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「人の心を読める、って……SFじゃあるまいし、そんなベタな超能力みたいなことって」


 またからかわれているのだろうか。しかし早川の表情は今日で一番まじめな顔つきをしていた。


「私がそんな非科学的なことを言うと思うか?」


 もちろんそんな風には思っていない。早川はまさに心理学の権威として学界に名を馳せる男である。しかし先ほどのましろの振る舞いはむしろ超能力だ、テレパシーだ、と言われた方が納得できそうだった。


「さっきましろに触れられた時に静電気が流れたろう?」

「はい」


 そう言えば昨日公園で話していた時もやたら静電気が起きたような気がする。


「厳密に言うとこれは静電気ではないんだが――まぁそれは置いておくとしよう。人の脳は電気信号で情報を伝達しているというのは聞いたことがあるかい? ましろの身体はその電気信号を受信する範囲を少し拡張していてね、直接触れた相手の脳の電気信号を傍受できる。静電気はその際の電気信号のやりとりによって発生しているんだ」


 俺は今、新手の詐欺にでも遭っているのだろうか。


「すみません、わかるようなわからないような……。そんなことができるんならもっと世の中に知られていそうな気もするんですけど」


「ああ、まだ試験段階だからね。ましろにはこの研究のために被験体になってもらっているんだよ」


「被験体ってどういう……」


 言いかけてハッとした。学界では十分著名人な早川だが、一般社会にもその名を轟かせたことがあった。早川とT大の脳科学の教授がタッグを組んで、他者の思考を外部から読み取る研究をしていると発表した時だ。あらゆるメディアがそのことを取り上げ、精神病の治療に効果的とか、犯罪捜査に有効とか、様々な未来が明るくなると誰もが夢を見た。俺はその時高校生だったが、当時クラスの中でも話題になっていた。しかし、噂好きの高校生たちが注目したのはその研究の可能性ではなく、早川がその研究を中止せざるを得なくなった理由の方である。


「確か先生は昔、人の心を読み取る研究をされてましたよね。でもその研究を続けることはできなかったはずです」


「ほう、よく知っているじゃないか」


「科学的な確証がないまま臨床実験を行おうとして大バッシングされて、そのあと先生の共同研究者は亡くなっていますよね。……確か、自殺で」


 少しは動揺するかと思ったが、早川は感心したように頷くだけだった。


「その曰くつきの研究の成果が、この子ということですね」


 ちらりとましろの表情を伺った。彼女が不愉快そうであれば話をやめようと思ったが、当の本人はこの話に関心がないのか、すでに知っているのか、それとも単に聞いていないふりをしているのか、スマホにつけた小さなルービックキューブのストラップをいじって遊んでいた。


「秘密裏に臨床実験を進めるために養子にしたんですか」


 声を低くしてましろに聞こえないように尋ねる。早川の表情は変わらず、足を組んで座ったままちらりとましろを見やる。その視線は彼女をただ実験体として見ているようには思えなかった。やがておもむろに早川が口を開いた。


「君を安心させるためにひとつだけ言っておこうか。この研究はあの子自身の意思で協力してくれている。そうじゃなければ、こんなに自分の意思で力を使ったりはしないよ。それよりも……私のことを詮索してくれるのは構わないが、それ以上聞くことが君のメリットになるのかい? 君に事実として突きつけられているのは、今年の単位を諦めて留年するか、私の提案を受け入れて単位を獲得するかだ。君がいくら私を非難しても、その事実が揺らぐことはないんだよ。これは君自身が招いた事態であり、君自身が選択しなければいけないことなのだから」


 早川がにっこりと微笑む。挑発に乗らないその態度に苛々はするが、確かに今は他人のことを深く考えている暇はない。大学を一年留年すれば困るのは学費の面だけじゃない、大手の企業は留年した学生を書類選考の時点で足切りにかけることもあると聞く。早く卒業して自立したい俺には、選択肢などあってないようなものだ。


「……やりますよ。ましろさんの家庭教師」


「そうか、安心したよ。断られたらどうしようかと不安だったからね」


 満足げに早川は微笑んだ。口ではああ言っているが、ハナから断られることなど想定していなかっただろう。やはり食えない男である。ましろのように心を読む力を持っているのであれば話は別かもしれないが。


「娘さんのことがちょっと羨ましくなりましたよ。先生が何考えてるかわかるんだから」


「いや、ましろは私の心を読むことはできないよ」


 早川は右手の袖をまくり、先ほどちらりと見えた黒のブレスレットを指す。


「これにはましろとの電気信号のやり取りを遮断する絶縁体が仕組まれてる。親としては何もかも考えを読まれるわけにはいかないからね。もちろん、後ろめたい隠し事など何もないが」


「嘘! お父さん、今朝最後の一個だったみかんを私に黙って食べたでしょ!」


 それまで無関心そうにしていたましろが、聞き捨てならないと言わんばかりに素早く突っ込んできた。お前は昨日の夕飯で二つ食べていただろ、と早川はましろをいさめつつ話を続けた。


「これから本来君がゼミに出席するはずだった時間、週に二回はうちに来てもらおうと思う。だがましろと過ごす時間が長くなるほど不便なこともあるだろう。だから、君の分も用意してある」


 早川はスラックスのポケットから、ビニール袋に入った黒のブレスレットを取り出した。ましろは早川に適当に返されたことですねているのか、またルービックキューブをいじっている。養子というくらいだから、本当の両親とは会えない境遇なのだろう。早川と仲は悪くないようだったが、多忙な早川のことだ、そんなに彼女にかまっていられないからこそ俺にこの話を振ってきたに違いない。こうして見ると、彼女はただ親に甘えたいだけの幼い少女でしかなかった。


「俺は遠慮しときます。確かに思ってることを言い当てられた時は驚いたけど、仕組みがわかれば問題ないですし」


 絶縁体ブレスレットを身に付けることが嫌だったわけではない。ただなんとなく……早川と張り合ってみたくなっただけだった。


「そうか。君がそう言うならそれで構わない。……ただし」


 早川は席を立って近づいてきて、耳元で言った。


「ましろに対して何かやましいことでも考えようものなら、留年どころか退学サービスをプレゼントしよう」


 そっちの方が不安だったか。普段の余裕ある早川とは裏腹な低く刺すような声音に、俺は心の中で嘲笑した。


「安心してください。俺にはそういう趣味はないですよ」


 むしろ年上の方が、と付け加えようとしたところでカチッという音とともに、ましろが「あ」と声を上げた。小型のルービックキューブの色が揃っている。白い面には何やら文字が書いてあるようだったが、距離が離れていて読めなかった。

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