第66話 黒水晶の異常な愛情 または壮絶なパイ投げ合戦

ブルーベリー街の蜂起


 半年前。伏木市と有栖市の合併において騒動が起こった頃、恋文町から東方十キロへ行った市内にある青梅団地、通称「ブルーベリー街」にて、その騒動が引き起こした最大の事件が巻き起こった。

 合併を推し進め、市名案を「伏木有栖市」とする伏木市市長のり・たまおは、それに先立ち、有栖市にある青梅団地に対する強引なマンション再開発を推し進めていた。

 これに反対したのが当時六十五歳で、さる大手建設業者の専務を春先に定年退職したばかりの青梅団地・自治会長だった。妻に先立たれ、子ども達は自立して独り身となった会長は、都内の白金にある大きな家を売っ払い、ここへ越してきたのだった。自治会長就任前、引退して千葉の田舎町に越してきて、ひとり静かな生活を送ろうとしていた矢先に、ごみ出しのルールが分からずウロウロしていたところを、三十八歳の主婦・麻梨亜に挨拶され、二人は出会った。

 麻梨亜の夫は忙しく、あまり家に帰ってこないらしい。小さな娘を育てている彼女によると、地元の政治家のり・たまおをバックにする誰得不動産(DARETOKU)によって、ブルーベリー街の住人は立ち退きを迫られていた。実はその不動産の悪い噂を、彼は建設業界の現役時代から聞いたことがあった。

 麻梨亜の勧めで、この団地が抱える問題を解決して欲しいと頼まれたこの老紳士は、自治会長を務めることになった。大企業での権力闘争に疲れ切っていたはずの彼は、これも何かの縁、と感じ最後の奉公だと思って立ち上がったのである。

 さて、のり・たまおと愉快な仲間たちが開設しているサイトを閲覧すると、マンション反対派に対する誹謗中傷であふれかえっていた。そのやり方はかつて会長が経験した事があるバブル期の地上げ屋のやり方そのものだった。人事ではない。まだこんな事が繰り返されているのか……。結局、麻梨亜が副会長となり、反撃ののろしが上がった。

 だが、のり・たまおはやくざ「仏滅組」を操り、脅迫してきた。しかし自治会の二人は、のりたまおが何者かに操られている事に気づく。それはやくざよりも正体が分からず、やっかいな相手のようだった。こうして戦いはヒートアップしていった。

 街が月の光を浴びたある晩、反対運動の大規模なデモ運動が巻き起こった。暴動、いいやそれはもはや「民衆蜂起」ともいうべきものだった。自治会長も予想を超えた事態で、それを扇動しているのは他ならぬ麻梨亜だった。その手法はかつての麻梨亜のそれとは全く異なっていた。そのゴタゴタの渦中、報道ヘリが恋文町に墜落した。

 もはや、のり・たまおもさることながら、麻梨亜自身もまたおかしいと自治会長は感じていた。そして会長にはある考えが取り付いて離れなくなった。あの麻梨亜は、偽者ではないのか? いつの間に自治会と住人は偽者に乗っ取られ、そして本物の麻梨亜はどこかへと消えた。そんな中、会長はとある情報を耳にした。恋文町にある「半町半街」という漢方薬局が、事件の謎を解く智恵と力を持っている、というのだ。

 かくして、自治会長の訪問を受けた「半町半街」店長と、その店員である高校生の古城ありすは事件の謎を追う事となった。この時、ありすらと出会った自治会長は、後の金沢時夫と同じ立場だったといえる。ありすは、黒水晶を持った最強の科術師だった。ありす達はこの事件の背景には意味論があり、そして魔学の匂いを感じ取った。その結果分かった事は、のり・たまおは地下の真灯蛾サリー女王の操り人形だったという真相である。「サザエさん」の波平とそっくりな外見を持つのり・たまおは、いわば白彩店長と同じ存在だったのである。そしてこの時、ありすは恋文町にある白彩と直接対決を行なった。

 半町半街店長がネットオークションで購入したシャーマン戦車を、ありすは科術でレストア(×魔改造)した。ありすは戦車に乗り込み、元凶たる白彩本陣へと向かった。白彩を操る地下の女王サリーと対決するために。かくして半年前、恋文町で科術対魔学の、第一次ホットな戦争が幕を開けたのだ。

