廃墟の虚構
@Aoshima-yo
廃墟の虚構
さび付いた50万トン級の超大型タンカーが、真っ白いコンクリートで成型された、できの悪いポリゴンのような波止場に係留され、ただただ朽ちるのを待っているとき、それを一人眺めていたマリウは、少し伸びてきて女の子のようになってしまった髪を気にしながら、ずいぶんと吹き荒れる潮風に、ばさばさと吹き揺られていました。海には生気はなく、カモメの声すらも聞こえません。ヒトなどはとうに、この港を放棄し、どこか遠い、彼のしならない土地の方へ引っ込んでしまったようです。
「あなたも早々に、引っ込んでしまったらよいでしょう」
カモメが一匹、どこからか木の上に飛んできて、少し高い声で彼に呼びかけました。
「驚いた。もう何も生き物はいないと思っていたのに」
マリウは目を丸くしてそう言いました。
「いないようですね、わたしも今ここについたばかりですが。ひとっ飛びしても、飛んでいるのは吹き飛ばされた柳の枝くらい」
カモメはそう言うと、吹いてくる風が煩わしいのか、せわしなくまばたきしました。
「僕は別に、ここを離れていく土地もないから」
マリウは、はかなげに笑っていいました。
「ここから四日も歩いていくと、まだ人のいる港町があって、そこから最後の船がもうじき出るって噂を聞いたわ」
遠くからやってきたらしいカモメは、そんな話を彼にするのでした。
「この島からもついにヒトがいなくなるのね。昔は億を超える人間がひしめいていたと、わたしのおじいさまは言っておられたのに。それも遠い昔話のようだわ」
「そう、そういう時代もあったんだよ」
マリウはちょうど体育座りのような格好をして、オオバコやクローバーのまばらに生えた砂混じりの土の上に腰を下ろしました。
「この港も、そのころは、こういう大きな船がひっきりなしに出入りして、毎日油を下ろしていたんだ。積んできた油は、あそこに見える白い建物に貯めおいて、少しずつ使うんだ。でもそれでもしばらくすると足りなくなるくらいに、みんな活発に油を使っていたんだ」
「油を使って何をしていたの?火でも炊いていたのかしら」
カモメは興味を持ったのか、マリウのそばまで下りてきて、首をかしげて言いました。
「火を焚いて、電気を起こしていたんだ。おこした電気で明かりをともして、機械を動かして、そうやって夜昼も構わずに人間は生きられるようになったんだ」
「それなのに人間はどこに行ってしまったの?」
「わからない」
少女のようにも見える憂いをたたえて少年は言いました。
「秋になって、冬が来て、あんなにもえていた木の葉がみんななくなってしまうように、ヒトも気が付いたらいなくなっていたんだ。僕は、ヒトの季節が終わったんだと思った」
「ヒトの季節なんてものがあったの?」
カモメはおかしそうに言いました。
「僕も、人が栄えている間はそんなことは思いもしなかったけど、今思うとそうだったんだ。ヒトの季節が過ぎて、葉を落とすように人が引いて行って、あとにはこうして、落ち葉みたいな、さび付いた船やトタン屋根の家屋だけが残ったんだ」
「この防波堤はそれでもあんまり白いものね」
「新しいんだ。人がここを去る直前まで、作っていたものだったから。ここを出る最初の船が、引き上げの船になるなんて、最初の計画を立てた人は、きっと思いもしなかっただろうけど」
カモメは風に吹かれてまくれ上がった羽が気になったのか、二度バタバタと翼を開いて閉じなおしました。
「きみもどうしてここへやってきたの?人のいない浜辺なんて、君にとっても餌が少ないだけだろう?」
「あんまり理由はないのよ」
カモメは、きょろきょろとあたりを見渡しながら言いました。
「でも、人がどんどん一方向に流れていくと、それにかまわずに、関係ない方向に飛んでいきたくなったのよ。仲間も大勢、人にくっついていってしまったし、もうこの島に、わたししか残っていないんじゃないかしら。あなたも、だいたいそういう気分なんじゃない?」
「まあ、そうかもしれない」
マリウは恥ずかしそうに言いました。
「誰もいないということは、どうしようもなく心細いことなんだけど、なぜだかとても気持ちが軽くなるのはどうしてなんだろうね」
