狼と踊る羊たち
M.M.M
第1話狼の声
蒸気がしゅうしゅうと上がっている。
それと共に何かが回転する音。
そして一定の周期でバチッと火花が上がる音。この音が最も大きい。
近所の家から離れているおかげで苦情こそ来ないが、近くを通った村人は「また錬金術師が奇妙なことをやってるぞ」の視線を彼に与えてくれる。
彼は装置の横に置かれた奇妙な瓶の前へ移動する。長い金属の棒が付属しており、容器の内と外は薄い金属で覆われていた。
蒸気を止めて奇怪な音の数々を終了させると彼は皮手袋をはめて小さな金属片を持ち、瓶の上部へ近づける。
パチッと小さな火花が上がった。
「やっぱり何かあるな」
「何がっすか?」
真後ろから聞こえる声に彼が振り返ると気を失いかけた。目が覚めるような美人は会ったことがあるが、目が潰れるような美人は初めてだった。
「ついにお迎えが来たな」
「へ?」
黒い服をまとった女性は片眉を上げて困惑を表現した。
「天使じゃないのか?」
「は?いや、私はワ……わあああああ!」
女性は慌てて口を手で覆った。
あっぶねー、とその口から漏れる。
「ギャグみたいな失敗を……。あー、気にしないでほしいっす。さて、私はルプスレギナ・ベータという者なんすけど」
ルプスレギナという女はコホンと咳払いをする。
「おめでとうございます、コニール・グリエル。いと尊き御方、アインズ・ウール・ゴウン様はあなたの価値を認めてくださいました」
彼女は真面目な顔になり、武功を上げた騎士を称えるようにぱちぱちと拍手する。
「あなたが今行っている研究にアインズ様は興味がおありなので、その研究を支援したいと考えておられます」
「……はあ」
彼はなんとも言えなかった。
「金属に電気を伝えさせて遠くへ信号を送る……でいいっすよね?」
彼女は軽い口調と軽薄な顔に変わる。
「いや、今は少し違う」
彼は訂正する。
「変な現象が起こってて原因を調べているんだ。空気の間を何かが伝わっていくようなんだけど、その正体を確かめてる。この現象が解明できれば金属どころか空気中に信号を飛ばして情報をやり取りできるかもしれない」
「それって……
ルプスレギナは首をかしげながら訊いた。
「そうだよ」
「ほっほー」
「この凄さがわかるかい?」
「いや、さっぱりわかんないっす。それ、魔法で良くね?」
それを聞いて彼は肩を落とした。
「まあ、内容は置いといて」
ルプスレギナは荷物を脇に置くジェスチャーをする。
「あなたが研究するための道具と金銭を援助しようとアインズ様が言われたんすよ」
「いや、別にいいよ」
彼はそう言うと先ほどの装置をいじり始める。
「……は?ちょっと。聞いてたっすか?」
「僕の支援者になるって話だろう?別に要らないよ」
「えー、何で?領主に支援を求めたんじゃなかったんすか?」
よく知ってるなと彼は思った。確かに一度ここの領主に情報を電気で伝える話をしたが理解してもらえなかった。そして必要な予算を言った瞬間に追い出された。詐欺師の類と思われたのだろう。
「僕は成功したら技術を公表するという前提で領主様に話を持っていたんだ」
それがなくても結果は変わらなかっただろうけど、と彼は心の中で言った。
「そちらの支援の条件は技術を公表しないことだろう?」
そこでルプスレギナという女性は「へえ」という顔になった。
「よくわかるっすね」
「ここの領主は理解こそしてくれなかったけど、民のために尽くしてくれる善人だ。そういう人に技術を渡したい」
そういう人物だからこそ彼は追い出されても怒りや不満など感じなかった。装置を完成させれば理解してくれるはずだと思って研究を続けている。といっても、謎の現象により目標が変わっているのだが。
「良い話っすよ?どんな領主も出せない予算でバックアップしてくれるんすから」
「正直に言うと僕は魔導王をあまり信じていないんだ」
彼がはっきり言うとルプスレギナの表情からすうっと感情が消えた。
「どうしてか聞かせてもらえる?それと、陛下をつけなさい」
その声は奈落の底から響くようだった。
彼は掌に汗を感じる。
「魔導王陛下はどうして王国軍を壊滅させたんだい?」
「あー、あれは自分の領土を守るためっすよ」
またがらりと雰囲気が変わる。
「あなたの領主も誰かが攻めてきたら同じ事をするんじゃないっすか?」
「かもしれないね。でも、今の君を見てますます怖くなったよ。僕はこの話を断ったら行方不明になるんじゃないかい?」
「あれ?なんか勘違いしてないっすか?」
彼女は弱った顔になった。
「それは命令されてないし、アインズ様は人の意志を尊重される御方っすよ」
「じゃあ、僕の家に忍び込んだのは何故?」
ルプスレギナの目が一瞬揺らいだ。
「僕は記憶力が良くてね。昨日、家の道具がほんのわずかに動いてた。君だろう?何を探していたのかな?」
「……正直、ちょっとナメてたっすね」
彼女はそう言うとにやりとした。
「研究ノートでも探してたのかな?記録は全てここだよ」
彼は自分の頭をトントンと叩いた。
「ごめんっす!」
ルプスレギナは両手を合わせて頭を下げた。
彼の知らないジェスチャーだが謝罪の意味なのだろうと思った。
「そこはホント謝るんで機嫌直してほしいっす」
大きな目を瞬かせ、愛らしい顔をして彼女は言った。
「いや、錬金術師って詐欺師も多いじゃないっすか?家の中にもいろんな器具があったら真面目に研究してる証拠だって言われたんす。どうしたら協力してもらえるっすかね?待遇だったら期待していいっすよ。どんな国でも手に入らない最高の……あれ?」
彼女は目の前でうずくまるコニールにやっと気づいた。
「どうしたんすか?」
「いや、いつものやつだ……」
彼は胸を押さえながら言った。
相手は自分の噂は聞いてもこの病については知らなかったらしい。
「……ひょっとしてなんかの病気っすか?」
この時、彼はルプスレギナがどんな顔をしているか見なくてもわかった。相手の最も弱い部分を知った時に人間が抱く暗い湿った感情。それが声に混ざっていたからだ。
しかし、彼もまた苦しみながら少し笑った。ルプスレギナという女性が考えているであろうことは上手くいかないとわかっていたからだ。
「あれ~~~?」
困惑し切った声を出したのはルプスレギナだった。
「本当に良くならないんすか?演技じゃなくて?演技だったら耳を引きちぎるっすよ?」
「本当に治らないんだよ……」
物騒なことを言うルプスレギナに彼は告げた。
彼女は相手を観察する。顔は青白く、呼吸は荒い。汗もかいている。呪文抵抗を行ったとしても自分の魔法がまったく効かないとは考えにくい。
ならば結論は一つだ。
治癒魔法が効いていない。
彼が発作で苦しみ始めてからルプスレギナは病気を治す見返りに魔導国に忠誠を誓うかと持ちかけた。「治せたらね」と彼は応じ、すぐさま治癒の呪文を唱えた。
その結果がこれだった。何も良くならないのだ。
ルプスレギナはとりあえず彼を家のベッドまで運んでやった。部屋には奇妙な装置が無数に置かれており、少し金属のにおいがする。
「この病気は生まれつきなんだ。治癒魔法は生まれつきの体の異常を治せない。そうだろう?」
「あー、そういえばそういうじ……そうっすね」
そういう実験もした、という言葉を彼女は飲み込んだ。
人間の歴史を遡っても生まれつきの病を治せた例はなく、当初は低位の治癒魔法を使うせいかと思っていた。しかし、これはナザリックに幽閉した人間に高位の治癒魔法をかけても同じだった。仮に生まれつき指の一本がうまく動かない人間の腕を切り落とし、そこに新しい腕を魔法で再生させたとしても指の異常はそのままだ。生まれた時からそうあるべく設計されているものは変えられない。寿命を魔法で変えられない事と同じだと人間の神官たちは考えているらしい。
「それって重い病気なんすか?」
「ああ、だんだん悪くなってる。両親より先に逝かずに済んだのはほっとしてるけどね」
彼は少し笑った。
「うーん……」
ルプスレギナは腕を組んでどうするか考え始めた。
そして一つの解決法を思いつく。
「ねえ、吸血鬼になって生きる気はないっすか?」
「いやだよ」
彼は即答した。
「顔だけは満点な吸血鬼がいるんすよ。胸が非常に残念っすけど」
「いや……」
「実は巨乳好きっすか?そこは勘弁してほしいっすね。あっ!知能が低下したら意味ないか。どのくらい知能が残るんだっけ?この話は保留っす!」
勝手に話を進め、勝手に保留にするルプスレギナ。
彼女はその後あれこれと考えた挙句、「対策を練るから死なないように頑張るっすよ」と言い、出て行った。
部屋に残された男は「はあ」とため息を漏らした。
「それは困ったな……」
報告を終えたルプスレギナに対してアインズは言った。
「我々に協力する気がないというのが第一の問題だ。そうか。忍び込んだのがばれたか……」
「申し訳ありません!」
脳内でルプスレギナの謝罪の声が響く。
「お前が謝罪することではない。指示したのは私なのだ」
「強硬手段に出ますか?」
「却下だ」
アインズは即答した。
「可能な限り友好関係を築きたい。それに、話のとおり心臓の病ならそいつは激しい痛みやストレスを受けると死ぬかもしれないだろう?」
「あっ、確かに……」
ルプスレギナは納得した。
「しかし、電線ではなく電波を使った通信をすでに考えているのか。まだ構想の段階とはいえ本当にできたらすごいな」
「アインズ様、その技術はそれほど重要なのでしょうか?」
伝言の魔法と何が違うのか、と彼女は考えているらしい。
アインズはここをしっかり説明する必要があるなと思った。
「よく聞け。まず我々と違って人間の魔術師が使う伝言の魔法は距離が離れると聞き取りにくくなり、信用性も低い。我々にとって大きなアドバンテージの一つだ。そこを克服されるとまずい。ここはわかるか?」
「はい」
「それに、我々自身もその発明があれば非常に便利だ。魔法も巻物も使えない者が緊急時に連絡できないのは正直なところ辛いのだ」
アインズはシャルティアが精神支配を受けた件を思い出していた。あの時の浅慮への後悔は今も消えない。もちろんあの魔法を使用できる者を同行させれば解決するが、その者の強さ、隠密性、機動性などを考慮する必要があって不便だ。その不便さを解消してくれる技術があるなら是非とも入手し、秘匿したい。
「仰せのとおりです。愚かな質問をお許しください」
ルプスレギナは謝罪した。
「錬金術……いや、科学か。私たちでは研究しようがないからな」
アインズは頭が痛くなる。
彼は思う。この世界にも人工衛星や電子機器や核兵器みたいなものが現れれば大きな脅威となる。ルプスレギナとは別の者には火薬がどの程度開発されているかをすでに調べさせているが、幸いにも大砲や銃という発明はまだないようで、それらしい薬品は錬金術師たちの「危険な粉」どまりになっている。鉱山では岩石を軟化させるドルイド系の魔法があるからダイナマイトが必要ないように、この世界では人間の発想が根本的に違うのかもしれない。
しかし、いずれ科学技術が発展するのは確実だ。NPCたちには説明できないが、アインズは科学技術の素晴らしさも恐ろしさもよく知っている。とはいえ、自分が研究することは不可能だった。この世界で自分たちは料理のスキルがなければ料理できないように専門分野の知識は理解することも応用することもできない。人間にやらせるしかないのだ。
「それでは、あの男はとにかくなだめすかして勧誘するという方向でよろしいでしょうか?」
「ああ、金や女に目がくらむようなら金貨の百枚や二百枚は使って構わん。弱みがあるなら徹底的に利用しろ」
「では、もしも……」
彼女は少し言いよどんだ。
「もしもあの男が私に好意を持った場合はどの程度まで致しましょうか?」
「ん?」
アインズは言いたい事を理解するのに少し時間がかかった。
「ああ、そういうことか。何もしなくていい。いや、絶対にするな。しつこいようなら殴っていいぞ」
友達の子供のような存在であるNPCたちにそんな真似をさせたら彼らに合わせる顔がないと思い、アインズは厳命した。
「ありがとうございます!」
ルプスレギナの声には感謝と感動があった。
「さて、第二の問題はその男の病気だ。治癒魔法が効かないか……」
「吸血鬼にするのはまずいでしょうか?」
「うーむ……本人が拒絶してるからな」
知能が劣る下級吸血鬼ではなく普通の吸血鬼にするなら知能は通常レベルのはずだ。しかし、まったく知能が下がらない保証はない。また、忠誠心は絶対なのか。いくつかの要素をアインズは考える。
「やはり却下だ。強制させるのはまずい。とすると……万病を治すという薬草が確かンフィーレアのところにあったな?」
「はい」
ルプスレギナもその事は覚えていた。
「おそらく効かないだろうが、まだ残っているなら試してみろ」
「畏まりました」
アインズはルプスレギナとのつながりが消えると頭を抱えた。
「電波、電磁力……。フレミングの左手の法則だっけ?右手だったか?」
アインズは両手の骨の指を3本立てていろいろ形を変える。
「電気。磁気。あとなんだっけ?あれだけ機械に囲まれて暮らしてたのに仕組みが全然わからん……。オームの法則とかいうのもあったような……」
必死に記憶をひっくり返すが何も出てこないことでアインズは考える。
これはNPCと同じく科学者のような職業を持たないシステム上の問題か。それともプレイヤーである自分が人間だった頃の記憶は例外で、思い出せないのは単に自分が……。
「いや、きっとシステムのせいだな!」
勉強しなかった後悔に浸りたくないためアインズはそういうことにした。
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