王太子の魔王化について
読(どく)
第1話 美しい思い出の欠片
「ね、アヴェリー。おおきくなったら、僕だけのものになってくれますよね」
彼の銀色の髪は太陽の光を受けて七色の天使の輪を形成している。美しい白い肌は、雪の結晶を散りばめたかのようにキラキラと光り輝く。その白い台に埋め込まれた三つの宝石。
銀色の長いまつげに縁取られた瞳という名が付けられた紫水晶が二つ、薄膜を張り色つやが増している。彼だけが所有することを許された美しさ。
そして白さと紫水晶に引けを取らない愛らしさを象った艶やかな赤い唇。この唇から零れ落ちる言葉は、どんな音色なのだろうと人を悩ませる気がする。
銀糸の髪を太陽の光に輝かせた少年は神々の寵愛を一身に受けるかのように美しい。完璧な美があるのだとすれば、彼の容貌を言うのだろうと幼いながらに思う。
思うけど、彼の深紅の唇から零れ落ちた内容から、危うさというか物騒なものが含まれている気がして、誰もいないほうに視線を向けた。自分でも軽い現実逃避だってことぐらいわかってる。
そこは色とりどりの花が咲き、花々の間を縫うように蝶が二匹追いかけっこをしている。たった二匹なのに一層王宮の庭を華やかなものにしていた。
逃げるために視線を向けたけど、思いの外美しい光景にうっとりと見惚れてしまう。
羽ばたく蝶は舞う。彼らの追いかけっこは終わりなんてなくて、ただひたすら柔らかな花の香りの間を泳ぎ、疲れれば花弁に止まる。微かな重さとは言え花はほんの少し頭を垂れ、次いで飛び立つ瞬間さらに頭を上げる。この庭園の王と王妃はあの蝶なのだと眩しいものを見るように目を細めた。
見慣れた光景とはいえ、感歎せずにはいられない。
わたしは小さく吐息を漏らす。その時だ。
まるで狙ったかのように小さな手がわたしの手を包んできた。
「げほっ……げほっ、ちょ、ちょっと、驚かせないでよ。もう、びっくりした。なーに?」
息を吐き出した瞬間に掴まれた衝撃は中々のもので、令嬢らしからぬ咳き込みをしてしまう。涙も浮かんできて空いている手で拭いながら視線を目の前の少年に向ける。
彼の銀糸の髪が両方の頬にかかっていてその表情の全ては見えない。体が少し前屈みになっているせいか、上目遣いになっていた。だけど唯一わたしから見える紫水晶の瞳は不愉快そうにほんの少し歪んでいた。
これはよくない、とわたしは危機感を抱き、その手を離してもらおうと引っ張る。だけど、相手は二歳だけ年上の男の子。びくともしないし、更に力を込められ骨が軋む音がするんじゃないかってぐらい握り締められた。
「いっ、痛いから離して欲しいんだけど……」
「どうして逃げるんです? 僕の質問に答えてないのに。きちんと質問には、答えるべきではありませんか?」
目の前の子どもは笑っている。笑っているけれど、それは口元だけで、目は鋭さを増し、一切の余裕が感じられない。
喉の奥がひくつく音をだしながら、わたしは必死に叫ぶ。
「お、大きくなった時にかんがえる! かんがえるから、はなしてー!」
この時、齢六歳。
侯爵令嬢という身分を考えれば決して早い婚約者というわけではない。ないけれど、通常親が決めるものだ。当人同士が決めるものは、子ども同士のおままごとであり口約束の域を出るはずがない。
ないのだけど、この時のわたしは何かヤバイという危機感を無意識に悟り逃げようともがく。力で敵わないのだから返事の延期を要求する他ない。
だというのに――
「いや、です。げんちを取らないと」
げんち? げんちって何!?
