第三部 ソースをかけろ! 不思議有栖市恋文町 不思議の国大脱出編

第36話 薔薇の名前はウンベルトA子

「ちょっと待った! 大事な事を忘れてるぞ。うるかを店に置きっぱなしだ」

 ちょうど四人が車を停めてある「一度踏み入れると二度と戻れない横丁」までたどり着いたときに時夫が言った。佐藤うるかの事を思い出したありすらは、一度店に戻り、うるかを家に帰したほうがよいという判断で、帰すことにした。今狙われているのはありすたちで、当面彼女らは狩り場たる場異様破邪道へ近づけさせなければ問題ない。うるかには場異様破邪道に関する情報を伝え、注意を促した。

「ま、とても信じられないだろうが、この町で起こってる不思議の国のアリス現象の先輩として……」

 そう得意げにいう時夫にありすとウーはくすくす笑った。

「もぐりのクセして」

「本当に、ありがとうございました。これ、お兄さんに差し上げます」

 うるかは帰宅時、カバンから一冊の文庫を取り出して渡した。Oヘンリー「最後の一葉」。菓子井基次郎の「檸檬」の一件が頭をよぎる。また君は……意味論の支配するこの町でこんなもの。そう時夫が思って顔を上げると、もう佐藤うるかの姿はなかった。もしかして、こんな本を渡したのは、全てを知っててやってるのか? 全く、電柱にならなきゃいいが。ありすはというとポストに入っていた回覧板を見たりしている。

「しっかし、スゴい骨董品だらけだな。この店」

「ウン、ヴンダーカマーだからネ。カマ~ン♪」

 指先カモンという感じのありすだが、時夫はヴンダーカマーが何だか知らない。

 そんな時だ。床が明らかに揺れていた。……地震だ。飛び立つ烏の鳴き声が響き渡る。ありすは骨董品の前に立って大きなつぼを中心に、か細い両腕で支えた。床が大きく横揺れし、戸がガタガタと音を立てている。

「キャアッ」

 時夫とウーと雪絵はとっさにテーブルの下に屈んだ。

 棚に置かれた高級な皿が続々と落ちてきた。

「藤原の塊!」

 ありすは科術の呪文を唱えてそれらを落ちないようにしている。

 ずいぶん長いこと揺れている気がした。しかし実際には、揺れは一分後には収まった。

「……震度、5以上はあったわね。お店の中、大丈夫かな」

 古城ありすは、店内を歩き回って『半町半街』の損害を確認する。特に漢方用に育てている球根を気にした。科術の呪文で防御したとはいえ、相手は自然現象、限界はある。幸いにして、大事には至らなかったらしい。

「あっ、薔薇喫茶も!」

「オ、オレの部屋も」

 一瞬浮き足立った三人を、当のありすが制した。

「このタイミングで地震が起こるなんて不自然だわ。もう行きましょ」

「まさか。地下の連中が地震を起こしたっていうのか?」

「そこまでの力はないんじゃない?」

 ウーも時夫と同じ意見だった。

「分からない。でも、この地震がなんだろうと、恋文町を脱出するのは今しかない」

「ふぅ。ま、ありすがそこまでいうなら、仕方ない」

 あわててウーはカバンに色々かきこんでいる。なぜかフライパンまで一緒に入れているのを時夫は目撃した。

 ありす達は車庫におかれた頼りの車に戻った。またサーキットをセットして、スーパーカー消しゴムをはじかないといけない。車は問題なく発進するものの、ややスピードが遅いのが難点だ。

「金時君が雪絵さんと一緒に町を脱出しようとした際、この町の防衛システムである迷宮化に絡め取られたわよね。要するに、君達は恋文町七丁目を超えることができなかった。でもそのときは、町はまだ箱庭化していなかった。箱庭だったら、絶対抜けられなかった。つまり、迷宮を解けば、ちゃんと出られるのよ。今も、箱庭化は解除されている」