「な、何モンだ……お、おめぇは!」

 ありすが戦車で乗りつけたとき、白彩店長は驚愕をもって迎えた。

「ありす大明神だよ」

 最強の科術師・古城ありすの目は完全に据わっており、ありすはそのまま白彩工場に戦車で突っ込んだ。そしてこの街始まって以来の大激闘の末、ありすは敵に黒水晶を奪われた。黒水晶は店長によって擬人化させられた。科術師としての力を奪われ、店に結界を張られたありすは、もう白彩に近づくことができなくなった。その直後、「半町半街」の店長は店をありすに任せると、どこかへと消えた。

 結果としてのり・たまお自身を失脚させることはできたが、町は合併し、その直後から伏木有栖市で「不思議の国のアリス」現象が起こることになった。もしも名前が「有栖伏木市」だったら、「不思議の国のアリス」の意味論は生じなかっただろう。一連の現象は、のり・たまおの負の遺産である。

 ありすはその時、自治会長からGショックを貰った。亡き妻からのプレゼントだったという。本当は黒水晶を奪われたことで落ち込んでいたのだが、会長はありすがアンティークの懐中時計を壊したせいで、うな垂れていると誤解したらしい。


「なんで金時君まで着いてくんのよっ!」

 ありすはプリプリと怒っている。

「何を言ってるんだ、恋文町のリーサルウェポンと呼ばれるこの俺を、忘れちゃ困るな」

 時夫は見栄を張った。

「えっまさか……まさかあんたが?」

 ありす、割と本気で驚いている。

「なんつって」

 言ってから後悔した。もう後には引き下がれんのだ、この俺だって。

「そんな、おっとり刀で?」

 しかし時夫の手には今、ライトセーバー警棒すらない。

「何か科術使えるの?」

「……メントスコーラの科術とか」

「それ科術じゃなくてYouTuber!」

 ありすはあきれ果てる。

「耳がでっかくなっちゃった!」

 といって時夫は、大きめのシイタケを右耳に当てた。

「その茸、どっから持って来たの?」

「いや、そこに生えてた」

「……捨てといて」

「はい」

「得意なことは? 何か部活やってんの?」

「いや、帰宅部だけど」

「君ってさ、どっからその自信沸いてくんの? ……根拠なき自信」

「さぁ?」

「やれやれ」

「とにかく俺も連れて行け。ここまで生き延びた俺を侮るな。一蓮托生だろ」

 確かに、何の能力もない男が今日まで戦い抜いたという実績は、一つの才能ともいえる。

「ウーには言わないで。絶対止められるから。この間のデートの事も」

「……分かった」

「私が躊躇していたせいで、雪絵さんは白彩に行ってしまった。私が白彩に直接対決しに行かないばっかりに。だからね、今日こそ決着をつける。たとえ……白彩であたしの科術が一切効かなくて、罠が張られていようとも」

「あぁ。俺、この戦いが終わったら故郷に帰って結婚する」

「そのセリフ言っちゃダメ! 死亡フラグよ」

「あっそうか」

 映画やドラマなんかで登場人物がこの手のセリフを吐いたら、大抵はその直後に死ぬ展開が待っている。

 だがこの言葉、よく考えてみると時夫が東京に帰りみさえと再会する事を意味しているとも取れる。いいように解釈すれば。その意味では、「志望フラグ」なのかもしれない。

「んじゃ、二人でサリーにお礼参りと行きましょ」


「ヤツは……居るかな?」

 恋文銀座から見る白彩店内に、店長の姿はない。

「整髪剤の匂いがするわ。きっと奥の工場に店長は居るわね」

 作業中の女性店員(茸人)の眼を盗み、二人はサッとカウンター脇から、バックヤードへの侵入を果たした。

 無数の排気パイプが縦横無尽に壁を伝うスチームパンクな工場内。その大きさは高さといい、学校の体育館並みである。中部は蛍光灯に照らされ、外のように明るい。意外と作業員の姿はまばらで、ハイテクの自動おかし作りマシンがガッチャンガッチャンと稼動し、全てがAIで制御されているらしい。生地を作る「キジー」、生地を伸ばす「ノビー」、そこに粉を振る「コナー」、型を抜く「ヌキー」など、果てしなく安直な名称の機械が所狭しと並んでいる。

