ep24/25「魔神、咆哮」
獲物を見つけた猛禽類さながらに、エルンダーグは施設めがけて急降下していく。
その間にも、エルンダーグの紅い全身からは閃光が噴き出していった。絶え間なく放たれる数万本のレーザーは、蛇のようにのた打ち回る炎で地上を舐めていく。周囲360度、一斉に誘爆の炎を噴き上げる基地施設は、たった数秒のレーザー照射で壊滅に追いやられていた。
魔神が目指すは、地上に建造物らしいものも見当たらない平坦な施設。四方を山に覆われた谷底の中に、厚さ何十mとも知れないコンクリート壁で固められた地形が見えて来る。
枯れたダムの底を思わせる立地も相まって、それは大規模な墓地に見えなくも無い。何かを封じ込めるための石棺、施設自体がそういう造りになっているのだ。
鼓膜を叩き付ける鋭い電子音。敵襲を告げる警告音に神経を尖らせつつ、春季はフットペダルを徐々に戻していく。
「こんなところにまで……っ!」
降下を始めたエルンダーグの眼下では、数十機の灰天使が蠢いていた。
量産型
いずれにしても排除しなければならない敵を前に、エルンダーグは武装を抜く。機体ほどもある鉄柱を握ると、機体は眼下の山地に向けて突っ込んでいった。
量産型
数万tに達する重量物を受け止め切れず、平穏だった山地は爆発したかのように吹き飛ぶ。衝撃で叩き折られた木々と土煙が、高さ100m以上に亘って立ち上っていく。鉄塔のように生え立つパイルバンカーで敵を地面に縫い留めたまま、エルンダーグはその薄い土煙から頭をのぞかせていた。
残る敵は30機近く、地を揺らしながら向かってくる機体も少なくない。
魔神もまた、敵に応えるように走り出す。相応の樹高を誇る針葉樹林でさえ、エルンダーグの前では足元を飾る芝でしかない。深々と突き刺さっていたパイルバンカーを引きずり出しながら、魔神は次なる標的へ脚を踏み出していった。
地面に叩き付けられた一歩一歩が、
地に足をつけたエルンダーグが、易々と音速を引き離す勢いで豪腕をふるう。腕に真っ白いヴェイパーコーンを纏わりつかせながら、超音速で叩き付けられた数百tの鉄拳。豪腕が装甲を打ち据える衝撃波だけで、足元にあった木々は木片チップと化して砕けて行った。
瞬時に拡散していく衝撃波が機体を揺さぶるも、エルンダーグは止まらない。振るう拳で大気を叩き割り、衝角めいた鋼爪で敵機を切り裂き、鋼鉄の悲鳴を轟かせながら地上にいた敵を数秒ごとに打ち倒していく。
エルンダーグは地上で暴れる修羅となって、量産型
「地面にいるやつは、これで……!」
エルンダーグが腕を引き抜くと、胸部に大穴を穿たれた灰天使が膝から崩れ落ちる。音よりも速く倒れ込んでいく残骸は、地響きと共に森林を叩き潰していた。
だが、敵はまだ半分以上も残っている。
山地に転がる残骸が5機を数えた頃には、エルンダーグに向けて次々に徹甲弾が落着し始めていた。
上空に佇む20機以上の
次々に刈り取られていく針葉樹林、叩き割られていく地盤。マッハ50もの鉄塊に砕かれた岩塊は、土砂の噴水と化して高々と打ち上げられていった。
エルンダーグを追い立てるように、森林は次々に土砂を散らして吹き飛んでいく。
隕石爆撃のような砲撃の嵐。20機以上の敵から撃ち下ろされる徹甲弾の雨を、エルンダーグは地面に張り付くようなホバー機動で躱してみせる。
絶え間ない爆発で生えていく土柱を背に、反撃に転じるエルンダーグはブリッツバスターを構えていた。
「
マッハ50以上で大気を突き破る徹甲弾は、超高熱プラズマを纏う光線と化して飛翔。避け損なった量産型
灰天使は大穴から煙を噴き出し、高度数百mから落下し始めた。
