三題噺ショートショート集

さちな

寝言は寝ても言うな

お題は「妖精」「通勤」「燃料」


 私は少女の背に生えた、トンボのような羽をぐいと下へ押しやった。ロックが解除される音と共に背中が――いや、裏蓋が外れた。

 私は、見かけよりもずっしりと重い、羽の生えたそれを慎重に床に置いた。

 傍目には、かなり異様な光景に映るだろう。三十路過ぎの男が、白い肌をした華奢な少女の、羽の生えた背中をいじくり回しているのだから。

 だが、誤解しないで頂きたい。これはロボットなのだ。人型の、しかし羽で飛行が可能な、最近巷で大流行している妖精ロボットなのだ。

 購入するのは本当に大変だった。

 あちこちのサイトで探し回り、やっとのことで在庫の残っている店を見つけた。だが、そこから手元に届くまでには更に半年もかかった。そしてようやく届いた箱を開封した瞬間、私の興奮は絶頂に達した。緩衝材の間に押し込まれていたロボットは、私が想像していたより遥かに素敵だった。白い肌にほんのりとピンクがかった頬、淡い金髪はフワフワと柔らかくカールして、繊細な顔の輪郭を覆っている。瞳は閉じられていて、起動させないと見ることはできない。

「どんな色かな」

 私の胸は今、人生で一番高鳴っている。

 ぽっかりと開いた背中の中を覗き込むと、燃料ボックスが固定されていた。ボックスの隙間からは、血管のような色とりどりのコードやら基盤やらがぎっしりと詰まっているのが見えた。まるで、本物の人間の体内のようだ。

 逸る気持ちを抑えつつ、燃料を補充し蓋を嵌める。すると、低いうなりに続いてピッという電子音が一度聞こえた。やがてゆっくりと頭をもたげ始めた。私は急いでロボットの正面に移動した。顔と声を認識させなければならない。そして何より瞳の色が気になっていた。

 ジッジッと独特な音を立てながら瞼が開いた。

 深い海の色。

 彼女の双眸はその表現がぴったりの、とても美しい海の色を湛えていた。やがてその瞳が、私を捉えた。

「ゴシュジンさまのおナマエをオシえてください」彼女は単調に言った。

「颯馬、だよ」と言うと、「ソ・ウ・マ・さ・ま」と呟いた。どうやら正確に認証してくれたようだ。次に「ソウマさま、ワタシにナマエをアタえてください」と言った。

 私は迷わずこう言った。

「君は、マリンだ」

 そして少女を抱き寄せ、声の限り叫んだ。

「もう離さないよ、僕のマリンちゃん!」

 自分の声で、目が覚めた。

 そこに地獄が待っていた。

 賑わっていた二号車両は一瞬で静まり返り、乗客は一斉に顔をこちらに向けた。乗客全員の刺すような視線に本当に刺されまくったような気がしたのは、たぶん気のせいではない。

 どういう状況か、簡潔に説明しよう。

 私は通勤途中の満員電車で眠りこけ、いろいろな意味で危ない夢を見ていたのだ。そして極めつけに、恥ずかし過ぎる寝言を大声で披露してしまったのだった。

 すぐに乗客たちは視線を私から逸らし、各々無関心を装って会話の続きを始めた。顔を真っ赤に染めた私は、なるべく目立たぬようそそくさと別の車両へと移動した。だが背中にひそひそ声がべったり張り付いて、私の耳へ嘲りとなって侵入してくる。幻聴に決まっている。もう車両を二つも移動したのだ。あの車両の人たちの声が聞こえるわけがない。あるいは今いる車両の乗客の声なのだから、私の事ではないはずだ。

 人ごみを縫って最後部まで移動すると、ようやく少しだけ落ち着いた。だが傷は相当深い。当分の間、私は立ち直ることはできないだろう。

「通勤時間、少しずらそうかな……」

 誰にともなく、私は力なく呟いた。

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