死んでしまった僕たちは、それでも確かに生きていく
雪瀬ひうろ
第1話 「最近のラノベって、タイトル長すぎじゃね?」
「最近のラノベって、タイトル長すぎじゃね?」
「………………」
人気のない大学のサークル棟の一室。誰も寄りつかな過ぎて「幽霊の溜まり場にでもなってるのでは?」と噂されるほどのボロ部屋で、僕は一人の女性と向き合っている。
「ユキセさん……」
僕はユキセさんの唐突に発せられた言葉に応じて言う。
「ラノベのタイトルが長いのは、わりと昔からな気がしますが……」
「あれって、なんであんな長いタイトルつけるんだろうな?」
「まあ、色々理由はありそうですけど」
「あっ、あれか」
ユキセさんはぽんと手を叩いて、あくまで無邪気な笑みで言った。
「バカはタイトルで説明してやらないと内容が理解できないからか」
「ユキセさん。それ以上はいけない」
彼女には、まったく悪気はありません。
ユキセさんはこのサークルのリーダーである女性だ。赤いフレームの眼鏡をかけ、長い髪を無造作にくくっただけで、特に化粧っ気もないのだが、それでいて野暮ったい感じはまったくない。むしろ、美人と形容される類の顔立ち。彼女を見ていると人間は結局生まれ持った顔がすべてなんだよな、と思わされる。
そして、服装は何故かダボダボの白衣。以前、なぜ普段からそんな恰好をしているのか尋ねたときに、返ってきた答えは「これが一番慣れているから」。いくら慣れているとしても、普段着にするのはどうかと思うのだが。
ともあれ、見た目だけなら彼女は知的な女性に見えるだろう。
――見た目だけなら、だが。
「長文タイトルってさ」
ユキセさんは豊満な胸元まで垂れ下がった髪をいじりながら話を続ける。
「そういうの、最初にやった人はいいと思うんだよ。でも、後から追随してる奴っていうのはいわゆる二匹目のドジョウを狙っただけにしか思えないだよね」
「まあ、おっしゃりたいことは解りますね」
流行りに乗ったと言えば、多少は聞こえはいいかもしれないが、結局はブームにあやかろうという魂胆が透けて見えることは否めない。長いタイトルのラノベがダメだとは言わないし、名作もたくさんあるのだが、やはり二番煎じのそしりは免れないだろう。
「だから、私も長いタイトルのラノベを考えてみようと思うんだ」
「あれ? そういう流れなんですか?」
ユキセさんの話の展開はよく解りません。
「いやあ、我々も作家を志す者としては、流行りは押さえとかなくちゃいけないだろ?」
「まあ、そういう考え方もできますけど……」
我々のサークルはいわゆる文芸サークルという奴だ。小説を書いて持ち寄り、互いの作品を批評し合い、切磋琢磨するという趣旨の団体である。まあ、サークルなどと言っても非公認のもので、僕たちは勝手にこの部室をお借りしている立場なのだが。
「長いタイトルを考えてみようとおっしゃりますけど、タイトルってまず内容ありきで考えるものなんじゃないんですか?」
「お、トッキーは内容考えてからタイトルつける派か」
ちなみにトッキーというのは、僕のあだ名(勝手につけられた)である。
「普通、内容考えてからタイトルつけません?」
「いやいや、その辺は結構、人によるぜ? 実際、タイトルが、ぱっと先に浮かんで、そこから構想を膨らませて書くって作家も居るしな」
「そういうもんですか」
とりあえず、耳触りの良い言葉を並べてみて、それに合わせた内容を考えるということだろう。
確かに言われてみるとそういう創作法も面白そうな気がする。
「じゃあ、ためしにやってみますか? 何かアイデアはあるんですか?」
僕はユキセさんに尋ねてみる。
「結局な。長いタイトルって言うのは、解りやすくあらすじをタイトルで説明しちゃうってことなんだよ」
そう言ってユキセさんは話を続ける。
「様々な冒険をこなしていく内に、仲間たちと友情や愛をはぐくみながら進んでいくんだよ。時にはぶつかりあったり、すれ違うこともあるんだけど、最終的には互いの思いの丈をぶつけ合って和解するんだ。そして、最後には念願を果たす物語」
ユキセさんはすらすらと言葉を紡ぐ。
「はあ、まあ、やりたい話はなんとなく解りますけど……それのタイトルの話をしているのでは?」
「え? 今のがタイトルだけど」
「今のが?!」
完全にあらすじ未満の作者の妄想でしかなかったですけど?