「バカーみたいな名前」

「アジーはいいのカナー?」

 そしてベルトコンベアーがあちこちを走行している。

「ここがブラック企業の中枢か」

「それが白彩なんてオシャンティーな名前をつけて人々を騙して、許せないわね」

 二人の目の前にはずらりと蒸し器が並んでいた。

「金時君。これよ!」

「例の肉まんか」

 時夫もありすもウーも食べた、白彩の大ヒット商品。

「無数の『集合的蒸し器』。それがそのまま、恋文町の集合的無意識の役割を果たして、意味論を司っている。これが、この町の異変を引き起こしている『意味論』の根源の正体よ。いわば、恋文町の意味論増幅器」

「蒸し器=無意識、の意味論か……そのまんまだな」

 その、集合的蒸し器の中の饅頭にも変化が起こっていた。長時間蒸されたまんじゅうには唇があり、命を宿している。店頭で売られているのとは別種のようだった。そして耳をそばだてると「連中」は何かを合唱している。意味論を!


 可笑しなお菓子で いとをかし

 さがしものを ひた隠し

 お菓子を 岡持ち をかしけれ

 ありすを逃がして ほろ苦し

 お菓子な国で かくあれかし


 これは、「世界お菓子化」の黒水晶流の科術の呪文である。

「この集合的蒸し器は今、町全体をお菓子にしている煙科術を引き起こしているんだ!」

 その時であった。

 高笑いが、悪魔の館の中から二人の耳元へ雄たけびのように響いてきた。

「笑いながら仕事する? 普通ゥー」

 ありすはあきれ果てる。

 フル稼働中の白彩工場では、黒水晶と茸店長がせっせと最終段階の工程に入っていた。女王が地上へと出てこられるための準備作業は一段とスピードアップしている。二人の会話から、店長は黒水晶と共にこの工場のどこかでカシラという名の怪物の巨大卵を作っているらしい事が伺えた。黒水晶が店長に指示を出し、いまや主従が完全に逆転しているらしかった。

「それで作戦は?」

 ありすはピッと一本、手先に駄菓子を出した。

「セヴンネオンか?」

「うさぎマンボよ。どっちも同じマンボ菓子なんだけど、セヴンネオンは前使ったので品切れ。今は、これを使って操るの」

 形はセヴンネオンにそっくりだ。しかし、「うさぎ」マンボか……。

「工場のような大きな建物には必ずあるものよ。送水口は」

「そうか! あいつか……」

 ビミョー。西部で一時的に『セヴンネオン』一党として共闘したとはいうものの、時夫は今でも送水口ヘッドに対して心を許した訳ではなかった。

「あいつらは幾ら死んでもよみがえる。何度でも。いや、おそらく『死』という概念がないのよ」

 ……なぜなら送水口ですしお寿司。

「そろそろ来るわね」

 ありすは白彩で、科術が使えないので送水口を使って反撃を考案したらしい。ここへ入る前、いつの間にか送水口の頭の上にうさぎマンボを置いてきたという。身体を生やした工場の送水口は、入り口から堂々と入ってきた。フォフォフォフォフォと笑いながら分身の術で、場瑠譚(バルタン)星人のまねをして増幅していく。これほどの規模の工場ともなると、色々な形状の送水口ヘッドが揃っていたようだ。全てにマントを羽織った身体がくっつくと、かなり不気味である。

 すると異変に気づいて、集合的蒸器の向こう側から黒水晶と店長・佐藤実がヒョイと頭を出した。キツめの整髪剤でテカテカのオールバックに固めた店長は、白彩挙げての世界お菓子化の大科術にも効いてないらしいありす達を観て、忌々しそうな顔をした。……黒水晶はどうした?