 ハンドルを握ったありすはエンジンを掛ける。

 後部座席の時夫と雪絵はありすの言葉に半信半疑だったが、時夫がボードを持ち、雪絵が消しゴムをはじいて、後部座席で二人で車を操作するのは結構楽しい。


 なるほど、改めて町を脱出すると、工事があちこちで行われているのをよく見かけた。明らかにおかしい。年末とはいえ、こんなに工事中というのは不自然すぎる。この車をじっと見ている太った警備員は、殺気を帯びて赤く光る誘導棒を握っていた。……やはり、茸人なのだろうか?

「もし、突破したらどうなる?」

「交通ルールを守らないと『恋文はわい』みたいに何が起こるかわからない。だから、交通ルールは破れない」

「また、鮫が出てくるっていうのか?」

「いや、そうじゃないけど。不測の事態が起こるってことよ」

 マンションなどのやや高いビルを見るたび、ありすは警戒した。その入り口に設置されている送水口こそが、この迷宮をコントロールしている張本人だとありすは言った。鮫といえば、例の浮遊する監視者、電光鮫もヴヴヴという音を立てて泳ぎ回っているのを時折見かける。

「別のルートを通るたびに、工事の連中が移動して、あたしたちを待ち伏せしている」

「それじゃ脱出できないじゃないか」

 やっぱりそうだったのか。迷宮とはいえそんなに広い町であるはずがなかった。迷宮をあらしめいているのは、いちいち移動して道を塞ぎ、妨害している何組かの工事の連中だ。

 信号待ちをしていたら、人間のおっさんにそっくりな顔をした犬がこっちを見て、「ウハハハ、ウハハハハ」と笑っている。よく見ると黒い眉毛がゴルゴ13にそっくりだ。

「何あの犬? むかつく」

 助手席のウーが睨んでいった。まるで迷宮の中のありす一行をあざ笑ってるかのようだ。本当に忌々しい。

「人面犬くらいじゃもう驚かない」

 と時夫はボードに視線を戻した。

 どこもかしこも延々と同じような住宅街。目に付くものといっても駐車場とか……


「月極」


「げつごく……」

「つきぎめよ」

 ありすが正解を教えてくれて、時夫は人生で始めてその読み方を知った。

「ちょっとやってみましょうか」

 同じところを三周したとき、ありすは突然アクセルを踏んだ。工事現場を突破しようというのだ。確かに警備員さえいなければ、車一台通過できる余地はあった。その前面に立った警備員のたすきに、「恋文セキュリティ」と書かれているのがはっきりと見えた。その恋文セキュリティは赤く輝く誘導棒を振りかざした。

「何か、やばいっ」

 そういうが早いかありすは半開きにした車窓からペットボトルを投げつける。水のペットボトルはセキュリティの眼前に来て真っ二つに裂けた。警備員の手に握られた赤い光の帯が切り裂いたのである。

「ラ、ライトセーバー……あれ誘導棒じゃない」

 ありすの車はドリフトして強引なUターンをし、元来た道を引き返した。

 ヴーンと鈍い電光音を唸らせるライトセーバーを持った彼らは、全員ジェダイだというのかッ!

「え? ジェダイが警備員? 警備員がジェダイに進化?」

 時夫は、雪絵がボールペンではじくサーキットを両手で持ちながら、流れ去る赤い光を見送った。

「いやおそらく、意味論よ。あの赤い誘導棒が、ライトセーバーとしての意味を持ったことで、警備員達は結果的にジェダイと同じになってしまった」

「危険すぎじゃないか!」

 もはや鮫より危ないかもしれない。

「……突破は無理ね」

 ありすは唇をかんだ。


 恋文町の真下に存在している広大な地下空間は、巨大な発光植物によってぼんやりと明るく輝く世界である。その一角に、巨大食虫植物群が勝手に群生していた。そのため、そのエリアに迷った蜂人たちが時々餌食になっていた。彼らは日々増殖しつつある食虫植物群生地に戦々恐々としていた。実は勝手に群生しているといったが、こんなものが地下にあるのも、女王真灯蛾サリーの悪趣味のなせる業だった。つまり、あえてそのままにしているのである。女王は蜂人を保護しているようで、実のところそれほど大事にしていない。