「……タイトルというかただの文章だったんですけど」
「それがオリジナリティだな」
「……それに、今のタイトル、もう一度言えるんですか?」
「様々な冒険をこなしていく内に、仲間たちと友情や愛をはぐくみながら進んでいくんだよ。時にはぶつかりあったり、すれ違うこともあるんだけど、最終的には互いの思いの丈をぶつけ合って和解するんだ。そして、最後には念願を果たす物語」
「言えるんだ……」
この人は変人(婉曲表現)ではあるのだが、頭の出来はいいのだ。ただ、致命的に頭がおかしい(マイルドな表現)だけなのだ。
「よく言えますね……そんな長いタイトル」
「いやいや、コピー&ペーストしただけだよ」
「どこからどこに?!」
この人は脳内でコピぺができるのだろうか……。
僕は気を取り直して、ユキセさんのタイトルの中身について精査してみることにする。
「……長いタイトルのわりに何一つ伝わってきませんね……現代物なのか異世界物なのかすら解らなかったんですけど……」
「いやいや、トッキー。タイトルですべてを理解できてしまったら本編を読む意味がないじゃないか」
「なんかさっきと言ってること違いませんか?」
あらすじ説明系タイトル全否定か。
僕は、なぜかへらへらと笑っているユキセさんに向かって、はっきりと言うことにする。
「そもそも、全然読みたいと思えるタイトルじゃないんですけど」
「なんですと? ちょっと高尚過ぎて近寄りがたい雰囲気だしちゃってる?」
「むしろ、クソ小説臭がきつ過ぎて、とても手が出ないです」
「あー……。この時代の人間にはちょっと早すぎたか……」
「自分一人だけ先走って未来に生きるのやめてもらっていいですか?」
あんたはいつの時代の人間なんだ。
「まあ、確かにさっきのタイトルは流石にいただけへんなあ」
先程まで確かに僕たち二人きりだった部屋の中に、いつの間にか現れる第三の人影。
「ミオコさん。急に現れないでくださいよ。びっくりするじゃないですか」
「トキオはんは胆が小さいなあ」
「普通、そんな唐突に現れると誰だって驚きますから」
「せやかて、うちらみたいなんが、ノックっていうわけにもいかんしなあ」
ミオコさんは、顔にかかるしなやかな長い髪をそっとかきあげながら言った。そんな何気ない仕草すらどこか艶めかしい。
どこか高貴さを感じさせる紫色の和服。そんな格好が本人の容姿とよく馴染んでいる。まさに大和撫子。ユキセさんとは違った意味で目を引く女性だ。
――まあ、清楚なのは見た目だけなのだが。
「おっ、ミオリン。あんただったら、どんなタイトルをつけるんだ?」
ユキセさんが今度はミオコさんに話をふる。
「……ふむ」
ミオコさんはどこからともなく取り出した扇子を口元にそっと当て、呟く。
「さっきユキセはんも言うてはったように、結局、長いタイトルいうんは、その作品のあらすじを説明することになるんや。しかし、それかて捨てたもんやあらへん。タイトルで内容が掴めたら、自分が読みたい話かどうか、確認しやすいからなあ」
「おっ、その通りだ」
ユキセさんはミオコさんの言葉に小気味よく相槌を打つ。
「『あー、この話はタイムスリップして紫式部になるんだって』解るし、『あー、この話は影から魔王を倒すのを手伝うんだ』と解るわけや。どっちも読んでへんけど」
「……読みましょうよ」
読んだら絶対面白いはずなのに……。
「それを踏まえてうちが考えるタイトルは――」
ミオコさんは、僕のツッコミを無視して言う。
「『襲い受けが余裕ぶって乗っかって腰振るんだけど、途中から我慢できなくなった攻めに逆に押し倒されて、正常位バコバコフィニッシュ!』やね」
「なんのあらすじだよ!」
「あ、トキオはん。期待してもろてるとこ悪いけど、うちが言うてるのはBLやで。堪忍な」
「別に謝ってもらわなくて結構」
「ああ、そうか。トキオはんは男色家でもあったんやったなあ。忘れとったわ」
「違う! 勝手にありもしない話を広めるな!」
僕は女の子が大好きです。
「BLがどうとか以前に、正常位かどうかなんてあらすじとは言わないでしょう」
