぞ、エクス・アルバーダ!」
刀馬は良い笑顔で言って、無理矢理エクスの腕を引っ張る。
「痛っ、何でそんな楽しそうなんですかぁー!?」
意外に刀馬の力は強く、半ば引きずられるようにサロンを二人で出て行くのだった。
西京市の北側は旧市街地。開拓が行われる前、随分昔にヤマトの派兵が行われた際に駐屯し、出来た煩雑な街区だ。サロンのある場所は新市街に位置する。新市街は整然としていて、ほとんどの市民はこちらに住む。
「旧市街を整理しない理由は二つある。一つは地元民が根強いこと。もう一つはここが市内における重要な商業地だからだ。」
刀馬とエクス、二人は旧市街の入口に立っている。そこは自由にモノを売り、人が行き交う商店街であった。入口の看板には文字がこすれて分からなくなっているが銀座通りがかろうじて読めた。どこでも銀座から離れられないのだろうか。
「あの、閣下?」
「おっと今その敬称はナシだ。私の身分がバレてしまう。名字で呼ぶのもダメだ。王魔など、ヤマト広しといえど我が家だけだ。」
「刀馬さん」
この場にいることがヤバいことを分かっているのに、案内は続ける。楽しげなので、エクスはもはやツッコミを諦めた。とはいえ、最低限の分は守る。
案内そのものは明瞭だ。自分が受け持つ領内をよく知っているという好感が持てる。それでも、隣にいるのが皇族というのが違和感を持っていけない。
「多分君の方が年上のはずだが、まあいい」
流石に呼び捨てには出来ない。エクスの思いを考えてか、あるいはとりあえずの納得か、刀馬は受け入れた。
「西京市外南部の農耕地区で採れたものを売りにくるのがほとんどだな。本土と違い、農業組合の類はない。市役所で土地と耕作者を管理しているぐらいの自由市場だ。」
刀馬の言うように、敷物ぐらいしかない出店の数々は値段がまちまちであった。だがどれも本土とは比べ物にならないくらい安い。
というかまだ雪が降るところもあるというのに冬作物以外のものも並んでいた。
「ええっと、雪の中に作物を保存させたりとか?」
「その通り。ただ中には昨年のものを売りに出す業者もいるぞ。」
それは流石に見れば気付くのでは、とエクスが思った。それを察してか、刀馬はおもむろに出店の新しめに見える白菜を手に取り、エクスにその裏側を見せた。その白菜の裏は明らかに萎びて古くなり茶色になっていた。
「とまぁ、騙される者はあまりいないが、今後の課題ではあるな」
刀馬は萎びた白菜を売り主の爺さんに投げて寄越す。みすぼらしい格好の爺さんは愛想笑いを浮かべて頭を下げている。
「そしてここは商業地であると同時に、歓楽街でもある」
刀馬は歩みをゆっくりにして、人が一人通れるぐらいの小道を親指で指す。エクスが小道をのぞき込むと、本土でも見慣れた極彩色の看板が見えた。
「喫茶室なんて書いてあるが、結局は娼館という奴だ。夜になったらあまり近づかないことだ。客引きはかなり悪質だぞ。」
「その手の苦情が多いんですか?」
「いわるゆる写真詐欺でな。加工写真を出して騙し、行ってみたらまったく違うものが出てきたなんてザラだ。若い子がもっと移住してくればいいんだが。」
「なんで利用者目線なんですか」
「獅堂団長がよく連れて行ってくれてな」
謂われのない官民癒着に憤っていたのに、この様である。刀馬も刀馬で、偉ぶっていないし、親しみ深い。無理矢理連れて来られたときは暑苦しい感じがしたのだが、今は本当に友達面している。ここらへんで彼の偉さを忘れていた。
エクスは団長の話が出て肩をすくめて苦笑すると、刀馬はその肩をいきなり抱いてくる。
「何なら今夜行くか、私の驕りで!」
裏表のなさそうな笑みが、かなり近めに見えた。
「いやいや刀馬さん、成実さんはどうするんですか」
「む!? あいや、忘れてはいないぞ!」
どうやらツッコミ直前まで忘れていたらしい。皇族と財団関係者。エクスが考えるよりも近しい関係なのだろう。それくらいは伺える。
「さ、さぁ気を取り直して、次行くぞぉ!」
刀馬はエクスと身を寄せ合うのはやめて、落ち着きをしないままに、先を歩いていく。エクスはその後をまたついて行く。