 さてその地下の古城の大食堂は、謁見の間の代わりも果たしていた。テーブルの端っこの主席に、白い足を組んで座る真灯蛾サリーは、目の前にかしずいている黒ゴスロリ少女・古城ありすにそっくりな少女を見下ろして言った。

「ご苦労、黒水晶。ようやく会えたわね。ふ~ん。どっからどう見ても、あいつにそっくりね」

 黒水晶は、もともとモリオンという鉱石で、半年前まで古城ありすの重要なパワーストーンだった。ありすは常に黒水晶を携帯し、科術の力の源泉としていた。だが、地下帝国の地上への第一の橋頭堡である「菓匠白彩」に戦車で殴り込みをかけた半年前の大戦(おおいくさ)の際に、黒水晶を白彩側に奪われてしまった。

 以来、白彩は黒水晶を使って恋文町における勢力の拡大を図ると共に、黒水晶の人格化を進めた。つまり地上の魔学のパワーの大本のところに、科術の力が関わっていたのである。さて人格を宿した黒水晶は、白彩地下にある研究室で、この町に対する様々な実験を行ってきた。各地で起こる誘拐事件は、黒水晶の実験のなせる業だった。よって女王に謁見したのは、今日が始めてだったのである。そしてサリーの目の前にいる黒水晶は、元の主人たる古城ありすに瓜二つだった。

「来たばっかで申し訳ないけど、最初の仕事を与えるわ。ありす達、この恋文町を脱出しようとしてるって、外の送水口から情報が入った。何としてもやつ等を捕まえて! そしてここへ白井雪絵を連れて来なさい。それと、時夫さんも忘れずにね」

「かしこまりました、女王陛下」

 ありすにそっくりな外見を持った黒水晶の言葉に、サリーは満足げに笑った。笑うと八重歯なのか牙なのか分からない犬歯がにゅっと飛び出る。まるでありすを自分の部下にしたようで気分が好かった。

「女王陛下、とっておきの土産モノがございます。この私(わたくし)めにお任せください」

「……ふ~ん。それって、白彩土産?」

「さようでございます。早速、追撃に投入いたします」

 まだ使用していない数々の実験の成果が、黒水晶の手にはあった。

 黒水晶がすっくと立ち上がると、その後ろからカツンカツンと革靴の音を響かせて、赤マントを羽織った派手派手な「人物」が登場する。サリーはその面構えを見て、おやっという顔をする。人物とはいったが、その頭はそっくり金ピカの送水口そのものである。

「おや、コイツは?」

「赤い彗星の総帥公ヘッドです。古城ありす一味追跡の指揮を取ってもらいます」

「ほほう、なるほどな。つまりこれは送水口人間って訳か」

 双口自立型送水口。地下勢力の擬人化は、遂に行くとこまで行ったのである。

「じゃあ総帥公ヘッド、例の奴を頼むわ!」

 黒水晶はにっと笑うと、金ピカ頭の百八十センチほどもある送水口仮面を見上げた。それは赤マントをバッと翻して壁に向くと、白手袋を嵌めた右手をかざして叫んだ。

「わーたーしの記憶が確かならば、……九十年代初頭の日本はバブル絶頂期。若い女性達は太い眉に肩パッド、ワンレンボディコンという格好で、アカぬけないテクノの大音響で踊り明かしていた時代であり、日本中が浮かれていた恥ずかしさと共に、人々は今もなお、まだその記憶を忘れられないでいる……。蘇るがいい、アイアンハンター! 南の鉄人、ウンベルトA子!」

