【中編】激情のイドラ

激情のイドラ -Have you got everything you need?- 前編

 待ちに待った夏休みがやって来た。


 特に補修とか追加課題とかを言い渡されることもなく、晴れやかな気分で終業式を終え、その後数日はカミネと服を買いに行ったり空乃や忍と映画を見に行ったり、まぁ充実した夏休みを送っていた。

 カレンダーの7月の紙がそろそろ用済みになりそうな猛暑のある日。エアコン設備のない自室で扇風機から送られてくるぬるい風を浴びながら、背の低いテーブルに向かって国語の読書感想文課題をやっていたころ。

 具体的には午前10時。


 朝から着替えていない寝間着は、すっかり汗だくでとても気持ち悪い。こいつがひと段落したらシャワーを浴びようと、私は疲れ切った顔で、声にもならない独り言を呟いた。

 ちなみに寝間着というのは中学の時の学校指定ジャージだ。女子力の欠片もないことは自分が一番よく分かっているんだけど。夏休みの最後の方には新聞部で合宿があるらしいので、なんか可愛いパジャマ用意しとかないとなぁ。

 空乃のパジャマとかめっちゃ可愛いんだろうな。忍はなんか、黒の大人っぽいパジャマ持ってそう。渡良瀬先輩は……こう言っちゃなんだけど、オープンな人なので、オープンな格好で寝てそう。すごく失礼だけど。


「咲ー、コーラいる?」

「むしろ飲まないと死ぬー」


 お母さんがトレイに載せて、2Lコーラと氷の入ったグラスと蜂蜜ヨーグルトを持ってきてくれた。

 お母さんの手によって、コーラがグラスの中にトクトクと注がれ、パキパキッと割れるような氷の音が響く。ああ、これぞ『涼』。夏の涼!

 コーラを一口飲む。頭に響く冷たさ、喉を刺激するシュワシュワした炭酸。ああ、これぞ!


「暑いし、終わんなそうだったら適当に切り上げてリビング来なさいな」

「あーい。汗でベットベトだからお風呂沸かしといてくれるー」

「はいはい」


 パタリ。ドアを閉めて出てったお母さんに、ありがとうと声を飛ばして、私は宿題の続きに取り掛かった。

 読書感想文あるあるというか、この課題のためにわざわざ新しく本を読むのもダルかったので、これまで読んだことのある小説を本棚から引っ張り出してきて、パラパラめくって内容を思い出しながら書くことにしていた。

 選んだ本は、去年どこかの書店の大賞を受賞したとかいう、ポピュラーな恋愛小説だ。今年の冬に映画が公開されるらしいので、タイムリーで良いだろうと思い選んだのだが、如何せん恋愛小説の感想を書くなんて気恥ずかしく、何度も筆を止めてしまっているのが現状。

 それでも当り障りのない言葉を並べて、「感動した」とか「いいシーンだと思った」とか安易な表現を入れて文章を稚拙にして、なんとか文字数を稼ぎ切った。

 よし、最後の一文。


 と、フィニッシュ直前で、スマホが軽快な着信音を鳴らした。

 どうやら空乃からのようだ。電話に出る。


「はい」

「あ、咲? トーク見てない?」


 新聞部のグループトークのことだろうか。


「見てない。なんかあったのか?」

「詳しいことはトーク見てもらえば分かるんだけどさ。えっと、今日急に決まったことなんだけど、演劇部の取材をするから学校に来てくれないか、って話」

「演劇部? 急に決まった?」

「うん。まぁ詳しいことはトーク見てよ、私今から学校向かうとこだからさ」


 カチャ、と、金属が触れ合う音がする。学校に向かうところ、という言葉から察するに、制服をかけてあるハンガーを取ったのかな。


「ふーん……了解」

「咲、来れそう?」

「今からシャワー浴びるから、そのあとでな」

「えっ! ご、ごめん、裸なのに長々と電話しちゃって……切るね!」


 えっ。


「空乃!? いやいや、別に今からシャワーって言っても、そんな直前ってワケじゃないからな!?」


 ……通話切れてるし。

 あらぬ誤解を受けてヤケクソになった私は、ダダダっと脱衣所に向かって服を脱ぎながら走り、お母さんが湧かしてくれた風呂に生まれたままの状態で飛び込んだ。


 リビングの方から怒鳴り声が聞こえた気がする。



 空乃に言われた通り、グループトークの会話に一通り目を通してみると、どうやらこういった事情のようだ。


 もともとは、演劇部の部長と渡良瀬先輩が顔馴染みなこともあって、演劇部への取材は3年生だけで行う予定だったそうだ。

 しかし演劇部部長は今日になって、3年生の2人だけじゃなく、私たち1年生にも来て欲しいと言ってきた。

 どうやら、2週間後に控えた、市民会館で演じる劇について、ちょっと感想を聞かせてほしいそうなのだ。新聞部なら守秘義務とか守ってくれるだろうし、とも付け加えていたとかいないとか。


 生乾きの髪にドライヤーをかけながら、「もうすぐ家出ます」と発言し、下着姿のまま部屋に戻ってあれやこれやと準備し、裸でうろつくなとお母さんに怒られながら制服を着て、自転車のカギをポケットに入れ、私は家を飛び出した。

 飛び出しかけたが、玄関に立ったままリビングを振り返って「部活の用事で行ってきまーす!」と一声かけてから、再び私は飛び出した。

 今度は完全に飛び出したのだが、カギを差してスタンドを蹴って自転車に跨ったところでカバンを自室に置き忘れたことに気付いて、自転車のスタンドを立ててまた引き返した。


「アンタちょっとは落ち着きなさい!」

「あーい! おゆはんまでには帰りまーす!」


 普段の通学時より小さなカバンを愛車のカゴに入れて、自転車のスタンドを蹴り、私は今度こそ、今度こそ学校へ向かって、ペダルを漕ぎ始めたのだった。



 集合場所は講堂だと指定されていたので、私は所定の位置に自転車を停めると、そちらへ向けて歩き始めた。スマホでグループトークを確認していると、私の発言には既読5がついていた。

 私を抜いて既読5ということだから、誰か1人見てないことになる。

 というか、今日演劇部の件で招集がかかってから発言がないのはキヨだけなので、たぶんこの1人はキヨなのだろう。


「さーきっ」


 と、講堂から飛び出してくるなり私のスカートを正面から捲ろうとしてきたのは、言うまでもなく私の可愛い黒部空乃である。

 とりあえず、割と手加減のないグーパンチを腹に喰らわせた。

 私の可愛い空乃は、うわお、と外国人みたいなリアクションで呻きながらお腹を抑えて、苦しそうな笑顔で私を見上げた。にっこりとした笑顔でその視線に応じる。


「手荒い歓迎だな、空乃」

「手荒い訪問だね、咲。グーパンはないでしょ……」

「もうみんな来てるか?」

「平然と水に流さないでくれる……。ええと、キヨくんと下邨くんが来てない」


 キヨはトークで発言がなかったから当然として。トークで「コッチ終わったらできるだけ急ぎます!」とか言ってた下邨が来てないのか。

 ま、どうせ水泳部の方が長引いてるとかだろ。

 私は空乃のポニーテールを持つと、それを新体操のリボンみたいにふよふよと波打たせながら言った。


「にしても、劇を見るのかー。ポップコーンでも買ってくればよかったな」

「映画じゃないし。ていうか放してよ! 犬みたいじゃない!」

「私は猫の方が好きだ」

「知らないよ! ふしゃー!」

「猫じゃん」


 可愛い。


 他愛もないやりとりをしながら、私たちは連れ立って講堂の中へ足を踏み入れた。


 講堂の中には、いかにも即席、といった体で、せいぜい10個くらいの長机がステージに向かって置かれていた。おそらく、これが客席なのだろう。

 ステージの上にはいくつか小道具があるようだったが……横に開く幕が半分くらいしか開いていなくて、全体像は把握できなかった。それでも、ステージ上を何人かの生徒が行きかっているのははっきり分かったが。

 客席にはすでに何人かの生徒が座っていた。グループトークで柿坂先輩が言っていたが、新聞部以外にも、部員の友達だとか、たまたま学校に来ていた生徒が暇つぶしに身に来たりだとかしているそうだ。

 守秘義務うんぬんの話はなんだったんだよ。


「お、来たね」

「こっちこっち」


 入口側、講堂の隅っこの方に、柿坂先輩と渡良瀬先輩と忍が固まっていた。

 柿坂先輩はしきりにカメラをチェックしている。このあとの取材に向けて設定を調整しているとかだろうか。


「咲連れてきましたよー」

「おはようございます」

「おはよ。下邨くん見なかった?」


 渡良瀬先輩はいつもの笑顔だが、どこか余裕なく聞いてきた。


「いえ、まっすぐ来たんで」

「そっかー。残念ね」

「てか、キヨはいいんですか?」

「キヨくんは既読もつーかなーいしー。てか、どうせアレでしょ。彼女さんと映画行ってるとか」


 ああ。そういえば、今度映画行くんだーとか惚気てたな。

 空乃が、柿坂先輩のカメラを覗き込む。


「学校の風景ですか? 別に変り映えしない感じですけど……」

「あー。これ、今後の劇で、背景として使うかもしれないから、今まで新聞部で撮った風景写真のデータをくれないかってじんがから言われてて」

「じんが?」

「え……咲、神賀先輩知らないの?」


 それまで黙ってパンフレットを読んでいた忍から、信じられないといった顔で驚かれてしまった。


「忍は知ってんの?」

「けっこうな有名人だと思うわよー。ね、空乃?」

「あ、あはは……。まぁ咲くらい超有名だと知らないかもねー」

「…………?」

「こ、小池さん、本気で言ってるのかな」


 え、もしかして私、ドン引きされてる? 柿坂先輩からも?

 本当に知らないの? と、忍は溜め息を吐いて、


「生徒会長兼演劇部部長。夏休みは休みがないとまで言われてる3年生のスター」

神賀剣心じんが けんしん。2重の意味で名前がキラキラ輝いてる、東大正高校きっての名俳優さ」


 柿坂先輩が珍しく皮肉を言う。

 それにしても、東大正きっての名俳優とは。これから始まる舞台にも期待が高まるというものだ。


「にしても大変そうだったなー。こっち、演劇部だけでも、監督兼主役らしいし」

「それをこなしつつ生徒会長としての仕事もこなされてるなんて、すごい方ですよね」

「……仕事中毒ワーカホリックじゃなきゃいいけどね」


 渡良瀬先輩が割と冗談になってない冗談を言ったところで、講堂のドアが突如として低い轟音を鳴らした。

 叩くように扉を開けて入ってきたそいつは、きょろきょろと辺りを見渡して私たちの方を視認すると、すぐさまこっちへ走ってきた。

 水滴を飛ばしながら。


「遅くなってスンマセン!」

「だから、ちゃんと髪拭いてこいっての!」


 いつものように、渡良瀬先輩が下邨の顔にタオルを投げつける。

 渡良瀬先輩が自分の汗を拭うために首にかけているのと同じ、真っ白いタオルだ。


「なんかいっつもタオル借りちゃってスンマセン!」

「はー。ガサツな後輩を持つと苦労するわー」

「にしても渡良瀬先輩って、いっつもタオル持ってんスね。いつも面倒臭がりなのに綺麗好きだったり?」

「……まあ、ね」


 その後、先輩方は裏方の取材に行くと言って、1年生にそれぞれ、適当に好きな席に座っておくように、とだけ残して、ステージ裏に行ってしまった。

 忍は電話のために講堂を抜け、下邨は男友達が偶然劇を見に来ていたみたいで、そいつと一緒に座ってしまった。まぁ新聞部で固まって座る必要性もないから、いいっちゃいいんだけれど。


「私たちも座るか」

「そうだね」


 空乃と一緒に、真ん中らへん、できるだけ空いていて見やすそうな位置に隣り合って座った。

 周りを見回すと、まばらだがけっこう人が来ていた。半分くらい私服姿なのを見るに、文化祭の準備で来ていた生徒がついでに寄ってきたって感じなのかな。

 東大正高校では、休日登校の場合も原則制服なのだが、文化祭準備などで服を汚すおそれのある作業をする場合は、特別に体操服の着用が許されている。といってもそこは教師陣も暗黙の了解、学校指定のジャージ姿で町をうろつかれても迷惑だしということで、私服で来ていても特に何も言われない。

 制服でうろつくのはいいのか、と屁理屈をこねる。


 にしても、これぐらい来てるなら、知り合いの1人くらい会いそうなものだが。

 と、観客用通路を挟んだ向こう側の長椅子に腰かけた男子生徒の姿を……もとい、その男子生徒の淀んだ目を捉えた瞬間、私は思わず腰を浮かせた。


「曽布川さん……!? なんであんたがここに……」

「……よぉパッツン女。できれば二度と会いたくなかったぜ」


 それはこっちのセリフだ。


 曽布川喜彰そぶかわ よしかげ。先の体育祭での一件において、事件が起こるそもそもの原因を作った2年生男子。安易に一言で言って、性格が悪い。

 過去の所業を、私が(匿名だが)告発したせいで、それから2年生の間で……もっと言えば曽布川さんの周りで、ごたごたと人間関係が揺れ動いたそうだ。直接関係のない人にまで影響を及ぼしてしまったことについては申し訳なく感じているが。

 それにしても、体育祭の時はまだ髪型もちゃんとしてて、どちらかと言えば体育会系な顔つきだったのに、今では髪が片目を覆い隠していて、ぼさぼさで、顔は生気に乏しく無精髭まで生やしている。不潔とかではないけど、外側にハネまくっている毛は、もうちょっとちゃんとした方がいいんじゃなかろうか。

 空乃が、小声で聞いてくる。


「咲、知り合い?」

「前に言っただろ。体育祭の事件の原因を作ったヤツだよ」

「ヒソヒソ話とはいえ、仮にも先輩を『ヤツ』呼ばわりなんて良くないなぁ、パッツン女」

「……人の物言いを注意する前に、人を変なあだ名で呼ぶのをやめろ。というか、あんたのしてきたことを考えれば、人から尊敬されないのは当然だろう」

「これだから何も知らないガキは。尊敬の如何に関わらず敬語ってのは使うべきなんだぜ」


 ガキって……1つしか変わらないだろうに。私は空乃の前なので、どうにかむかっ腹を抑えることにした。

 目の色は灰のまま、体は正面を向いて背もたれにもたせ掛けたまま、曽布川さんは至ってダルそうに、首だけをこちらに向けてくる。


「なんで俺がここにいるか? そりゃま、仕事の帰りさ」

「実行委員のですか?」

「実行委員は基本的にイベントごとの前後でしか仕事しねーよ。まあ夏休み中に1回2回くらい集まりはあるけど……」

「じゃあ何の仕事なんですか」

「決まってるだろぉ?」


 被せるように言って、曽布川さんは口を三日月みたいに歪めて笑った。


「口止め。そして脅迫さ」

「脅迫……って!」

「お前があの体育祭のあと、つまんねー告発なんかしたせいで、俺は随分と嫌われ者になっちまったからなぁ。一時期イジメに近いこともされたが……ま、今はイジメ返してるさ。ヤツらの退をポケットに忍ばせながらな」