その内、出店もなくなり、まだ営業されてない風俗店が立ち並ぶ区画に入っていく。どんどん剣呑な雰囲気になるというのに刀馬は歩みを止めない。
通りには煙草を吹かす者、路上であれど横になる者など、どう見ても貧者ばかりを見かける。大陸に来たエクスよりも服が貧しい者も多い。正直、二人は浮いている。周囲の荒んだ空気に気圧されながら、エクスは刀馬の後ろを付いて行く。
「もうしばらく黙ってついて来い。多分すぐ落ち着ける。」
刀馬はエクスのほうを向かずに背中で話し、歩みを進めた。なぜかその言葉は曖昧だった。エクスだけが貧者たちの視線を過剰に感じる時間が流れ、刀馬は言うとおり、しばらくして足を止めた。
そこは旧市街のはずれだろうか。周囲に貧者はおらず、前方に柵に囲まれた大きめな建物が見える。柵の中には優美な庭があり、旧市街に似つかわしくない緑の木々が植えられていた。
銀座通りの喧騒も聞こえないほどに静寂に包まれていて、埃っぽい風も吹いてこない。ここだけ別世界のような空間だった。
「旧市街で一番でかい娼館だった屋敷を、二年ほど前にどこからかやってきた道楽者が買い取ったんだ。それから旧市街の者たちはここを道化屋敷と呼んだんだ。」
柵の中の屋敷は二階建てで、横も奥行きもある。多分中庭もあるのではないだろうか。
「どうしてここを?」
埃まみれの旧市街の中にあって、異様なほどに綺麗な場所だが、個人の所有物件だ。名所というには所有者に失礼だろう。
「それは、この場を一歩出れば分かる」
刀馬は踵を返し、元来た道へと戻る。エクスは半信半疑ながら、それについて戻る。
すると途端に埃だらけの風が吹き、銀座通りの喧騒がエクスの後ろから聞こえてきた。何が起こったのか分からず、驚愕して振り返ると、人が行き交う銀座通りの入り口があった。
見上げるとしっかり文字がかすれた看板もある。エクスと刀馬の二人はいつの間にか、旧市街の入口まで戻ってきていた。
幻を見たか化かされたか。戸惑うエクスに、刀馬は冷静だった。
「私も旧市街の奥へ奥へと歩いていたのだが、正直あそこへどう行ったか覚えがない。道化屋敷は住所として届け出が出てるのに、その通りに行けない。なんとも奇妙な場所なのだ。」
まったく合点がいかない説明だが、説明がつかないという点では納得する。
「獅堂団長によれば、屋敷の主には気をつけろとのことだ。アークさんも知っているそうだが、近づくなとの一点張りでな。頭の片隅にだけ覚えておいてくれ。」
旧市街の果てにあって綺麗な庭を整備している主とはどんな人間か想像もつかない。だからエクスは当然の疑問を口にした。
「刀馬さんはその主とは会ったことあるんですか?」
屋敷に近づくなは分かる。もっとも、もう一度行けるかどうかは分からない。それに主がどんな奴か分からない以上、気をつけようがない。
「目にした記憶はあるのに、顔が思い出せなくてな。ただ、彼の奥方はサロンでは常連の依頼者だ。輸入したほうがいい珍品・珍味を頼んできてはアークさんを困らせている。」
なんだか屋敷と同じく要領を得ない答えである。道化屋敷というからには主も道化なのだろうか。道化といえば顔つきが一変するほどの化粧をする雑技団の顔のような俳優だ。それほどおかしい顔をしている主人なのだろうか。
「おや、刀馬殿。いつものお忍びかな?」
難しい顔になったエクスの横から声がかかる。御村是音だ。遠目から見てもやはり背丈がある。その後ろに、当然夕那とエリスがついて来ている。
「おお、ゼラード殿か! それに成実さーん、会いたかったぞぉー!」
刀馬は親しそうに是音に手を振り、また即座に夕那の方にも気付き、走り出す。
「げっ!? あ、いやぁ、奇遇ですわね、ほ、おほほ・・・」
夕那は誰が見ても引いている様子で対応している。が、刀馬は特に気にしている様子はない。その顔からは顔がほころび、鼻を伸ばしている。それなりに男らしい顔つきが台無しになっている。
「様子を見るに、サロンで今後活動するに当たり最重要となる旧市街に来たというわけか。総督殿も旧市街の方は重要視しているからな。」