 間接照明が照らす壁面の床からお立ち台が浮かび上がる。ドーン! という音と共にそこに赤いボディコンを着て、ゴールドネックレスをジャラッジャラ着けた、腰まで長いワンレングスの美女が、黒光する扇子を持って立っていた。ド派手な九十年代風テクノが流れ、8の字でスモークを振り払う扇子の動きと共に、クネクネと踊り出す。

「薔薇の名前はぁー、ウンベルトA子!」

 と叫ぶとA子は扇子をたたんで腰のベルトに差すと、あっけに取られた女王を尻目にそのまま高速のバック転で立ち去った。

「本末転倒委員会のウンベルトA子。存分に戦うがいい! 女王陛下、ここでじっくりとご覧ください」

 そういうと、続けて送水口ヘッドも一礼して立ち去った。A子と共に追撃するようだ。なんというか、この黒水晶の演出自体がバブルを引きずっているという気がしなくもない。にしても本末転倒? そこにはどんな意味論が仕掛けられているというのか。黒水晶が指をパチンと鳴らすと、今度は大きな4K・TVが床から登場する。地上の様子をここでモニターするらしい。これらの設備は元から城内にあったものだが、黒水晶は設備をほぼ掌握したらしい。


「打つ手はないのか、打つ手は……」

 同じところを通るたび、ありすの車はこっちを見ているおっさん犬にワハハと笑われている。だいたい、闇雲に走っているだけでは前回時夫が試みた脱出と大して変わらないではないか。と言おうにも、古城ありすが真剣なので時夫は言えなかった。助手席のウーはといえば、爪に何か塗ってるし。本当にやる気があるのは、交代しながらスーパーカーをはじいている時夫と雪絵だけなのではないか。さておき、ありすは工事のパターンが見えてきたので、今度こそ出し抜けると言った。確かにそうかもしれなかった。なぜなら、ずっと同じところにいたはずのおっさん犬が見当たらない。つまり工事の連中にも移動時間というものがあり、一旦引き返すフリをして元に戻ったり、迷宮の監視者の電光鮫の通らない道を見極めたりすることで、工事を欺くという作戦だ。地道にやれば、確かに迷宮を脱出できる可能性があった。「このままいけるかも」と思ったその時、

「なんだアレは!」

 バックミラーに映った奇妙なものに時夫が気づいた。四人が振り向くと、高速でバック転するワンレン・ボディコンの、いわゆるバブリーな女が追ってきている。時夫は一瞬お化けと勘違いするほどぎょっといた。長い黒髪を激しく振り乱しながら、確かに太眉の女が笑っていた。こっちは自転車くらいの速度しか出ていない。いや、それにしてもだ。

「追手よ!」

 とうとう、敵は実力行使に出てきたらしい。

 バック転しながら追撃しつつ、その真っ赤な唇はくちゃくちゃとガムを噛んでいた。が、口から風船を膨らました。風船ガムだった。風船ガムは見る見る大きくなり、宙に浮かんで車に接近した。

