第4話 恋文セントラルパーク

 セントラルパークの存在は前から知っていたものの、今まで来たことはない。噴水の存在だけは入り口から見えるので知っていた。だが、昨晩もその横を通り過ぎただけだ。公園入り口の案内図によると相当に広くて、ジョギングコースや池もあるようだ。周囲を林で囲み、真ん中に芝生の緑地があり、その中央に大きな池がある。緑が生い茂り、周りの住宅街が見えないほどだ。まさしく都会のオアシス感が出ている。この茂みのどこかに昨日の雉が隠れているのかもしれないと思うと、なぜかそわそわした。いいや、そわそわしているのは雪絵を待ってるからだ。約束した噴水前のベンチに待つ。この噴水にしても、知識として知っていただけで、来たのは初めてだった。目の前で見ると予想以上に立派な噴水で、ここはパリかと錯覚する(と、いうのは冗談!)。いい天気だった。

「お待たせいたしました」

 エプロン姿の雪絵がサンダルで小走りしてきた。ちょこちょことした走り方がかわいらしかった。やっぱりみさえのようなスポーツウーマンとは全く違う走り方だ。

「ありがとう」

 さっそくホカホカの肉まんを口にする。信じられないくらいうまい! こんな肉まんは食べたことがない。雪絵は辺りをキョロキョロ見渡し、まるで、初めて公園に来たというような表情をしている。やがて雪絵は、しばらくにこにこしながら時夫の様子を見ていた。このタイミングで言うしかなかった。

「ところでちょっと気になることがあって、聞きたいことがあるんだけど」

 お金を渡す際に、時夫は訊いた。

「はい、何でしょう?」

 小首をかしげ、雪絵は明るく訊いた。

「白彩って、ショーウインドウに菓子細工を飾ってますよね。たとえば、雉とか?」

「あ、はい……」

 雉という単語が出た瞬間、雪絵の両肩がびくっと動いた。

「今日は雉、飾ってなかったみたいだけど」

「あぁ。あの、本日はちょっと下げてありました」

「そうなんだ。実は昨日の夜のことなんだけど。コンビニに行ったとき、路上を凄いスピードで雉が走ってたのを見たんだ。この辺、雉が出るのかなぁ。あるいは……。それで気になって今日、白彩に来たんだけど、昨日あったはずの雉の菓子細工がなくなっていたんだよ。いや変な事を聞くようだけど。もしかして、菓子細工に命が宿って逃げ出したんじゃないかなとか思ってね。まさか、そんなことはないよね。ははは」

「ははは、うふふふふ」

 白井雪絵は口許に手を当て、おかしそうに笑った。

「冗談だよ。……ご、ごめん。あのショーケースの中、あまりにも生きてるように見えるくらい精巧だったから、あの菓子細工。本当に店長さんの技術ってまじすさまじいよね。つまり、そういう事が言いたい訳で、さすがTVオリンピックのチャンピオンだなぁと」

「はい……そうですね」

「全く本物みたい、だね。生き物みたいに」

 時夫は、伊都川みさえの生き写しの白井雪絵をじっと見た。

「……そうですね」

「でも、あの店長ってずいぶん厳しい人なんだね? テレビでもそうだったけど、少し驚いたよ」

 雪絵はそのままうなだれ、まるで蝋人形のように固まってしまったように見えた。

「ちょっと厨房が見えてしまったんだけど、その時、まな板の上に卵みたいな奴が乗ってて、それでそこに……蛇が動いてた。俺の、目の錯覚だったのかな」

「ご覧に、なったんですか……」

 蝋人形化していた雪絵が口を開いた。その深刻な反応に、時夫は始めて雪絵に、はっきりとした何かの異変を感じた。雪絵だけじゃない。何かが、あの店で起こっている。

「もしかしてあのお店、何か秘密があるとか?」

「お客様。私、もう、お店へ戻らないと」

「最後にもう一ついいかな。変な事を訊くようだけど、君は、何かあの店で辛い思いをしてるんじゃないか? あの店長さ、なんか君に対して辛らつだったし」

 その問いに対して、雪絵は長いこと逡巡しているようだった。このまま黙って店へ戻ろうか、それとも「何か」を時夫に打ち明けようか。考え続け、黙り続けてその場に立っていた。やがて、雪絵は静かに時夫の横に座った。よぅし。扉が少しだけ開いた。

「お話しする前に、お願いがございます。全て、ここだけの話にしてくれませんか? お友達に話されたり、ネットなどで書かれると困るんです」

「……もちろんだ。分かった」

 一体どんな秘密があるのだろう。時夫は雪絵の次の言葉を待った。

「昨晩逃げ出した雉は、確かに店長が作った雉です」

「……えっ」

 直接その言葉を、雪絵から聞くと、時夫に衝動が走った。混乱していたイメージが、それそのものだと、彼女自身が言った。一体どんなトリックが隠されているんだ。

「では最初から生き物を、燻製みたいに仮死状態にしていたって事ですか?」

 燻製どころか、生きていた。それを、お菓子のフリしてケースに並べておく。

「いいえ。最初は皆、お菓子だったんです。それがたまに、生命を宿してしまうことがあるんです」

 な、なんだと……。ますます分からなくなる。

「昨日。満月でしたよね。それが原因です。月の光には、特別な力がある」

 たまに、工場の中でも直接生命を宿すというのだ。売られているうずらの卵を温めていたら、雛がかえったなどいう話とは類が違う。これは、スイーツ(笑)という奴か?