「………………」

「そんな目で見るなよ、俺は火の粉を正しい方向に払い返してるだけだぜ? というか、そもそもの原因はお前なんだからな」


 私が原因……曽布川さんのせいで退学させられた弓原さんの言葉を、勝手に意訳して受け取り、実行した私が。

 曽布川さんの過去の罪を告発することで、終わったいざこざを掘り返し、多くの人の人間関係を引っ掻き回した私が。

 ……ぐうの音も出ない。私はスカートを握って押し黙った。


「弓原がいない状態でも、俺たちはうまいことやってたのさ。不和もあったけど、それを口に出したりはせず、だましだましやってた。それを独善的な理由でバラバラにして、俺以外にも悪影響を与えたのは、紛れもなくお前なんだぜ」

「……自覚はしてる」

「してねぇよお前は」


 またも、曽布川さんは被せてきた。


「嘘を吐くのは悪いことじゃない。嫌いなやつとなあなあで接したり、自分の持っている異常な感情を隠したり、浮気を見て見ぬフリしたり。全部、良好な人間関係を保ち続けるためには必要なことさ。

 だけどお前は、俺を告発することによって、みんなを正直にさせてしまった」

「…………だからそれは、」

「自覚してねぇって言ってんだよ。

 お前が思ってる以上に、過去の出来事っていうのは、いろんな人に影響を及ぼすものなんだぜ。過ぎ去った出来事だからこそ、あとから思い出してムカついたりな。

 お前は俺1人に罪を償わせたようないい気分かもしれないが、本当は無関係の人間を大勢傷付けている。あのままなら問題にさえならなかったようなことを掘り返して、別れたカップルもいるんだぜ? 自覚、どうだ?」

「やめてください」


 声を発したのは私ではなかった。罪の意識に手を震わす私に、そんな声が出せるわけはなかった。

 きっぱりとそう言ったのは、私の肩に手を置いてくれたのは、空乃だった。

 空乃は、私を挟んで向こう側にいる曽布川さんに向かって、普段ゆるゆるとしている口調からは想像できない凛々しい声色で、言い返してくれた。


「あなたがどんなことをしたのかも、咲がどんなことをしたのかも、だいたい話は聞いてます。だけど私は、咲は当然のことをしたと思います。私でもあの状況ならそうしたと思います」

「…………へぇ。でもその話ってのも、そのパッツン女からの話だろう?」

「咲です」

「はいはい咲ちゃん咲ちゃん。んで君は、咲ちゃんが自分に有利なように話しているとは疑わないワケ? 友達に嫌われたくなくて、自分の好みのお話に書き換えたとか、脚色したとか、ちっとも疑わないワケ?」

「……それで言うと、あなたが話を盛っていないっていう証拠もないわけですよね」

「…………………………へえ?」

「あなたの話も咲の話も、それが真実だって証拠はありません。

 それなら私は信じたい方を信じます。咲を信じます」


 舞台が始まる前に泣きそうだった。私はなんていい友達を持ったんだろう。

 曽布川さんは面白そうに喉を鳴らした。

 その反応が本気で癪に障ったらしく、空乃は初めて、私の前で大きく舌打ちした。そして私の手を掴むと、


「咲、席移動しよ」

「そんな邪険にしなくたっていいじゃない。もう少し話そうぜ」

「……咲も私も、もうあなたと話すことなんかありません」

「いいや、お前には……黒部空乃、お前に話があるんだよ」

「えっ?」


 ……曽布川さんの前で、空乃の上の名前を話したことがあっただろうか? いや、仮にあったとしてもだ、何でこのタイミングで、私ではなく空乃と話があるんだ?