「シムラウシロ!」

 ありすが運転席から振り向いて、「シムラウシロ」衝撃波が女に向かっていく。

「バブル……崩壊ッッ!」

 ありすの放った科術の呪文は、風船ガムにぶつかって派手に爆発した。再び女はバック転で追撃を続ける。

「これ爆弾だ!」

 ウーが叫んだ。

「なんだって、さながら檸檬ならぬ風船ガムの?」

 さすがバブル女の面目躍如というところか! しばらく、シムラウシロと風船ガムの攻防が続いた。

「くそっ」

 ありすは科術の呪文を中断する。

「古城ありすッ! ホーッホッホ、バブル崩壊爆弾だよ! ホーッホッ、ホーッホッホッホ!! 私は本末転倒委員会会長、薔薇の名前はぁー、ウンベルトA子ッ」

 バブル女の風船に続々とぶつかり、車の近くで派手に爆発した。

「やばい、もうちょっと近いと車を壊される」

 遂に高速バック転で追いついたバブル女は、ガムの風船を巨大化させ、なんとその上に飛び乗って浮かんだ。まるで気球に乗ったお化けだが、何処でもかしこでも「お立ち台」にできるパワーを秘めているのかもしれない。ニヤニヤしながらガムを噛んでいる。車に横付けすると飛び乗り、お立ち台状態で車の屋根をバインバインとハイヒールで蹴っている。さらに車窓にその手を突っ込むと、白井雪絵の腕を掴み、引っ張り上げようとした。

「こいつ……」

 血相を変えた時夫と女との間で、雪絵の引っ張り合いになった。

「ちょ、ちょっと時夫、消しゴム飛ばし止めないで!」

「そんな事言ったって、こここの野郎~……ッ! 離せ」

 車はたちまちスピードが低下していく。

「うさぎビーム!」

 箱乗りした石川ウーの必殺科術がピンクの輝きを放った。足を滑らせたA子が転げ落ちていく。しかしすぐ髪をかき上げると、立ち上がる。案外頑丈なようだ。そうして再びバック転で迫ってきた。

「時夫さん、このボールペン、もう一本のバネを合わせたらどうでしょうか?」

 雪絵がポケットから別のボールペンを取り出した。どうやら、半町半街でボクシーをもう一本見つけたらしい。

「なるほど、やってみるか!」

 時夫は雪絵のいうとおり、二つのボクシーボールペンを分解すると、バネを取り出して一本のペンの中にまとめる。ペンのお尻をはじくと、バキッという音と共に、スーパーカーは勢いよくサーキットの中を回転した。

「やったっ! スピードが通常の車と同じ速さになった。これであのバック転女は着いて来れないぞ。幾らなんでも体力が続くわけがない」

 あっという間に後方の追跡者の姿が見えなくなった。

「やったぜ! 雪絵」


 カーンカーン、カーンカーン、カーンカーン。


 消防車が追ってくる。この近くに火事がある訳ではなさそうだ。いや、この音は消防車による見回り、警鐘を鳴らしながらの火の用心だ。道を曲がるたび確実にこちらへとやってくる。一行は直感的に、何か嫌な予感がした。

 音が次第にこっちに近づいている。後ろから追ってくるのは長距離トラックみたいな長大な消防車だった。いわゆる消防支援車といわれているタイプに似ているが、もっと長い。

「見て、あいつだ」

 ウーが叫んだ。消防車の上にあのウンベルトA子が載っている!

「問題ない、あたしにはアッシーが着いているんだからね」

 という声が後ろから響いてくる。A子はマイクを握っていた。ラウドスピーカーで町内に放送しながら追跡しているらしい。だが、消防車がアッシー君だと? そりゃ一体どういうことなんだ。地下勢力は恋文町の公的機関である消防団まで、手に入れたということか?

 ありすが目視で三人に合図した。

 消防車の運転席にマント姿の妙な男が乗っている。「男」といったが、一見人形かとも思えるその顔は、金ピカの送水口そのものだった。

「どうやらアイツのことのようよ。遂に出てきた」

 ありすはバックミラー越しに後ろの運転手の姿を確認しつつ言った。消防車を、送水口が運転している!