「まだ生きていやがったか。しかし、雪絵を追ってここへ迷い蛾が飛んでくることは分かっていた。お前の科術はここでは通用せん! <科術無効空間>で一体どう戦うつもりだ? わっはっはっは」

 陰険な殺し屋目つきの店長が馬鹿笑いしている。

「黒水晶、出てきなさい!」

 ありすは挑発した。

 明かりのついてない奥の倉庫へと通じる廊下から、ランタンを掲げた黒水晶が暗闇から登場した。チッカッチッカッチッカ……。ランタンが点滅している。

「白井雪絵はもうあなた達の元へ戻らないわよ。二度と! 永久にね。ハハハハハ!! よくここまで来たわね古城ありす。だがここまでなのよ」

 勢いよく右手を突き出してランタンをかざす。そう、ありすそっくりのこの女こそ、古城ありすの力の源泉、黒水晶だった。こっちは金髪、向こうは黒髪だが、どっからどー見てもありすそのもの。

「お前ね。そのセリフ、どこで覚えた? テレビでしょ、どーせ。女王と二人で地上波の時代劇の再放送観てたわね。この暇人共が!」

「う、うっさいわね。いつまでも主人気取り。古城ありすっ、あたしのご主人様はもう女王陛下なんだからねッ、勘違いしないでくれる」

「ハイハイツンデレ乙。ホントはあたしの懐という故郷が恋しいクセして。無理しないでさっさと私の懐に戻ってきなさぁ~い、ホラホラ、ママが呼んでますよぉ~」

 ありすは両手を前に広げた。

「フ、フザ。そーやって馬鹿にできるのも今の内なんだから! あたしは独立心旺盛、今日まで数々の独自の科術を心得たんだから。もうあなたなんかはるかに超えちゃってるんだからネ」

「じゃあそのお前の偽科術とやらがどんなものか、主人の前で披露してもらいましょうか」

「望むところよッありす」

 かくて、科術師と科術師の頂上対決、プライドとプライド、意地と意地の対決の幕が切って落とされたのだ! 送水口を揃えているとはいえ、どっちかというと黒水晶の方が有利なはずだが。


 ビュン!!


 ありすらを、高速回転するUFOが襲来した。いいや違う。パイが放物線を描いて飛んできたのだ。空飛ぶパイだ。どうやら今度は、甘いパイでアリスらを砂糖化する作戦らしい。敵の手元にはパイ製造マシンがあった。

「なぁ、あのパイ製造機って、……ひょっとしてこれか?」

 ふと時夫が向こうのマシンと同じものがこちら側に立っていることに気づいた。

「そうだわ。やっぱ黒水晶ってどっか抜けてるのよね」

 ……やはり間抜けか。ありすと時夫はマシンのボタンを押し、パイを製造しつつ自分たちも投げていった。

「チッ、気づかれたか!」

 店長の顔に焦りの色が浮かぶ。

「だからこっちに片付けとけって言ったじゃん」

 案の定、向こう側でモメている。

「奴の力さえ弱めれば……、後は私が黒水晶を元の姿に戻す!」

 ありすはパイ製造機をセットしながら時夫に作戦を伝えた。

「そんな事ができるのか?」

「できるわ。今までヤツは安全な地下に隠れていた」

 とはいえ、白彩はありすにとっても安全ではない。

「行くわよ金時君ッ!」

 壮大なパイ投げの始まり始まり~。かくて集合的蒸器を挟んで、パイ投げ全面戦争が始まったのである。だが向こうに比べると、ありすと時夫のパイはあまり正確に飛んでいかない。

「はっはっはっは、コントロールが甘いんじゃないの?」

 黒水晶はまたばか笑いした。

「ナニ勝ち誇って笑ってんのよ! そっちも二人でしょ、送水口ヘッドのお陰でこっちの方が数では勝ってるんだからネ」

 その通り。分身の術……実際には各所の送水口が集合し、五レンジャーと化した色々な形状の送水口が参戦している。さすがインフラ擬人化、機械だけに投げるスピードが違った。

