反逆者は誰がために血を浴びるか

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反逆者は誰がために血を浴びるか

サルヴェン(約4万字)

反逆者


 全身を鋼鉄の鎧に包み、分厚い丸盾と無骨な薙刀グレイブを携えた男が叫んだ。


「おい! 弓隊はどうしたんだ! まだ来ないのか!」 

「今さら来られたって、何にもならねぇだろうよ!」


 隣に並ぶ、これまた鈍い銀の光を放つ鎧を着こんだ男の一人が、そう吐き捨てた。

 農業都市サルヴェンの自警団を務める男たちは、兜の奥から、ソレを見上げた。

 彼らの背丈の優に三倍を超えるであろう、化け物がいる。

 女性の胴ほどの太さをもつ腕は、人と同じ箇所に一対、その下から左右に二対、左に背部から一本多く腕が生え、計七本がうごめいている。


 左右の腕の間には、頭と思しき毛の生えた肉塊が飛び出している。しかし、そこに目鼻は無く、ただ赤黒い粘液を垂れ流す暗い穴があるのみ。

 穴から、まるで呼吸でもしているかのように、空気が通り抜ける音が鳴る。


 神が課した制約を破った人の姿――反逆者カピナッリネンである。


 反逆者の足が、一歩、踏み出された。

 腐った肉塊を叩くような粘りつく音を立てる。巨木の幹のように太い肉の足が、白い石畳を突き割る。足が人でいう膝の辺りで割れ裂け、生白い骨が日の光の下に露わになった。伸びた太い骨が石畳に刺さり、肉塊の足とは別個に動き、奇怪な四つ足となる。


 毒々しい紫色の肌の下で、太い血管と思しき何かが蜘蛛の巣状に這い、脈動する。内側に何が詰まっているのか肌はぶよぶよと張りつめ、ぬめり、光っていた。

 不気味で醜悪極まる反逆者の足が、盾を構える男たちの前で、止まる。

 緩慢とした動きで、七つの腕が振り上げられる。


 頭に開いた穴がじりじりと広がり、慟哭にも似た咆哮が街路に轟いた。

 周囲の煉瓦づくりの家壁は揺れ、窓ガラスが震動し、大気が弾ける。

 細かく痙攣を繰り返す穴から、饐えた臭いを発する赤黒い粘液が糸を引いた。

 自警団員の一人が、悲鳴にも似た声をあげた。


「どうすんだよ! あいつ、もう血を被った後だぞ!」

「どうもこうもねぇ。俺達がやるんだよ。返り血に怖気づくなよ。行くぞ!」


 兜のバイザーを叩き下ろした男は、盾と槍を構え、鬨の声をあげた。

 周囲の者もそれに応え、各々、手に持つ長柄の武器を構えた。

 反逆者は周囲を悪臭で満たしながら、男達に近づいていく。石畳を踏みしめる脚が、一際強く下ろされる。肉と骨の足を地面に沈め、斑点のように肌色を残す躰をねじり上げ、三本の左腕が、男達に向けて振り抜かれた。


 速度の遅い、緩やかな動きだ。しかし全身を鉄の鎧に包んだ男達も、それは同じ。

 彼らの足に振り抜かれる腕を避ける程の早さはなく、二人がかりで盾で受け止めるしかなかった。


 振られた腕が盾に当たり、鈍い音を発する。受けた男達は圧力に負け膝をつく。なおも反逆者の腕に力が込められ、男達の口から声が漏れ出た。

 その隙をついて薙刀を手にした男が反逆者の背後を取り、刃先で横腹を切った。

 反逆者は絶叫をあげ、躰を捻った。

 

 切りひらかれた腹から汚れた血が噴き出し、周囲に飛び散っていく。

 刃を突き立てた男は盾を眼前にかざし、自らの躰に降りかからんとする返り血を防いでいた。

 

