和尚さんの春夏秋冬

よろしくま・ぺこり

和尚さんとひな祭り

 三月。暦の上ではもう春ですが覚詠和尚さんのおります音雨山おとうさん華麗宗かれいしゅう仁王寺におうじは北の雪深い鄙びた田舎にありますので、空気はまだ冷たく、残雪もかなりあります。けれども、雪の下に眠る草花や虫たちもそろそろ目覚まし時計が鳴る時が近づいており、そこかしこからそれらのあくびの音が土の香りと共に聞こえて来ます。和尚さんはその気配を感じ取って、

「また春を迎えられるのう」

 と言って、自分の大きなお腹をさすりました。

「さて、今年もあいつらを出してやらんといかぬな」

 和尚さんはそう言って物置に向かいました。

「ゴホゴホ、ご本といえば角川文庫」

 和尚さんは埃にまみれながら物置から大きな何かを取り出しました。

「ヨイショ、ヨイショ。ああ重い」

 息を切らして和尚さんは、その木でできた大きなものを本堂に持っていきます。そしてご本尊の不動明王に、

「しばらくの間、御前をお借りいたします」

 と了解をいただいて大きなものを本堂におきました。木でできた階段のようです。

「これからが面倒なんじゃな。眠っているあやつらを起こしてやらねばならぬ」

 和尚さんはそういうと、物置から両手に一つずつ木箱を運んで来ます。一度に二つしか持てないので何回も物置から本堂へと木箱を持って往復します。

「この作業が一番きつい。わし、痩せてしまうかもしれぬ」

 いえいえそんなことはありません。しっかりと太っておられます。

「よし、箱も全て運び終わった。あとは蓋を開けて、わしの華麗なる魔術のような手さばきでチャッ、チャッと並べよう」

 和尚は張り切って、木箱の中に入っていた、可愛らしい人形たちを階段状の棚に置き始めました。そうです。和尚さんが並べていたのは豪華なひな人形でした。お内裏様とお雛様二人並んですまし顔です。もっとリラクッスすればいいのに。そこが日本の難しいところだなと和尚さんは真面目な顔して言いました。意味はよく分かりません。それから三人官女や五人囃子、牛車まである、本当に立派なひな飾りができました。

「ふー」

 吐息をする、和尚さん。でも待ってください。和尚さんは一人もののはず。なんで女の子がいないのに、こんなひな飾りを持っているのでしょう?

