#1 Calm Day
さて、ここで時計の針を絶命直後の、約八時間前に戻してみよう。
時刻は午後の四時過ぎ僕は高校にいて、全ての授業が終わり放課後となった自分の教室で亜希子と話していた。
ちなまに亜希子と言うのは性別は女性で僕の幼なじみだ。
通称…というか僕はアキと呼んでいる少女。本名は
小学生のときに僕の家の真ん前の家に引っ越してきた。
以来、小中高とずっと、一緒の学校だよ。不思議な縁だね、全くもってマジで。
「だから、ラーメンは味噌に限るって! ほんと本質を分かってないよね、ユキは。あの濃厚な香りの良さを否定しちゃってさ。無闇矢鱈、妙に変に、通ぶっちゃってさ…それを格好良いと思ってるの?」
亜季子は語気のままに机をドンと叩き、幼稚な舌が狂ってるんじゃないのと強い言葉で僕をなじる。
そして、ユキと呼ばれた少年―――まあ僕のことなんだが。
カタカナ二文字で『ユキ』、それは僕のニックネーム。
とは言っても、世界周辺の周りに普及している様なアダ名ではなく、亜希子以外が僕をそう呼ぶことは、殆ど無い。というか、多分他にいない。
というわけで遅ればせながら自己紹介をしておこうと思う。
僕の名前は、
あ、でも音楽は好きだな。アグレッシブなものを聴くのも、それを受けてプレイするのも楽しい年頃だ。
あとは年相応ながら適当に遊んで勉強して、たまに学校をサボったりもする地元の私立に通う平凡という
ちなみに、亜希子と僕の不思議で切っても切れない腐れ縁の始まりは亜季子のアキと雪人のユキだったりするけど、それはまた別のお話。
ていうか今後特に語る予定もない、無駄話。つまりは完全な与太話で、殊更必要の無い蛇足だね。
そして僕は、ため息まじりで亜希子に反論をする。やれやれ解ってないな。
「これだからアキは彼氏できないんだよ。語るまでもなく日本人なら醤油一択だろ? 醤油ってのは日本の
またもや蛇足にはなるが、彼女は今年に入ってから肩甲骨の辺りまであった長い髪を切り落とし、艶やかで趣き深かった黒髪を悪趣味な金色に染め始めたのだ。それはそれは眩い金色に。一体どんな心境の変化なんだか…。
まぁ女性としては背が高く、何処か日本人離れしているハッキリとした顔立ちの彼女に似合ってはいるんだけどね。
そう言えば、彼女の様な金色の髪の乙女が許されるウチの高校って色々と大丈夫なのだろうか?
普通そんな髪色で登校して来るや否や、生徒指導室的な場所でお説教されるのが普通だろうに。
まぁ、多分校則が激的に緩いんだろうな。
ざっと周りを見渡しても――そこに僕自身も含めて――髪を染色しているヤツはごろごろいるし、華美なアクセサリージャラジャラも珍しくないし。
多分そういうものなのだと、曖昧模糊で裁量の良く分からないルールを噛み締め、自分を日和見的に無理矢理に納得させ、いじり作業に戻る。
「あ、でも…欧米人にしては少し……その、なんていうか、残念……だよ、ね?」
我が幼なじみの胸部装甲を見ながら、思い出したように酷く残念そうに付け加えた。
「なっ、余計なお世話よ! そもそも私は生粋の日本人だし。別に特にコンプレックスはないし! てか、胸見んなっ!」
亜希子の整った顔面がみるみる赤みを帯びていく。両の手でしっかり胸部を隠しているのが肝要。恥じらいこそが大切なんだ。
にしても相変わらず面白い反応だな。これだからコイツをイジるのはたまらない。
やばいニヤニヤが止まんない。そういう初心でキュートな反応をされると興奮するじゃないか。
僕は緩んだ顔のまま追求する。
