第40話 今日、麩のお化け屋敷

 四人は部屋に引きこもって、朝まで音なしの構えを決め込むことにした。嵐の夜を乗り越えさえすれば、後は戦車まで走っていって一気に脱出だ。たとえその間に何が出てこようとも、駐車場の戦車までは、何が何でも突破してたどり着けばそれでよいのだ。朝になれば、上空のサンダーバードは去ってくれるかもしれない。それも希望的観測というものだが、明るい方が対策も打ちやすい。外の雨風以外、部屋に静寂が戻って数時間後、時夫はウーの声で目を覚ました。

「アー喉渇いた。あれー? 飲み物切れてる。あたしちょっと、ジュース買って来る」

 屈んで冷蔵庫を覗き込んでいるウーが不満を漏らした。さっきからラッパ飲みを続けていたせいだ。

「ロビーに電話して、持ってこさせればいいじゃん」

 ありすによれば、ここは油麩剣を持った伊東一糖斎が経営している事がほぼ判明している。エクスカリカリバーブロートよりも硬い油麩であるらしい。たまったもんじゃない。だのにありすときたら、ジュースを持ってこさせろとは、とぼけているのだろうか。

「んー? でも、廊下の十メートル先に自動販売機があるんだよ。買ってすぐ戻ってくればいいだけだし。ありすちゃんも何か飲む?」

「ちょっと、勝手に出歩かないほうがいいわよ」

「大丈夫だって。一歩外に出たら、エッシャーみたいな階段になってるとでも思う? ははは、そんな馬鹿な」

「じゃ念のため携帯持ってって」

「信用ないなー。分かったよ」

 ウーが出ていって、部屋の中は再び静かになった。ありすと時夫は寝なおした。

 ウーが鍵を閉めた瞬間だった。足元の廊下から黒いものが鍵めがけて飛び上がった。

「ギャッ!」

 黒猫が魚型の頭のついた鍵を加えている。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。それ本物の魚じゃないの!」