「なんだあれ」

 時夫はもはや自分の眼で見ているものを何も認めたくない気分だった。

「仮面つけているのか? 送水口の」

「いや。構造的に無理じゃネ? ……あれはどうやら、送水口が人間化したものみたい」

 要するに、送水口仮面、いや送水口人間の登場である。送水口がもともと地下勢力に通じていたために、消防団の車をも使えるようになった。にしてもデカすぎる。遂にそこまできたか、恋文町。

「歳末特別警戒中、ありす一匹蛾の用心!」

 カーンカーン、カーンカーン、カーンカーン。

「失礼な、誰が“蛾”だッ」

 ウンベルトA子は、光と音を撒き散らす消防車をお立ち台にして踊りながら迫ってきている。

「なんだあの音、うるさいな」

 警鐘と共に90年代初頭のジュリアナテクノが流れ出す。攻撃的でトゲトゲしいテクノだ。警鐘が火事のサイレンでないところがお慰みか。

「バブル、あの頃はみんな輝いていたぁーーッ、みんな、バブルの輝きをもう一度取り戻そうぜぇーーーッ!!」

「うっわぁー初めて見た! 生ジュリアナ」

 感心してる場合ではない。

「撃て撃て! ありすちゃん」

 しかし運転しながら後ろを向いて「蝶声投入」はできないので、

「シムラウシロ! シムラウシロ!」

 やっぱりありすは振り向き専用の科術の呪文をぶっ飛ばす。消防車に向かって衝撃波が飛んでいく。科術の呪文がA子に集中するも、猛レツに踊るA子の扇子に全て跳ね返されていった。

「シムラウシロを扇子で交わされた! そんな馬鹿な」

 ありすはある事実に気づいてハッとする。

「そうか、シムラウシロはバブル以前からある科術だって、師匠から聞いたことがある。もしかすると、この戦いでは、古い文化は新しい文化に勝てない?!」

「なら私の出番ね。うさぎビーム!」

 だが、石川ウーの科術も同様に扇子に跳ね返されている。

「あの扇子は?」

「……まさか。あいつの持っている扇子、羽のついたジュリ扇じゃない! 黒光りしてるんでまさかとは思ったけど、鉄扇だよ!」

 ありすが後ろを振り向きながら叫んでいる。ありすによれば、アダマンタイト製ではないかという。しかし、誰もそんな単語は知らない。ともあれ、鉄扇そのものがハンパではないのだ。そして跳ね返しているのは鉄扇だけではない。打ちもらしを、ボディコンの肩パッドが跳ね返していた。

 だが、敵の攻撃はそれだけで終わらなかった。

「好景気よもう一度! 発射オーライ!」

 ホースを取り出したA子は、三倍のパワーの放水をありすの車に向けて発射した。消防車の後ろは巨大な貯水タンクだ。

「ハイハイ、ルービーで乾杯!」

 突然、呪文めいた反転語を叫んだA子。科術の衝撃波を相殺するらしい。ありすたちの科術の光弾が水の勢いで跳ね返され、さらにそのまま車の後部座席に降り注いだ。

「こいつぁやばいぜ!」

 後部座席の時夫は、水の勢いをストレートに感じた。その間も、揺れる車内で時夫と雪絵は必死でスーパーカー消しゴムを飛ばしている。徐々に、後方の消防車との距離は再び縮まりつつあった。

「フハハハ、総帥公専用だ、三倍の性能だ! 私は恋文町見回り追撃部隊総帥公ヘッド・赤い彗星の水口聰である! 女王陛下に逆らう愚か者共め。おとなしくお縄を頂戴し、白井雪絵をこっちへ引き渡しなさい。停まりなさい、前の車、停まりなさーい」

 消防車で叫んでいるのは送水口その者だ。

 ゴォーッという音を立てて迫る車は、確かに消防車にしてはまるで大型トラックのように長かった。そして消防車であるから、全ての交通ルールに優先され追撃に特化されていた。追跡者としてこれほど恐ろしいものはないだろう。