 ひひっ、と必要以上に下衆っぽく笑って、曽布川さんは顔を前に戻し、目だけをこちらに向けた。


「同じ中学だったんだぜ、接点があってもおかしくないだろ?」

「……空乃、ホント?」

「あ……うん、髪形も人相も変わってるから全然気付かなかったけど……」

「髪形も人相も、か。……

「は?」

「…………」


 空乃の顔色を窺うと、目が合って、曖昧な苦笑いを返された。

 その直前までの不安そうな顔を見逃すほど、鈍くはないつもりだ。


「……高校デビューってやつかぁ? 」

「咲には自分で言います。だから」

「陰気なヤツが無理して明るいフリして友達作ったってさ、その友達は明るいお前が好きなのであって、本当のお前なんて大嫌いなんだぜ」

「…………」

「欲しいもの全部は手に入らないのさ。お前の中学の友達は、今のお前を気に入らないだろうな。ほら、試しに隣に座ってる大親友に聞いてみろよ。自分が中学校でどんなヤツだったか話して、それでも好きでいてくれるかどう……」


 曽布川さんが気色悪いセリフを最後まで発することはなかった。

 私が立ち上がって彼の前まで行き、ムカつく顔を、靴の裏で踏みつけるような形で蹴ったからである。

 いや、実際には蹴ることはできなかった。ついカッとなって蹴ろうとしてしまったが、良心の呵責とでも言おうか、そんな感じの危機感が、蹴りを寸止めで終わらせた。

 靴の裏が眼前にまで迫っているというのに、曽布川さんは眉一つ動かさず、ニヤッと笑った。


「パンツ見えてるぜ」

「……次に空乃を悪く言ったら寸止めじゃ済まない」

「パンツ見えてるぜ」

「…………空気読め」


 私は上げていた足をすぐに下ろすと、真っ赤になった顔を両手で覆い隠しながら自分の席へ戻った。

 あっはっは、と爆笑する曽布川さんを涙目の横目で睨みつけると、ポン、と空乃に肩を叩かれる。えらく真面目な顔だ。


「何色?」

「…………」


 私は初めて、愛すべき親友の顔にグーパンした。


 ていうか、講堂に入る前見ただろ。



 気が付けば曽布川さんはどこかへ消えていて、その位置には柿坂先輩が座った。その隣に下邨、その隣に渡良瀬先輩。

 空乃は幕が上がる前から欠伸なんかしている。私は太ももを叩いてそれを戒めながら、自分の手元のパンフレットに再度目を通した。


 今回上演される劇の題は『泥棒猫には関係ない』。

 タイトルからおおよそ推測できるだろうが、浮気恋愛モノというか。ちょっと前に流行った昼顔妻だとか、そんな感じの。

 一組の夫婦と、それを取り巻く不倫相手、同僚、友達などとのドタバタを描いた、『不倫喜劇』なのだそうだ。愛憎という重いテーマを、コメディチックに笑いを交えながら表現することがコンセプト。

 さっきの話に出てきていた、仕事中毒の演劇部部長・神賀さんは、主人公の『鶯谷火照うぐいすだに ほてる』を演じるそうだ。いくら浮気男の役名だからって、これはないだろう。

 ……他にもいろいろとツッコミ所のあるパンフレットだが、そろそろ劇が始まるようだ。


 幕の開いていない舞台の上に、眼鏡をかけた制服姿の女子生徒。

 パン、とライトが当てられると、女子生徒は両手でマイクを握りしめて、挨拶と観劇上の注意を述べ始めた。


「本日は、東大正高校演劇部のテスト公演にお集まり頂き、誠にありがとうございます。最初に、いくつか観劇する上でのご注意をさせていただきます。

 上演中は、携帯・スマートフォンの電源はお切りください。また、大声でのお喋りなどもお控えください。そして、前の席を蹴らないようお願いします」


 前後の席はけっこう間隔開いてるんだけど、この距離で前の席を蹴れるってどんな巨人だ。

 スマホの電源を切りながら、脳内でつまらない揚げ足取りをしておいた。


「それではこれより、『泥棒猫には関係ない』上演開始となります。

 ごゆっくりお楽しみくださいませ」


 舞台裏へとはけていく女子生徒に、少ない観客からまばらな拍手が飛ぶ。

 さて、いよいよ上演だ。

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