僕の指摘にミオコさんは悪びれることなく応じる。
「せやかて、読む前に当たりか外れかを判別できるというのは、大変親切やと思うよ。『このキャラやったら、最後は主導権が逆転して、正常位バコバコフィニッシュやろなあ』って思ってる時に、最後まで襲い受け優位展開やったらがっかりするやろ? あ、もちろん、最後まで襲い受けが優位である展開を否定しているわけやあらへんよ。カップリングによったら、そっちが好きなこともあるし……」
「全然何言ってるのか解らないんですが……」
『正常位バコバコフィニッシュ』ってフレーズ気に入ってるだろ。
「トキオはんだって、エロゲするときに本番シーンは最後までスキップで飛ばして、抜きどころを確認してから回想で抜くやろ? それと一緒や」
「………………」
「エロゲマスターのトキオはんなら解ってくれはるやろ?」
「わからな……ちょっとしか解らねえわ!」
僕は基本的に正直者です。
「まあまあ、いいじゃねえか、トッキー。おまえくらいの年頃の人間が性に興味を持つのは普通のことなんだから」
「なんで僕の方がフォローされてるんですかねえ」
どう考えてもおかしいのはミオコさんなんだが。
「テストステロンが正常に分泌されてる証拠だ」
「テス……なんですって?」
「テストステロン。男性ホルモンだよ。思春期になるとこれが分泌されることで、いわゆる男らしい身体に変わっていくんだ」
「……前から思ってましたけど、ユキセさんって博識ですよね」
無駄なところで。
「いやいや、ただググっただけだよ」
「あ、なんだ、ググっただけか……」
と言いながら、僕はユキセさんを見る。
「いや、ユキセさん、スマフォも何も持ってないじゃないですか!」
「あっはっは、細かいことは気にすんな」
相変わらずこの人の話はどこまで本当でどこまで嘘か見当がつかない……。
と、そんなバカなやり取りを並べていると、
「お邪魔します……」
きちんと扉の方から室内に入ってきた一人の人影。
「ツキノちゃん」
「お、ツッキーも来たか」
「はい、恥ずかしながらこのツキノ、戻って参りました……」
「戦場帰りかな?」
ツキノちゃんは、小柄な少女である。実年齢は解らないが、大学生だった僕よりも幼くみえるので、勝手に年下扱いしている。腰までかかる長い髪はリボンでツインテールにまとめられている。
ファッションはいわゆるゴシックロリータというのだろうか。黒を基調としたフリルで飾られたドレスの様な物を着ている。
「相変わらずツキノはんのファッションは派手やなあ」
ミオコさんがどことなく艶めかしさを感じさせる声で言うと、
「はうあ~。ご、ごめんなさい。ツキノみたいなのが、こんな目立つ格好をしてしまって! アルテミス様の加護のもとに、こうして顕現できているだけの木端のような存在だというのに!」
『アルテミス様』というのは、ツキノちゃんが信奉する月の女神の名前だ。どうやら、彼女は自分という存在があるのは『アルテミス様』とやらが助けてくれているからだと本気で思っているらしい。
いわゆる電波な不思議ちゃんだ。
まあ、状況が状況なのでそれを信じてしまう気持ちも解らなくもないのだが。
僕はツキノちゃんをフォローしてやることにする。
「ミオコさん、ツキノちゃんいじめちゃ駄目ですよ。それに、目立ち加減で言うなら、貴方の着物やユキセさんの白衣も大概ですから」
「んー。別にいじめてるつもりやあらへんねんけどなあ」
そう言って、ミオコさんは短く嘆息する。
「むしろ、そんな可愛らしい格好してたら、トキオはんみたいな危ない輩にかどわかされしないかと、心配してあげているだけやいうのに」
「さらっと僕の名誉を貶めるのやめてもらっていいですか?」
そんなミオコさんの言葉にツキノちゃんは、
「い、いえ! ツキノの様な貧相な身体つきの存在に、トキオお兄ちゃんが欲情するはずないですから!」
「いやいや、トキオはんのストライクゾーンの広さ舐めたアカンで。トキオはんにかかれば下は胎児から、上は老女どころか墓までペロリよ」
