賭けの攻勢②
ガレイル軍陣営
「……あぁ? お前今何て言った?」
ジロリと、ガレスが冷たい視線を向けるのは、ガタガタと震えて土下座をする一人の兵士。纏う鎧は簡素なもので、それがその兵士の身分――奴隷階級であることを示していた。
「で、ですから、攻城兵器の使用をご許可願いたいと……。我々だけでは、あの砦を落とすには時間がかかり過ぎます」
「ほう。それはつまり、俺の采配が間違っていると言いたいのか?」
「ち、違います! ひとえに我らの無能故であって、ガレス様の采配に落ち度はな――」
「奴隷風情が俺の名前を口にするんじゃねぇ!!」
「ぐふっ?!」
兵士の顔面に、ガレスの蹴りが直撃した。鼻血が吹き出し、折れた数本の歯が飛び散っていく。
そのあまりに理不尽な光景に、しかし周りの兵士達は口を挟まない。大部分の者は同じ奴隷階級であるが故に。
「あ、てめえ! てめえの汚ぇ血で俺の鎧が台無しじゃねえか!」
「……も、申し訳、ありませ――」
「おい!」
ガレスが背後に控えていた側近の騎士を呼び、顎でそのうずくまる兵士を差す。その意を受け、騎士は剣を抜いた。周囲の兵士達がにわかにざわめきたつ。
「やれ」
「――ぎゃあああああっ!!」
そんなものはお構い無しに、理不尽極まる処刑は執行された。断末魔が途切れると、重苦しい静寂が場を支配する。
「ちっ。腹立たしいことばっか続きやがる。いっそ攻撃再開を早めて、アルティアの雑魚どもをさっさと血祭りに――」
「偵察より報告!」
そんな静寂などまるで意に介さないガレスのもとに、別の兵士が慌ただしく駆けつけ、片膝をついた。
「アルティア残党が出陣し、砦より北西方面へ進軍中とのことです!」
「ああ?」
ガレイル軍の陣は、ソレイル城塞から徒歩で半日ほど歩いた場所に敷かれている。つまり、それなりに距離がある。そのため、偵察は絶えず派遣しているものの、こうして報告が届くまでには多少の時間差がある。どこに行くつもりかはわからないが、あるいは既にアルティア側は目的地に到達している可能性もあった。
「確認した限り、規模は敵のほぼ全戦力であると」
「なんだそりゃ。アルティアの雑魚ども、遂にヤケにでもなりやがったのか?」
彼我の戦力差は歴然。アルティア残党が少しでも長く生き延びるには、おとなしく砦に籠っていることが最善の手段のはず。にも関わらずの進軍の報せに、ガレスは嘲りの笑みを浮かべた。
「どうやら、これでようやく今回の仕事は終わりらしいな。おい」
「はっ」
「予定変更だ。直ちに全軍を出陣させろ」
「は、はっ。しかし、直ちにとなると満足な準備が」
「うるせえな。敵は少数、こっちは大軍。準備なんざしなくても充分勝てる戦だろうが」
「ですが、それではこちらの被害も余計に出てしまいます!」
「……てめえもそいつと死んでおくか?」
処刑された者の亡骸を示され、報告に来た兵士は畏縮する。
「ふん。わかったらさっさと全軍に出陣の報せを――」
瞬間。
何かが、ガレスの頬をかすめて過ぎた。直後、背後の地面に何かが突き立つ音。
「……は?」
何が起こったのか理解出来ず、怒りより困惑をあらわにしながら背後を振り返った。そこに突き立っていたのは、矢文。
無造作にその矢を抜き、乱暴な手つきで結わい付けられた文をほどいて目を通していく。
「…………」
程なくして、ガレスの額に青筋が浮かんだ。文を両手でビリビリと引き裂き、飽きたらずに握り潰して地面に叩きつける。
「全軍直ちに! 今すぐ出陣だ! アルティアのクソどもを一人残らず血祭りにあげる!」
怒り心頭のガレスの下知に、異を唱えることの出来る者は誰もいなかった。
□□□□□□
「敵陣に動きあり。出陣するようです。先鋒は――敵将、ガレス」
小高い崖の上。遠見の魔法でガレイル軍の陣営を見張っていた魔導兵の報告に、マーチルとルーミンは互いに顔を見合わせた。