人の背丈など優に超える数tもの破片は、雨あられと森林に降り注ぎ始める。家一軒ほどもある鉄塊が落着すれば、爆発のような勢いで土砂が巻き上げられていく。大小の穴で山地を抉っていく破片の数々に混じって、数千tものブレードまでもが岩盤に突き刺さっていた。
操縦桿を握る春季は、近くに落ちて来た得物を見逃さない。
エルンダーグは超音速で低空を這いながら、敵よりも早く接近。突き刺さっていたブレードを拾い上げると、全長80m以上の豪腕をしならせながら投げ上げた。一気に超音速に達したブレードは衝撃波を纏い、数千tもの重量で灰天使の胸部を貫き通す。
エルンダーグは強靭な両脚で地面を吹き飛ばすと、次なる敵へと襲い掛かっていった。
空中には飛行機雲のような光跡が描かれて行き、遅れて届く衝撃波が木々を吹き飛ばす。鋭角的な機動で繰り広げられるドッグファイトは、瞬きする間にほぼ一方的な狩りへ。空中から叩き落されていく量産型
「落ちろよ……ッ!」
見渡す限り最後の1機となった敵を前に、魔神は骨翼を広げて急速接近。
空中の敵へ飛び掛かっていったエルンダーグは、両手で振りかぶった鉄柱を思い切り振り下ろす。全長150mもの鉄柱から繰り出された、上段からの痛烈な
ようやく辺りの量産型
眼下に見えるのは、山火事で燃え盛る森林と口を開けたクレーターの数々。葬り去った敵の残骸は数十機分に上り、瀕死で痙攣する機体もちらほら見える。
しかし、その中で徐々に開いていく鉄扉を見つけると、エルンダーグは空中で静かに向き直る。魔神が縦6本の眼で冷たく見下ろすのは、山間に隠された偽装砲台。その直後、エルンダーグの全身からはレーザーの閃光が膨れ上がった。
周辺の森林に偽装されていた大口径
その直後に、偽装砲台は炎を上げて吹き飛ぶ。地平線の彼方までぽつぽつと点在する炎の中に、また一つ新たな誘爆跡が加えられていた。
付近数百kmにある基地は、もはや完全に壊滅状態だ。エルンダーグはいよいよ高度を下げ始めると、今度こそ冬菜が捕らわれている施設への接近を始める。
――――でも、何かがおかしい。
エルンダーグが地上に落とす影は、どうにも妙だった。あまりに鋭く切り取られた影は、まるで背後からスポットライトを当てられているかのよう。春季は嫌な予感を抑え切れないまま、機体の広域レーダーを注視する。
量産型
「うそ、だろ……」
春季の背には冷たい汗が滑り落ち、締め付けられた臓腑は戦慄に凍り付く。
何も無かったはずの蒼穹には、赤々と燃え滾る巨大物体が浮かんでいた。見掛けの大きさは月をも超え、太陽よりも鮮烈な光が地上に不自然な影を呼び込んでいる。
それはまさしく最終兵器。
巨大なレールガンシステムで撃ち下ろされた数百万tもの鉄塊が、空に輝く赤い星となって迫って来る。たった一枚のブレードで火星全土を揺るがした、あのアローヘッドが頭上へと落ちて来るようなものだった。
「こんなものが落ちてきたら……差し違えるつもりなのか」
それは未知なる敵への恐怖から産み落とされた、あまりにも歪な覚悟の結晶。
人類は道連れの覚悟で、
春季はそうまでする覚悟にゾッとするものの、殺意の鋭さに決意を固める。
地表へ降り立ったエルンダーグは、両足で地面を踏み締めながらブリッツバスターを展開。畳まれていた砲身は一直線に伸びて行き、野球場ほどの面積を薙ぎ払いながら破砕投射形態へと変形していた。
全長150mもの無骨な砲身は、魔神の手で真っ直ぐに天へと向けられる。
50階建てビルに匹敵する長砲身は、数kmに亘る影を伸ばしながらそびえ立っていた。莫大な電力を溜め込み始めた砲身は、熱を帯びてうっすらと揺らめき始める。
もし避ければ、冬菜のいる施設まで巻き込まれるかもしれない。
避けることは出来ない。ならば、進路を逸らすまでだ。