「それはそうですけど、アルテミス様のお情けで存在できているツキノなんかの存在は、トキオお兄ちゃんのストライクゾーンにすら入りませんから!」
「よーし、この議論はそこまでだ」
ツキノちゃんにまでそこはかとなく、けなされている様な気がする。
そんな話をしていると、それは突然やってくる。
「あれ……急に眠く……すう……」
ツキノちゃんがいきなり意識を失い、がくんと首が垂れ下がる。
これは奴が来るサイン――
「――オイ」
それは、この場に居た誰とも違う乱暴な声。
「トキオ、てめえ、ツキノに手出したら……ただじゃおかねえぞ」
その声は間違いなく先程、弱弱しい声を紡いでいたはずのツキノちゃんから発せられている。
――豹変。
そう言うしかないだろう。
「お、今日はツッキーだけじゃなく、ハルノンまで来たか。いやあ、千客万来だなあ」
「ハルノンじゃねえ、ハルノだ」
そう吐き捨てるように言った後、豹変したツキノちゃんは僕を心底嫌そうに睨みつけながら言う。
「ちっ……ユキセ。あたしが出て来れないときも、間違ってもトキオの野郎に、ツキノに手を出すような真似させんなよ」
「あっはっは、君らそういうのって物理的に無理くない?」
「気持ちの問題なんだよ!」
この乱暴な口調でしゃべる存在はハルノといって、一言で言えば、ツキノちゃんのもう一人の人格だ。
ツキノちゃんは二重人格者なのだ。
ツキノとハルノ。その関係性は僕にはよく解らない。何度か尋ねたのだが、本人は何も語ろうとはしなかった。
「ちっ、そろそろ限界か……おい、トキオ。まじでツキノに手出したらぶっ殺すからな!」
ハルノの方が現れていられる時間には制限があるらしい。その理由はまったく不明なのだが。
「なぜ揃いも揃って僕がいたいけな子供に手を出す人でなしの様な扱いをするんだ」
「てめえがツキノに気色悪くも『トキオおにいちゃん』なんて呼ばせてるからだろうが!」
「あれはあの子が勝手に呼んでるだけだ!」
僕の名誉は既に満身創痍である。
「ちっ……」
最後に舌打ちひとつ残してハルノの方の人格は消えたようだ。険のある表情は消え、元のおどおどした性格のツキノちゃんの方が現れる。
「はっ……ツキノ、また居眠りしてました……!」
ハルノが現れているとき、ツキノちゃんには意識はないらしく、いつも居眠りした思いこんでいる。何度かもう一人の人格のことを説明したのだが、万事素直なツキノちゃんが何故かもう一人の人格のことは頑なに認めようとはしないのだった。
「そうそう、ツッキー。ツッキーだったらどんな長文タイトルつける?」
懐が深いのか、頭がおかしいのか、二重人格程度ではまったく動じない変人のユキセさんは、そもそもの話題であったタイトルの話を振る。
「長文タイトルですか……?」
「ええ」
ユキセさんは、ここまでの話の流れを簡単に伝える。
それを受けて、ツキノちゃんは可愛らしく小首を傾げて言う。
「そうですね……ツキノだったら、ツキノが好きなキーワードがたくさん入っていると興味が引かれてしまうかもしれないです」
「キーワードねえ。妹好きは、タイトルに『妹』って入ってたら思わず手にとってしまう、っていう感じかねえ」
「あ、そんな感じです」
ツキノちゃんの言いたいことも理解できる。ファンタジーが読みたいと思っている人間が『魔王』とか『勇者』という言葉が入ったタイトルを見れば、ちょっと読んでみようかなという気持ちにくらいはなるだろう。
「それを踏まえた上でツキノの考えるタイトルは――」
ツキノちゃんは言った。
「『ギガントマキアとラグナロクのせいで僕の世界はハルマゲドン』とか」
「……え? なんて?」
「あ、ごめんなさい。『ギガントマキアとラグナロクのせいで僕の世界はハルマゲドン』です」
「…………?」
いや、聞きとれなかったのではなく、意味が解らないのだが……。
「あっはっは、くっそ受ける! どんだけ終末戦争好きなんだよ! 混ぜ過ぎだろ!」
「はうあ~。ごめんなさい! ツキノなんかが生意気にも神々の戦いのお話をしてしまって!」
ユキセさんは一人で笑い転げている。
え、何?