「餌に食いついたようね」
「すごーい! テンマっちの言った通りになった!」
これから戦が始まる。だというのに、二人の気持ちは高揚していた。
今彼女達がいる場所は、ソレイル城塞から北西。ソレイル地方と、アルティア王国中心部であるクノーケル地方を隔てるフェデル山脈。その山脈に、ぽっかりと開いた隙間道である。
道の左右には深い森がどこまでも広がり、終着点は三方を小高い崖に囲まれての行き止まりだ。
だが、ここは円状に大きく広がっている。少数の軍勢ならば、充分に戦えるスペースがあった。
「でも、どうせならガレス?に直接矢を当てちゃえば早かったのに」
「それじゃ目的の半分しか果たせないでしょ」
用意した矢文。矢を射たのは勿論ルーミンだが、普通に射ただけでは、この場所からガレイル軍の陣営まで矢が届くことはあり得ない。矢をそこまで飛ばしたのはマーチルである。風の流れを魔法で操作し、その流れに矢を乗せたのだ。
「ガレスの様子は見えますか?」
「はい。表情からみて、相当キレています」
魔導兵の報告は淡々としているが、余計な脚色がない分想像しやすい。
「おっちゃん、どんな悪口書いたんだろ?」
「気にはなるけど、それは勝ってから聞くこと。今は作戦に集中するわよ」
「うん!」
頷き合い、姉妹は眼下に視線を転じた。
□□□□□□
「――報告は以上です」
「わかった。持ち場に戻れ」
「はっ!」
伝令が下がるやいなや、バゼランは口角をつり上げて愉快げに笑い出す。
「ははははは! ガレスの野郎、まんまと餌に食いつきやがったぜ! こいつは面白くなってきた!」
「……将軍。本番はまだこれからです。油断しないでくださいよ?」
「わーってるって。しかしウィル。お前、あいつの何が不満だ?」
バゼランの問いに、隣に控えていたウィルは気まずそうに目を逸らした。
「……別にそんなことはありません」
「ま、ある程度はわかるけどな。だが、これだけは覚えておけ」
バゼランが笑みを消した。それだけで場の空気が重く変わり、ウィルも思わず視線を戻す。
「今の俺達にはもう後がない。だからこそ、あいつのような戦力は貴重だ。たとえ一時的な助っ人に過ぎないとしても」
「……わかっています」
「ならいい」
会話を終えると、二人は前を見据えた。
今回の作戦の肝は、最初に敵と接触するバゼラン率いる部隊が握っている。
「さあ。明日の朝陽かあの世の花か。どちらを拝めるか、賭けの戦といこうじゃねえか!」
斧槍の石突きを地面に叩きつけ、バゼランは不敵な笑みを浮かべた。
□□□□□□
「……いよいよ始まるのね」
伝令の報告を聞き、ラピュセルは呟き空を仰ぐ。
作戦の第一段階は成功した。だが、肝心なのはここからだ。失敗すれば、その瞬間にアルティア王国の命運は尽きてしまう。
「不安か?」
「……少し」
護衛として側に従う武蔵に問われ、取り繕うことなく本音を答えた。
「失敗したら、全てが終わる。そう考えると、どうしたって……ね」
「案ずるな」
「え?」
反射的に武蔵へと顔を向ける。相変わらず悪い目付き。だがその奥の黒い瞳には、初めて見る優しさがあった。
「俺とて不安が無いわけじゃない。だが、お前の臣下は皆優秀だ。投げられた賽は戻せないが、そこから勝ちを手繰り寄せることくらいは造作もないだろう」
「……そうね」
笑みは自然とこぼれ出す。ただその言葉だけで、胸中に残った不安が嘘のように晴れていった。
その通りだ。自分が皆を信じないでどうするというのか。
心は決まった。もはや不安は無い。
「この賭け、勝つわよ。テンマ」
「心得た」
頷き合い、二人は真っ直ぐに前を見据えた。
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