「お断りね!」

 それにくわえて、ワハ、ワハハハハ! という下卑た笑い声が放送から一緒に聞こえてきた。

「見ろ、助手席にいるの、おっさん犬だ」

 おっさん犬はなぜか、古めのサングラスをしている。どうやら、ちくったのはあのおっさん犬らしい。

「あいつめ~! やっぱりスパイだったのよ。チキチキマシンのケンケンみたいだ」

「チキチキマシンて何?」

 ウーはありすの言葉を聞き返したが、ありすは運転に夢中で返事をしない。

「行くわよ、タカ、ユージ! 行っくっぜッ!」

 上に立っているA子も放送で叫ぶ。誰がタカで、誰がユージなのか分からないが。どこにもそんな奴ぁー居ない。

「どーせギロッポンでぼよよん剤でもやってオカシクなったんでしょ」

「偏見ね! それこそ」

 ありすの独り言はなぜかウンベルトA子に聞こえている。

「うっさいわね~! 大体町内迷惑なのよウンベルトA子!」

 ウーは箱乗りで怒鳴り返した。

「違うわよ、A子のAは温子のAに決まってんでしょーが! 温子よ、浅野温子よ! どーいう髪の色してんだよ恋文町の指名手配のチャンネー共!」

「知らねーよ」

 ま、確かにウーはピンク髪、ありすは金髪だ。黒髪しかいなかったバブル期には存在しない種族だ。

「ありすちゃんだって、小学生の頃机の上に乗って下敷き振り回してたジャーン?」

「……」 

 ウーの指摘に、ありす顔真っ赤。何それ恥ずかしい。

「宿題の工作でラーメンカップギターを……」

「うるさいなぁ!!」

「我が機は、貴君の三倍の性能だぁー!」

 なにやら消防車の二人の文化はかみ合っていない。

 再びウンベルトA子の風船ガムが放たれていった。音と光の魔学で空中に固定された後に、A子が「バブル崩壊!」と叫んだ瞬間に爆発した。うるさい・冷たい・まぶしい。水、光、音の三重攻撃とはこの事か。

「マジヌッコロス」

 激おこプンプン丸のありすだったが、打つ手はない。

「またバブル爆弾が近づいてきたら……今度こそ車を破壊される」

「ダカラその前に……うさぎビーム! うさぎビームぅ!」

 しかしうさぎのビームもまた、鉄扇とバブル、放水に全て跳ね返されていた。

 それにしてもと、時夫はふと疑問に思う。迷路はどうなった? 全ての交通ルール、インチキな「工事中」も、後ろの消防車の優先によって解除されている。時夫は今どこを走っているのかも見当もつかなかった。恋文町を出たのか出ないのか。もはやそれすらも不明だ。

「あーもうこんな時間じゃん、フーセンガムだけじゃ腹減ったわね~。早く終わらせてギロッポンまで突っ走ってシーメーってとこよね」

 ウンベルトA子め、転倒語で調子こきやがって。灰皿にテキーラ注いで飲ますぞ。わざわざ六本木までいって、どんだけバブルを貫くのか。ていうかあの消防車なら東京へ脱出できるのか? ともあれ、お立ち台とアッシーのお陰で三倍のパワーってやつか。困ったな。これだじゃこっちが体力尽きちまう。古城ありすが無限たこ焼きが撃てれば。これが、本末転倒委員会だというのか? などと時夫が心中ぶつぶつ考えていると、A子は助手席の車窓に屈んでおっさん犬に向かって言った。

「ユージ?! ティラミス一杯ちょうだい」

「いつの時代だよ!」

 遂に時夫は堪忍袋の緒が切れた。

「言ってやって。あそうだ! あいつがバブルなら、こっちはもっと新しい時代の科術で対抗しよう」

 ありすが新しい技を思いついたらしい。

「というと?」

「ギルガ~メッシュッ!」

 ありすは指ピストルしながら振り向いた。……片目を瞑って何やってる。

「ありすちゃん、それヤバい奴だから。それも古いじゃん。ちょっとしか新しくないじゃん」

 ウーは元ネタである深夜番組を知っていたようだが、時夫と雪絵には何の事か分からない。だから何で小室サウンドじゃないんだ?