 反逆者が左の四つ腕を振り下ろす。

 男は盾ごと押しつぶすかのような打撃を受け止め、跪く。

 先になぎ倒された男たちも武具を取り、正面から反逆者の体躯に刃を向ける。

 自らを囮に反逆者と渡り合う男達の鎧を、噴き出した血が真紅に染めあげていく。

 正面から浴びてしまった男が、悲鳴をあげた。


「血が! 血が入ってきちまった!」

「慌てるな! 神を信じろ! 今はこいつに――」


 隣に首を振った男は、遥か後方に吹き飛ばされていた。軽々と舞った躰は、壁に叩きつけられた。跡に残っているのは、突き出された反逆者の右二本の腕だけだ。


 吹き飛ぶ仲間の姿に気を取られたか、血を浴びた男が動きを止めてしまった。

 反逆者の腕が二本伸び、男の躰をつかみ眼前に掲げる。割れた人の頭のような肉塊に、にじり、にじり、と再び穴が開かれていく。

 掲げられた男はもがきながら、自身をつかむ醜悪な腕を叩いた。

「やめろ! 離せ!」

 上からの打撃に耐え抜いた男達が立ち上がり、怒声を上げて反逆者に切りかかっていく。

 ぶよぶよとした肌を刃が切り裂き、濁った血が石畳を赤黒く染めていく。しかし男の躰を離しはしない。そして動きを止めることもない。

 頭の穴が、開ききった。


 心を引き裂かんとする絶叫が、赤黒い粘液と共に吐き出されていた。ドロドロとした粘液が男の躰にかかり、鈍色の鎧が鮮やかな赤に染まった。

 男の口からは、神への呪いの言葉が漏れでていた。


「神よ! なぜこんな! 人を、なぜこんなモノに!」


 言葉が続くことはなかった。

 男の声は喉を押しつぶされたかのようにくぐもり、躰が痙攣したからだ。

 反逆者は興味を失ったかのように男を投げ捨て、再び槍を構える自警団方へと向き直った。傷から流れ続ける汚れた血が、反逆者に合わせて周囲を濡らす。


 投げ捨てられた男の躰が、動きを止めた。

 その喉から、反響する赤子の泣き声にも似た声が、絞りだされる。鎧が内側から膨れ上がり、破断する。隙間から日の光を強く返す、白い肌がこぼれ出る。


 反逆者に変化し始めた証だ。 

 男の躰は鎧を引き裂きながら変化を続け、やがてゆっくりと立ち上がる。

 突如その躰に奇怪な槍が打ち込まれ、産声が悲鳴に変わった。

 槍を突き立てたのは、細身の鎧を纏った女だ。


 被った兜のバイザーにはガラスの窓がはめ込まれ、その手には長楕円の盾と、奇妙な穂先の槍が握られている。槍の穂には、鐘を逆さにしたような形の盾がつけられている。鐘は、反逆者の躰から噴き出た血を、盃のように受け止めていた。

