親愛なる池袋さん江。

@Umibe_no_DOG

第1話 20xx年・冬の夜。池袋にて。

 懐かしい街が眼下にあった。


 3D広告とネオンと街灯に照らされて、いつか歩いた道が浮かび上がっている。

昔、兄と一緒に展望台から見下ろした頃は、もっとつつましやかな輝きだったように思える。

見上げると、そばにサンシャイン60がそびえている。あの頃と同じ建物はこれくらいか。

吹き上げるビル風が身体をすくませ、後ろ手につかんだ廃ビルの金網は冷たかった。


 もう行こう。

最後の思い出にすらなってくれない風景をうらみながら、眼下のよそよそしい光の絨毯の上に身を投げて目を閉じた。


 ばふっ……と、音がした。


「かんぱーい!」

スパンコールのドレスが似合う美女が、私が持っているシャンパングラスに自分のグラスを打ち合わせた。

間に合ってよかったわね、と言って、けらけらと笑った。


「僕の方にも来てくれないか?」

笑いを含んだ声が横から飛んできた。見れば、背もたれが高い椅子にひょろっとした紳士然とした身なりの男が座っていた。

私と目が合うと、にこにこ笑ってシャンパングラスを上げた。

「ローザさんはその子が大好きだもんなぁ……」

言いながら、男は椅子から立ち上がりそばにやってきた。私の身長は175あるが、子供のように見下ろされる格好になった。本当に背が高い。


 どうも立食パーティーの会場にいるらしい。軽食が並んだ小テーブルが並び、人々が歩き回って談笑している。

美女と紳士(風)が、打ち合わせたグラスを飲み干した。

「自慢の景色を見て行ってくれ」

美女に手を引かれて窓際に連れていかれると、高層ビルの足元に3Dと光のチューブに彩られた風景が広がった。

サンシャインのオーナーがああいう人物だとは知らなかった。ひょろひょろと帽子を揺らしながら、男は挨拶回りに行くようだ。

ここは展望台で、さっき私が入り込んでいた廃ビルが足元に見えた。


「……今日は、なんの催しですか?」

私はおそるおそる聞いてみた。どうしてこんな場所にいるのかわからない。

「見てみて、私の家があそこよ! きれいになったでしょう?」

美女は聞いていない。駅に隣接したデパートの先を指さしながらはしゃいでいる。

「はぁ……」


 もう少し話を聞いてくれそうな先はと見回して、私は唖然とした。窓に張り付いて侍が泣いていた。

「ハルコさん、わしは寂しくてならんのだ」

さめざめと泣く侍を、派手な花柄プリントのワンピースの女がなぐさめている。

「もう見上げてもお姿を見ることはかなわんのだ」

「大丈夫よ、もっと立派になるんだから」

「本当か? 本当に戻ってきてくれるのか?」

侍の横に地蔵が困ったように立っている。侍は当分泣き止みそうもなかった。


 ラチがあかないので他に行く。

こんな場所なのに本を読んでいる青年がいる。目が合うとかしこまって姿勢を正した。

「ずっとお会いしたかった! ジュンと申します。お見知りおきを」

「どうも……あのう、伺いたいんですが、今日は何の……」


青年はフロアにいる背の高い紳士に目をやって言った。

「あの方の壮行会なんですよ。それで皆で集まっています」

「……って言ったってさー」

「あ、山田さん」


山田と呼ばれた青年は、メガネのふちをくいっとあげて言った。二人連れのひとりだ。

「そんなに大変なことでもないよ、論理的に考えてさ。工期の間いなくなるだけだろう?」

「でも、山田くん。あの人、屋台骨は古くなってるから……」

「つっくんはもったいながりだからな。じゃあフレームから変えればいいじゃないか」


「山田さん、四面さんに心配ないって言ってあげてくださいよ」

本を片手の青年が困り顔で促し、メガネの二人連れはしぶしぶ侍のところへ行く。


「おお!大きくなったな」

突然、後ろから肩をたたかれた。振り返ると、パーティーらしからぬ格好のひげの男がいた。

なぜか白い帆布のエプロンをしている。ポケットから金づちが見えている。

「こつこつ手作業を積み重ねれば楽勝じゃ」

言いながら頭をぐりぐりと撫でられた。私はむっとして手を振り払った。


「さっきのあの人もそうですけれど、失礼じゃありませんか、子ども扱いして」

言うか言わないうちに、フロアでがちゃんと音がした。

「西部くんと東くんのどちらかなんて決められないわよ~!」

ちょっと地味な女の人が、おしゃれな男をふたり引き連れてクダを巻いていた。

「かどしたさん……」

「ふたりとも好きなんだもの~」


「かどしたサンは飲みすぎじゃな」

パーティーはすっかり無礼講になっていた。

ステージと思しき場所ではアニメ風のコスチュームの女の子が歌い、男の子が光る棒を振ってはやし立てていた。

女の子にはケモノ耳と六つの尻尾がついていた。

窓の外を、ワイヤーに釣られて、怪盗と思しき姿の男が笑いながら移動していった。

「……めかしこんでるな。あの人、普段は大学教授をしているんだ」

エプロン男が面白そうに見送って言った。


「楽しんでくれていますか」

例の、壮行会(とやら)の主役が、挨拶回りを抜けてやってきた。首に賑々しくレイをかけられ、花束を持て余している。

「見納めです。あなたに見ておいてほしかった」

「私は……」

「選ぶなら、また来る場所に選んでください」

背高男はにこにこと笑った。どこかで私が廃ビルにいるのを見ていたのか。しかし……。

「この高さからは、色んなものがよく見えます」

「……」


「私たちが変わっていくように、訪れる人も変わっていきます。あなただって」

私の横を子供を連れた夫婦が通り過ぎて行った。楽しそうに窓の外を眺めている。

手を引く父親の顔は私にそっくりだ。驚いて目をこすると、その姿はもう消えていた。


「……ね?」

「……」

「どうか、あなたが子供の頃にここに来たように、大切な人とまた来てください。楽しみに待っています」


 酒が回ってきたのか、眼下の夜景がぐらぐら揺れた。私はもう寒い屋上に戻る気が失せていた。

帰らなくては、とぼんやり思った。

いつか歩いた道を、自分の後姿が歩いて行くのが見えたような気がした。

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