隕石をも遥かに超える速度で落下して来る
2発、3発と、音速の50倍以上という高速で徹甲弾が駆け上がっていく。
隕石衝突にも匹敵する運動エネルギーを抱えながら、徹甲弾は
だが、想定より遥かに矢じりが重いのか、軌道は殆ど変わらない。
「くそ……ッ!」
更にそこへ、量産型
少なくとも瀕死の状態にまで追い込んでいたはずの灰天使が、最期の力を振り絞って襲い掛かって来る。ある機体は四肢を千切られ、ある機体は腹部に大穴をあけられ、それでも向かってくる姿はさながら幽鬼の行進だ。
執念を滲ませて喰らい付く灰天使たちは、次々にエルンダーグへと掴みかかって来た。
量産型
「く……っ」
装甲越しに感じられる壮絶な決意、執念が春季の額に汗を滲ませる。しかし、その胸に宿る想いはぶれない。量産型
――――もうこれしかない。
春季は躊躇することもなく、
推進系、駆動系、循環系……機体のありとあらゆる系統に回すべき電力をカットし、対消滅エンジンから絞り出した出力を全てレールガンに注ぎ込んでいく。反動制御用の重力制御システムすら落としてしまえば、もうパイロットの生命など保障されるはずもない。
それでも、構わなかった。
異常過熱で一気に白熱し始める砲身にも構わず、春季はモニター越しに照準を固定させていた。目標捕捉、609.6mm徹甲弾装填済み。トリガーボタンに指が乗せられる。
魔神よ、力を貸せ。
魔神よ、応えてみせろ。
これが、冬菜を救うための一撃なら――――。
「これで、撃ち抜けエエェェ……ッ!」
エルンダーグから収束レーザーが放たれた直後、真空と化した射線に光が走る。
半径数十kmの何もかもを逆光に呑むような光の爆発、灼熱で爆裂する砲身。強烈な衝撃波がエルンダーグの周囲でパッと弾け、取り付いていた灰天使たちを一瞬で残骸に変える。
砕けた山の残骸までもが上空へと巻き上げられると、天地がひっくり返ったような激震は辺り一帯の地形を書き換えて行った。
たった2t足らずの弾頭が発射されただけで、地が揺さぶられる。
150mの砲身を走り切った徹甲弾は、激震の内にブリッツバスターから発射され終えていた。
魔神が、全てを振り絞ってまで放った一撃。
砲弾が進むだけで数十万℃にも加熱された大気が光を放ち、鮮烈な光の柱となった徹甲弾は、1秒とかからずに宇宙空間へと脱出。軌道上から撃ち下ろされた
その瞬間、昼間の空を覆い尽くす程の流星群の花が咲く。
あまりに美しい破滅を告げる光景は、幻想的な光で一面をぼんやりと照らし出していた。
「あ、グ……ッ」
反動を軽減できなかったコックピットの内部は、血飛沫にまみれて酷い有様になっていた。春季は息も絶え絶えに胸を上下させ、突き刺さった骨の感触に吐き気を刺激される。皮膚一枚隔てた下には、骨交じりのゼリーが詰まっていると言っても過言ではない程だ。
普通なら即死してもおかしくない身体は、しかし、人ならざる生命力で命を繋いでいた。
執念だけで動かしていく身体は、もはや骨折していない箇所の方が珍しい。指一本動かそうとするだけで、鉄杭を突き刺されたかのように全身が痛む。それでも、春季は操縦桿に込める力を強めて行った。
――――寝るにはまだ早い。
天から降り注ぐ流星群を目にした彼は、満身創痍のエルンダーグに電力を叩き込んでいく。猛然と再生を始める自らの身体にも、無形の鞭を叩き込む。
「これで終わりじゃ、ないだろ……」
もう迷いはしない。
「まだ、立てるだろ……!」
もう諦めはしない。
ここで立ち上がらなければ冬菜が巻き込まれるのだ。助けるために立ち上がってくれ。そう込めた願いに応えるように、魔神は息を吹き返したジェネレーターの鼓動を伝えて来る。
