御徒町の日々

高麗楼*鶏林書笈

第1話

 月曜日、朝、目が覚めた時、わくわくする人は、そうそういないであろう。勤め人も学生も、皆これから始まる新たな一週間にうんざりしながら通勤・通学路を急ぐ。私もそうした一人である、但し2006年からの数年間を除いては。


 2006年から数年間、縁あって御徒町にある職場で働くことになった。それまで近くにコンビニや本屋程度しかない地味な町の職場で働いていた私にとって御徒町は全ての面で新鮮であり、興味深く感じられた。

 朝、駅に降りて職場に到着するまでの道中は、これまでと大して変わらない風景である。多くの老若男女が目的地に向かって足早に歩いて行く。中には駆け出している人もいる。長い間、見慣れた光景である。

 しかし、昼休みになり外に出るとそこは縁日のような賑わいである。朝は眠ったようなシャッター通りが店を開け、様々な品物が並び、音楽やアナウンスが盛んに流れてくる。松坂屋デパート、吉池スーパー、多慶屋スーパー等々の大型店舗、アメ横に密集する雑多な小さな店……。それまでは休日にしか訪れることのなかった世界に、ほぼ毎日接するようになったのである。

 今日はどこへ買いに行こうか。金銭に余裕のある時は松坂屋、安く済ませたい時は多慶屋、ご飯が食べたい時は吉池、ファストフード店もコンビニもあるので色々選べる。

 昼休みには時々‘ショッピング’をすることもあった。この時、一番楽しかった場所が御徒町駅前の松坂屋だ。今は改装中だが、私が勤務していた頃は本館と南館に分かれていた。この二館を合わせても池袋の西武や東武、新宿の伊勢丹や高島屋と比べればかなり狭い。でも、この狭さが‘使い勝手’がよいのである。昼休みという限られた時間内に効率的(?!)に買物が出来るからだ。新宿や池袋のデパートほど多くの商品は無いけれど、少数精鋭ではないけれどデザインや価格等、自分が好みのものは購入できた。食品売り場には1週間交替で様々な出張販売が行なわれていた。ベーカリー、おにぎり専門店、和洋菓子等々、いながらにして名店の味を楽しむことが出来た。こうしたお店の中で心に残っているのは福島の和菓子店。本格的な美味しい和菓子を安価で販売していたのだが、東北の震災以後は来なかった。被害を受けたのか、従業員の方々は無事だったのか、お店は再開したのか、それとも廃業してしまったのか気掛かりである。


「東京地方の桜の見頃は、今週いっぱいでしょう……」

 テレビから流れるアナウンスを聞いて今日は上野公園に行くことにした。天気もよく“お花見日和”である。

 中央通りを上野駅方面に向かって歩いて行くと、すぐに公園の入り口に辿り着く。満開の桜並木が出迎えてくれた。不忍池に沿って植えられている桜を見ながら弁天堂へと歩みを移す。お堂に着くと、この一ヶ月の無事を感謝し、今後の安寧を祈願する。

 その後は、再び池に沿って植えられた桜を鑑賞する。柳の木もその間に植えられていて緑と桜色のコントラストが本格的に春になったことを示しているようである。以前読んだ本の中に、日本統治時代、日本に留学した朝鮮の文化人が不忍池の畔を散策したという記述があったが、彼もこの風景を見たのだろうかなどということを思いながら、いつの間にか公園の外に出た。

 その後は、アメ横商店街に行き徳大寺にも参拝する。商店の間にお寺さんがある風景に初めは不思議に感じられたが、時が経つにつれて自分の中に馴染んでいった。亥の日には法要が行なわれるのだが、読経の声がアメ横の賑わいと調和するのが何とも面白かった。

 上野公園は桜が有名だが、蓮の花の季節も捨て難い。青々とした大きな葉に埋め尽くされた不忍池の所々に見られる薄桃色の花は爽やかさな印象を与えるのである。ただ、あまり近くで見るのは興ざめである。葉の中にゴミが入っていることがあるためだ。世の中には不届き者がいるのである。

 紅葉の季節は言うまでもないが、真冬の不忍池もある意味趣き深い。花も葉も枯れて茶色い茎だけが残っている風景は寒々としていかにも冬らしい。雪があれば完璧といえるのではないだろうか。この時も池を覗き見ることはお勧めできない。意外とゴミが多いのである。しかし、東京オリンピックを控えた今は違った状況になっているかもしれない。


 他にも湯島天神、神田明神、秋葉原の商店街等々、付近にある名所にはたいてい足を運んだ。そして、御徒町駅周辺の宝石店街やアメ横の様々な店も見て廻った。さまざまなイベントも見物した御徒町勤務の日々は、毎日、お祭りのようだった。どれも些細なものであったが、それでも月曜日の朝は、今週は何があるのだろうかとワクワクしながら会社に向かったものだった。そして勤務が終わり、御徒町駅の向こうに聳えるスカイツリーを眺めながら満ち足りた思いで駅へと急ぐ。こうした日々が続くことをいつも祈っていた。この願いは結局叶わなかった。しかし、御徒町勤務の日々は自分の人生にとって「幸福な時代」であり、こうした時期を過ごすことが出来たことを今も有り難く思っている。



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御徒町の日々 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu

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