「ギ○ギラ○ンにさりげなく~♪ さ○げなく~♪ 生きるだ○さ~~!!」

「イヨッ、大統領!」

「アリガトウゴザイマス! ゴセンエン、ありがとうございます! 五千円、まことにありがとうございます!!」

 こりゃパイ投げのバッティングマシンだ。

「ダマレトーシロ! 甘い、和菓子のように甘い!! よ~く見よ、立ち並ぶことオドロ林!!」

 店長の魔学の掛け声とともに、向こう側に白彩店員のキノコ人たちがずらりと横並びして参戦した。たちまち形勢は逆転、数では向こうの方が勝っている。オドロ林といえば、船橋の難読地名「行々林」の事だろう。

「トーシロですって? はぁ? このあたしが?」

 ありすは眉間にしわ寄せて言い返す。

「俺はな、高校球児だったんだよ!!」

 送水口たちは店長の剛速パイでさっそく右端から順にやられていった。

「あララララ……」

 スピードだけはあるが、送水口たちが投げたパイはどれもこれも向こうの壁にヒットしている。ホームラン! ってこいつらコントロール悪すぎ。そうか、送水口にも得手不得手があったか。敵のパイが当たった送水口は、目の部分の内部がボヨヨンと飛び出て、フラフラになって倒れていく。「目が目が……」と走り回り、出口を目指して走るも、壁になっていて激突する者。「ペラペラになった~」と言ったきり、頭と服だけになって倒れていく者。どうやら「白彩」だけあって赤いモノが全くないためか、送水公ヘッドは三倍性能ではなく「通常性能」しか出せなかったらしい。

 圧倒的な敵パイの「パイ力」の前に、ありすらは劣勢を強いられていた。


 ざわざわ……ざわざわ……


 集合的蒸し器の肉まん共が「カイジ」のマンガのように呟いている。


 そこへ「跳んで卑に入る冬のバニー」こと石川ウーが、ローラースケートをジャカジャカいわせて駆けつける。

「うさ子……」

「何で言ってくれないのよモゥ!! 忘れないで、あたしだってあんたの味方なんだからねっ!」

 ウーの、胸が熱くなるよくあるセリフ。どうやら、町のどっかに生えてる送水口から直接聞いたらしい。やつらのネットワークは侮れない。ウーの姿が見えて時夫はホッとした。いやはや、意外と役に立ったんだなガムダン星人。

「あ、そーなんすか?」

 ありすは無感心を装う。

「この女……あたしゃあんたの親友ダロ!! わーすーれーるーなぁー、このあたしの存在を!!」

 ウーの右手には岡持ちが握られている。

「わーったわーった。んで、マズルは見つかったの?」

「いや……」

「やっぱしか」

「でもね、ここへ来る途中、実は見たのよ、彼を。幻想寺の方向で!」

 会話しつつも集合的蒸器をはさんで大量のパイが宙を飛び交っている。それをしゃがんで傍観するウーの前で、全員がパイを投げていた。

「え?! でも……」

 ウーはウサメンを追いかけると、彼は寺の中へと消えた。この町にいるのは確実だ。しかし結局ウーは彼氏とすれ違ったままらしい。

「でさ、さっき寺に行ってみたら、とんでもない事になってるよ。あそこはもう、立体的な高さが出て高野山みたいなんだよ」

 幻想寺は日本版サグラダ・ファミリアか! 幻想寺の迷宮に迷い込むことを恐れ、ウーは白彩へと直行した。

「何ですって?」

 東大寺の次は高野山とか、まるでコンピュータ・ウィルスのような増殖の仕方の高速寺院増設だ。なお、スペインのサグラダ・ファミリアは、近年まで違法建築だった事実はあまり知られていない。

「それもこれも、恋文町がお菓子化してからの事か?!」

 時夫はパイを投げながら叫んだ。

「そう、その通り。ヤッパあの寺で何かが始まっている。この町のお菓子化に対抗せんとして、あの寺で、白彩に対抗する何かが!」

 あの寺の正体は一体。綺羅宮神太郎は何者だろう?

「あたし達さぁ、ケンタッキーなのかな?」

 ウーが口をへの字にして言った。ありすは一瞬、どーいう事かな、と考える。

「倦怠期? いや末期でしょ。どー考えても」

「何でそーいう事言うかナァ?」

「……口で」

 小学生か!