「その割に頑張って嫌いな牛乳飲んだり、豆乳を一日に一リットル摂取したり、何かに取り憑かれたみたいに一心不乱に腕立て伏せとかしてるらしいじゃん? 涙ぐましいその努力が報われる日が来るといいね」
「っ? なんでそんなこと知ってるのよ…いや、してない。私はしていない。そんな必死な努力は積んでいないけどね。ナニソレ? 何処で流行ってる都市伝説なの? まぁ例え事実無根だとしても…ほらっ、ね? 私としても不快で不愉快な誤解が広まることは好ましく無いっていうかね…なんていうかね?」
手と首を千切れんばかりにこれでもかと振りまくる。沸騰しそうな顔のオプション付きで。デフォルトで貧乳も付いていますってね。
つーか、そんな極地的でしょうもない都市伝説とか聞いたことねぇよ。
いや、大概都市伝説ってのはくだらない真実でオチがつく様なしょうもないものだけど、流石に誰々の日常生活をこと細かく描写するものではないはずだ。そんなものにはロマンがない。生活感しかない。ときめきのない都市伝説など存在理由をほぼ失っている。
「まぁ全部亜季子の弟くんから聞いた話だから、都市伝説よりも信憑性は遥かに高いと思う…というか再現度の高さが比べ物にならないと思う」
ほぼノンフィクションですってね。
「は、ハルのやつ~。帰ったらおろし金でグチャグチャにすり潰す……いや、別に余計な事をバラされたからとかいう意味じゃなくてですね、ほら『嘘をつくのは良くないよ』って教育的見解に基づいた愛のムチとでも言いますか…」
亜季子の目が座っているというよりも――なんかもう逆に逆立ちしている感じなのに――どうにか誤魔化そうとしているが伺えるけれど、どう見ても言葉のままの理由ではない。そんな必死な様が可笑しくて、どうしようもなく愛おしいもので。
ごめん遥。今度なんか奢るし許してね。南無三。
とりあえず僕は心の中で誠心誠意遥に土下座しておきつつ、フォロー作業に身を入れることにした。
「おいおい、あんまり遥をイジメるなよ? お前にとっては不出来な弟かも知れないけどさ、僕にとっては大事で優秀な可愛い後輩なんだからな」
ちなみに先程から話題に挙がっている遥…アキはハルと呼んでいる彼女の弟は現在中学三年生。近所の公立中学にその籍を置いている。
その中学校というのは僕らの母校、つまり遥は僕の直属の後輩にあたる。頭も僕好みにいい感じに切れし、いい感じにキレてる可愛い後輩だ。
何故かは知らないけれど、昔から僕にひどく懐いているどころか、軽く崇めていて色々と、様々な場面で役に立つ。
まぁ、男兄弟のいない僕にとっての遥は弟みたいなもので、同じ状況にいる彼にとっての僕は兄貴みたいなものなのだろう。
「て言うかさぁ…最近ハルの手口、やり口みたいなものが何処かの誰かさんに半端じゃない位に大変酷似しているんですけど~、その辺りの詳しい情報を賢いユキ様はご存知ないですか?」
亜希子の冷ややかな視線に思わず真実を告げそうになるのだけれど、『一から百まで存じ上げています!』とは言えない。
僕は可愛い血の繋がっていない弟であるところの遥に、幼き頃より色々と叩き込んでいる。
世間的に見ても善いことも悪いことも。たまには超えちゃいけない一線をまたぐこともあったかも知れない。
その辺りを含めて、僕の知る限りの処世術を余すことなく伝承させている。
そう言えば、最近遥は僕と同じ位置にピアスを開けていたな。リスペクト具合が激しすぎて、若干の距離を置きたくなる気もしなくはないけれど、うん、実にいい感じに成長しているな…。
「その誰かさんに心当たりはないけど。そうか、遥も成長しているな…進歩が著しいね。良いことじゃないか。実に素晴らしい」
僕は大袈裟に両手を広げ遥の成長を心から祝福したが、亜希子は僕と同様には思っていないらしい。