マリウはそういうと、すっくと立ちあがり、おしりに着いた草のかけらを、ぱっぱと払いました。そして、カモメを伴って、だれもいないかつての港の内を歩き始めたのです。空はどんよりと深く曇っており、太陽の形はにじんだ白い影でした。灰色の海は風の音が強く、打ち寄せるさざ波の音さえ聞こえませんでした。とぷん、とぷんと、防波堤に打ち寄せる水が空気を吐き出す音が聞こえます。ただその音も不確かで、何もないはるかかなたの沖から、出所もなくずっと吹き続けている風が、ありとあらゆるささいな音をこの港から奪っていたのでした。
「風が強くてかなわないね」
マリウは時折風に体を持ち上げられそうになるカモメにそう呼びかけました。
「あ、あそこに古い建物がある。あそこに入ってみよう」
建物はトタンの波板を鉄筋の支柱に張り合わせただけの、ありがちな港の簡易な倉庫のような建物で、表面の金属はすっかり潮風にやられて、ボロボロでしたが、元来のつくりがしっかりしていたのか、中に入るともう風は全くと言っていいほど入ってきませんでした。時々、はがれそうな屋根のふちのトタンが、持ち上がってパチンパチンと大げさに音を立てますが、それもさほど気にならないほどに、中は静かでした。
「これだけ屋根が高ければ、少し火を焚いてもいいだろう、僕、マッチを拾ったから、ちょっとそれで燃えそうなものを燃やしてみよう」
マリウは、近くにあった腐りかけの船の破片のような物をいくつか拾ってきて、それに火をつけました。船は陸に上がってずいぶん時間がたっていたためか、ずいぶんとよく燃えました。
「少し煙が出るけれど、あまり気になるほどじゃないや。気にしてなかったけど、やはり火があると暖かいねえ」
カモメも翼を広げて、虫落としの習性なのか、その煙を浴びるような格好で、二、三度羽ばたきました。
「何だかここにくるまで世界中、みんな沈んだ硫酸銅のように、寂しい青色をしていたけれど、ここにきて火を焚いていると、オレンジ色があったのを思い出すようだね」
「わたくし、人間の住んでいる土地をずっと上から見ていたけれど、どこの家も、夜になるとこんな色に光っていたわ」
カモメがけば立った体の羽を嘴で丁寧につくろいながら言いました。
「冬に空を飛ぶと本当にそれはまぶしくて、お空の星も一向に身じろぎもしないで光っているし、天と地と、両方いっぺんに星空になったようで、とても楽しかったわ」
「寒い日は気圏の揺らぎが少ないから、星は身じろがないんだって、僕昔聞いたよ」
マリウはそうカモメに言いました。
「きっとそうなのよ。地上の明かりも、寒い日はやっぱり身じろがないのね。でも、お空の星は遠く青白いけど、窓の明かりはもっと赤くて大きくて、私はそっちの方が好きだったわ」
「きっと空の星は温度が高いからだ」
マリウは言いました。
「温度が高いと星は青く光るの?そんなの変な話ね。ならば私は、冷たい赤い光の方がまだ温かみを感じて好きだわ」
「僕たちは青い火の温かみをあまり感じたことがないからね」
マリウは言いました。
「地上にある火は、およそみんな、赤いものだから」
およそかじかんだ手が、だいぶ温くなってきますと、マリウたちは火を丁寧に消して、もう一度屋外に出ました。風は相変わらず、沖の方から吹き続けています。太陽も、あれから少し、西に傾きましたが、相変わらず厚い雲の向こうに隠れていました。
「これから、君はどこへ行くの」
マリウはカモメに尋ねました。
「どうしようかしら、あなたと話していたら、また地上に灯がともる様子を見たくなったし、少し人のいる土地を探してみようかしら」
それがいいよ、とマリウは言いました。
カモメとマリウはそこで別れました。この少年が、それからどこでどうしているのかは、わからないと、私にその話を教えてくれた、別のカモメは言いました。その年取ったカモメが言いますには、人のいない廃墟には、時折マリウのような少年や少女が住んでいることがあるのだそうです。それは昔、うつろな魂を抱えたまま、廃墟に心を惹かれて、そのまま魂までひきつけられてしまった子供たちの、成れの果てなのだと、その老カモメは申しておりました。その子供たちは廃墟とともに、うつろな時間の中を、ただ安らかに朽ち果てるまで漂っているのだと、彼は申しておりました。
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