第44話 ベルゼブブ田中
ベルゼブブ田中、本名田中健介は、小柄で痩せ型のみるからにひ弱な少年である。
彼の一家は両親共元オリンピック選手で、その血を引く健介には過剰な期待がかけられていた。
しかし、彼は絶望的なまでに運動のセンスがなかった。
「キミには運動神経がないねぇ。優秀なご両親の遺伝子ははどこにいったのかな?」
陸上で凡人以下の記録しか出せなかったとき、コーチに言われた言葉である。
そんな健介は、おなじ陸上部である日岡里子に常に馬鹿にされていた。
「あんたみたいなもやし男が生まれて、親御さんたちもさぞ悲しんでいるでしょうね。まあ、金メダルの夢は私がかなえてあげるから、あんたはひっこんでいなさい」
そういってからかわれ、心を病んだ健介は、今まで頑張って努力していた陸上をやめてしまった。
「なんでスポーツを辞めるんだ。この根性なし!」
親からもそういわれてくすぶっていた健介を救ったのが、正志によるソウルウイルス注入である。
「なんだ……簡単に身体強化できたぞ。今まで頑張って体を動かして鍛えてきたのは、一体なんだったんだ」
魔人類に進化して、繭から出た健介はそう思う。普通の人間は体を鍛えるには動かして外部から負荷をかけなければ身体強化できないが、魔人類は体内の自律神経プログラムを自由に操作できるので、内部からいくらでも強化できる。生まれ変わった健介の身体は、外見はひ弱なようでも中身はオリンピック選手並みの身体強化を果たしていた。
「さて、俺の女はどんなタイプにするかな……」
じっくりと考えて、自分の好みのタイプの女がいそうな場所に行く。
そこは、全国高校陸上総体の大会が行われている競技場だった。
「おっ。結構かわいい子がいるじゃないか」
すらりとした姿の陸上女子たちを見て、健介の鼻の下が伸びる。しかし、その中の1人を見たとき、健介の眉間にしわが寄った。
「…里子の奴も来ているのか」
その中の1人、カモシカのようにスレンターな体を伸ばして、周囲から注目を集めているのは、紛れもなく「高人類(タカビー)」の1人である日岡里子だった。
「あいつがいるなら、ソウルウイルスが消されてしまうかもしれないな。さて、どうするか」
しばらく考え込むが、決心する。
「大破滅までもう時間がない。良い機会かもしれないな。長年馬鹿にされていた仕返しをするか」
そう決心すると、里子が競技のトラックに立った瞬間を狙って乱入することにした。
「位置について、よーい!」
体にぴったりと密着しているセパレートユニフォーム姿の陸自用女子たちが、一斉に身をかがめる。
「始……えっ?」
審判が銃を鳴らそうとした瞬間、硬直した。
(あれっ?いつ合図が鳴るの?)
クラウチングスタートで合図を待っていた里子だったが、いきなり後ろから尻に激痛が走る。
「いたっ!」
「よーし。尻子玉ゲットだぜ!」
振り向いた里子が見たものは、カンチョ―の恰好でしゃがみこんでいる健介だった。
「あ、あんた……なにすんのよ!」
尻の激痛で、何が起こったのかもわからずに、里子は怒鳴りつける。
健介の合わさった両人差し指の先には、白い聖なる光が輝いていた。
「くくく。お前が神から授かったパワーは、七つのチャクラの一つ、肛門にあるムーダーラーダチャクラに宿っているんだ。今、俺はそれを奪うことができた。これでこれでお前はしばらくの間、「高人類(タカビー)」に変身できない」
健介はしてやったりと両手を天に突きあげる。聖なる光は溶けるように消えていった。
「あんた……健介!」
呆然としていた里子は、不埒な行為をした男が元陸上部のヘタレ男であることに気づく。
「どういうことなの?あんたは弓に倒されたはず」
「はっはっは。甘い甘い。俺は今ここに復活した。地獄から来た悪魔は永遠に不滅なのさ」
健介は高笑いしながら魔鎧をまとい、ベルゼブブ田中の姿になった。
「か、体が動かない」
「いや!誰か助けて!」
いきなり体が動かなくなった女子陸上部員たちを、健介は舐めるような視線でじっくりと見る。
「女子スポーツ選手かぁ。体力がある女も新世界には必要なんだよな。キミたちは俺のハーレムにいれてあげよう。ぐふふ」
「いやっ!」
勝手なことを言う健介に、選手たちはとうとう泣き出してしまった。
「あ、あんた、なんでこんなことするのよ。皆を解放しなさい」
一人だけソウルウイルスが効かず体を自由に動かせる里子が、怒り心頭に発して健介に食って掛かる。
しかし、健介は冷たく笑って里子をあしらった。
「ことわる。彼女たちには俺の子供を産ませるんだからな」
「ひいっ」
健介のおぞましい発言に、女子選手たちは震えあがってしまった。