通じてない僕の方がおかしい?
僕は思わずミオコさんの方を見る。
すると、ミオコさんは――
「あ……ああ……あれね……うちも好きやで……」
「いや、ミオコさんも絶対解ってないでしょ」
ミオコさんは妙なところで見栄っ張りです。
僕はツキノちゃんに解説を求める。
「はうあ~、すいません! ギガントマキアとは、ギリシア神話における巨人族と神々との戦いのことで、ラグナロクは北欧神話の中で神々の戦争によって訪れる終末の日です。ハルマゲドンは、もちろん、黙示録に記された終末戦争のことです! ちなみに『この退廃した世界に終焉を』と書いて『ギガントマキアとラグナロクのせいで俺の世界はハルマゲドン』です! あえて、ルビにも漢字を混ぜることで独自性を出してみました!」
ツキノちゃんはすごく早口で言い切りました。
「すげえ世界終わってるっぽいんだけど……」
ツキノちゃんは遠い目をしてぽつりと呟いた。
「みんな、一緒に死ねるって素敵ですよね……」
「……そ、葬式代は節約できそうだよね」
ハルノのことがなくてもこの子はだいぶ歪んでいます。
「にゃはは、なんか楽しそうな話してるね。ヒメも混ぜてえ」
と、ここでさらなる闖入者。
「おお! ヒメヒメまで来た! 今日は我がサークルの現役メンバー全員集合か! 豪華だなー」
何が豪華なのかはさておき、確かにこれでうちのサークルのメンバーが全員揃ったことになる。定例会でもないときに全員揃うのは何気に珍しかったりもする。
「にゃはは、みんな、ヒメが居なくて寂しかったかな? ヒメはモテモテだから、あっちこっちで『引っ張りイカ』だからにゃあ」
「『引っ張りだこ』な」
「にゃはは、イカもタコも食べたことないからわからんにゃあ」
「そういう問題か?」
ていうか、イカもタコも食ったことないのか、こいつ。
我らがサークル、最後のメンバーはヒメと呼ばれている女の子だ。日本人離れした銀色の髪は、荒れる海のように波打っている。頭に載せられたカチューシャはどことなく猫耳のようにも見える、ネコ系女子だ。
服装はいわゆるブレザータイプの学生服。とある女子校の制服を緩く着崩しているらしい。シャツの胸元を大きくはだけさせているために、大きめの胸の谷間がちらちらと目に入る。僕の精神衛生上、あまりよろしくない格好である。
白衣、着物、ゴスロリのドレスに比べれば日常に溶け込んだ格好かもしれないが、本人は女子高生でもなんでもないので、実はこの格好はコスプレである。そういう意味では一番おかしな格好をしていると言えるのかもしれない。
僕たちの会話を受けて、ツキノちゃんは言う。
「『引っ張りだこ』ですか。ちなみに『引っ張りだこ』というのは、タコの足を引っ張って干していた様子のことなんですが、その様子が磔の刑に似ていたので、磔の刑のことも俗に『引っ張りだこ』と言ったそうですよ」
「へ、へえ……ツキノちゃんはそっち系の話題はすごく詳しいよね……」
処刑とか、拷問とか……。
「そっち系……? ごめんなさい、ツキノは愚かな子羊なので、トキオおにいちゃんの言っていることがよく解らないです……」
「いや、解らないならいいんだ……」
「そうですか……ツキノの様な愚物と会話させてしまって、すいません」
ツキノちゃんは僕に向かって相変わらず訳の解らない謝罪をすると、今度はヒメに向かって話しかける。
