#18 Dear Old Days

 僕の諦め八割ながらも、穏やかな心中など関係無いとばかりに――猟奇的な何かの顔が気色悪く蠢いたと思ったら――大きく割れた。違う。。それはもうパックリと。

 その不気味な入り口は僕を飲み込むような形に。あるいは僕を捕食するように。吸収するみたいにさ。


 多分筋張っていて美味しくないと思うんだけどな…。

 なんて強がりが虚無に消える。だって、 流石に無理だ。

 最期のダメ押しと言ったところか。もしくは、トドメの一撃。まさしくチェックメイトの装い。

 まぁチェスに対する造詣は左程深くないし、ルールすらあやふやで曖昧だけれど、きっとそんな感じ。


 同時に思う。


 これは流石に本当に、ああ…絶対助からない。これが絶望に飲み込まれる気分。

 助かる見込みが微生物程も見つからない。肉体は愚か、魂だって残りそうもない。


 そう思い、考え、悟り、諦めてゆっくりと瞼を閉じると、今までの短くも、であった人生が目蓋を、脳内を、精神を廻り巡った。


 脳に。心に。それを越えて、僕は僕自身を概念的に振り返る。



 家族旅行で温泉に行ったこと。旅館で食べた夕飯は美味かった。

 小学校の修学旅行。同級生と泊まるってだけなのに、異常にテンションが上がった。

 中学生の頃、初めて女子に告白されたこと。

 何故かあの頃の僕は空前絶後の好景気でモテ期だった。初めの一回を皮切りに、ガンガン告白された。まぁ一人残らずオーケーして、全員にフラレたけど。

 冬の雪山でスキーが全く出来なくて、歩たちに馬鹿にされたこと。

 亜希子の誕生日プレゼントをメグに見立ててもらおうと一緒に買い物していたら、亜希子と歩の両方から責められ一悶着あったこと。


 そんな感じで、くだらないことから大切な思い出まで――現在の僕を形成する全てが、一気に身体中を隅々まで駆け巡った。


 これが走馬灯か。

 思ったよりもいいもんだな。

 自然に顔が綻ぶ。柔らかい笑みが浮かぶ。

 死に際なのに、無邪気なものだと思う。


 そして廻り巡る僕の欠片は、僕を小学六年の冬に連れて行く。あの冬休みに誘う。



 優雅な雰囲気を持つ女の子。

 何故あの時僕は話しかけたのだろう。当時の僕ならいざしらず、今なら絶対に近づかない。


 透き通る様に輝く銀色の髪に、全てを見透かすような碧眼を持った子。


 不思議と言えばまだ聞こえは良いのだけれど、日本の小さな公園に存在することは…少し不思議で、異様だったと思う。


 それでも話しかけたのは多分、僕がまだ差別とか偏見とかそういった種類の高度に低次元な暗い感情を大きく持っていなくて、あるがままをあるがままに受け入れていた子供だったから。


 出会う全ての人と友達になれると信じていて、世界が恒久的に平和であることに疑いを持っていなかったから。


「ねぇ、君はだれ? 初めて見るよね? どこから来たの?」


 明らかに純日本人ではない彼女に日本語で話しかけたのと、僕が当時英語を全く学んでいなかったことは無関係だ。そこに因果は存在しない。


 しかし、案の定と言うべきか、彼女は唖然とした表情を作り、少しばかり逡巡した後に何かを試すように指を公園の出入り口付近に向けて指した。


 不思議な少女の指差した先に広がる西高東低の空には、飛行機が飛んでいる。


「飛行機? あぁ、やっぱり外国から来たんだ。スゲー、僕外人さんと話すの初めてだ!」


 何となく世界が広がったような気がした。

 空は果てしなく、何処までも続いているのだ。

 この街と知らないどこかが繋がっている。そんな当たり前を本当に凄いと思った。


 「そう言えば君の名前は?なまえ。えーと、ユア ネーム?」


 矢継ぎ早に質問を浴びせる。必死に英語を搾り出した点は評価して欲しい。


「………」


 だが、彼女は答えない。警戒しているのかな?


 ならばまずは自己紹介だ。


「僕の名前は東雲雪人。ゆ・き・と」


 次に後ろを振り向いて、


「そしてあそこから頭だけ出しているのが、高柳亜季子。あ・き・こ」


 僕より若干遅く公園内に来たはずのアキは、何故か僕らより十メートル後ろの自販機に隠れるように、こちらを覗いていた。


「おーい、アキ! こっち来いよ!」


 亜希子は首をこれでもかと振っている。警戒してるのはあいつの方だったのか…。

 仕方のないやつだ。

 彼女を連れてこようと脚を踏み出したその時、何かに引っ張られた。


「ん?」


 見れば銀髪の女の子が俯きがちに僕の袖を掴んでいる。

 そして、そのまま小さく呟いた。

 弱々しく、消え入りそうな声で。ともすれば聞き逃す声音で僕にそれを伝えた。


「…それが君の名前? 素敵な名前だね」


 僕の言葉を聞いた女の子は、一気に表情を明るくした。


 それは満面の笑みだったけど、でもそれは太陽とか向日葵の様に暖かい輝きを放つものではなくて。

 その笑顔は月や氷に近いもので、静かな光の中に少しの憂いや切なさみたいなものが在って、僕はそれを―――、



 僕はそれを、とても妖艶で魅力的な光だと思ったんだ。

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