「ふざけるのはやめなさい。彼女たちを解放しないと……」
「しないと、どうなるんだ?いっておくけど彼女たちの身体はすでに俺の支配下にあるぜ。『全員、右腕をあげろ』」
健介が命令を下すと同時に、選手たちの右手が本人の意思に関わらず上がる。
「ごらんのとおりだ。もし俺に手をだしたら……自殺させられるかもな」
「くっ。人質をとるなんて卑怯よ!」
地団駄を踏んで悔しがる里子を、健介はさらにからかった。
「卑怯で結構キッコーマン醤油。どうせ俺は悪魔だしな。ほらほら。目の前に悪がいるぞ。正義の味方のお前がなんとかしないと」
完全に開き直る健介を前に、里子は悔しそうに睨みつけるが、『高人類(タカビー)』に変身できない今の彼女は無力である。
それでも気力を振り絞って、健介に勝負を持ちかけた。
「勝負しなさい!私が勝ったら、彼女たちを解放するのよ!」
「……いいだろう。望む所だ。今までの借りを返してやろう」
健介は魔鎧を脱ぎ、雑魚キャラのような全身黒タイツ姿になるのだった
全身黒タイツ姿の健介と、セパレートユニフォーム姿の里子がスタート地点に並ぶ。
「ぷっ。何よその恰好。ダサくてあんたにお似合いだわ」
「恰好で速さが決まるものじゃないだろう。それを言うならお前の恰好のほうがへそ丸出しでエロイな。会場のおっさんたちにサービスでもしてんのか?」
あっさり言い返されて、里子は憮然となる。里子のあおりに反応していた以前と違い、今の健介は精神面でもタフになっていた。
「位置について……用意」
審判の号令で、里子はクラウチングスタートの体制をとる。それに対して、健介は悠然と立ったままだった。
(何よ。基本の態勢も知らないの)
心の中で嘲笑いながら、里子は力を貯める。
「はじめ!」
その号令で、里子は矢のように走り出した。
(いけるわ。最高のスタートを切れた。もやしの健介なんか、置き去りよ)
そう思っていると、視線の端に黒い影のようなものが見えた。
それはあっという間に里子を追い抜き、凄いスピードで走り去っていく。
(健介?)
その背中は、今までさんざん遅いと馬鹿にしていた健介のものだった。
「ゴール!え?タイムは……えっ?五秒69」
100メートル先のゴールでタイムを計っていた審判は驚愕する。それは世界記録をはるかに超えるタイムだった。
「五秒切れなかったか。まだまだ俺も修行が足りないな」
世界記録をあっさり塗り替えた健介は、息も切らさずにそんなことを言い放った。
「そんな……なんであんたごときに……」
圧倒的な差をみせつけられて、里子はショックを受ける。
「インチキだわ!」
「なら、どんなインチキを使ったのか証明してみろ」
そう言われて、里子は悔しそうに唇をかむ。
「くっ……私はあんたなんかと違って、ずっと努力してきた。それなのに、負けるなんて認められない」
そんな彼女を、健介は憐れむような眼でみていた。
「当然だろう。俺たち魔人類は人間のバージョンアップ版だ。頭だけじゃなくて肉体も強化されている。頭のいいサルがどんなに頑張っても人間の幼児にもかなわないように、人間の努力や鍛錬、あるいは才能など俺たち魔人類の前では無意味なのさ」
人間の走る速さはストライド(一歩の距離)×ピッチ(回転数)で決まるといわれている。
世界最速の男といわれるウサイン・ボルトの場合は1歩のストライドは最大で約3メートル、1秒当たりの最大ピッチは4.7歩と言われているが、魔人類に進化した啓介の場合はストライドが4メートル、ピッチが五歩に達していた。
100メートルが五秒台で走破できるわけである。
「ぐへへへへへへへ。という訳で、勝ったからには、こいつらは連れていくぜ」
健介が合図すると、陸上女子たちの足が勝手に動き出す。
「いやぁ。助けて!」
健介に連れていかれる女子たちの叫び声にも、里子は虚しく無言で立ち尽くして、のしかかる敗北感に耐えていた。
「ああ、もう会うこともないだろうが、最後に言っておこう」
会場から出る寸前、健介は振り返って里子に告げる。
「お前たち『高人類(タカビー)』だけは、何があっても俺たちは救わない。お前たちはいずれ、人類の期待を裏切り、大破滅を止められなかった無能として、周囲から石を投げられ、みじめに死んでいくんだ。あーーーっはっはっは」
不気味な予言を残し、健介は去っていく。
ただ見守ることしかできなかった周囲の人間は、正義の味方が悪の雑魚キャラに負けた有様をみて、絶望を感じるのだった。
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