「わしはな」

 和尚さんが私に向かって言いました。

「わしはな、人形が大好きなのじゃ。僧職につかなかったら『人形の久月』に勤めたかったくらいじゃ」

 ご丁寧な説明ありがとうございます。でも、小説のキャラクターが作者に話しかけて来ちゃダメですよ。

「こりゃ、失敬」

 和尚さんは私に頭を下げました。余計な真似ですね。


 和尚さんがひな人形を飾り終わると、小さな子供たちが境内に遊びに来ました。和尚さんに、

「こんにちは」

 と挨拶する子供たち。その目が大きく見開かれました。

「すごーい。お雛様だ!」

 女の子たちが驚いています。一緒にいた男の子たちも驚いています。それだけすごい、ひな飾りなのです。

「おうおう、子供たちよくきたな。わしの自慢のひな飾りじゃ。触ってはならぬがよく見ておくれ」

 みんなが靴を脱いで本堂に上がります。まずは御本尊の不動明王に一礼してから、ひな飾りをじっくりと見ます。その辺のしつけはたいへんよろしい。

「そうじゃ、明後日は桃の節句じゃ。女の子たちよ、お母さんやお姉さんを連れてくるがよい。甘酒など振る舞おう。いや間違えた。般若湯を振る舞おう。ここは寺だからな」

 和尚さんは言い直しました。そうです。お坊さんはお酒なんか飲んではいけませんよ。すると、男の子たちが言いました。

「僕たちはダメなの?」

 和尚さんは答えました。

「桃の節句は女の子の祭りじゃ。わんぱく坊主は来てはならん。その代わり、五月の端午の節句には男の子だけ呼んでやろう」

「じゃあ、我慢する」

 男の子たちは納得しました。

「じゃあ、女の子たち。明後日じゃぞ」

「はーい」

 そう答えると子供たちは境内に散っていきました。


「さあて、菓子など買い揃えんといかんな」

 和尚はつぶやいて、原付バイクでスーパーへ行きました。


 三月三日。桃の節句がやって来ました。学校帰りの女の子たちはお母さん、お姉さんを引き連れてやって来ます。

「和尚様、わざわざお招きくださってありがとうございます」

 お母さんがお礼を言います。

「いや、こちらこそ呼びつけてしまいたいへん申し訳ない。大したもてなしもできぬがせいぜい、楽しんでいってくだされ」

 宴が始まりました。もちろん子供たちはジュースです。この小説は未成年の飲酒を推奨してはいません。

「それにしても豪華なひな飾りですわねえ」

「本当、立派ですわ」

「男やもめの和尚さんには勿体無いわ」

 お母さんたちが口々にひな飾りを褒めます。多少やっかみも入っているようです。

「ヒック。まあ、子供のいない、わしにとっては人形が子供みたいなものじゃ。ヒック」

 和尚さんは早くもお酒、いや般若湯に酔っ払っているようでした。

 やがて女性だけの(和尚さんは除く)宴は終わり皆、家に帰って行きました。和尚さんといえば。

「ヒック。酒、いや般若湯を持ってこーい。ヒック」

 と寝言を言いながら白川夜船。翌朝まで目を覚ましませんでした。見かけと違って、案外お酒に弱いんですね。

 その夜半。

「これはまずい」

「まずいぞ」

 突然声が聞こえました。いったい誰の声でしょう?

「皆の者、よく聞け。和尚が我らの片付けを忘れて、眠ってしまった。このままでは今日の宴に参加した女子たちがが嫁に行き遅れてしまう」

 なんと、お内裏様が言いました。

「それは、あまりに不憫」

 隣に座る、お雛様がよよと泣きます。

「泣くな、きさきよ。我らは我らの力で箱に戻ろう。牛車もあるし男手もある」

「しかし、箱に入ったら物置まで戻れません」

「うぬぬ」

 お内裏様も困ってしまいました。すると、

「僕たちが運んであげるよ」

 裏庭に飼われている八頭の鹿たちが本堂に入ってきて言います。

「それはありがたや」

 そう言うとお内裏様は棚のてっぺんからお雛様を抱えてピョーンと床まで飛び降りました。すごい勇気をお持ちです。

「皆恐るな。皆はちんより低い棚ぞ」

「では我らも」

「わたくしどもも」

 三人官女や五人囃子が床に飛び降ります。牛車の牛も飛び降りました。

「皆、箱に入れ。あとは鹿殿にお任せしよう」

「はっ」

 人形たちはめいめい箱に入りました。それを八頭の鹿が運びます。

「まったくたのない和尚さんだ」

「それ、鹿にかかってるよ」

 鹿たちは喋りながら、でも箱を落とさないように注意して物置に運びました。


 翌朝。

「ああ昨日は般若湯がすぎたわい。ああ、これはいかん。ひな飾りを早く片付けないと女子どもの婚期が遅れる」

 和尚さんは慌てました。しかし、人形たちの姿はどこにもなく、棚以外にはなにも残っていません。

「さては泥棒が入ったな。どうしようか。とにかくまずは警察に届けねば」

 和尚はスマホを持っていないので母屋の固定電話に向かいました。その途中物置を見ると、なぜか、ひな人形の箱がきちんと置いてありました。

「あれ、わしが昨日のうちに片付けたのかのう。記憶がないな。もしや、これは痴呆症の初期症状なのか?」

 焦った和尚さんは母屋の固定電話で警察ではなく脳神経外科に電話をしました。そしてMRIで脳を検査してもらいました。

 その結果、どこにも異常はなかったそうです。

 よかったですね、和尚さん。

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