「……しかし」

 彼女の言葉を、疑う訳ではなかったが、あまりに常識からかけ離れすぎていた。考えても考えても、理解不能な雪絵のその言葉。時夫はしばらく、肉まんの入った箱をじいっと見つめた。

「安心してください。店頭で販売している和菓子は別です。でも、あの菓子細工は特別な砂糖で作られています。それでTVオリンピックでも優勝したんです。それは、和四盆といいます」

「和四盆?」

 和三盆ならもちろん聞いたことがある。だが、和四盆なんて聞いたことがない。本当に存在するのか。

「その砂糖は手に入れるのがとても難しく、一般には流通していません。……非合法なんです」

 なにやら、雪絵の話は大分キナくさくなってきた。ひょっとすると和四盆とかいうのは、怪しい薬の一種ではあるまいか。怪しい、非合法な薬。雪絵は店頭の菓子には入っていないといった。だが実はその薬が昨日買った菓子の中にも入っていて、時夫は昨晩幻覚を見たのかもしれなかった。

「君は、それを知っててどうしてあの店で働いているの?」

「私は脅されて、店長の手伝いをさせられています。店長の秘密を知っているのは私だけです」

 どうりで、雪絵は冴えない表情で仕事をしていた訳だ。

「ブラック企業なんじゃないか」

 ブラックというよりもはや、本当の非合法な店。

「……ええ。そうなんです」

 時夫は沈黙した。どうすればいいのかが分からなかった。一介の高校生に過ぎない金沢時夫に出来ることなんて限られている。公園には家族連れの子供がはしゃぐ声が響いていた。ベンチの足元に、ハトが二羽、うろついている。時夫の持つ菓子の箱の中身が再び空けられる瞬間を待っているのだろう。日常のありふれた光景だ。だが、雪絵と時夫に、非日常の空気が取り巻いている。時夫は何とか、彼女を助けたかった。

「力になれないかな。もし非合法な事をしているのなら、早く警察に行った方がいいよ」

 さっきまで食べていたこの箱の中身が恐ろしい。冗談ではなく魔法のような旨さの影に潜む危険。しかし、警察沙汰に自分自身が巻き込まれる不安もあった。平凡に生きてきたこれまでの人生。だが、もうそれどころではなくなるのかもしれない。そう思うと恐怖を覚える。だがもし、目の前の白井雪絵を救えるのなら。

「……はい、行きました。警察は取り合ってくれませんでした。今のお客様の反応と同じです。あまりに突拍子もない話だからです。私は止めたかったんです。店長は恐ろしい事をしているんです。でも生きたお菓子を作るために、その材料の和四盆というのは、……あっ、あぁなんて、なんて事。店長はなんて恐ろしい事をッ!」

 時夫はさらに雪絵の次の言葉を待つ。そして雪絵の言葉は、時夫の予想のはるかに上回ったのであった。

「店長は、毎晩のように、人を浚っては殺し、和四盆の原料にしているんですッ」

 雪絵が薄い色の瞳で、時夫をじっと見ている。その目に偽りは宿っていなかった。時夫は悟った。彼女が本当の事を語っていることを。

「え? は? あ、いや……」

「あのお店の煙突。あんな大きなものがどうしてあるのか、ご存知でしょうか。色々理由がありますが、人間の身体を償却するためです。そして、人攫いをしている場所は、このセントラルパークです……」

「えっ」

 時夫は落ち着かなくあたりをぐるりと見渡した。キャッチボールをする人々、サックスの練習をしている少女、老人、そして広い公園のジョギングコースは、おそらく夜になってもランナーが絶えないだろう。その人々が、イカれたマッド和菓子屋によってさらわれ、真実はどうあれ、殺されている。急に雪絵の言葉がリアリティを持って感じられた。雪絵はおどされ、その手伝いをさせられている。しかも今まで、警察は取り合ってくれず、頼りにならないというのだ。

「助けて欲しいんです。怖くて、誰にも言えなかった。店長がおかしな事をしている。お菓子屋だから、ですかね。犯罪をしているんです。この町の人を浚って殺しているのは店長です。お客様。私、どうすればいいのでしょう? 人に話したのは、これが初めてです。……お客様、助けて、いただけないでしょうか」

「あ、あぁ……」

 確かに本当のことは分からない。あまりに信じがたい。だが、どう返事すればいいだろう。店長が雪絵に辛く当たっていたのは事実だし、あの厨房で卵から這い出た蛇を見たとき、何か絶対的にヤバいものを目撃したという直観があった。今日、ここへ雪絵を呼び出した時から、彼女にとって一世一代のチャンスが訪れたのかもしれない。しかし、どうすればいいのか。この町で、確実に恐ろしい事が起こっているのだ。繰り返し考える。高校生である自分に、何が出来るのか。伊都川みさえにそっくりな白井雪絵。助けたい。そうだ。今度こそ……助け……助けなければ!

「俺は、高一に過ぎない。何の変哲もない、平凡な学生に過ぎない」

「そう、ですか……」

 もはやそんな事はどうでもいいという表情が雪絵の顔に浮かんでいる。

「でも君をここへ呼んだのは、お店で変な感じがしたからなのは確かだ。それで、なんとかしなくちゃと思って……」

 自分でも、無計画な考えだと今気づいた。

「お願いします」

「分かった。協力する」

 金沢時夫は、このみさえ似の雪絵をなんとかあの異常な店から救い出し、彼女が心から笑える日が来る事を願った。だが、なんとなく気に掛かる。こんな恐ろしい事件が起こっているセントラルパークに、雪絵は最初まるで始めて来たような顔で現れ、辺りを興味深そうにキョロキョロしていた。それと、店長の手伝いをしている、と彼女は言うのだが。

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