海張り(みはり)塔にはずっと

@eyes

第1話

地上70メートルから見る海は妙に平板な灰色で、空はその双子のようだった。

海に張り出した埠頭にあるこの博多ポートタワーの展望室から見るときは、天神のビルよりも空も海が近く感じられた。それに比例して寒さも尖っている。

なんで彼女はここを待ち合わせ場所にしたのだろう?

しばらくぶりに東京から戻ってくるのだ。もっとあったかい場所だっていいじゃないか。

罰ゲーム? それとも別れ話?

後者のことは考えないようにしよう。

2月の寒さを締め出そうと僕はコートのファスナーを首もとまで上げてみたが役にたたなかった。展望室には昔のご隠居さんみたいに冷気がでんと居座っていた。

地上階のエントランスでは、いつものバイト君がはちきれそうな薄いウィンドウブレイカーを羽織っていつものように大量に汗をかいていた。この季節に? あれも謎のひとつだった。

窓から忍びこむ風を避けるために僕は時計回りに展望室を廻ることにした。

東側には隣りの埠頭に碇泊した大型客船が見えた(たぶん中国か韓国の船)。南には街を東西に横切る都市高速、西側には遠くに福岡タワーが見える。

一周回った結論、どこにいても寒さは変わらない。諦めろ!

僕は西側の手すりに身体を預けてぼうっと福岡タワーの銀色の姿を見つめた。直立にスッキリしたフォルムは、いかにも合理的で仕事のできるスーツ姿のエリートみたいだ。

それに較べれば、博多ポートタワーは僕のオヤジのような肉体労働者だ。

LINEが届く。MONE。彼女からだ。

ーいま、博多駅。

地下鉄とバスを乗り継げばここまで30分くらいか。

それまでイスに座って待っていたかったが、ここにはイスがなかった。

「オレたちゃここのベンチで毎日弁当ば食いよったったい。そげんやけん、いつもんごと来たら飲食禁止っち貼り紙があってくさ、おまけにベンチまでのぅなっとった」

オヤジは笑ってそう話していたっけ。

オヤジのツケをオレが払う。いつものことだ。オヤジは発想家ではあったが、実行家ではなかった。網を広げることはできたが、回収はできなかった。そんなわけで僕はいつもオヤジの後始末をして回り、そして当然のようにオヤジを嫌いになった。


ポートタワーにはモネと一度だけ来たことがある。ベイサイドから出る志賀島行きの船までの時間つぶしのためだった。

「昔はここは博多パラダイスって施設だったらしいんだけど」

そう言ってから、僕はかつてポートタワーのすぐ横にあった市立図書館の話をした。

一階のトイレはなぜか数段階段を降りなくてはならなかったことや、中二階の自習室の窓が丸く張り出していたことなど、つまりはオヤジから聞いた話をしたのだった。

「お父さんのこと、よっぽど好きなのね」

彼女がそう言ったのを耳にしたとき、僕はあまりのことに声を張り上げるところだった。それをなんとか思いとどまった代わりに、僕はまくしたてた。

オヤジがオヤジのオヤジ、つまり僕の爺さんが嫌いだったように、僕もオヤジが嫌いであること、たぶん爺さんも曾祖父さんのことが嫌いだったに違いなく、これは僕の家の血筋なんだ、そしてオヤジから聞いた話をするのは単なるネタとして使っているにすぎない、というようなことだ。

「ふむ」

モネは右手を頬に当てて考え始めた。

それは彼女の考えるときのクセだった。


彼女が頬から手を離して、右拳でポンと左の掌を叩いた(それは答えを見つけた時の彼女のクセだった)のは、志賀島行きの船の中だった。

おもむろにiPhoneを取り出して曲を流し始めた。意味は分からなかったが、DJもこなしているモネにすればこんなことはお手の物だった。

三曲目が終わると彼女が言った。

「どれか歌ってみて」

僕は少し考えて一曲目を口ずさんだ。

「聞こえなぁぁい」

船のエンジン音はとても大きいのだ。

僕は負けじと声を出した。

「なんで、それなの?」

「シスター・スレッジが好きだから」

モネは「ホラね」という顔をした。

「記憶はね、愛情からできてるんだよ」

哲学的なことを言うのも彼女のクセだった。


ケイタイの着信音が鳴った。

モネからだ。

「下、見て」

タクシーから降りて手を振るモネの姿があった。

「めちゃめちゃ寒いんだけど、なんでここ?」

僕は手を振りながら、そう訊いてみた。

「わかんないかな? We are Familyの理論だよ」

そう言ってモネは電話を切った。

「We are Familyの理論?」

哲学的なことを言うのが彼女のクセなのだ。


雲が割れて、太陽が少しずつ顔を出し始めた。日差しがゆっくり街におりてくる。

海はほんの少しだけ金色になって、それから小さな波が起きるたびにあちこちで銀色にキラめき始めた。

「あっ」

思い出した。

「We are Family」、あの時僕が口ずさんだ歌だ。

「なんで、その曲?」

彼女はあの時そう訊いた。

「シスター・スレッジが好きだから」

「なんで、ここ?」

僕はさっき彼女にそう訊いた。

We are Family理論、おんなじ理由。

だから、たぶん……。

「なんでお父さんの話を覚えてるの?」

それがWe are Family理論なら……。

僕は心のなかでうまれて初めて憎しみからではなくオヤジに語りかけていた。

「ここには今でもパラダイスがあるばい」

エレベーターのドアが開く。

彼女が僕の腕の中に飛び込んでくる。

僕はパラダイスを抱きしめる。

We are Family。

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