 女は槍を持つ手を握りなおし、石畳を踏みしめ、さらに深く、槍を突き入れた。


「遅くなって悪いね。すぐ楽にしてやるからさ」


 鎧に包まれた足を踏み出し、槍を持つ腕を強く押し出す。穂先が反逆者の躰を深く貫く。取り付けられた鐘がぶつかった。

 反逆者の躰は跳ね飛ばされて、石畳の上に転がった。

 傷口から血が噴水のように噴き出し、躰を震わせた反逆者の声が、途切れていく。


 死した反逆者の躰に残る傷は、波打つ穂先によって、深く引き裂かれていた。

 背後で起きたことに気付いたのか、七つ腕の反逆者が振り返り、咆哮をあげた。

 男達が女に向かって叫ぶ。


「窓付き! 来てくれたか! 血の雨降らしはどこだ!?」


 窓付きと呼ばれた女は、鐘槍と盾を、七つ腕の反逆者に向けて構えた。


「屋根の上さ!」


 そう言って、女は駆け出していた。

 反逆者が迎え撃つかのように、二本の腕を振った。

 女は盾を斜めに構えて、受け流す。丸みを帯びた長楕円の盾の上を腕が滑る。流れた腕は石畳を削りつつ、自らの肉片をまき散らしていく。

 攻撃を受け流した女はさらに踏み込み、槍を肉の脚へと伸ばした。


 絶叫が通りに響いた。

 反逆者は女を叩きつぶすつもりか、血の滴る腕を振り上げた。

 女は七つ腕の巨躯を見上げて、叫んだ。


「ヴァリス!」


 女の呼び声に応えるように少年が屋根の上を走り、反逆者に向かって飛びだした。

 少年は小さな躰で宙を泳ぎ、黒い短剣を頭部の肉塊に振り下ろす。刃の中程から前に向かって曲線カーブを描く奇妙な切っ先が、肉塊を切り裂き、沈み込んでいく。


 にも拘わらず、反逆者は、少年をめがけて咆哮と粘液を浴びせかけた。

 少年は吹きかけられた粘液を、避けようともしない。赤黒い粘液は少年の躰に触れる直前で、四方に散った。


 刃が引き抜かれる。

 刀身の付け根についた鉤型の刻みが、肉を引っ掛け、抉り取る。

 少年は口を固く結んで、何度も、何度も刃を振るった。

 噴きあがる血は彼の躰には一切かからず、全てが赤い霧雨となって降っていく。

 血の雨の下にいた男達は、盾を頭上に掲げて返り血を防ぎつつ、距離を取った。


「クソガキめ! 俺達のことなんか、おかまいなしだ!」


 七つ腕の反逆者は、少年を振り払うつもりか、腕をうごめかせた。しかし革鎧を纏っただけの少年は、素早く、危なげなく、腕を掻い潜った。そして反逆者の首元に沈み込ませた短剣の柄を固く握りしめ、躰を引き裂きつつ飛び降りた。


 大量の赤黒い粘液を撒き散らした反逆者は、力が抜けたかのように膝を折り、左右の腕を石畳に突き刺し躰を支えた。

 そうなることを予見していたかのように、女が跪いた反逆者の頭を槍で突いた。


 女は鐘槍が受け止めきれない返り血を全身に浴びた。しかし、男達と異なり、欠片も慌てる様子はない。それどころか、ガラス窓のついたバイザーの奥では、不敵に笑ってすらいた。

 少年は女を横目に反逆者の躰を縦横に切り刻み、再び頭を目指して駆けのぼる。肩まで登ったところで、女に目配せをした。


 少年と女が、呼吸を合わせる。

 少年は槍の突き立てられた頭を後ろから体重を乗せて蹴りつけ、さらに飛びあがる。両手で短剣を握りなおし、落ちる速度を加えて頭を後ろから切り裂いた。

 噴き上がった血は徐々に勢いを失い、反逆者の肌を伝う。頭に突き立てられた鐘槍は盃となり、反逆者の赤黒い血で満たされていく。


 ぐしゃり、と巨大な体躯が地に伏した。


 女は槍を引き抜き、穂先を石畳に向けた。穂に付けられた盃から溜まった血がこぼれ落ち、朱に染まった石畳の上に、粘りつく赤色を重ねていく。


「終わったみたいだね。ヴァリス」


 女の言葉に、ヴァリスと呼ばれた少年は振り向き、顔をしかめた。


「お疲れさま、ヘルカ。窓、拭きなよ。汚いよ?」


 ヘルカと呼ばれた女はを盾から腕を抜き、血で汚れた兜のバイザーを手甲に張り付けられた布で拭った。

 血が拭きとられたバイザーには鉄の格子と、隙間を埋めるようにガラスがはめ込まれている。小さな窓越しに見える顔には、細かい古傷がいくつも残っていた。

 ヘルカが笑いながら、窓付きのバイザーを跳ねあげた。


「私みたいな大美人に対して失礼だよ。大体ヴァリスが血をやたらに撒かなきゃいいのさ。それならこんな窓なんかいらないし、私の顔は、国一番の美人のままだった」

「そりゃ無理だよ。僕の躰じゃ、あんな鎧は着れないからね」


 ヴァリスは笑いながら短剣の血振りをし、短剣に付着した赤い汚れを革の脚甲に付けられた厚布で拭い、歩み寄る鎧の男達を指さした。

 二人の元へ血で濡れた鎧の男達が集まり、憮然とした声を出した。


「おい、血の雨降らし。やたらめったら切りまくるんじゃねぇ。見ろよ、この返り血の量を。俺達まで反逆者にしちまう気かよ」


 ヴァリスは眉を寄せた。『血の雨降らし』というあだ名が、嫌いだったからだ。

 ヴァリス自身はヘルカにも言ったように、血を撒きたくて切りつけているわけではない。体格のせいで短剣を使うしかなく、使えば、血が舞い散るだけだ。

 負の感情は必要以上に鋭い言葉となって、ヴァリスの口から吐き出された。


「だったら助けに来なければ良かったかもね。そうすりゃ、あんた達も切り刻んでやったのにさ」

「なんだと、てめぇ!」


 男は兜のバイザーを荒々しく跳ねあげ、怒りを隠そうともしない。

 ヴァリスがこの街に辿りつき、自警団に入ってから二年が経つ。その間に何度も共に戦う機会があったのだが、この男、イグニスとだけはソリが合わなかった。


 もっとも、他の団員の名前を覚えようとしないヴァリスにとっては、数少ないちゃんと名前を覚えている男でもある。それも、嫌っているがゆえのことではあるが。

 今にも決闘でもしかけてきそうなイグニスとの間に、ヘルカが割って入った。


「よしなよ。もう終ったんだ。反逆者は死んだ。仲間がやられたのは、ヴァリスのせいじゃないだろう?」


 ヘルカはヴァリスに顔を向けた。


「あんたもだよ、ヴァリス。仲間がやられたんだ、そんなこと言うもんじゃないよ」


 ヴァリスは腰に手を当て、ヘルカが倒した反逆者の死体に目を向けた。名も知らないかつての仲間の、なれの果てだ。

 膨れ上がった白い躰は血で染まり、人の姿へと戻りつつある。その顔は異形の者となる寸前でとどまっている。苦悶に満ちて、しかし恍惚とした、奇妙な笑顔だ。

 

 ――薄気味悪い。


 ヴァリスは目線を切った。見ていてもただ不快なだけで、同情を誘われるようなものではない。そもそも、いちいち同情していては戦うことすらできない。それは周りで戦う連中についても同じだ。しかし、そんなことを言えば、ヘルカは怒るだろう。

 ヴァリスは黙っておくことにして、そっぽを向いた。

 ため息をついたヘルカが、男達に顔を向けた。


「ヴァリスが『血の雨降らし』ってあだ名が嫌いなの、あんた達だって知ってるだろ? ちゃんとヴァリスって名前で、呼んでやんなよ」


 イグニスが唾を吐き捨てた。


「分かったよ、『窓付き』」


 ヘルカが間髪いれずにイグニスのバイザーを叩き閉めた。


「私がそのあだ名が嫌いなことも、忘れないでほしいね」


 振り返ったヘルカが笑顔を浮かべる。


「屯所に戻ろうか、ヴァリス。さっさと血を洗い流したい」

 ヘルカが歩き出したのを見計らい、ヴァリスは怒りに震えるイグニスを鼻で笑った。お前なんか嫌いだし、怖くもない、そう思いを込めて。


 顔を真っ赤にしたイグニスが詰め寄ろうとし、周囲の仲間に抑え込まれた。

 ヴァリスは足早にヘルカの隣について、血の池と化した街角を後にする。巨大な七つ腕の反逆者の死体も萎み始め、人の姿へと戻りつつあった。

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