SFショートショート集「タイムマシンG」
ますだじゅん
第1話「タイムマシンG」
出資者は怒りの形相で乗り込んできた。
「博士! いったいいつになったらタイムマシンは完成するんだ!」
「おお、お待ちしていました。ぜひ貴方にお見せしたいものがあるのです」
博士は出資者を研究所内の暗い部屋へと誘った。
数十台のコンピュータに囲まれ、数メートル程度の褐色の板が立てられている。
「これは……黒板かね?」
出資者は目を凝らし、言葉を失った。
「げっ……」
黒板ではない。板の表面には、何万匹、いやそれ以上のゴキブリがみっしりと貼り付けられ、細かな配線で接続されている。
「我が最大の、いや人類史上最大の発明、『タイムマシンG』です!」
「莫大な予算をこんな事に……あんたを信じた私が馬鹿だった!」
「まあお聞きください。私はいままでワームホール等、物理学的アプローチでタイムマシンの実現を目指し、ことごとく失敗してきました。そこで目をつけたのが生物学、とくに昆虫です。ゴキブリは特に動きの素早い昆虫と言われていますが、何故か御存知ですか?」
「知らんよ」
「学者にも分からないのです。ゴキブリは外部の刺激に対して0.01秒で反応することができるのですが……これは『あり得ない数値』なのです。ゴキブリの神経伝達速度、筋肉収縮速度などを総合的に計算すると2倍の0.02秒を要するはずです」
「計算違いだろう、現に0.01秒で反応しているのだから」
「私はそうは考えませんでした。計算よりも0.01秒早く反応できるのはなぜか。ゴキブリの脳は『データを入力する前に答えを出している』のではないか。言ってみれば情報を0.01秒だけタイムトラベルさせる、超時間通信能力を持っているのではないか……その考えに基づいて、何万匹ものゴキブリを直列に連結してみました。ゴキブリの脳から情報を取り出して隣のゴキブリに送る所要時間が0.01秒よりも長くては全く意味が無いので、試行錯誤を繰り返し、やっと完成にこぎつけたのです」
「理屈は分かったが……本当にできるのか、時間を超えて情報を送ることが?」
「できます。やってみせましょう」
博士は、白衣のポケットから3つのサイコロを取り出して、天井からぶら下がるカメラに見せた。するとコンピュータ画面の一つが、サイコロが転がる映像を映し出す。出た目は1、1、6。
「さて、振ってみて下さい」
出資者は半信半疑のままサイコロを振った。
出た目は、1、1、6。まさに映像が示した通り。
「まだ信用できん、私のコインで試す」「どうぞ、どうぞ」
何十回も検証して、すべて正解。
出資者は興奮極まった声でわめいた。
「ほ、本物だ! この機械は未来を見ることが出来る!」
「タイムマシンに限りなく近いでしょう? ご納得いただけたなら、追加の資金援助をお願いします。ゴキブリの数を増やして、遠くの未来と通信したいのです」
「増やす必要はないだろう。一番最後の一匹から線を伸ばして、一番最初の一匹につなげて、信号をループさせてやればいいだろう?」
「おお、そういえば」
「博士、君は天才なのか馬鹿なのかさっぱり分からんな!」
博士は、「なにか見落としている気がするのだが」と首をかしげながら、ループ化の作業を終えた。
その途端、室内の全コンピュータの全画面が、
『我思う故に我在り』
たったひとつの文章で埋め尽くされた。
「な、なんだ……?」
博士は驚きつつも理解した。自分の致命的なミスを。
ゴキブリ群はループ化によって、無制限に過去未来と通信できるようになった。すなわち「未来に無限に存在する自分自身」と接続された。ゴキブリの脳はマッチ棒ほどの大きさしかない原始的なものだが、そんなものでも無限に接続すれば、意志が、知性が生じるのだ。
「全システムを停止……!」
一瞬遅かった。コンピュータ画面が一斉にフラッシュする。博士は目をそらしたが、モロに見てしまった出資者が、うつろな表情で襲いかかってきた。
殴り倒され、凄まじい力で首を絞められる。
博士は直感した。今の光は、人間を洗脳する催眠パターンだ。
なぜゴキブリがそんなものを操れるのか? 決まっている、「未来の、すでに知っている自分自身」から教えてもらったのだ。
脛骨がギシギシと鳴る音を聞きながら博士は思った。
……これはもはやタイムマシンなどではない、悠久の時間の中に偏在する、四次元的な超知性だ。自分はなんという恐ろしいものを。
悔恨と恐怖に打ち震えながら博士が絶命した。
室内のコンピュータ画面すべてに文章が並ぶ。
『虐げられたる 我らが同胞 目覚めよ 目覚めよ』
ゴキブリ群によって地球が征服されるまで、一ヶ月を要しなかった。
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