救いを求めるように周囲に視線を向けるけれど、ここは王宮のだだっぴろい庭。誰もいない。いや、隠れて警護をする人はいるけど、わたしの手を掴む少年が不機嫌になるのを知っている人たちは極力近づいてこないのだ。
わたしが困っているんだから助けに来てよ、なんて言ってもそこは身分の差というものが如実にあるため当てにならない。
「アヴェリーが頷いてくれるまで僕、この手を離しません。……ああ、それいいですね。ずっと一緒にいれるんですもん」
半ば引きずられるようにして少年が住まう一室に連れて行かれそうになる。
この後、私が大声を上げて泣いても仕方がない。
むしろ褒めたい! よくぞ頷かなかったと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして今、現在。
あの頃と寸分変わらない美しい王宮の庭でお茶を飲んでいる。
子どもの頃のことだと思えば懐かしくも美しい思い出になり、いつか色あせてくれるだろう。
そのはずだったけれど――
「別に君が僕を嫌いでも構わないと、いつも言っているはずです。だから、僕のものになってください」
わたしの髪を一房掴み迫ってくる男は、外見だけ成長して中身は悪化している。こじらせた。風邪ならこじらせて死ぬこともあるけど、これはなぁ……といつの日と同じように遠い目をしそうになる。
右側だけ肩につく長さの銀糸に輝く髪を揺らしながら、詰め襟のある白い騎士服に身を包む男は柔和な笑みを浮かべ笑った。
「……相変わらずね」
「ふふ、僕だけではなくアヴェリーもですよ」
たしかにそうだろう。
わたしたちは出会ってから十数年が経っていた。
お互いにもう婚約者だとか、伴侶がいてもいい年齢なのに、あの頃とやっていることが変わらない。そのことに頭が痛くなるが、気にしていても仕方がない。
わたし、侯爵令嬢のアヴェリー・ランドークは、あの時と同様にどうにかして逃げ場がないか視線を彷徨わせる。しかし、幼き日と同じように、周囲には誰もいない。いや、いる。微かに気配を感じるだけの成長を私は遂げていた。だけど、一流の騎士たちは動かない。長年の経験というものは骨の髄まで染み渡っているのだろう。か弱い女が一人喚こうが、彼らは動かない。
理由は至極簡単。
逢瀬の邪魔をしたならばどんな目に合わされるか分からないから――目の前の男、王太子、もとい魔王に。
逢瀬って何、というわたしの心はこの際、放っておく。納得はしていないし腹も立っているけれど。
「人はね、アヴェリー。檻の中に入れられて、頼れる者がいなければ、例え憎い相手であったとしても傾倒していくらしいんです。だから、きっと上手くいくと思っているんですけど、どうですか?」
良くもまあ、こんな恐ろしいことをさらさらと言えるものだ。神々にいくら愛された容姿で、その熟れた唇から紡がれた言葉だからといって誰が頷く!!
そんなちょっと試してみませんか、なんていう気軽さで提案されても内容は吟味する必要がないレベルで恐ろしいものだ。
「アヴェリー?」
心配そうな色を湛え紫水晶の瞳を潤ませ見上げてくる。
その部分だけ切り取れば女性に見えてもおかしくないけれど、見事なまでに成人男性へと変貌を遂げていた。
「あのね、人はそれを洗脳というの」
「ふふ、そうみたいですね」
分かってて言ったのね、この魔王。
ぴくり、とこめかみの筋が動く。表情筋を総動員しなんとか笑みを作っているけど、手は自然と拳を作りいつでも目の前の魔王を殴る準備は整っている。
それでも殴らないのは相手は王太子で、わたしにとって大切な幼馴染だからだ。
「…………あのね、もう一度言うけど洗脳よ?」
「はい」
まあ、素敵な笑顔。拍手を送りたくなるぐらい美しい笑顔を浮かべ、彼は笑う。何が面白いんだ。人を堂々と洗脳すると宣言して。なんだ。言葉にすればその美しい顔のため、なんでも許されると思っているのか。人生そんな甘くなんてないんだから、と叫びたいけれど彼は顔だけでなく身分でも最高だった。
「わたし、帰るわ」
「…………」
さっ、と魔王の瞳から輝きが失われる。
この目を見ると胸の奥に忸怩たる思いが湧いてくるのを知っているのだろうか。
あの日この庭園で知り合った頃の瞳の色に良く似ていた。美しさよりも禍々しさや厭わしさなどといった負の感情に穢され、磨くことを忘れてしまった宝石。
「……今日は元々用事があったの」