「じゃあ、あんたなら何かいいアイデアがあるの?」

 頬を赤らめたありすが隣のウーに訊いた。

「ウン、任せて。時夫、雪絵さん。車、一定の速度を保ってよね」

 どうやらありすの無茶振りは石川ウーに効果があったようだ。

「大切な事は、全部山田から教わった!」

「誰それ。山田って?」

「あたしの愛読書」

 そんな本この世にあるのか。

 うさぎはバッグの中からなぜかフライパンを取り出すと、再び箱乗りで車から身を乗り出して、それだけでなく屋根に乗った。……だから山田って誰だよ。

「な、何してんのウー」

 ありすにさえ、その親友の行動は予想がつかないようだ。敵のお立ち台に対抗しようというのか。

「だっちゅ~~のッッ……!」

 ウーがウィンクして前かがみ姿勢で胸を寄せる。ピンクの光が胸元から眩く発光した。不意打ちを食らったA子のアダマンタイト鉄扇を吹っ飛ばす。ウーの科術、胸と共に目下成長中だ、とか?

「お立ち台でクエックエックエッなんてもう古いわよ!」

 さらに地震のときに同じくバッグにかき込んだらしい冷凍食品チャーハンの袋を開けると、フライパンにぶちまけ、ウーは無表情でパラパラを踊りながら作り出した。

「言ってないワそんな事! パラパラだって古いじゃん」

「ウルせーッ、テメェのせいでバブル崩壊後日本経済は不景気爆走なんだぁ」

 それはいくらなんでも言いがかりというものだと思うんですが石川ウーさん。

「盆踊りの時代からパラパラは歴史と伝統と最先端なんだヨッ」

 だからなんで宇多田ヒカルの「Automatic(オートマティック)」じゃないんだ? いや、それは別にいいか。ちなみに時夫がそれをウーに訊くと、ギャルの教祖といえば、ウタダではなく浜崎あゆみと安室奈美恵だと後で訂正された。

 すると、何ということでしょう。みるみる科術のパワーで熱せられていくフライパン。うさぎビームの応用なのか。ジュージュー音を立てている。そこまでは分かるが(?)、どっかから九十年代後半のポップなパラパラ系トランスまで響いてきた。「NIGHT OF FIRE」が流れ出す。この曲は、走り屋アニメ『頭文字D』で使用された名曲ではないか。やるな石川ウー! 二つの音と光が交差しぶつかり合って、路地はもはや移動するクラブ状態だ。

「やめてー! バブル崩壊後の不景気な踊りはやめてェー」

 A子が追い詰められている。

「バブル(フーセンガム)なんか食べたって栄養になんないよ。バブルガムよりもね、パラパラチャーハンよ!」

「そ、それのどこかトレンディーなのよ。きっとズイマーなんじゃないの!」

 というA子は、踊りながら空腹のせいかチャーハンを凝視していた。これはイケる。ウーはにやりとして、さらにフライパンを振っていく。

「それ! 米粒一粒一粒までパラパラよ、味はモチロンチョベリグー!」

 空飛ぶチャーハン、あっけに取られたA子の口に、黄金のチャーハンが続々と吸い込まれていった。米粒の動きに、科術の誘導が加わっているらしい。

「マーイウー!」

 二千年代まで残った希少な転倒語を残し、ウンベルトA子の放ったバブルは当てはずれな場所で全て弾け、その衝撃でA子(浅野温子?)は消防車から転げ落ちていった。

「馬鹿の名前はウンベルトA子ね!」

 ウーも微妙に古いがA子は風船と共に風前の灯となって爆発したのである。

「やったぜイェイ! 今日からあたしの事バブルクラッシャーって呼んで」

「お見事ウー、バブルに不景気文化で対抗するとか。これで奴も形無しね」

「まさにバブル崩壊、泡沫転倒って奴か!」

 三人が時夫をじっと見る。結局その後、山田が誰だったのか誰もウーに確認しなかったので、不明のままである。

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