「その言い方完全に下手人はアンタじゃん!! ったく、人の弟に余計な知識ばかり吹きこんでんじゃないわよ!! マジで酷いんだから。『成長』って言っても間違い無くいい方向じゃない。完全にマイナス成長じゃないの!」
それは早計ってもんだよ、お姉ちゃん。人の成長は素直に喜ぶべきじゃないか? それが実の弟のことならば尚更だよ。その方向がプラスかはマイナスかはさて置いてね。亜希子…君は遥のお姉ちゃん失格だ。
故に僕は大きく肩を竦める。
「はぁ冤罪だ。僕は遥に何も吹きこんではいないよ。仮に僕の影響を彼が受けたのだとしても、それは彼が僕をリスペクトした上で勝手に
「うっ…って何いい感じに締めたような、やり切ったような顔を浮かべてんのよ? 美談で終わらせやしないわよ。影響は影響でもユキはハルにとって悪影響なのよ!」
心外だ。大変遺憾である。
僕は、独断と偏見で僕が選んだ辛く暗い現代社会を生きる上で必要とされるスキルを遥に教えただけなのに。優しさと愛おしさによるありがたい講義なのに。それを悪影響と断罪されるのは悔しいものがある。
さて、どう返したものかな…。旗色があまりよろしくないしな。
表層に浮かんだ思案顔を見てか、亜希子は畳み掛けてくる。
「なんか呼吸みたいな自然さで嘘をつくし、まだ中学生なのにピアスとか開けちゃうし、髪だって茶色にして伸ばしたりしているし…とにかくユキリスペクトが激しすぎるの! 家に帰ってハルを見たら、ユキが家にいるみたいで凄く心臓に悪いのっ…」
勝機。付けこむ隙。ここを逃すのは現代に蘇った諸葛亮としては得策ではない。
いやね、これもただの自称だけどさ。他者にそう称されたことはない。
仮に周りからそう呼ばれているヤツがいるのなら、そいつは並ぶ者のいない、時代を変えることの出来る秀才軍師か、周りから虐められているヤツの二択だと僕は断言できる。ちなみに僕はそのどちらでもない。
え? 自称した理由? んなもん簡単だ。最近やったゲームがそんな感じで『戦国時代の中国を統一しようぜ』的な内容だったんだ。
そんなくだらないことに脳の処理機能の一部を使いながら、僕は物悲しい顔を作る。
「え? なんで僕が君の家にいたら心臓に悪いのさ。よく行くし、知らない仲じゃないだろう?そんなことで驚かれると…流石に僕もヘコむっていうかさ」
「そ、そういうつもりじゃないの…えぇと…心臓に悪いって言っても…その…ね…あの…ドキドキし過ぎてヤバいっていうかね……はっ!な、何言わせんのよ!この変態っ!」
謂れのない非難を口走る亜希子の渾身の右ストレートが僕の顔面にクリーンヒット。…痛い。多分三カメぐらいのアングルがいい感じに撮れてます。まぁそんなもの設置してやしないけど。とりあえず普通に痛い。そりゃあうめき声も出ますよ。男の子だって涙目にもなりますよ。
予想外の綺麗な攻撃に自分で一番驚いたのか、若干どもりながら亜希子は僕の安否を気付いかい生命活動の確認をとる。
「ご、ごめんっ、当てるつもりは…」
「我生涯に…、一片の…悔い…な…しっ…」
どこぞの世紀末覇者の台詞を引用しながら、大げさに床に倒れこみ右腕を天に突き立てる僕。
特に演技派ではないけれど、こういう茶番めいた活劇も、日常において割と大事なことだと思う。
他の誰が思わなくとも、あくまで個人的にはそう思っている。
そう思ってやまないのである。そう思わないとやってられないのですよ。
なんてね。これが僕の小規模で幸福な日常だよ。
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