=The Wings on Mars=

ネロヴィア (Nero Bianco)

序章

『速水少尉の従軍記録』 

 『あー、こちらホーク以下4機。現在ゼフィア北西260度地点を航行中。まもなく短距離レーダーでの観測可能域に入ります。どうぞ。』


 ≪了解。現在長距離短波哨戒網では該当空域に敵影は確認できないが細心の注意を払っての遂行を願う。また本任務では貴隊の全機生還が最優先だ、幸運を。≫


 無線からの野太い声を聞き流しながら、事態の概要を眺めた。都市ゼフィアが受けた攻撃に対しての威力偵察という名目で私は死地へと送り込まれる。きっとある種の厄介払いと同じなのだろう。気晴らしに覗いた目下に見えるのはただただ平然と続く赤茶けた大地と点在するクレーターのみ。時折、地表付近で小規模な砂嵐が巻き上がっては視界を妨げる。こんな景色でさえここに志願する前はやれ「第二の母星」だの「限られた者の神秘の土地」だの有難がって見ていた訳だからえらく不思議な気分だ。この指先からほんの数センチ先の電子航法装置だけがこの隊の中で唯一我々の居場所を知っている頼みの綱だ。周囲の景色はみな同じ、迷えばまず間違いなくこの広大な荒れ地をぶっ倒れるまでさ迷い歩く事になる。致命的なほどに気分屋の彼女の気を損ねないようにと、私はゆったりとした動きで操縦桿を傾けた。だが次の瞬間、平野の片隅から揺らぎを伴って視界に飛び込んできたのは天高く舞い上がるどす黒い煙と、セントラルタワーを打ち抜く蒼い飛翔体らしき物の姿だった。


「おい…何だよあれ…。都市が…丸々一つ吹き飛んでるぞ…」


「ありえねぇ!たったあれだけの時間でどうやってあの防郭を突破したんだ?」


僚機からの驚愕の声が一斉に鼓膜を突き抜ける。管制室の入っているはずの63階は元より、ガラス張り300階層の建物の中央部にはここからでも十分に確認できるだけの焼け焦げた大穴がぽっかりと口を開けていた。


『全機に告ぐ!散開し邀撃陣に展開しろ!カバーだ!カバー!』


 その一声で今までぴたりとニアミス寸前まで羽を寄せていた一団はそれぞれの方向へと5本の飛行機雲を引き連れて一目散に機動する。アフターバーナーをめいっぱいまで後方へと伸ばし、都市を丸ごと包囲する様に一斉に距離を詰めると、誰もが待ち望んだ現実が次々と頭骨をこじ開けて脳漿へと流れ込んだ。業火に包まれる住宅区、破壊された道路になぎ倒された高層建築の残骸が並ぶ光景は先ほどまで気晴らしに眺めていた物とどこか似通っている気がした。一帯を旋回し、また高度を戻そうとした時、右耳を聞いた事も無い轟音が劈いた、と同時に今さっきまで一糸乱れぬ編隊を組んでいた3番機と4番機が同時に中空で跡形も無く消し飛んだのだ。ばら撒かれる燃料と破片が積乱雲のように散らばり、そのすぐ後ろについていた五番機も抗うことすら出来ずにその中心部へと吸い込まれるように突っ込んでいく。再び聞こえる衝撃音に目を向けた時には無数の金属片に切り刻まれた胴体が断裂部分から炎を噴き上げ、流星のように荒廃した地面へと叩きつけられる寸前だった。間もなくして機体だったそれは隆起したおろし金の状の路面によって削られるようにして離散し、目先のコンクリート壁の側面に衝突して文字通り蒸発した。僅かばかりの砂煙の切れ間から見えたのは蜘蛛のような6つの足を持ち、背中に砲台を備えた超大型兵器の姿だった。地球生物で言う所の蠍のような外見はバイオミメティックスに基づいた合理的な終着点の一つなのかも知れない。この惨状の引き金はきっと…。私はマイクを手に取り、叫んだ。


「こちら2番機!小隊長!8時の方角、地上からの砲撃です!」


『…了解。次の一撃までに残った者は超低空飛行へ入れ!高度5m以下を維持し、この空域からの離脱を行う。作戦は中止だ。』


『それと降りる前にホログラムデコイを打ち出しておけ、何らかの役に立つはずだ』


 その声と同じくして2基のジェネレータがそれぞれの下部から解き放たれ、ぴたりと同時に起動し、我々の機体がいた丁度同じ地点に自機の映像を投影した。刹那、離脱と同時に高周波が響き渡り正体不明の第二射が2機のホログラムを一直線に撃ち抜く。間一髪の所で砲撃を回避した残存部隊は高速道路のレーンに乗るようにして地表高度数mの地点を駆け抜け、住宅区を後にした。部隊の半数以上を失った今、未知の脅威に対処する能力などは備えている訳もなく、ただせめてこれ以上の被害が及ぶ前に帰投し、次へ備えるべきだと小隊長が判断したからだった。また、僚機に対し別のルートを通って戻るように指示し、最悪の可能性も考えて一帯を無線封鎖せよとの指示も受けた。少なくともこの焦土と化したタルシス空域から逃れるまでは。


 離脱の最中に私は工業区の片隅で壁にもたれかかった隻腕の少女と一瞬、ぴたりと目が合った。弾き飛ばされた右腕を必死に抱え、流れ出る紅玉色の血液は点々と路上に滴った跡が少しばかり続く。ほんのコンマ何秒かの時間だったが、動体視力が大いに求められるパイロットにとっては十分すぎるほどの猶予となった。緻密な都市計画の元に開発された区画式の超低空を飛ぶのは当初思っていたよりも苦労することはなかった。ただ、90度近い旋回に至る時だけははぁはぁと荒い対G呼吸音が狭い機内をずっしりと満たした。主翼が街路樹の葉は風圧によって引きちぎられ、強烈な衝撃波が周囲のガラスを叩き割る度に低高度警告アラートが絶えず鳴り響いた。私はふーっと大きく深呼吸を2,3度繰り返すと、力の限り機首を180度曲げて再度あの少女の元に向かい、その白くか細い体に向かって20ミリ機関銃弾を何十発と撃ち込んだ。

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