是音は冷静に分析している。ただその言葉のどれもは、エクスにとっては初耳である。
「乱雑な貧民街ですけど・・・」
「だが何らかの犯罪者が逃げ込みやすく、危ない取引をするならこちらだろう。確かに治安も衛生状況も悪いが、裏の情報とはここでしか集まらない。ここはいわば西京市における基盤そのものなのだ。」
そう言われてみればエクスも納得できる。その上でさらに質問をする。
「刀馬さんも重要視しているとは?」
「いい質問だ」
是音は微笑んだようだった。それは柔和で、喜んでいるかのようだ。
「現在この旧市街を整理しようという話が出てきている。大陸鉄道がまもなく開業する。西京駅は旧市街に隣接する形でな。景観が良くないという話が市役所側から来ているのだ。」
「つまり、市役所の提案に総督府が待ったをかけている?」
「その通りだ。その直観力は大切にしたまえ。」
是音は大きく頷き、エクスを褒める。なんだか教師との個人授業のようである。
「なぜ待ったを掛けているかは、本人に聞くほうが早かろう。さぁ、総督殿、そろそろ!」
短い質疑応答が終わり、是音は刀馬に捕まっている夕那たちの元に歩み寄る。
その間エクスは、旧市街の東側、大陸鉄道の駅を遠目で見る。周囲の街並みには似合わない先鋭的な白い建物が見える。
なるほど、遠目から見ても基本的に土造りの旧市街とは合わない。旧市街を整頓しようと役人が考えるのも無理はないだろう。
「確かに旧市街は旧い街だろうな」
御村隊長らは銀座通りに入っていく。刀馬は一通り話終えたのか、緩んだ表情を引き締め直し、エクスの後ろから声を掛ける。
「ただ私はここで行われる西京市由来の営みを容易く変えるのはいかがなものかと考えている。青臭い理想論だということは分かっているけどね。」
真面目なことを言っている刀馬はサマになっている。好きな女を前にして緩んでワハハなところはどこ吹く風。かなり決まっている。これが総督である彼なのだろう。
「あと良さげなお姉ちゃんの店が潰れるのは良くないな」
前言撤回。やはりそれほど変わらなかった。
所変わって、中央通りを抜けた先、西京市では都会的な区画。
総督府はもちろんのこと、市役所や郵便局などが点在する区画である。
そしてエクスと刀馬は総督府の目の前にいる。真っ白い建物で、白壁がぐるりと取り囲み、エクスが見たこともない門構えをしている。
「大使館みたいに警備が物々しく立っているものですけど、ここにはいないんですね」
「いやぁ、いたんだけど勇太だけで事足りるから、別の警備にあたってもらっているんだ」
「怠け者って言ったじゃないですか!?」
皇族の護衛なのだからさぞかし強者なのだろうが、その護衛対象は護衛をつけずにほっつき歩いている。なんだか刀馬の言うことは真面目なこと以外はどうもいい加減に思えてきた。
「才賀の一族は、王魔のご先祖様の弟の血筋でな。ご先祖様の時代では反乱の罪に問われ、長らく配流されていたが、時が経って罪は赦された。とはいえ、ヤマトの政治に関わることは許されなかった。だがずいぶん前に政治に関わらないならばと、大陸開拓に任命された。勇太はいわば開拓の先輩にあたるんだ。」
と、刀馬は説明する。
「才賀の一族はとある一件で不幸があったが勇太は功績を上げたことで平定帝、つまり私の祖父に正式な皇族の分家として認められた。勇太自身腕っぷしが強いこともあり、私の護衛兼相談役を務めているというわけだ。」
刀馬は誇らしげに語る。これがおそらく彼らしい部分なのだろう。これを身内に甘いというのか、持ち上げすぎというのかで印象は変わってきそうだ。エクスは甘いほうだと思っている。
「勇太とは長い付き合いでな。獅堂団長などと比べられては困るが、私も勇太から修行を受けた身だ。それなりの使い手であることは自慢できるぞ。」
なるほど、護衛役が護衛を怠けて護衛対象を放っておくわけである。刀馬自身では身をある程度守れるというわけだ。とはいえ、エクスはこの時疑惑の目線を向けていた。先のいい加減な口先もあり、あまり信用できなかった。
「疑っているな!? じゃあ、ちょっと見てろ!