反動で左腕を吹き飛ばされたエルンダーグが、意思を宿したかのように業火の中で立ち上がっていく。ゆっくりと、それでもしっかりと。
かつては絶望を囁きかけて来た声さえ、もう聞こえる事は無い。
春季が歯を食い縛って吐き出す思いは、魔神に語り掛けるように響いていく。
「僕は弱かったから……一旦は、諦めようとして」
空から降って来る隕石爆撃から冬菜を守る為にこそ、魔神は立ち上がる。
たとえ血を吐こうとも、全身に込めた力は緩めない。
「それでも諦められなかったから……フユを絶対に、助けるんだって……!」
ただ、それだけの為に戦ってきた。
これまでの戦いも苦しみも全て、冬菜を助ける為と思えば耐えられた。
これまで流してきた血に比べれば、今さらこんなものでは止まれない。地獄のような日々の過酷さに比べれば、この程度はまだ生ぬるい。冬菜を縛る呪いに抗う為に、魔神は雷鳴のような雄叫びを上げていた。
一瞬たりとも忘れた事のない彼女が、すぐそこにいる。
数億光年の彼方から焦がれていたその手が、見える場所にある。
冬菜が待ってくれている、立ち上がる理由はただそれだけで良かった。
降り注ぐ隕石爆撃から冬菜を守るために、魔神は翼を広げて浮き上がる。エルンダーグは上空で片腕を広げると、降り掛かって来る破片に身を晒そうとしていた。
いつしか、幻想的な流星群は隕石の雨に変わり、次々に地上へマッハ20以上の速度で叩き付けられ始める。地平の彼方からやって来る衝撃波が山地を抉り、見渡す限りの景色が炎に呑まれていく。
本能的な恐怖に肌を粟立たせながらも、春季は衝撃に備えて全身を強張らせていた。
絶対に退かない。その覚悟が魔神を踏みとどまらせる。
「今度こそ……守って、みせるから!」
そして、とうとうエルンダーグにも隕石が突き刺さり始めた。
想像を絶する衝撃が機体を揺さぶっていくと、上下も分からなくなるほどの激震が機体を軋ませる。紅い装甲には次々に隕石が突き刺さり、砕き割られ、猟銃に撃たれた鳥よりも酷い有様となって装甲を剝がれていった。
エルンダーグに逸らされていく破片群は、至るところに着弾。膨大な運動エネルギーで辺りを吹き飛ばしては、高熱に燻るクレーターを作り出していく。
誓いを抱くエルンダーグは、それでもその場を退こうとはしなかった。
数百、数千、もはや数えきれないほどの隕石爆撃が終わった後には、蒸発した岩石ガスと炎に揺らめく大地。そして全身に傷を刻んでもなお、その場から離れようとしないエルンダーグの姿があった。
魔神が身を挺して庇い抜いた部分だけが、爆撃を免れて残っていた。
隕石爆撃が終わった後も、エルンダーグは石像と化したように動かない。しかし、何の前触れもなく、硬直は解けていった。数多の隕石に抉られた身体が唐突に軋んだかと思うと、虚勢が解けたエルンダーグは地面へと叩き付けられる。
ほとんど瀕死の状態で片膝をついたエルンダーグは、ボロボロの骨翼を広げて立ち上がろうとしていた。かつての
もし、その山のような巨躯を見上げる者がいたなら、魔神から醸し出される凄みに震え上がっていた事だろう。
かつて愛する者の為に全てを捧げ、怪物と化してもなお幼馴染に寄り添い続けた一人の少年、遥かなる過去に生きていたもう一人の春季。彼は絶望に呑まれても、何度でも立ち上がっていた。
ここで倒れては笑われる、とでも言いたげにエルンダーグは脚を踏み出していく。強烈な炎光の影となった姿は逆光に沈み、
「今、行くから……っ!」
冬菜と、生きたい。
冬菜に、また笑って欲しい。
ちっぽけな願いこそが、魔神を駆動させる炎となって燃え滾る。
その思いに全身を震い立たせる魔神が、猛火の中で立ち上がる。たとえどんなに惨めでも、格好悪くても構わない。これは呪いに抗うための一歩、救うための一歩なのだ。