 ウーは黒猫を追いかけるはめになり、自販機を通り越してどたばたと廊下を走っていった。


「あいつ……何やってんのかしら」

 布団の中で寝ぼけなまこのありすが時計を確認すると、ウーが出て行って二十分が経過している。ありすの携帯が鳴って、ウーが出た。

「あーんもうここ何処よぉ?」

 ウーがケータイで泣きを入れている。

「何してんのよ。あんた、ジュース買いに行ったんじゃないの? 何でこんなに時間がかかんのよ」

「ありすちゃん、それがさ。部屋を出たら黒猫がいてさ、鍵を銜えてもってっちゃったの」

『黒猫だってさ』

 携帯から耳を離して、ありすは隣部屋から出てきた時夫に呟いた。

「黒猫なんかいるわけないでしょ。さっさと戻ってきなさい」

「それが今どこだか分かんないのよ。猫追いかけてる途中だしさ。とりあえずお風呂にいけたのでもう一回入った。あっ、ちょっと待って!」

『風呂はいけたみたい』

 それで時間が掛かったのだ。

『器用な奴』

 ありすと時夫は、雪絵が起きないように声を抑える。風呂まで行けたのなら、前回と同じルートで戻って来ればいいだけだろう。

 『カチャ』。ウーがどこかのドアを開ける音がする。

「な、何やってんの。他の部屋に勝手に入らないでよ」

「今黒猫の声がした。あっ、あったぁー」

「ちょ、ちょ、ウー? 今何処……」

「どっかの空き部屋。テーブルの上に鍵があったよ」

「猫は?」

「いない。……たぶん、食べ物じゃないって分かったのかも」

「早くそこを出なさい」

「待って、この部屋、寄せ書きノートがある。……最後の日付は、一年前の今日だ。え~と。……うわっ!」

「何よ?」

「……『私は六年前に死んだ者です』だって……。ギャー!」

「や、止めなさいよ。このタイミングで変な冗談は!」

 ありすは思わず声をあげた。時夫は雪絵が起きないかと心配した。

「冗談じゃないよ。ここ、ホホホ、ホントに恐怖のお化け屋敷だよ、ありすちゃん」

「誘拐現場、場異様破邪道か」

 噂は本当だったのだ。食堂で見かけたあの夫婦、本当に最初から『居た』のだろうか。しかも、六年以上前からというと、白彩より古い敵基地かもしれない。

「ウー! 今からあんたを見つけるから、歩き回らないでくれる。どこにいるか、分かりやすい目印教えなさい」

 ここはそんなに広いホテルではない。規模は駅前のシティホテルだ。ぷらんで~と「恋武」の半分の大きさもない。

「えー? 今自販機のところだよ」

「自販機だけじゃ、各階にあるでしょ。大抵。大体そこ何階なのよ」

「いや……階段を上がって降りたから、もう何階か分かんないんだけド?」

 エレベータは使ってないのだろうか。へんな奴。ま、今となってはエレベータがまともに止まってくれる保証もないのだが。

「他には?」

「って言われても、う~んゴミ箱とか」

「自販機の横にゴミ箱があるのはあたりまえ!」

 ありすはあきれて耳からスマフォを離した。

「何だって?」

 時夫が訊く。

「ダメだあいつ、投げやりなんだもん」

「投げやり?」

「槍投げなんだもん」

「それは……」

「生焼けなんだもん」

 ありすはフフフと自分で笑った。

「全然違うじゃん」

 時夫も笑う。

「どーする?」

「黒猫……黒猫……なんで黒猫なのよ」

 ありすは埒が明かないウーとの電話を切り、腕を組んで考え込む。

「恐怖のお化け屋敷だと分かった以上、明日の朝まで俺たち持たないかもしれないぜ。おまけに、ウーは迷っているし」

 時計は深夜二時三十分を回っていた。相変わらず、外は激しい雨と風の音がする。恋文交番が砕けたお麩になって散らばって以来、敵が何も仕掛けてこないのがかえって不気味だった。本当に明日脱出できるのかどうかも不明である。自分たち以外、他にほぼ客を見かけないホテル。長居すれば、ホテルを抜け出せない内に、いつの間にか誰かが居なくなっている、なんて事にもなりかねない。一度入ったら出られないホテル。それこそが、「恐怖のお化け屋敷」の正体かもしれなかった。

「俺たち、本当に明日出られるのかな」

 いくらウーでも、あそこまで迷うというのは不思議な話だ。

「黒猫か……。そういえば黒猫で思い出したんだけど、エドガー・アラン・ポーの小説に、『黒猫』っていう作品がある。ポーには他にも、『アッシャー家の崩壊』っていう作品があって」

「それで?」

 時夫は、ありすが何かの科術を思いついた気配を感じた。

「『アッシャー家の崩壊』では最後、屋敷が崩れて終わる。それで科術が発動できる。三人で同時に『アッシャー』と叫べば、この建物は崩れ去るわ。脱出の手間も省けるし、一気に問題解決よ」

 本当かよ。いや待て。佐藤うるかに確かに「アッシャー家の崩壊」を渡された。まさかその意味が、これだったとは……。

「なるほど、いわば『ラピュタ』の『バ○ス』みたいなもんか!」

 時夫は合点した。迷路だろうがなんだろうか、崩れれば関係ない。戦車の砲撃をも上回る、それは最終兵器ともいえるような敵基地攻撃だった。

 ありすは石川ウーに電話をかけて、科術の趣旨を説明した。ウーは「りょーかい」といって、ありすのタイミングを待つ。

「いい? 三人で声を合わせないと発動しないから気をつけて」

 ありすと時夫はラピュタ状態で手をつないだ。ありすのほっそりとした手の、温かい感触が時夫に伝わってくる。

「「アッシャー!!」」

 ありすと時夫が叫んだ。

「エッシャー!!」

 ウーが叫んだ。

 スネークマンションホテルがズドドドと崩れ去る……はずだった。何も起こらない。

「あれ?」

 ありすは慌ててドアを開けて廊下に飛び出し、部屋のベッドで寝る雪絵を残して時夫も続く。

「エ、エッシャー!」

 時夫がアーティスティックな叫び声を挙げた。階段が天井にあったり壁にあったりという空間が目の前にあった。

「おい、完全にエッシャーの無限階段だぞ!」

 重力も何もかも全てがおかしくなった空間がそこに出現していた。

「あんた、なんて言った? 今」

 ありすは血相変えて携帯でウーに問いただす。

「え? エッシャーでしょ」

「もうバカバカ! アッシャーだってば」

「ごめ~ん」

 ウーが間違って「エッシャー」と叫んでしまったために、迷路がさらに面倒くさいことになった。「スネークマンションホテル」の魔学の結界の中で、そこにさらに科術でおかしな作用が働いたようだった。

「やれやれ。変な想像をしたウーが、スネークマンションホテル内をさらに複雑なダンジョンと化してしまったらしいわね。……雪絵さんは?」

「まだ寝ている」

 時夫の返事に、ありすは長い睫を閉じて沈思黙想していたが、カッと目を開くと決断した。

「まずはウーを連れて戻る。金時君は雪絵さんと一緒に居て。いざとなったら連絡するから」

 科術の呪文は、やはり三人で手をつないで叫ばないと発動しないのかもしれない。

「ちょっと待て! 俺も連れて行け」

「な、何言ってんのよ。雪絵さんを一人にしてはおけないでしょ」

「ウーが戻るのを待つと倍の時間が掛かる。もう一度三人で合流して、今度こそ三人で手をつないで『アッシャー』と叫ぶんだ。敵が雪絵に何か仕掛ける前にな。それに、俺は送水口ヘッドの消防車の中でこいつを拾った」

 時夫は懐中電灯のようなものを取り出した。スイッチを入れればライトセーバーになる警備員の誘導棒である。危険なので、まだ試してはいない。

「俺は科術使いじゃない。けど少しは役に立ちたいんだ」

「時間がないわよ。奴らが部屋に来ないうちに」

「……あぁ!」

 ありすは時夫の勇敢さに一定の評価を下したようだった。雪絵を一人部屋に置いて大丈夫なのか不安だったが、今度こそしっかりと三人で声を合わせて「アッシャー」と言おうと決心する。


「金時君。廊下に散らばったお麩の固まり、幾つか両手に持っててくれる? それを二メートル間隔で少しずつちぎって、歩いてくれるかしら」

 ははぁ……「ヘンゼルとグレーテル」作戦か。

 廊下を警戒しながら進むありすの後ろをついて、時夫は麩をちぎりながら歩いていった。

「なぁ……この作戦なんだけどさ」

「何よ」

「ヘンゼルとグレーテルって、確か森の中でパンくずを目印に歩いたんだったよな?」

「そうだよ」

「でもパンくずは小鳥に食べられたんで結局迷ったって話じゃなかったっけ?」

「そうよ……えっ?」

 ハッとした顔のありすが振り向く。時夫も一緒に振り向くと、後ろで黒猫がお麩を拾い食いしていた。廊下に点々と落としたはずのお麩のくずは跡形もない。

「あっお前!」

 時夫は叫んだ。

「黒猫っ」

 二人は黒猫を追いかけた。猫は壁を駆け上る階段を上がっていった。

「待て~」

 どこをどう走っているのか、二人にはもう訳が分からなくなっている。

 黒猫はドアの向こうへとすり抜けていった。追いかけた時夫は立ち止まった。ドアの向こうには部屋があった。その部屋の向かいの壁にもドアがある。そのドアは開いていて、さらなる部屋が見えている。その部屋にも正面にドアがあり、そこから奥の部屋が見えている。……という連鎖が、合わせ鏡のように延々と続いていた。

「……ドア、閉めて」

 後ろからありすが冷静に言った。時夫は黙ってドアを閉めた。一歩間違えばとんでもない迷宮の罠に嵌るところだっただろう。しばらくうろつくと、また廊下の前方に猫が歩いている。さっきの猫とは別物か、いや同じだ。二人は追いかける。

「ありすちゃ~ん!!」

 ウーの声が聞こえた。重力無視の天井を這う階段に、サカサマの石川うさぎが立っていて、右手に携帯を持ってブンブン振っていた。その時、二人は黒猫を見失った。

「ウー、今からそこに行くから!」

「あたしから行くよぉ~」

 というが早いかウーは天井から壁伝いの階段を駆け下りて、二人のところに合流した。

「ふぅ……」

 ウーは二度目の風呂でまだ髪が濡れており、肩にタオルをかけている。緊張感0。

「黒猫のお陰で合流できたわね」

 三人が合流した場所は、目の前に自動販売機があった。とりあえず三人はそれぞれジュースを買って飲む。

「すまん、ちょっとトイレ」

 時夫が近くのトイレに入ろうとすると、

「くれぐれも迷わないでね。出てきたらすぐ私達のところへ来て」

 ありすは釘をさした。

「分かってるって」

 小便器で用を足すと水が流れ出す。同時に「ギャアアアアアー!」と叫び声が響いた。

「うわぁああ」

 心霊現象がっ! ……もう一度、便器に立ってみた。水が流れ、「ギャアアアア」という断末魔が響く。

「何、今の叫び声?!」

 出てきた時夫にありすは問いただした。

「水の流れで、洗浄剤の容器がたまたま叫び声みたいになったんだ」

「脅かさないでよ!」

 天井の階段から再び黒猫が飛び出してきた。

「こら待てぃ! ウチを荒らしやがって、どっから入ってきたんだッ」

 黒猫の後ろから血相を変えた痩身の着物を着た男が飛び出す。その手には黒光りした木刀のようなものを持って、ヴンヴンうなり声を立てて振り回していた。

「伊東一糖斎! あれが油麩の剣……」

 ありすは身構えた。一糖斎の油麩剣は、飛び上がる黒猫めがけて振り下ろされ、別の自販機を真っ二つに切り裂いた。伊東一糖斎は猫にいらだっている。どうやらあの猫、ここの猫という訳でもないらしい。外から入ってきたのか。

「猫というのは飼い猫でも主人の言う事を聞かない動物ナンバーワンだからな」

 ジュースを飲みながら時夫は感想を述べた。人事?

 一糖斎は今、自身の屋敷のある森、そして可笑しなパン屋さんを荒らされ、さらに同士の送水口ヘッドを撃破され、かなりいきり立っている。そこで男は三人の存在に気づいた。

「貴様たちだな。このホテルをこんな風にめちゃくちゃにしやがったのは」

 一糖斎が近づいてくる。ありすは「無限たこやき」のポーズを取る。外は吹き荒れる一方で、レートのお店に戻る暇はない。

「こんなホテルはキャンセルする!」

 時夫はライトセーバーのボタンを押した。だが、発光しない。そうか俺はジェダイじゃないからな。って、ならあの警備員全員ジェダイ??

「麩っ麩っ麩っ麩っ麩っ……」

 一糖斎は上段の構えを取った。

「そうか、わしと勝負したいというのか? わしはスネークマンションホテル・オーナーにして地下帝国恋文東口シブ長だ」

「支部長?」

「シブ長だ! シブいからシブ長!!」

「ありすちゃん、時夫、下がって。ここは私に任せて! 名誉挽回するから」

 そういうと石川ウーは、すっと濡れタオルを首から外すと、両手で目の前に持ちなおした。冗談の構えか?