そこの壁を砕いてやるからな!」
エクスの視線に気づいた刀馬は奮起する。門の側の白い壁を指差し、目標を指定する。
白い壁は旧市街の建物のように土壁ではなく、コンクリート材質に見える。空手の瓦割じゃあるまいし、おいそれと砕けるような代物ではない。
だというのに刀馬は右の拳を門壁に当てて狙いを定めてゆっくりと後ろに引く。
(痛い思いをするだけじゃないかなぁ)
と、エクスは後で何を言われようと関係ない態度でいようと思っていた。
一方刀馬は両目を閉じて深呼吸をしていた。そして、一拍をおいて拳を突き出す。それは素早い拳打でもなく、力強い拳打でもない。狙った場所に置くように突き出されたものだった。そんなもので壁は砕けるはずはない。
だが次の瞬間、門壁にヒビが入り、鈍い音とともに上方の壁が敷地内に落ちた。
「ええええええええええ!?」
エクスは驚いた。
「わあああああああああ!?」
刀馬は悲鳴を上げた。
「いや、何でですか!?」
「違うんだよ! 狙った一部分だけ凹ませるつもりで打ったの!」
刀馬自身は失敗であったが、エクスとしては成功に思える。そう思うと同時に、皇族でもこんな使い手がいるとなると、この大陸はかなりの危険地帯なのではないかと思い始めた。
「昼頃になったら人通り多くなるし、これどうしよ」
血の気の引いた顔で刀馬はエクスを見てくる。どうしようと言われても、やったのは刀馬である。
「いや、普通に謝ればいいじゃないですか」
「だって、いいとこ見せようとして門壁壊しましたとか噂になったら困るだろ!?」
「いやいやいやいやいや」
困るならまずやるのを止めてほしいものである。その理屈はおかしいというようにエクスは顔を横に振る。
「僕が唆したみたいにされるのが一番困ります」
それはエクスのささやかな抵抗だったが、刀馬はそれで何かを察してしまった。
「そうか、エクスがトドメ刺したように言えば」
「何を思いついてるんですか!?」
刀馬は言い訳の物語を思い描いてしまった。エクスはもはや相手が皇族だろうと関係なく、刀馬の両腕を掴んで止めようとする。エクス自身も後先考えずに思い切ったことをしてしまった。
「何をやっているんだ!!」
そんなエクス自身が言い訳の効かない状況にしてしまい、近くを通った車から出てきた紳士風の男の怒声が響いた。端から見れば皇族に暴行を加えようとしていたようにしか見えない。声が聞こえた時点でエクスは我に返り、刀馬から手を放す。
「ご無事ですか、閣下!? 何だ、お前は!」
敵意のこもった大声にエクスは目をつぶって身じろぎ、委縮する。紳士風の男は会社員のようなきっちりとした身なりをしていて、黒髪の髪型も整った真面目そうな男性である。
「あ、いや、羽室市長、そう大声を出すものじゃない」
「しかし、私は最初から見ていました! この後ろの惨状、この男が閣下に脅しをかけようとした所を!」
と紳士は主張するが、とんでもない嘘である。エクスは事実を曲げられたらたまらないと口を開こうとするが、紳士が睨みつけてきて、言葉にする勇気がなくなってしまった。その弱気さを察してか知らずか、刀馬がエクスと紳士の間に立つ。
「最初から? それはおかしい。この壁を砕いたのは私がやってみせた結果だ。
先ほどの言い合いは友とじゃれ合っていたにすぎない。一体君はいつから見ていたのかな?」
エクスの言いたかったことの大部分を刀馬が代弁してしまった。
「閣下が大切な市民をかばいたいのは分かります。しかし、本当のことを言って下さい。」
「君は総督が市民のために嘘を付いているなどと、本気で言うのかね?」
紳士は食い下がるが、皇族の言うことと自身の状況の誤認を天秤にかけさせられ、言葉に詰まる。
「では本当にじゃれ合っていたのですか?」
「そうだと言った」
「それでしたら、失礼しました」
紳士は追究が不可能だと悟ったのか、刀馬の言うことを受け入れる。なぜか彼は苦々しい表情をして会釈すると踵を返して車に戻っていく。
「じゃれ合いといえば」
そんな紳士を見送りながら、刀馬はわざとらしく口を開いた。
「最近よく海外企業の者と面会しているようだな。私にも紹介してくれよ。」
紳士はその言葉に足を止めて焦った表情で振り返るが、すぐ足早に車へ戻った。紳士が開いた後部座席には遠目でも先客がいるのが分かる。その客がエクスたちを横目で見ているような気がした。
「今のは、
刀馬は走り去った車を見てそう言う。その声色は低く、先の意地の悪い会話といい、どこかしら敵意を持っているかのようだった。
だがそれよりもエクスとしては、謝らねばならないことがある。
