ポニーテール先輩

ぴくるすん

第1話

 放課後の、夕暮れ時。

 閉め切った図書室には暖房が程良く効き、実に心地よい空間になっている。

また、美しい西日が、この質素な部屋を幻想的なものへと変えていた。

 そして、どこか切なささえも、喚起させている。

 そんな中で、僕とポニーテール先輩は図書室に二人きりでいる。2人とも窓に背を向けるようにして、隣同士で座っている。別に、2人の関係上の理由からそうやって座っている訳ではない。単に西日が眩しいだけだ。

 そもそも、2人の関係は、いわゆるそういうところまでは発展していない。

 僕は、今流行りの青年漫画を読みながら、ポニーテール先輩に話しかける。


「先輩は漫画とか読まないんですか? いつも小説しか読んでないイメージがあるんですけど……」


 先輩は、参考書の問題を解く手を一旦止めた。


「小説しか読まないのに何か問題がある? 君だっていつも漫画しか読んでないよね」


 全く持ってその通りだ。僕は漫画しか読まない。読めない、の間違いかもしれないが。


「いやまあ、そうですけど…。その、読まない理由とかあるのかなーって」

「読まない理由? そんなこと聞いてどうするの?」先輩はこちらを向いた。

「あ、いえその、ただ何となく、です。深い理由はありません」


 ふーん、と先輩は何か腑に落ちない顔をしたけれど、一拍置いて話は再開した。


「私個人の感覚なんだけど、絵と台詞をバランスよく見るっていうことが、ちょっと苦手というか、どちらかに偏っちゃうんだよね」先輩は頬杖を突きながら、続ける。

「セリフばかり読むか、絵ばかりを見るかのどっちかで、全く話が分からないってことに、毎回なってる」


 そう言って、自嘲気味に微笑んだ。


「と言うことは」と、僕は話し手へ。

「先輩はアレですね? 映画は吹き替えじゃないと見られないわけですよね? それはかなり勿体ないと思いますよ。字幕ならではの良さを知ることすらできないなんて……」


勝手に頷いていると、先輩に怒られた。


「それとは話が別。静止画と映像は全くの別物でしょ? 映画は吹き替えでも字幕でもどちらでも大丈夫なの。勝手に決め付けるのは良くないなー」


 膨れっ面に少しだけ可愛さを見出しながら、僕はすいませんと軽く頭を下げた。でも実際のところ可愛さに気を取られて、全く謝罪の念は無かったと言っていい。

 僕は、コホン、と軽く咳払いをして、話の軸を確認してから口を開いた。


「少し話が逸れましたけど、先輩は漫画を読むのが苦手なんですよね。だとしても、一冊も読んだことが無い、ということはさすがに無いですよね?」


 なんだか挑発する様な物言いになってしまった感があるが、決してそういうものじゃない。むしろ逆で、共通の話題を見つけられるかも、と思ったのが理由だ。


「当たり前でしょ。読んだことあるからさっきの話をしたんだけど」


 先輩は少しムスッとしている。

 というより、確かに当然のことじゃないか。絵か文字のどちらかに偏る、という話は普通に体験談ではないか。これではただのアンポンタンである。

 僕は半ばゴリ押しで質問を続ける。


「えっと、じゃあ。先輩が今まで読んだ漫画の中で、一番面白かったやつは何ですか?」

 

 これが一番聞きたかったことだ。しかし何だか会話に詰まってしまい、その場しのぎに何となく好きなものを聞いた、みたいな流れになってしまった様な気がする。

 しかし先輩の様子を窺って、僕はほっとした。全く気にしていないみたいだ。


「え~、一番面白い漫画かぁ」と悩み始める。

「一番面白いやつ…。一番、面白い……」

 

 先輩は復唱しながら目を閉じて考えている。

 まあ自分も、一番、と聞かれたらすぐに答えられる自身はなかった。

 僕は先輩の様子を眺めながら、気長に待つ。


「ごめん、名前が思い出せないんだけど、陸上やってる漫画かな」

「陸上やってる漫画って結構大雑把ですね……」

「し、仕方ないでしょ。タイトル分からないし、内容も一言で言えばそうなるし」


内容についてはもう少し細かく言えるのでは…と言い掛けたが、それよりも気になる部分が僕にはあった。というのも、


「先輩、本当に陸上大好きなんですね」僕は少し微笑みながら言った。

「ま、まあね」と少し照れくさそうに先輩は笑った。


 窓を開ければ、運動部の喧騒が聞こえてくるだろう。その中にはもちろん陸上部のものも含まれる。そして、その陸上部の喧騒の中に、本来は先輩も含まれるのだ。

先輩は「早く走りたいな―」と隣で退屈そうな顔をして、シャーペンで机をコツコツと叩いていた。

 僕は少し表情を整えて、先輩に尋ねる。


「先輩、足の調子はどうですか?」

 

先輩はシャーペンを持つ手を一旦止めて、そのまま右足に手を添えた。


「んー。多分、来週には治る、かな」

 明るく微笑み、ポニーテールが優しく揺れる。

 その報告は、とても嬉しいものだ。

 だけど、少し悲しくもなった。

 いずれ、僕と先輩が会うことはほとんど無くなるのだ。それまでのタイムリミットを、わざわざ自分から聞く必要は無かったなと、僕は今、全力で後悔している。

 それが顔に出ないように、なんとか踏ん張る。


「へぇ。案外早いんですね、治るの」

「そう? もう3週間経ってるんだし、割と普通だと思うけど」


 先輩は、事故で右足の骨にひびが入ってしまったらしいが、僕にはそんな体験が無いため、治るまでどれくらい掛かるかはよく知らなかった。

骨折だとそれよりも時間が掛かるのであれば、かなり不謹慎ではあるが、潔くポッキリいってほしかったと思っている。というのも、僕が先輩と出会ったキッカケというのが、他でもない、怪我が原因だからであり、そして、全治まで長ければ長い程、先輩と話していられるからだ。

 道徳心は余りあるが、当然、そんなことを口にするには勇気が足りなかった。


「あ、もうこんな時間かー」先輩が不意に言う。


 僕も時計の方に目をやると、最終下校時刻まで残り10分程だった。

 

「じゃあ今日はもう帰りますか?」

「そうだね。支度するよ」


 僕たちは帰り支度を手早く済ませ、先輩は松葉づえを突いて腰を上げる。

この図書室、もっとも高い3階にあるため、松葉づえを必要とする先輩には少々苦なのだ。そして、それを補助するのが僕の役目だ。

 先輩が図書室に初めて来た日から、それは僕の日課と言っても過言ではない。まあ、来週にはそれも無くなってしまうのだが。

 しかしそれも、タイミング良く僕が図書当番として放課後に図書室に居たからで、一週ずれていたらこんな風に知り合いもしなかったかもしれない。知り合った結果、僕は図書当番を3週連続で張り切ることになったのだ。来週も張り切るため、次週担当の生徒に代わってもらわないといけない。明日言いに行こう。

 もう校舎に残っている生徒は誰もおらず、夕日に染まる廊下を2人で歩いていた。

 僕は、タイムリミットを延ばす方法を考えていた。足が治った後も、先輩と会える理由を作りたくてしょうがないのだ。

 そこで、「そういえばさ」と、先輩が突然口を開く。


「君が小説を読まない理由、まだ聞いて無かったよね」


そういえば忘れていた。

僕は「あー、そうでしたね」と言って、馬鹿正直に理由を述べる。


「活字が苦手なだけですよ」

「えっ、それだけ?」先輩は呆気にとられた顔をする。

「それは何というか、勿体ないよ。君が私に言ったように、本当に勿体ない。活字が

苦手だ、なんて言わずに一度しっかり読むべきだと思う」


 そうは言っても、苦手なものは苦手だ。活字だけの本など到底読み終えられるとは思えないし、それにお金を使うというのも何だか抵抗がある。いやまあ、図書室にある本を借りればいいだけの話なのだが。

 ん、待てよ? 借りる……?

 瞬間、僕の頭に電流が走った。様な気がした。つまりは閃いたのだ。

 こんな簡単にタイムリミットを延ばす方法が思いつくとは。しかも、その方法と言うのも実にシンプルで、簡単なものだ。

 僕は先輩に言う。


「だったら、先輩のおすすめの小説、僕に貸してくださいよ」


 先輩は少し驚いた顔をしたけれど、すぐに笑顔になった。

 

「いいよ、貸してあげる。そして私は、君を見事、活字中毒者にしてあげるよ」

 

 やった。タイムリミットが延長されたのだ。後はこの本を、来週以降に返せばいい。

 活字中毒者が何だと言っていたが、そんなものは耳に入ってこない。

 正直今は小説のことなんて頭になく、あるのは先輩と会える時間が長くなったことによる、溢れんばかりの喜びだけだ。

 先輩の親が迎えに来ている正門まで付き添い、僕は別の門から出て帰路に着いた。

 その足取りは当然ながら、とても軽いものだった。

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