「うえーん」

 飛び交うパイの中、ウーが一人泣いている。

「それはともかくあんたもパイ投げに参戦して! よろぴくぴくぴく」

 ありすは、さっきからウーが来てから、何となくうれしそうだった。暗く沈んでた表情が今はイキイキとしている。

「ところで何してんのよ一体?」

 ウーが聞いた。一瞬で立ち直るなよ! うそ泣き? 性悪な。

「ダカラ、全面パイ投げ戦争だって!!」

「何それ笑える」

「いいから、ホラ!」

「フッフッフ、こんな事もあろーかと」

 ウーは持って来た岡持ちから、どんぶりを取り出した。

「ありすちゃん、あたしに期待しないでね。って言っても期待しちゃうでしょう。そうよね仕方ないよね。アッハッハッハ」

 右手に持った丼を、頭上のうさ耳にかざす。

「石川ウーの必殺、アーヴァンギャル丼よ!」

(……)

「つまりね、都会的な女。アーヴァン(都会的)なギャルにしか作れない丼!」

(……)

 アバンギャルド? た、確かに……。その丼は、「サイコスープ」に匹敵するサムシン具(グ)が見え隠れしていた。その内容については……お食事中の人も居ると思うので、ここでは控えておきたい。

「妖刀ハルサメでも振り回してなさい!」

「また馬鹿にして」

「馬鹿になんかしてない。ただ見下しているだけ」

(アレ……このやり取り。俺とウーで前にも西でやったぞ?! ありすまで……)

 時夫はウーという人物の絶対的スペック「アホ」について考えている。

「見損なわないでよ。恋文町のピチピチギャル(死語)こと石川ウーを。あたし科術使えるもん」

「そうか! そうだったー」

 ま、ありすも大概だよな。さて科術師の石川ウーが加わったことで、こちら側も俄然有利となった。

「行くわよぉ~」

 ウーが腕を二回転してからブン投げたアーヴァンギャル丼は、宙で高速回転しながら黒水晶と店長めがけて襲い掛かった。その汁や謎具材がバラけると共に、立ち並んだ茸人や工場の機械が溶けていく。……オマエ、ひょっとして体液が硫酸で出来てるエイリアンか? 絶対食えねー!!

「アウトォー!!」

 機転を利かした店長がガラガラとパイ製造マシンを動かしたので、目的は果たせなかった。どうやら機械にはキャスターが着いていたらしい。

「ムハハハハ! このドシロウトが!」

 陰険店長が叫んで再度パイを投げてくる。あっちは元高校球児で、日々和菓子の練りで肩を作っている。当たれば即砂糖だ。

「ムズいィ。何コレ?」

 ウーもコントロールはそれほど良くない。佐藤店長が本当に高校球児だったのかどうかは不明だが、異常にコントロールが良いのは事実だ。説得力はある。黒水晶はフツーだが、店長は一人で三人分の活躍をしていた。三人は予想外の苦戦を強いられた。