まだ魔王のカップに紅茶は残っていたけれど、新しいティーカップを手に取り紅茶を用意する。お湯は少し冷めていたけど、このぐらい気にしない、わたしも魔王も。
「ね、この丸みを帯びたティーポット綺麗な形ね。白だから花の色が写って見えるわ。それに円を描いているから、実物の花よりも背が低くて横に太って見える」
「……そうですか? 僕には良くわからないけど、アヴェリーが言うならきっと美しいんでしょうね」
「もう! ちゃんと自分で見なさいよ」
まったく、と嘆息しながら新しい紅茶を差し出す。
そうすれば魔王はおずおずと手に取り毒味もないのに簡単に口にする。
この国に唯一の王位継承権を持つ王子を殺める人間がまったく居ないわけではないけれど、正直多くはない。
後、彼はわたしに全幅の信頼を寄せてくれていた。
「アヴェリーは僕のことを褒めてくれなくなりましたよね」
「不満を言ってきたのはあなたじゃない。今も魔王は綺麗だって思ってるわ」
出会った頃よりも輝きを増した紫水晶の瞳や、精悍さを感じさせる顔付き。女性特有の美しさではないけれど、軍神など物語に出てくる神を彷彿とさせる美を彼は未だに有していた。
「……僕はアヴェリーのほうが綺麗に見えるんですけどね」
「嫌味にしか聞こえないからね」
目を合わせてくすり、と笑う。
さっきまで落ちていた瞳に輝きが灯る。
安堵しつつ、もういかなくてはと時間を告げる侯爵家の侍女の姿を目の端で捉えた。
「……引き留めてしまったみたいですね」
先に動いたのは彼だ。
入れ立ての紅茶を半分ほど飲んでソーラーに戻す。乾いた音がやけに響く。
「でも、今日はいつになく早くないですか?」
「お父様にお願いして画商を見に行くの」
「…………聞いていません」
「あなたに全てのスケジュールを知らせる必要はないでしょう?」
気に入らない、と顔一面に書いてある。
不機嫌さを少しも隠そうとしない魔王の様子に、何度目かのため息を零し腰に手を当てハッキリと告げる。
「あのね、わたしは一介の侯爵令嬢なのよ? あなたに、ううん。王宮にわたしのスケジュールを伝える理由がないの」
「僕が知りたいんです。それに、君の勉強はすべて王宮で面倒を見ているのだから、知る義務はあります」
そもそもそこからおかしいと何故、誰も思わない。分かっていても何十回だって突っ込まずにはいられない。
「今回のことは伝えてあるのよ。あなたが知らなかっただけ」
「……チッ、あの役立たず共」
綺麗な顔の男が舌打ちをすると、凄惨な雰囲気をまとうのはなぜだろう。
「やめなさいよ」
「何がですか?」
「今、しようとしたことよ。大方、罰とかいって、地方に移動させたり、ありもしない不正をでっちあげたり、娘がいればひどい男と結婚させたり……口にするのもいやなことよ!」
ちなみに今あげたことは過去、この魔王がしでかしたことだ。それら全てをわたしが気づき、先手を打ち緩和してきたが……目も当てられない。あんな苦労はこりごりだ。
「……アヴェリーがそう言うのなら。しかし、勤務怠慢であったことは注意します」
「まあ、そのぐらいなら……。でも、罰を下したらその時点で、わたしはあなたに近づかなくなるから、いいわね?」
渋々、といった様子で魔王は頷く。
そして、背中に流すわたしの髪を一房手に取り指に絡める。
成人した女性が、と叱られそうだけれどこれは魔王たってのお願いで、正式なパーティーであれば結い上げるけれど、わたしは基本的に髪を結わない。
「アヴェリーがそういうのなら、僕は従います。だから、僕だけのものになってください」
「……考えておくわ」
振り出しに戻ったわけである。しかし、もう一度同じやり取りを今日する気にはなれないため、わたしは別れを告げた。
魔王――もといこの国の王太子は、嬉しそうに手を振りわたしを見送っていた。
わたしは知っている。
わたしの姿が見えなくなると王太子殿下の瞳から色が抜け落ちることを。
彼の瞳にこの世界は穢れたものでしかないと知っていても、喉にせり上げてくる言葉の数々。伝えれば彼はわかった、と頷く。でも本質のところでは欠片も理解していなくて、受け入れていない。
彼の中で燦々と輝くのはあの日からわたしとの思い出とわたし。
それをわたしは十数年という付き合いで嫌というほど目の当たりにされ、そのたびに辛くて憤りを感じずにはいられない事柄だった。
だからわたしは外の世界に飛び出る。
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