「すいませんでした、自分のせいで」
「私は友だと言ったぞ」
エクスの謝罪に刀馬は腕を組んで答える。
「私も本気でお前のせいにしようなどと思ったわけではない。ちょっとからかってやろうと思っただけだ。」
伏し目がちだったエクスはそこで刀馬の眼をまっすぐ見た。今度の刀馬はいい加減なことを言っているわけではなかった。まだ数時間の付き合いしかないエクスを友達にしようとしているのだ。
「見つかるのが使用人や勇太ならともかく、まさか通りがかりの市長とは思わなかったぞ。とはいえおかげで確信も得られた。それならなおのこと謝罪される言われもない。むしろこちらが礼を言いたい。」
そう言って刀馬は笑った。彼なりの収穫を勝手に得ていたようだ。とはいえ、そういうことならエクスは自信なくとも、刀馬に言うことがある。
「つまり、ちゃんと才賀さんにごめんなさいしてくれるんですよね」
そう言うと、刀馬は押し黙り、視線を泳がせた上で口を開いた。
「うん」
それは先ほど市長に見せた大物の貫禄など微塵もない子供みたいな頷きであった。落差の激しい人である。
その後、刀馬は正直に勇太へ連絡を入れ、事情を説明したのだった。
サロン入りの初日の日中は、こうした鳴り物入りの出来事で終わり、エクスには自信がないものの、刀馬はエクスを友達だと思うようになっていた。実際、その日は二人で昼食し、夜はアークも交えて大衆食堂で食事した。それでようやく、刀馬がお忍びと言いつつ市内を出歩くのは日常茶飯事で、皇族の身分を隠して市民の経済状況や景気の情報収集をしていることが分かった。特に食堂に来ている常連は刀馬のことを遊び人だと思っていた。エクスが思うより、彼は市民生活へと溶け込んでいたのである。そうすると、市長との関係性が見えてくる。少しばかり敵意があったのも、旧市街や大陸鉄道を巡って対立があるだろうと伺える。
「まぁ、奴さんはこっちに敵意があるってわけじゃない。持ち前の正義感で物を言っているだけだ。ただ己の正義を信じすぎて、よくない奴らと付き合いだしてるっていう噂があったんだが、そこのところ突いてみたら態度は正直だったな。」
新市街の北部にある繁華街で夕食を終えて、刀馬が才賀勇太との合流を待つ間、エクスは市長の関係の件をまっすぐ聞いてみた。刀馬はそれに包み隠さず答えた。
「正式な追跡調査は追って天剣組に依頼すると思う。私は総督だが、全てを承認しようとは思わなかった。故に市長と市役所を据えた。だが、民が選んだ者が、正義感のために悪となることになれば、天剣組に仲裁を頼み、最終的な決断は私が下すしかない。」
やはりというべきか、刀馬には上に立つ器が完成されていた。皇族としてかくあるべきというものがエクスには伝わってきた。昼間、ふざけたりやからかってきたりでなんのかんのと話に乗せられていた。そうしたい年頃だろうし、それが本来の彼なのだろう。
「そして調査ともなれば、その役割はアークさんや君に行く。難しいだろうが、よろしく頼む。」
先ほどまでタメ口だったが、切り替えは気付かないほど速い。
「お待たせしました、閣下」
「エクス、今日は久しぶりに楽しかった。またすぐに遊びに行くからな。」
足音を忍ばせて勇太が来ると、刀馬は手を振って別れを言った。
エクスとアークはそれを見送る。当然、エクスは気付いたことを口にする。
「いつも遊びに来てるんですか?」
「才賀殿を連れてくる方が珍しいくらいには」
王魔刀馬は立派な皇族であった。ただエクスが思うよりも、彼は遊び人であった。
「今のところの感想でいい。やっていけそうかな。」
アークは微笑みながら言う。
色んなことがあった一日だった。天剣組は人殺し集団。だが、そこにいる人たちは、それらとは無縁に見えた。何より天剣組を承認している王魔刀馬という人物には血の匂いを感じさせない。
エクスが考えすぎな部分もあるだろう。武器をひょいと渡されて、戦え、と言われる想像があったことも事実だ。今の所言い渡されている仕事は、戦闘とはほとんど関係がなさそうだった。
「戦えって言われるよりは、気楽ですし、性に合ってますよ」
エクスは素直な感想を述べる。アークはそれに対し、満足そうに頷いた。
「それでいいさ」
アークはそう言うと、歩き始めた。
「基地に戻るのも億劫だろう。サロンのベッドを使うといい。」
「助かります」
と、その時は返事をしていたが、後にサロンでの寝泊まりが常態化することを、その時のエクスは知る由もなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます