第60話 アリスとテレスと幻想寺

どきどき羊羹


 常春の恋文町地下世界。その古城のレストランホールにて、黒水晶は「黒ゴマ餡の羊羹」を口に入れた。どうやら黒水晶は「正解」を引き当てたようだ。

「次は、陛下の順番でございます」

 黒水晶は小型の日本刀の形をした羊羹用ピックナイフをサリー女王に渡す。サリーはそろりそろりとナイフを羊羹へ下ろしていく。

「のわっ」

 切れた羊羹は突然炎に変化し、あっという間に燃え尽きた。

「あっつ、危ないじゃないのよ!」

 危うく自慢のぱっつん前髪を燃やすところだった。

「はははは、今度はナイフのスピードが遅かったようですね」

 これは黒水晶が作ったアミューズメント和菓子「どきどき羊羹」というものだ。切った羊羹が色々なものに変容する。さっきはヤモリになってテーブルの上を走り回った。つまり、ロシアンルーレットの和菓子版こしあんルーレット(最中の中にわさび他が入っている)みたいなものだが、切り方によってまともな羊羹になったり、時にはトンでもない代物になる。切るスピード、角度、それに厚さによって変化が異なるのだ。さすがに悪食のサリー女王でも炎は食べられない。

「口ん中入れて火傷したらどーすんのよ」

「コツがあるんですよ」

 そもそもサリー女王がなぜ羊羹を日課のように食べているかといえば、ここが「洋館」だからであり、地下の洋館の意味論に囚われてる自分自身を見つめ続けてきたからだった。ともあれ、あの人と一緒に食べられたらといつも想っている。あの人、つまり金沢時夫と……。

「それっ」

 黒水晶はナイフの入れ方に緩急をつけ、サリーは「ヒッ」と言って両手を盆踊りのように挙げたまま身構えた。切れた羊羹は横にパタッと倒れ、そのままの姿で黒光りしている。それ以上の変化はない。黒水晶は口の中へパクッと放り込んだ。

「珈琲ゼリーです」

「ムムム……もしやインチキしてるんじゃないでしょーね?!」

「とんでもない、勝負は勝負です。いくら陛下相手でも手加減はいたしません、ただそれだけの事です」

 サリーは黒水晶を大きな目で日と睨みするとナイフを羊羹に据えた。

「これがありすの首だったら!」

 エイッ! サリーは羊羹を「断頭」する。一瞬に生首に変わったのかと思ったが、羊羹は半透明の魚のグミになって転がった。

「……ンフフフッ」


 カツーン、カツーン。

 そこへ、長身の男がブーツ音を鳴らして入ってきた。西部の荒野から命からがら唯一戻ってきた男キラーミン・ガンディーノである。

「生きてたの?」

 サリーは黒水晶を見た。ややホッとした顔をしている。その顔つきからすると、どうやらキラーミンが戻ってくるのは五分五分という感じだったらしい。

「ハッ」

 二メートル近いキラーミンは女王にかしずいた。白井雪絵のアルティメット・ラケットによってキラーミンは爆発したはずだが、かろうじて海の中に飛び込んだらしい。それから泳いでありすらの追及を逃れると岸へ上がり、バイクで西部から戻ってきたという。

「何か土産でもあるの?」

「ございません……しかし、わたくし自身が何よりの土産。わたくし自身をお使い下さい」

「なるほど……キラーミン、お前、ファイヤークリスタルそのモノか?」

「ハハッ」

 古城ありすが黒水晶を持っていたように、キラーミン自身がファイヤークリスタルなのだ。しかし、一体誰の所有物なのだろうか。

「明日は31日の大晦日。木曜日か……。惜しいわね」

「何がです?」

「いや31日が金曜なら、13金みたいでちょっと面白いなって」

 大して惜しくはない。暇人の考えることだ。

「大丈夫です。木曜も金曜に変えてみせます。カレンダーの操作など、ファイヤークリスタルでは造作もない事ですから」

 三人は白彩地下工場の黒水晶研究室まで移動した。

「どうやって使うの?」

「こうです!」

 キラーミンは胸元からファイヤークリスタルを取り出した。左手にタバスコも持っている。フタをキュッと開け、これをファイヤークリスタルにかけると、火石は右手の中でボンボンと燃え始めた。

「タバスコ・バスクル・バスコナイ・バスコダガマノアブラヲチョントツケ・一枚ガ二枚・二枚ガ四枚・四枚ガ八枚・八枚ガ十六枚・十六枚ガ三十ト二枚……」

 ブランコが漂流町で唱えていた呪文だ。甘いものにワンポイントで辛味を足す。スイカに塩・アイスにしょうゆのように、魔学のタバスコでさらに甘みが増すってことだ。

 熱くないのか、キラーミンの右手の中でオレンジ色に輝く炎に、今度は黒水晶が魔学の呪文を唱え始めた。


 可笑しなお菓子で いとをかし

 さがしものを ひた隠し

 お菓子を 岡持ち をかしけれ

 ありすを逃がして ほろ苦し

 お菓子な国で かくあれかし


 何か黒水晶の悔しさが滲んだような呪文だが、黒水晶は白井雪絵をゲットできない代わりに、地上をお菓子に変えてしまう魔学を行使しようとしているようだった。そうして恋文町の環境が変われば、たとえ雪絵のロイヤルゼリーがなくても、女王が地上に出てくる準備が整うのである。

「エエエェ……キラーミン、あんた燃えてる!」

 女王は目の前の光景にのけぞった。炎はキラーミンの右手から全身に燃え移り、火柱を形成した。その煙は地上の白彩工場の煙突へ吸い上げられてゆく。笑っているキラーミン・ガンディーノは消滅した。ファイヤークリスタルだけが床に残されている。


幻想寺


 図書館から町を一望できる坂を下り、ありすは駅前の恋文銀座を目指して近道しようと住宅街の路地の中へ入った。だがかれこれ三十分近く、行ったり来たりしている。

「おっかしいナァ。七丁目でもないのに。金時君じゃあるまいし、まさか私が勝手知ったるこんな近所で迷子になる訳ないのに!」

 古城ありすでも御せない町に様変わりした……という気配もないようなので、本気で迷ってしまっただけなのかもしれない。だが、方向としてこの住宅街は駅前からそんなに離れている訳でもないはずだった。

「こんな時こそ推理よ。アリストテレス以来、論理学は数々の難問を解き明かしてきた」

 ぶつぶつ言いながら、アリスは板チョコを齧っている。

「このお寺、何かの目印になるんじゃないですか?」

 雪絵が足を止めたのは、さほど大きいわけでもない町中の寺の前だ。雪絵は時夫と同じく、恋文町についてそれほど知らない。

「幻想寺? ……曹洞宗、禅宗か」

 ありすは眼を細めていぶかしがっている。寺の門には、寝転がった姿の、ファニーな表情の猿像が掘り込まれていた。

「ウー、こんなお寺あったっけ?」

「さぁ、記憶にないけど」

「おかしいな。子どものころから知ってるこの恋文町で、あたしが知らないお寺なんてあるはずないんだけどナ」

 幻想寺は、真新しい寺という訳ではなく、立て札の説明によると、少なくとも江戸時代からここにあったらしい。だがありすとウー、二人とも記憶がない。まさか突然出現したとか。いや、ここは入り組んだ住宅街なので本当に気づかなかっただけなのかもしれない。あるいは、バミューダ横丁のたぐいに嵌ってしまったのか。もしそうなら、どうやって脱出するべきか。

「駅がどっちの方向か訊いてみましょう」

「いきなり入るの? 大丈夫? 『猛人注意』と書いてない? アッハッハッハ……」

 とウーが言うとおり、時夫も「猛茸注意」と書かれてないか警戒したが、門にもどこにも地下帝国の橋頭堡を示す「六角形に蜂の頭」のマークが見たらないので、少なくとも敵基地ではなさそうだ。

 寺紋は……謎の笑顔マーク。

「これ、ちょっと待って。パン屋のレートさんが胸につけてる缶バッジと同じだ」

 ウーの指摘に、ありすも驚いている。

「何これ?」

 時夫がいぶかしがって訊いた。

「ぽげムたマーク。正式にはBAー90。写植記号よ。昔はマンガなんかでよく見かけた……」

「江戸時代から?」

「いや……そんなはずは」

 しばらくありすは謎の笑顔を見上げていたが、意を決したように中に入る。

 整然と整えられた境内の庭に人の気配はなかった。町寺では、よほど大きな寺院でもない限り、僧侶に逢うこと自体珍しい。ありすはさしあたってメキシコペソ金貨を賽銭箱に入れて参拝すると、ガラッと寺院の扉を開けた。金貨かよ……。

「誰もいないわね」

 中は思ったより広い畳部屋で、釈迦如来が本尊の中央の黄金に彩られた須弥壇があるオーソドックスな作りだ。上を見上げると、墨絵の立派な龍がとぐろを巻いて、ギョロ目でこちらを睨んでいる。特別に奇妙な点は見当たらない。ただひときわ目立つのが座布団の上に鎮座したピカピカにつやの出た木魚だ。けっこうでかい。ありすは床に置かれた棓(ばい)をガシッと掴むと、おもむろに木魚をポクポク叩き始めた。

「ちょ、やめろよ」

 時夫は周囲をキョロキョロしながらありすを制そうとする。呼び鈴じゃないんだから。

「だって、誰も居ないじゃん!」

 気がつくと部屋の右端にお坊さんが立っている。足音は聞こえなかった。いつからそこに居たのか、四人はギョッとした。誰も足音を聞いていない。もっともありすが木魚をポクポク快調に叩いていたせいで気づかなかったのかもしれない。