「ところで、ヒメさんは今日はどちらにいらしてたんですか?」
「ん~。朝はマサツグくんのとこで、さっきまではカイトくんのとこに居たよ」
「……また、男をとっかえひっかえしてんのかよ」
マサツグくんやカイトくんなる人物がどういう人物なのか僕は知らない。しかし、ヒメはやたらと交友関係が広いらしく、僕たち以外の知り合いも多いようだ。彼女はいつも当たり前のように、僕たちが知らない人物の名前を出して話をしてくる。
そんな僕の言葉に、
「にゃはは、違う違う。とっかえひっかえではなく、全員同時にゃん」
「余計に性質悪いわ!」
「にゃはは。トキオくんは嫉妬しているのかにゃん?」
「してねえよ。ざけんな。てめえに興味なんてねえ」
確かにヒメは美少女だ。それは認める。だが、それだけで惚れるほど、僕はちょろくはない。
ミオコさんはじとりとした目で僕を見て呟く。
「と言いながら、トキオはんはヒメはんの胸元を凝視してはるけどなあ」
「してな……凝視まではしてない!」
男が女性の胸元に目が行くことは自然の摂理である。
と、そんなやり取りをしていたときだった。
「にゃは? よくわからんけど、ヒメはトキオくんのこと好きだよ」
「………………は?」
ヒメの爆弾発言に僕は思わず凍りつく。
「トキオくんのことは、マサツグくんとか、カイトくんと同じくらい好きだよ」
ヒメの彼氏たちと思われる人々の名前と同列に自分の名前が上げられたことで僕は動揺してしまう。
思わず固まった僕の背後に回り込んだミオコさんは、僕にそっと耳打ちする。
「ここの選択肢次第でヒメルートに入るか、うちのルートに入るか決まるからな」
「……少なくとも、てめえのルートには死んでも入らねえよ」
僕はミオコさんの戯言を切り捨て、ヒメと向かい合う。
……前から思っていたことだが、こいつは色々な意味であけすけ過ぎる。少し注意しておいた方が良いだろう。
「ヒメ」
「にゃ?」
「男に向かって、そんな……好きとか……軽々しく言うな……」
言いながら、僕は恥ずかしくなってくる。
いったい、僕は何を言っているんだろう……。
すると、ヒメは僕の言葉に首を傾げながら応える。
「好きって言っちゃいけないにゃ?」
「そういう話は……その……なんていうか……」
ユキセさんは何故かしたり顔で頷き、ミオコさんはニヨニヨと笑い、ツキノちゃんは何故か慌てた様子で僕とヒメの顔を交互に見ている。
「はしたないっていうか……おまえみたいな女に言われたら……男ならそういうのには敏感にならざるを得ないというか……」
「えー、でも、マサツグくんも、カイトくんも何も言わないよ」
「いや、それは彼らがそういう人だからであって……」
と、僕が言うと、
「人? マサツグくんとカイトくんは人じゃないよ」
「……は?」
「マサツグくんは犬で、カイトくんはオウムだよ」
「………………は?」
彼女の言葉が理解できない。
「マサツグくんは、大きなゴールデンレトリーバーでよく日向でごろごろしてるから、一緒に寝てるの。カイトくんは籠の中で飼われてるんだけど、外の世界のことが知りたいみたいだから、ヒメが教えてあげてるの」
「………………普段から言っている男の名前も……?」
「ん? 羊のサトルくんとか、馬のゴウタくんのこと?」
今まで僕がこいつの彼氏だと思っていたのは全員動物だった……?
「トキオくんも、マサツグくんとかカイトくんと同じくらい好きだよ」
「……………………………………」
また、僕の背後に回り込んでいたミオコさんは僕の肩にぽんと手を置いて言った。
「ドンマイ」
「………………」
僕は少しだけ泣いた。
「さあ、茶番も済んだことだし」
「茶番言うな」
「ヒメヒメも今日の議題である長文タイトルを考えようぜ」
ユキセさんは、いつの間にか議題になっていたらしい長文タイトルの話を簡単にヒメに説明する。
「にゃはは。面白そうな話してるにゃあ」
ヒメは屈託なく笑って言う。
「でも、ヒメはあんまり賢くないからお話創るのはあんまりできないんだよねえ」
「難しく考えなくていいからさ」
「うーん。考えてみるにゃん」
ユキセさんに促され、ヒメは腕を組んで、難しい顔をする。
「むむむぅ」
目をつぶって、ゆっくりと首を回している。どうやら考え込んでいるようで、そのままうんうん唸っている。ただ考えているだけの仕草ですらどこか愛らしく見えるのだから、やはりこいつは紛れもない美少女なのだろうな。
と、そんなことを考えていると、
「にゃ! ひらめいたにゃん」
いきなりヒメはカッと目を見開いて言う。
「お、どんなのだよ」
ヒメはユキセさんの言葉に応じる。
「タイトルはよりたくさんの人に読んでもらうという意味ですごーく大事だと思うのにゃ」
「おっ、そうだな」
「要は長いタイトルってことの意味は、きっと目立つってことにあると思うのにゃ。たとえば、短いタイトルだと小説の投稿サイトで見ても目立たないけど、すっごい長いタイトルだと、ぱっと目に入りやすいと思うのにゃ」
「なるほどな」
「だから、どうしても読んでほしい作品は長いタイトルにするにゃん」
ヒメにしてはなかなか的を射た意見なのではないかと思う。確かにタイトルだけを追っていったとき、目に止まりやすいのは、短文か長文かで言えば後者だろう。
「だから、ヒメが考えるたくさんの人に読んでもらえる長文タイトルはこうにゃん」
ヒメは得意げな顔で言った。
「『みんなこのお話を読んでほしいにゃん。読んで星を入れてくれたら、お返しにレビューを書きにいくにゃん』でどうにゃん」
「ダメ! 絶対!」
この話題は強制終了です。
「そういや、トッキーの考えをまだ聞いてなかったな」
「僕ですか……そうですね……」
ヒメまで自分の考えを述べたので、確かに、これでまだ発案していないのは、僕だけということになった。
「これというのはないんですけどね」
「全員一個は言ったんだから何か言ってみろよ」
ユキセさんは言う。
しかし、本当に僕には何もないのだ。
僕は別に創作がしたくてこのサークルにいるわけではなかったから。
僕には居場所がなかった。何もできることはなかった。ただ、流され、弄ばれ、そして、いつの間にか終わってしまった。そんな人生を過ごしてきた。
だから――
――『その体験を小説にしてみたら面白いんじゃね?』
あの日、ユキセさんがそう声をかけてくれたから。
僕はただそれだけをよすがに、この場所に立っていた。
だから、僕は自分が本当に書きたい物語をまだ見つけられずにいたのだった。それを見つけられれば、僕は、今の僕の、こんな状態の僕を、肯定することができるようになるのだろうか。
「ごめんなさい。何も思いつきません……」
僕がそう言うと、
「そっか。じゃあ、それは宿題な!」
ユキセさんは太陽のように笑って言う。
「いつか、トッキーが本当に書きたいものを見つけられるように応援してるからさ」
「……はい」
ユキセさんがこういう細かいことを気にしない人だから一緒に居られるのだと思う。その気持ちはきっと他のメンバーも同じだ。もしも、ユキセさんがこういう性格でなかったなら、僕たちのような存在はきっと一緒には居られなかっただろう。
「それに難しく考えなくてもトッキーの体験をそのまま書くだけでもすげえ面白くなると思うんだけどな」
ユキセさんは本当に楽しそう笑って言う。
「なんてったって、もう死んじまってるんだからさ」
「……そうですね」
「そうだぜ。死んで幽霊になるなんて体験、滅多にできるもんじゃねえよ」
「まあ、こんなに幽霊みたいなんが集まってるゆうのんも、なかなかあり得ない事態やとは思うなあ」
「ツキノはむしろ幽霊になってからの方が色々なことができて楽しいです!」
「にゃはは。まあ、生きてても死んでてもそんなに違いはないにゃあ」
そう。
僕たちは確かに死んでいる。一つの生命としての役割を終え、すでに終わってしまった存在たち。人はその存在に幽霊という名を与えた。僕たちを包む幽霊という概念の外殻はあまりも脆く、吹けば飛んでしまいそうな曖昧な存在だ。
それでも確かに僕たちはこの場所に存在していた。
自己の存在を認められない者。
自分自身を欺き続ける者。
他人の思いから目を背けた者。
そして、すべてを無に帰そうとする者。
――これは死んでしまった僕たちが、再び『生き返る』までの物語。
「長いタイトルついでで思い至ったんで、言っていいですか?」
「なんだよ?」
「いい加減、うちのサークルの『面白い物語を作り隊』ってクソださい名前、やめませんか?」
「ええ! すっげえ、カッコイイと思ってたのに!」
ユキセさんには、ネーミングセンスがありません。
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