鶴舞公園の近くに住んで

@sawaccio

第1話

 ポケモンGOで話題になった鶴舞公園の近くに住んでいたことがある。上空から公園を眺めると噴水塔の形がモンスターボールに見えることからゲームの聖地になったという。公園はバラ園や菖蒲池もあって広く、散歩によい。

 当時は留年の危機に悩んでいた。どうしたものかと唸りながら公園を散歩したことを思い出す。歩けども歩けども単位は増えず、甲斐なく留年した。


 住んでいたのはヒビ割れたコンクリートが古さを醸す3階建てのマンション。間取りは五畳と三畳の1K。エアコン無し。コンクリ造りの因果によって最上階の角部屋は寒暖がひどく、夏は体温計の水銀が勝手に40℃までのぼり、冬は電気ヒーターの前方5cmまで暖かかった。

 ある夏の日、押入れの襖を開けると、蝿が一匹。こんなところで涼んでいるのかと思い、手で払ったが逃げない。息絶えていた。どうやら涼んでいたのではなく、襖が閉まって逃げられなかったようだ。自分も熱死しないか不安になった。


 マンションは都市高速の立体道路とJRの高架線に挟まれた場所に建ち、相当に騒がしかった記憶がある。昼は駅付近の喧騒がやまず、夜は夜でアスファルトを擦るタイヤのノイズや貨物列車のレール音が寝床まで届く。

 殺伐とした繁華街での暮らしに浸っていたこともあって、騒音をどこか心地良く感じていた。目と鼻の先の民家で発砲事件があったり、道路に大きい骨っぽい何かが落ちていたりもしたが、不思議と街へのネガティブな感情がない。身の上には何事もなかったからだろう。


 一駅先の距離にある街は、もう少し殺伐としていた。その場所には場外馬券場がある。一時期、毎週なけなしの金を握りしめては勝負に出かけた。小心者ゆえに収支表をつけており、2年ほど明け暮れた勝ち負けのトータルはプラマイゼロ円。最後は勝って終わったので、その偶然に驚きもした。結局、レースの度に買った競馬専門紙代の410円ずつ損していたことになる。


 なぜ競馬にあれだけ熱狂していたのか、振り返って考えてみると不思議だ。ギャンブルは趣味でない。いま住んでいる京都は淀に競馬場がある。通えないこともないが、これまで誘いがあって2〜3回足を運んだくらいだ。馬も世代交代して、名前もほとんどわからない。

 

 住んでいた街の雰囲気と場外馬券場の雰囲気は、記憶の中でひとつだ。家を出てJRの高架線沿いに自転車を漕ぎ、胡散臭いビル群を通り、駅からゾロゾロ続く灰色の集団の波に混じってJRAのビルへ。その日曜の午後をピークとした雑然たる光景は、そのときの閉塞した心情とあいまって鈍い光を放っている。


 あの街の雰囲気が自分を競馬に向かわせたのかもしれない、と書いたら話をまとめるようで嘘っぽい。しかし芯のない自分が、あの街の雰囲気に影響されなかったはずもない。

 

 今後また住みたいかと問われたら、たぶん選ばないだろう。でも、ずっと前に止めた煙草の味のように、ときどきフラッシュバックして心を疼かせる。

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