確実に冬菜の元へと歩み寄っていく魔神は、幽鬼さながらの凄まじい姿となってもなお進み続ける。焼けた荒野に響き渡る足音、数万tもの大質量物体が地面に脚を踏み出していく衝撃は、小山がそのまま歩き出しているかのようだった。
そして遂に、満身創痍のエルンダーグは石棺へと辿り着いていた。
傷だらけの紅い巨体は、地面から露出させられた鉄壁の前で跪く。そして、動作の中に慎重さを滲ませつつも、その分厚い壁に右手を突き立てていた。
金属を裂く悲鳴のような音、硬々度の爪と擦れた構造物との間で咲き散る火花。エルンダーグは右腕を突き入れたところから、更に亀裂を抉じ開けていく、
恐るべきトルクで裂き広げられていった隙間からは、屋内処刑場の光景がのぞく。
処刑場のほぼ中央に据え付けられている十字架。そこに縛り付けられている一人の少女の姿を見た時、春季は視界が滲むのを止められなかった。
命に代えても守りたかった少女。
かけがえのないたった一人の幼馴染。
もう二度と会えないとさえ思った彼女が、そこにいる。生きてくれている。
だから、きっと、言うべき事は一つだった。
「……フユ、迎えに来たよ」
おぞましい姿を晒しながらも、魔神の手はどこまでも優しい手付きで地面を抉り取る。家を建てられる程に広い掌の上では、冬菜が十字架ごと掬いあげられようとしていた。
その穏やかな動作の余波で、脆くも崩れ去っていく天井、押しつぶされていく屋内処刑場。崩れていく施設の中には、車椅子に収まる1人の老人が紛れ込んでいた。全身をわなわなと震わせるほどの感動に呑まれている男の名は、凱藤博士。
凱藤に付き従う黒服たちは、狼狽しつつも車いすを囲んでいる。その内の一人が抜いた拳銃は、エルンダーグの掌に掬われていく冬菜へと向けられていた。
額に汗を滲ませる男が構える拳銃、トリガーに乗せられた指が強張る。直後、乾いた一発の銃声が響き渡っていた。
脳漿を散らして倒れたのは、拳銃を構えていた黒服の男。
手にした拳銃から硝煙をたなびかせる凱藤は、視線も向けずに撃ち殺した黒服を車いすで踏みつける。その老いさらばえた脳髄は、ただひたすらに帰還を待ち続けていた魔神へと注がれていた。
「今、良ぃところなのよ……ちょっと黙っていなさいな……」
凱藤が恍惚とした視線で見つめる先には、禍々しくも天使のように照らされたエルンダーグの姿がある。一幅の名画が目の前で形作られているような光景に、視線は釘付けとなっていた。
帰還を待ち望んだ化け物、数億光年を超えて帰って来た魔神。自らの最高傑作と信じて疑わない芸術品を前に、凱藤は感動の涙さえ流して打ち震える。
「あぁ……アタシの化け物! やっと帰ってきたの――――」
しかし、瓦礫に飲まれていった彼の唇から、言葉が最後まで発せられる事はなかった。巨大な瓦礫に砕かれていった凱藤の身体は、真っ白な血を散らしながら残骸の中に消えていく。
春季が銃声に気付いた頃には、既に凱藤は黒服もろとも瓦礫に潰されていた。
彼は遂に、魔神の母たる凱藤の死には気付けなかった。
春季が向ける視線の先には、ただ冬菜の姿だけがあった。
80年もの歳月を氷漬けで過ごして来た彼女は、何一つ変わらない姿で視界に映っている。いっそ時の経過を忘れさせるくらいに、冬菜はあの日のままの姿で十字架に縛り付けられていた。
魔神の掌から起き上がった補助マニピュレータによって、彼女を縛っていた拘束具が引き千切られる。極めて繊細な動作で十字架から解き放たれると、拘束衣を纏う身体は支えを失って崩れ落ちていった。ふわり、となびく黒髪がしなやかに宙を舞っていく。
ゆっくりと落ちる冬菜を待ち受けているのは、胸部ハッチを開放したエルンダーグの巨躯だ。あばら骨を抉じ開けられた魔神の体内へと、その細い身体は飲み込まれて行った。
緩い衝撃と共に、冬菜の身体はコックピットの中に飛び込んで来る。
彼女をふわりと受け止めたのは。春季の腕だった。既に全身を骨折と内臓破裂の致命傷に溢れさせながらも、血まみれの手はそれでも冬菜を離そうとはしない。
冬菜の細腕もまた、二度と離すまいとする力強さで春季を包んでいた。
「ハルゥッ!」
「フユ……!」
冬菜を抱き締めた腕からは、確かな生の感触が伝わって来る。
命を捧げてでも守りたかった冬菜。その柔らかな身体は、今ここで確かに脈打っていた。未だ震えが止まっていない身体は、死体では有り得ない熱を帯びている。あるいはそれこそが、『生きている』という事なのかも知れなかった。
冬菜が生きていてくれている。
たったそれだけの事実が、言葉に出来ない激情で喉を詰まらせる。
強く、ひたすらに強く、春季と冬菜が互いを抱き締める腕は、何よりも伝えたかった思いを無言の内に伝えていた。身体を締め付ける痛み、胸の鼓動、跳ねる息遣い、その全てが二人だけに理解出来る言葉となる。
謝りたかった、会いたかった、言語化してしまえばたったそれだけの想いが、互いの温もりを介して伝わっていく。
それでも冬菜の口からは、ぐちゃぐちゃの思いが形をとって零れ出す。
「ハル……どうして」
「呼ばれたと思ったから……聞こえたんだ、フユの声が」
大気圏内へ飛び込んだ時に聞こえた、微かな叫び。
それを脳裏に呼び起こしていく春季の身体は、既に機体との癒着を引き起こしていた。
こんな姿になってもなお、辿り着けた彼女の温もり。幻想の彼方へと追いやられていた肌の感触。何もかもが懐かしく、愛おしく、80年もの歳月を経てもなお再会できた奇跡を全身に刻み込んでいく。
話したい事は山のようにあったはずなのに、上手く言葉が出てこない。どこまでも熱い水滴が頬を伝って、より一層冬菜の温もりを感じさせてくれた。
やっと、冬菜の元に辿り着けたのだ。80年前に交わした約束の通りに。
「約束、守ったよ」
「うん」
「今度は……信じて、貰えるかな」
無言でうなずく冬菜は、もはや思いを表せるだけの言葉を持ち合わせていない。彼女の瞼は固く閉じられていたが、その瞳に宿る答えを春季は見たような気がした。
きっと、分かってくれているのだ。
人ならざる身体に冬菜を抱えたまま、春季は両手で操縦桿を握り締める。その上からそっと乗せられた冬菜の手。その温もりに包まれれば、もはや不可能は無いとさえ思えた。
冬菜となら乗り越えられる。
冬菜さえ隣にいてくれるなら、この呪いを打ち砕ける。
そう信じる春季の手は、彼女の手に支えられながら操縦桿を押し出していった。
すると、エルンダーグはゆっくりと骨翼を広げていき、辺り一面を覆い尽くすほどの影を広げていった。
その暗闇にオーロラのような燐光が現れると、小川を思わせる光の帯が幾つも漂い出していく。まるで繭を形作る糸のように、幻想的な光の帯は全高150mもの巨体を包み込んでいった。
あのレイヴンに出来た事なら。
たった一度の機会に全身全霊の祈りを捧げる二人は、魔神に願いを託す。
全幅300mもの翼は、一気に鉄をも融かす高温で白熱し始める。一層強く溢れ出していく光の繭糸は、エルンダーグの全身を虹光の中に沈めて行った。
――――いける。
その確信が春季の脳裏をよぎっていた。
もう恐れることは何も無い。
「帰ろう、
そして、遂に光が弾ける。
エルンダーグの姿は、地上に煌めく
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