「大切な事は、全部山田から教わった!」

「え~どういう事? 訳わかんない」

「考えるな、感じろ!」

「……おおおお!! ちぇすとーー!!」

 一糖斎が怪気炎を挙げて突進してきた。

「アッチョーッッッ!!」

 石川ウーが勢いよく濡れタオルを振り回す。タオルはヌンチャクのように白い線を宙に描いて、ビュンビュンと回転した。一糖斎が振り下ろした超硬質な油麩剣は、濡れタオルヌンチャクに巻き取られた。そのままウーが右手を後ろへほうると、三人のはるか後方まで剣は飛んでいった。いきなり得物を奪われた一糖斎の頭に、ウーのタオルがバチン!と音を立ててかぶさった。ウーは勢いよくそれを持ち上げ、ワイヤーアクションのような動きで男の頭を天井に打ち付けた。続いて床に振り落とすと、派手な音と共に一糖斎の身体は床に激突、気絶した。まさに瞬殺。これはジョン・ウーの映画か何かか? ウーだしな。油麩もまた水分に弱いという特性を完全に把握している。ウーはタオルヌンチャクの使い手だった。それで風呂に入りたがり、しかも何度も入っていたのである。パラパラ以外にも科術の特技があった石川ウーだった。

「オッチャー!」

 ウーはペットボトルのお茶を一口飲んだ。

「シブ長……あっけない奴」

 ウーがタオルでブルー・スリーばりのキメポーズを取った。

「猫を追いかけるわよ!」

 ウーが有無を言わさず、二人に指示を出して走り出す。当惑顔のありすと時夫はウーと共に黒猫を追いかけるしかない。右へ左へ、上へ下へと走り続けること約五分間、三人は無事1103号室の前に戻った。

「あれ……戻れた。あの猫」

 時夫が唖然として猫を見ると、五メートル先でこちらを振り向いて立ち止まっている。

「早く、雪絵さんを」

 いつの間にか時間は朝六時三十分を回っていた。時間の感覚までおかしくなっているらしい。

「皆さん……お、おはようございます。ぐっすり寝てしまいました。皆さんはよく眠れましたでしょうか?」

 雪絵はまだ眠そうだったが、昨日よりはるかに血色がいい。

「あ…………うん」

 時夫達は三時間程度しか寝ていない。

「猫を追いましょう」

 四人が猫を追いかけてると、無事迷宮を脱出できた。さすが猫。野生の勘。


 四人は雨風が吹きすさぶ駐車場まで来ると、科術の説明を受けた白井雪絵と共に手をつないで叫んだ。

「アッシャー!!」

 ガラガラガラ……、ズドドドドドド……!!!

 スネークマンションホテルは粉塵と共に跡形もなく崩れ去った。巻き込まれていたら相当危険だった。

「あのさ……先にアッシャーっていわなくてよかったんじゃん? 脱出してからで」

 今さらながら時夫が言った。

「あっそっか」

「おい!!」

「ま! 怪我の功名ってやつだ」

「全然違う!!」

 これで佐藤うるかが渡した「アッシャー家の崩壊」の謎は解けた。残るはO.ヘンリーの「最後の一葉」だけだ。この先、うるかが突然現れて、カフカの「変身」なんていう本を渡さない事を祈る。ちなみに「エッシャー」の方は一人でも発動するらしい。ウーが「アッシャー」でなく「エッシャー」と間違えて言ったお陰で、建物は崩れる事なくエッシャー化した訳だが、そのお陰で伊東一糖斎をも翻弄することができた。彼以外は、おそらく全員麩人間だったのだろう。そういう意味では怪我の功名だ。ありすは戦車に駆け込むとエンジンを掛けた。

