さかいでぐらし。

柚木サクラ

さかいでぐらし。

 生まれてこのかた東京以外で生活をしたことはなかった。幼少中高とエスカレーターの私立に通い、大学は都内の私立医大。そのまま大学病院に残り、気付けば30歳手前。そろそろ彼女に指輪を渡そうと思案していたところで医局長に「1年間香川に行ってくれないか」そう言われた。どうして関連病院もない香川なのかという問いをする前に「教授の私的なつながりだ」と言われ、次の言葉が浮かばなかった。半年前の出来事であった。

 4ヶ月後、出発の月曜日。よく晴れた10月の朝。品川駅でのぞみに乗り込むと見送りにきた彼女が手を振ってくれていた。嬉しい限りである。そんな幸せをかみしめていると、早朝5時半に起きたせいもあってか、いつの間にか私は眠っていた。


 車内アナウンスではまもなく新大阪だという。富士山を見逃したと思うといささか残念な気持ちになったが、2時間ほど寝ていたことで気分は晴れやかであった。それから約1時間で岡山についた。ここで瀬戸大橋を渡る電車に乗り換える。快速マリンライナーで40分。瀬戸大橋と瀬戸内の絶景が目に入ってくる。海の上を走っていると、自分が本当にこれから四国に行くのだという実感が湧いてきた。それからほどなくして病院のある坂出駅に着いた。昔は塩田の町としてさかえ、現在は瀬戸大橋の玄関として、そして、工業地帯としてさかえているとのことだった。さかえているといっても、駅をおりたときの寂しさは私のイメージする田舎そのものであった。

 午後から病院に行くと、挨拶回りや申し送りでその日の業務は終わりそのまま歓迎会の流れとなった。病院の寮に着くころには坂出での1日目は終わっていた。2日目から本格的に田舎生活のはじまりだった。


 仕事のほうは今までとさしてかわりはなかったと思う。えらいの意味を勘違いしてえらい目にあったり、病院食のうどんの頻度に驚いたりしたこともあったが、慣れてくれば住めば都というやつであった。

 問題は私生活である。こちらは住んでも都にはならなかった。最初の1週間は問題なかったのだ。自転車で10分圏内にコンビニと牛丼屋とドラックストアがある時点で、最低限の衣食住は24時間に揃うことに気がつき、楽観的に過ごしていた。だが、物心ついたころからコンビニが徒歩1分、駅まで3分、新宿・渋谷に10分のところに住んでいた私である。どうしたって買い物に不便を感じる。手の届くところにモノがない。ひもじささえ感じていた。都会に毒されていると言われればそれまでだが、田舎が車社会であることを実感した。

 そして、飲み屋が少ないこと。これも私を苦しめた。大学の近くでも自宅の近くでも、ふらっと寄れる居酒屋が常にあった。そして、飲んで歩いて帰るにも病院の寮は遠いのだ。私はなるべく飲んだあとは歩いて帰りたい。夜風に吹かれながら、ほろ酔い気分で帰るのが心地良いのだ。ほとんど電灯のない、真っ暗な道路をおっかなびっくり歩くうちに、ほろ酔いすら覚めてしまう。いつもならベッドに倒れこみそのまま寝てしまうところ、ほぼ1ヶ月、毎日彼女に愚痴電話をしながらすごしていた。


 2ヶ月がたった。大いに不満はありつつも徐々に不便な生活にもなれ、彼女への愚痴も2日に1回に減った頃、香川にもどった大学の同期と高松で飲む機会があった。高松には何度か買い物に行っていたが、家電量販店がないことを除けば暮らしやすい街だと思った。とくにアーケードの商店街は悪くないと思った。高松の病院が良かったとも思ったが、考えたところで無駄だとあきらめた。

 入った店は骨付鳥で有名な店であった。骨付鳥とうどんについては、坂出暮らしに飽き飽きしていた私にとっても、認めざるを得ないものだった。骨付鳥の香ばしさ、味の深さ、噛んだ時に溢れ出る旨み。うどんについては麺のコシとのどごし、そして味。麺に味があり、うどんがこんなにもおいしいものだとは思わなかった。香川の人がうどんにこだわる気持ちが分かる気がした。

 久しぶりの友人との酒の席は楽しいものであったが、その気分も坂出駅につくころには冷めていた。寮までの帰り道が大自然というならば、それはそれで良かったのかもしれない。実際は中途半端に開発され、気持ち程度の自然はあるが人工物が多くを占める景色である。そして、人工物はあれど道路は暗い。電灯もきれているところが多々ある。人もほとんど歩いていない。おそらく日本のどこにでもある田舎の光景なのだろう。いつものことながら、まったくこれだから田舎は嫌なのだと思っていた。

何かふとしたきっかけでもあったのだろうか、私は上を見上げた。一瞬言葉を飲み込んだ。頭のなかの坂出への愚痴が止まった。


 星空であった。


 満天の星空というわけではない。それでも、少なくとも東京よりは綺麗な星空がそこにはあった。星々が瞬いていた。冷たい風が顔をかすめ、遠くから踏切の音が聞こえる。自分だけの宇宙にいる錯覚にすらいたる。少しだけここでの生活に良さを見つけられた気がした。この気持ちを表現する術は何かないかと思い、息を切らして家に帰り私は筆をとった。あっという間に文章が出来上がった。


 推敲をしているうちに、気がつけば眠っていたようだ。窓から光が差している。今日も朝日を浴びながら病院へ向かう。あたりを見回しても、まったくもって田舎の景色は代わり映えしない。つまらない景色だ。おそらく、あと10ヶ月は同じ愚痴を言い続けるのだろう。早く東京に帰りたいという気持ちに変わりはない。けれどどうせ帰れない身の上だ。昨日のように坂出の良さを見つけてやろうじゃないか。空を見上げて、そう思った。

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さかいでぐらし。 柚木サクラ @bynobu

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