「第二段の科術料理行くわよ、アプフェルシュトゥールーデル!」

 ウーは岡持ちの二段目からホカホカのアップルパイを取り出した。

「ア、ア、アプ? ……発音が難しいわね。ドイツ語か何か?」

「ヤー(うん)。実はここに来る前、寄ってきたのよね、レートさんのお店に」

「気が利くじゃないの」

 ドイツのアップルパイを加えて、ただただ全員でパイを投げあう昼下がり。

「ワッシマッタ、科術の呪文唱えるの忘れた!」

「えっ、さっきのアプ……が呪文じゃなかったの?」

 ドイツのパイは、そのまま黒水晶の足元に転がっていった。二人はジト目でウーを見る。

「い、いやっ、だからっ、みんなの緊張を和ませようとしてるあたしの愛じゃんよ、愛!」

 ウーは店長の魔球パイをしゃがんで避けた。

「和まんなぁ」

 ボヤキの時夫がポツリとぼやく。

「今のは貸しにしとくわ」

「それはこっちのセリフ!! 一体いくつ貸しを作ってんのよ」

 菓子工場内で「貸し作る」とかヤメテクレ。

「……このドシロウト以下が!!」

 店長の菓子作りで鍛えた指先が、高速回転する魔球のパイを飛ばす。敵の方は快調だった。


 本物のキスしてよ! 魔球パイ~

 甘い甘いキスをして

 許すから! 魔球パイ

 浮気はもうしないでね 魔球~


「なんだあの歌。キショイわね」

 もはや、こっちサイドで立っている送水口はない。向こうの茸人も何対かは倒せたが、数の劣勢は否めない。

 黒水晶の甲高い声が響く。

「店長、そろそろいいんじゃなーい? アレを食らわせてやりなさい!! 最高傑作の食い物科術のアレを!」

「ウム。時間は、そろそろ申し分ない。十分蒸かせたな」

 黒水晶の掛け声と共に、次に店長が投げたのは、バレーボールのような大きさの白い巨大なまんじゅうだった。店長はそれを垂直に投げると、落下したところでバシンと工場内に派手な音を響かせてサーブした。

「ムハハハハ、俺はな、中学時代、バレー部だったんだよッ」

「避けてッ!」

 ありすは嫌な予感しかしなかった。

「あっ、あっ、あっ……」

 右往左往する三人の処へ、宙から飛来した巨大な饅頭が落ちてきた。ウーがとうとう避けられずに直撃し、顔面で受け止めた。慌てて両手で引き離し、敵に投げ返す。

「お、おい……ウー、君。顔がないぞ」

 時夫が血相を変えて指摘する。

「?!」

 ウーの顔はのっぺらぼうと化し、「キャアア」という叫び声が空飛ぶ饅頭の方から聞こえてくる。

「って事はこれは、顔がくっつくまんじゅう?!」

 まんじゅうは勝ち誇った店長の顔面を直撃し、慌てた店長がなぜか黒水晶に向けてトスをする。黒水晶は何でこっちに投げるんだという怪訝な顔で、とっさにありすサイドへ向けてアタックした。

「このドシロウト以下が!」

 という叫び声が、飛んでいる饅頭から響いてくる。と、いう事は……今、店長の顔には、ウーの目鼻口がくっついていた。一方のっぺらぼうのウーの身体はすっ転んでありすのお尻を蹴った。前方にずっこけたありすに饅頭が直撃する。饅頭はそのまま垂直に飛び上がった。時夫は、ありすの顔に店長の目鼻口がくっついているのを観て卒倒した。

「わわわこっち来るなー!」

 結局、時夫は上から落下してきたまんじゅうを遂に避け切れなかった。かくて時夫の顔はくっつく饅頭に写し取られ、代わりに時夫の顔についたありすの目鼻口が叫ぶ。

「ちょっと、あたしの顔元に戻してェー!!」

「気持ち悪いわよ、時夫」

 と今度は店長の顔にくっついたウーの顔が叫んでいる。

「人の事が言えるかよ!」

 ありすの顔についた時夫の目鼻口が抗議した。

「こりゃー大変だ。これが白彩店長の魔球ってやつか!」

 と叫んでいる饅頭の時夫の顔は、のっぺらぼうのウーの顔を直撃。工場内は大混乱に陥ったのだった。

「そうよ、これこそ玄人の技……」

 店長の目鼻口を持った古城ありすが返事した。

「声低ッ!」

「はは、ははははは!」

 黒水晶は笑いすぎてもはやパイ投げどころではない。床を転がり、よじれる自分の腹と格闘している。あんたが考案した科術のせいで、こーなってるんですケド……。

「こいつぅ、笑いすぎなのよ!!」

 時夫の顔についたありすの目鼻口が抗議する。とにかく一度、全員の顔を元に取り戻さないといけない。だが……飛び交う饅頭、一向に納まる気配のないパイ投げの結果、十分後……誰がどの身体についているのか、一見よく分からない状況になっていた。

「ちっと何触ってんだよ!」

 とありすの顔の時夫が文句を言い、

「もちろん好きんシップよ」

 と黒水晶の顔がついたウーが返事をする。遊んでいる場合ではない。


 ほぼほぼ……ほぼほぼ……ほぼほぼ……ほぼほぼ……


 集合的蒸し器の肉まん共が呟いている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る