「他の基地でも使えそうだな、アッシャーの科術って」

「ただこの技、『アッシャー家の崩壊』と同じ条件が二十一整ってないと使えないのよ。そういう条件の建物ってほとんどないから、一回切りね。ここって偶然揃っていたのよ」

「他の客達は……」

「あのホテル、食堂で食べていた夫婦以外に、ずっとお客さんを見かけなかったわよね。給仕が言ってたでしょ。皆先に食事を済ませた後だったって。残念ながら、誘拐された後だったんだと思う。きっと、あの夫婦もね」

「ところで、何が恐怖だったんだ」

 時夫が訊いた。「客が消えるホテル」、という以外、これといって、お化けも登場しなかった。警官と黒猫と伊東一糖斎だけだ。そのうち、命の恩人の黒猫は路地の中に消えている。

「いや、だから、今日、麩のお化け屋敷」

「ウー、死んだ目で言うな!!」

 ありすはなぜか激おこ。ま、確かに言うのははばかれる意味論だな。

 明るくなって電柱を確認すると、確かに頂点に四つのトーテムが存在した。ありすは各トーテムを戦車で砲撃して破壊した。するとサンダーバードは雄たけびを一声発して飛び去って、スーパーセルは急速に勢力を弱めていった。すると朝日が顔を出す。

「これでようやく、恋文町の外に出られる」

 ありすは戦車のアクセルを踏んだ。


 朝日に向かってシャーマン戦車は往く。「おいしい・おいしい魚屋さん……」という歌詞が前方から流れてくる。赤信号で止まっていると、魚屋の行商カーが目の前を通り過ぎていった。半漁人が運転している!

「ギョッとする話よね」

「魚だけに?」

 ありすが呟いて、隣のウーが応じた。もう半漁人くらいで驚くのはよそうと、時夫は心に決めていた。

 気を取り直して戦車は進む。進む。進む。そして……。


 東側は遠浅の海岸になっていた。こんな近くに海岸はないはずだ。太平洋は何キロも先のはずだった。海岸は全て破壊され、綺麗な白い砂の海岸になっていた。朝日の中、マングローブの木が生え茂っている。破壊された海岸はトンネル状にアーチを形成している。あの爆弾低気圧の影響だろうか。いくらスーパーセルでもこんな事になるか? 七丁目から先のグランドキャニオンといい。だが、すでにマングローブの森が完全に繁殖し、大きなヤシガニが居た。自然化が早すぎる。

「まるで何千年も経ったようだ。昨日より酷いぜ」

 戦車を降りた時夫は諦めたように言った。グランドキャニオン化している南側は、まだ傷跡生生しかった。しかしここはそうではない。暖かい南国だ。

「確かここって、千葉だよね?」

 ウーも呆然としてもはや冗談を言う気力もないらしい。

「確認しなくても千葉だよ」

 忌々しそうにありすが言った。リアス式海岸で有名な、勝浦の鵜原理想郷にも似ているが、それ以上だ。

「気候変動でもあったように、西表島化している……」

 ドツボ町どこいった……。

 もう別の国といった方がいいかもしれない。

 誰が作ったか分からない立て看板に、塗りたてのペンキで「鮫に注意」と書かれている。

「ヤッホーイ!!」

 目の前をモーターボートに引かれたバナナボートが通り過ぎていく。乗ってるのは、光る水着に着替えた石川ウーだった。いつの間に……。あのバッグの中にそんなものまで。フライパンといい、あたかも準備していたようだ。満面の笑顔で手を振っている。

「夏だ! 海だ! 水着だ!」

 いや冬ですしおすし。

「青い空! 白い雲! きれいな私!」

「バニーじゃなくてバカーじゃないの? ウー、あの看板見えないのかしら」

 古城ありすは親友の勇姿?に腕を組んでコメントする。もう単なるウーのボケの解説者だ。ウーの無邪気さ、結構嫌いじゃない。

 白井雪絵が笑っている。少しは元気になったか。これも、石川ウーのお陰かもしれない。

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