「あらやだカッコいい」

 とウーが囁いた。

「あぁっ、良かった。こんにちは。あたし達、駅前に行きたいんだけど、この辺がどこだが分からないのよ。教えてくれない?」

「こんにちは。なるほど、そうでしたか。この辺りは路地が入り組んでいます。しかし、角々に生えているハコヤナギを目印に曲がってゆけば、間もなく駅の方へたどり着くでしょう」

 ハコヤナギ、真っ直ぐな木に比較的根の方から枝が生えている樹木である。確かにここに来るまでに何度か見かけたような気がした。

 住職の年齢は声からして若そうだったが、暗くてちょうど翳ってて顔が見えない。立ってる位置から、ウーだけ見えたようだが。

「……そう、どうもありがと。やれやれ、これまで失敗だらけだったから、ここでまた道を迷ったらと思うとネ。だからホント助かった!」

 といいながら、ありすは住職をよく見ようとして目を凝らしている。

「お気をつけなさい。過ぎ去った時間は帰ってきません。人間には『今』しかありません。過ぎ去った過去の出来事を悔いても、我々はそこにはすでに生きていないのです。二度と来ない今に集中して生きることです。そうすればあなた方も迷いが吹っ切れるでしょう。禅宗では、これを而今(にこん)と言います」

「ニコン? 高いんじゃないのそれ」

 とウーが呟いている。カメラか何かと勘違いしてるようだ。

「そうなんですか。私、漢方薬局の『半町半街』の店長代理を務める、古城ありすという者なんですけど」

 ありすは畳をにじり寄った。

「お坊さん、道に迷ったのはあたしの心が迷っているからだって言いたいんでしょう?」

「さぁ? どうですかね。私は何も、別に」

「この本ね、たった今、図書館で借りてきたの」

 訂正。ありすがかざした「恋文奇譚・火水鏡」は、図書館から盗んできたものだ。

「もしかして、お坊さんこの本知ってるんじゃないかなと思って」

「はぁそうですか。……いいや? 存じません」

 若い住職は顔をかしげる。そりゃそうだ、ありすがやたら変なこと言ってるだけだ。

「うちの店長ね、半年前に失踪しちゃったのよね。で……、」

 ありすがさらに近づこうとすると、住職はゆっくりと後ずさりを始めた。

「どこかで迷っちゃってるんじゃないかなと思ってるのよ。結構、近くに居るんじゃないかと思うんだけど。この辺に、立ち寄ったりしてない?」

「……」

「おいありす、ちょっと待て。この寺のどこにそんな根拠があるんだよ」

 時夫は慌てていさめた。

「ここ、科術の匂いがプンプンするのよ」

「まじ? ねぇお坊さん、ウサメン、佐藤マズル、マズルって人ここ来てない?!」

 ウーも身を乗り出す。

「……そういえばお坊さん、もしかして」

 ありすはにじり寄っていく。おいおい、誰だというんだ?

「綺羅宮神太郎じゃない?」

「えぇっ」

 な、なんだってー。

 ガラッ、僧侶は奥へ続く暗い戸を開けて中へと入り、パタンと締めた。

「待て、待って! 待ちなさい!!」

 ありすがドタドタ後を追って戸を開けると、そこには誰も居ない。

「……消えた」

 すでに気配もないらしい。綺羅宮神太郎といえば、百五十年前の人物ではないか。一体どういう事だ。この突拍子もない結論が、ありすの言うアリストテレス以来の論理学が導き出した答えだというのか? 荒唐無稽なのはお前だ、ありす。されど「幻想寺」。時空の異なる恋文町では、いかなる事態が起こっても不思議ではない。さっきの住職の正体が誰であれ、ここに長居するのは危険だ、とありすは判断した。

「いずれ調べる必要がある。迷ったのは怪我の功名ね。雪絵さん、ありがとう」


 駅前へと出ると、とりあえず電柱に「佐藤マズル」の名はなかった。

「脱出したのは確定ね。彼はこの町のどこかにいる」

 ありすは電柱を人差し指でなぞった。

「あーんもうどこに居るのよぅ。電話くらいよこせよな~ッ!!」

 ウーは空に向かって叫んでいる。ウーの携帯はしばらく「テケリ・リ!」と鳴っていない。

 白彩を恐る恐る外から覗くと、本体の店長が復活している。だが、ショーウィンドウから店内を眺める雪絵のことなどわき目もふらず仕事している。あれは確かに本体だ。雪絵は確信する。ありすらは、結界のせいで中へ入れない白彩工場の煙突を見上げた。

「始まるわね……」

 白い煙がモクモクと上がっている。

 白井雪絵の眼が険しい。

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